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藤間喜州(奥田泰啓)

2014年
4月29日の「州栄会」の舞台写真が出来上がりました!
少しでも雰囲気を楽しんで頂ければ幸いです。
なお、特別出演と賛助出演の方々の演目は割愛いたしましたので、
あしからずご了承ください。




清元 「花がたみ」




長唄 「供  奴」





長唄 「藤  娘」




長唄 「浦  島」




清元 「神 田 祭」




長唄 「高尾ざんげ」




長唄 「俄 獅 子」




清元 「玉  屋」





義太夫 「蝶の道行」




長唄 「二人椀久」







九州の総合芸能情報誌「藝報」2005年11・12月号に、
僕へのインタビュー記事が、4ページに渡って掲載されました!
チョイと長いですけど、読んで頂ければ幸いです♪

訪問インタビュー  藤間喜州師をお訪ねして


2002年に長崎市で開催された、第1回Sohbu-Festaから約3年。今年の7月、ついに第2回Sohbu-Festaが北九州市で開催された。「新世紀に相応しい、若い人達も理屈抜きで楽しめる新しい日本の踊りを、九州から全国に発信しよう」という声の元、北九州全区から8流派が集った。溢れかえる客席から苦情が出るほどだったという事からも、この会に対する期待の大きさが伺える。9月、私達は、北九州創作舞踊フェスティバル実行委員会の実行委員長・藤間喜州師のお宅を訪れた。


    古典と創作と

「九州ではまだまだ、創作舞踊を観れる機会が少ないですよね」と、喜州師は語る。東京では師の若い頃から既に、現代曲を使った大胆な表現の創作舞踊が数多く上演されていた。もちろん古典舞踊も盛んで、古典を立派に踊れる一流の舞踊家が、創作舞踊にも果敢に挑戦する。ただ創作だけを新しがってやっているのではなく、古典と同時進行で創作をやる。それが、その頃から当たり前だった。そのような舞踊家の方々の舞台を数多く観られた喜州師は、帰郷後中央と地方とのギャップに驚いたという。地方でも、もっと創作活動をやるべきではないか。そう感じた喜州師は、創作舞踊に力を入れようと思い立った。「古典舞踊を好きな方の中には、創作舞踊に抵抗を感じる方もおられるでしょうね。日本舞踊の古風な美しさに惹かれて皆やってるわけですから。かくいう私も、古典舞踊をこよなく愛しているんですよ」と語る喜州師は、古典と創作のどちらが大切というのではなく、古典の伝統を伝えていくためにこそ、創作も必要なのだと言う。伝統文化は、古風な美しさに魅力があるが、ずっとそのままの形で今日まで残ってきたものはない。時代の流れに応じて変化しながら今の形となり、そして今もなお変化し続けている。「少し前にミニ浴衣が流行りましたけど、良い例ですね。有名な呉服店で、正統派のきちんとした着物を売りながら、同時に時代に合わせたミニ浴衣も売る。それでいいんだと思います


   
伝統を継承する

「古いものをそのままの形で残す事は『保存』です。品物と違って踊りは残りませんから、保存はとても価値のある事だと思います。一方『伝統の継承』は、古いものの良い所は残しながら、時代に合わない部分は思い切って切り捨てたり、現代の新しい感覚に応えられるように改良する事も必要なんです」本質的な部分を大切にしながら、外側は時代に合うように変えていくのが、本来の継承の仕方ではないかと、喜州師は語る。陶器や漆器の世界でも、現代の洋風な生活に合うものが次々と造られている。優れた伝統工芸品でありながら、現代生活の日常的な食器として機能している。もちろんそれを造る手法は、伝統的な技術に支えられている。肝心なのは其処なのだと、喜州師は語る。伝統的な精神や技法をきちんと伝えながら、新しい世代の新しい感覚で新しいものを創り出していく。日本舞踊もそうあって然るべきだという。「ですから私は古典舞踊も、衣裳や髪型に工夫を加えたりり、構成や演出を再考する場合もあります」現在「古典」といわれている作品も、発表当時は「新作」だった。一度きりの上演で消えていったものも数多くある。かの有名な「藤娘」ですら、一度は絶えかけたのだが、様々な名優たちが工夫を重ねたお蔭で、今もなお愛され続けている。舞踊に限らず全ての芸術活動では、常に新しいものを創っていく事が必要不可欠だ。古典を継承する事と、新しい作品を生み出していく事とは、車の両輪のようにどちらが賭けても駄目なのだ。「今はDVDなどかありますから、踊りも映像で保存する事が出来ますが、博物館に行って観るのではなく、やはり現代の観客に現代の感覚で観て頂いて、『綺麗だね、楽しいね』と言って欲しいですね。ですから私は、創作を頑張れば頑張る程、古典にも力を入れているんです」


    Sohbu-Festa

喜州師は精力的に創作舞踊の発表に取り組んでおられるが、やはり始めは創作舞踊のみの発表ではなく、古典舞踊の会の中で創作舞踊も発表されていたという。しかし2002年、ついに創作舞踊だけの会である第1回Sohbu-Festaが、長崎市で開催された。「藤間流だけでなく、他の流派の方々、あるいは日本舞踊以外の舞踏家の方々、全く舞踊をされたことのない一般市民の方々と、流派やジャンルを超えて、日本人にしか出来ないような、21世紀の新しい舞踊を創りたいと思ったんです」喜州師の想いに、多くの方々が賛同した。中央からも、著名な舞踊家の方々が手弁当で参加して下さったお蔭で、初めて日本舞踊に接した観客にも好評で、第1回目にしてかなりの成功をおさめたのである。その第1回目の会を、以前から交流のあった北九州市の舞踊家の方達が、思いもかけず大勢で観に来て下さったという。その後喜州師が、『北九州芸術劇場』オープニング公演の総合演出をされるなどして、より北九州市の方々との交流を深めていかれた。「皆さん、何か新しいことをしたいという想いを持たれていたんですよ。でも、どこから手をつけていいのか分からない。それなら第2回目のSohbu-Festaを、今度は北九州市でやってみませんかとお声をかけさせて頂いたんです」すると8割以上の方が、二つ返事で賛同して下さったという。その方々がまた別の方に声をかけ、当初30人程だと予想していたのが、最終的には北九州全区から、8流派の方々が60人も参加して下さる事となった。観客席もチケットが足りず、立ち見が出る程の大盛況だった。「こんな風に8流派もの方々が集まって下さったのは、元々北九州市にそういった機運があったからだと思います。皆で手を繋ぎ合う事で、新しいものが生み出せるなんて、素敵ですよね」


    アイデアの源

喜州師はインターネットも積極的に活用されており、3年前にはご自身のホームページ上で、どんな創作舞踊が観たいかというアンケートを採った。そして上位の、「マンガ・アニメを舞踊化して欲しい」という意見を採用。舞踊劇「犬夜叉ファンタジー」が誕生した。「アニメなら、今まで舞踊に興味を持たなかった若い方も、子供さんも観に来てくれるのではないかと思いまして。出版社からも直ぐに快く上演許可の返事を頂け、とても幸運だったと思います」喜州師は他にも様々なアイデアをお持ちで、その数の多さには舌を巻くばかりだ。「昔は趣味でしたが、今では日本舞踊は仕事になってしまいましたから、普段の生活の趣味としては、日本舞踊以外のものに多く触れるように努めています。音楽もロックやポップスをよく聴きますし、映画やミュージカルも大好きです」なんと喜州師は、かつてはミュージカルの演出家になりたかったのだそうだ。そのための勉強を若い頃からされ、『新劇』を始めとした様々な演劇に参加されている。他にもコーラス部の経験やバンド経験、マジックショーへの出演や東宝歌舞伎への出演の経験など、本当に沢山の経歴をお持ちだ。そこでの経験が、今非常に役立っていると喜州師はおっしゃる。師の創作舞踊のアイデアと演出は、まさに師の人生から生まれていると言っても過言ではないだろう。


    これからの願い

「これは日本舞踊に限らず、日本の伝統芸能全てに言えることですが、もうメジャーではなくなってきているんですね」と、喜州師は語る。昔は学校のクラスに何人かは日舞を習っている子がいたものだが、今では全学年中でも1人もいないという事も珍しくない。日本舞踊以前に、今の若者は『黒田節』『さくらさくら』さえも歌えなくなりつつあるという。近年になって、文部科学省が中学校の音楽の時間に、日本の伝統楽器に触れる授業を必ず取り入れる事を義務付けたが、それですら遅いのではないかと喜州師は危惧している。もっと小さい頃から、日本の伝統音楽に触れていないと、成長後に触れた時、そこには違和感が生じる危険があるのではないか。「若い世代が将来何を選択するのか、それはもちろん自由だし、強制するわけではないですが、出来るだけ日本の伝統美に触れる機会は作ってあげたい。それが今の私の最大の願いですね」日本舞踊のお弟子さんですら、煙管・行灯・蚊帳などを知らない方も多いという。「『手拭』を『日本タオル』なんて言うし、外国の方に教えてるような気になる時もありますよ」と喜州師。つまり現代生活と伝統芸能の世界が、あまりにもかけ離れ過ぎてしまったのである。「幾分悲観的だと思われるかもしれませんが、日本舞踊は20年や30年では消えないでしょうが、100年後にも残っているかどうかは、誰にも保障出来ませんよね」加速度的に時代が変化していく中で、だからこそ私達は何を残していかなくてはならないのか。勇気を出して何を捨てていかなくてはならないのか。それを見極める力が必要だと喜州師はおっしゃる。「日本舞踊の底にある、日本人が何百年もかけて築いて来た、独特な表現方法や素晴らしい美意識の中には、日本人の心が今も息づいています。私はそれだけは、外観がどのような形に変わっても、絶対に残したい。私が創作舞踊に力を入れる理由は、そこにあると思っています」


古くからの伝統を継承するためには、時には新しいものを取り入れる。新しいものを創るためには、古いものに想いを馳せる。多くのものが溢れるこの時代の中で、何か大きなヒントを頂けたような気持ちで、私達は藤間喜州師のお宅を後にした。




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