バック・ナンバー…2

※バック・ナンバーを読む[No.1 No.3


 前号を思い出して、随分と重々しい内容で始めてしまったな、と少々気まで重くなっている。
 でも、まっ何とかなるサ。私のことだ、気紛れでいつのまにか軽佻浮薄なものになっているだろうから。さぁ、出かけるゾ。

 自我に目覚める頃、多くの人は、生や死について考え、同時に自分の誕生についてアレコレと思い悩んだりします。「私は果 たして両親はもとより、周りの多くの人から望まれ、そして祝福の中で生まれてきたのだろうか」「どの位 両親は喜んだのだろう」。何歳の頃か忘れたけど、私もそんな思いを母に話してみた。正確には、話した記憶がある。「私が生まれた時、晴れてた?」「何処で生まれた?」「可愛かった?」「真里子ってどうして付けたの」
 わたしは第一次ベビーブームの始め、1947年11月26日、両親の最初の子として生まれた。初冬の寒い日、「この家で産婆さんに取り上げてもらったんよ」。母は私を産んですぐに乳腺炎に罹り、生死を彷徨うほど大病になり、近所の人から「家から火の玉 が上がったのを見た」などとも言われたとか。敗戦直後ということもあり、充分な医療設備も整ってなく、相当な荒療治を施されたらしい。詳しいことは怖くてそれ以上訊けなかった。母の乳房に残された痛々しい傷痕を見れば判った。だから私には何を隠そう「乳母」がいたのだ。と言っても私より一週間ほど早く生まれた近所の男の子のお母さんで、母とは同い年で仲良しの女性。「乳兄弟」とやらの関係になる彼は、ずっと学績優秀、スポーツ万能、容姿端麗?で現在は神戸で内科医をしている。同じ母乳を飲んだのに・・・・ネ。
 さてさて、「真里子」という名前はどういうイワレがあるのだろうか。どういう経過でこの名前が付けられたのだろうか。
 民宿ビオトープでは宿泊された皆様全員の名前を宿泊カードに記入してもらっている。様々な名前があり、きっとご両親が苦心して、健やかな成長を願って命名したんだろうな。と、書かれた名前にご両親の子供への熱い思いを感じる私である。私の「真里子」という名前について、一度だけ母から「あんたが生まれた日(または生まれた頃)バイオリンストの巌本真理さんがアメリカから帰ってきて・・・それで・・・・」ちょっとよくわからない説明だったけど、あの巌本真理さんに因んだ・・・というだけで私は誇らしくなって、それ以上聞かなかった。私が高校生の頃だと思う。私の勝手な推測だが、巌本真理さんの帰国が華々しく報道されたNEWSをみて、母は大変感動したのだろう。きっと敗戦後の暗いムードを母なりに憂い、華々しいものを求めていたのだろう。そんな折、エキゾチックな容貌の巌本真理さんが颯爽とアメリカから帰ってきた。生まれた娘の名前に・・・「真理」をと考えた。ならばどうして「真理」でなく『真里子』なのだろう。その辺の疑問を問い質したいのだが、父も母もなくなっては、もう叶わない。おそらくちょっとひねってみたかったのだろう。因みに妹達の名前は「由利子(ゆりこ)」と「三佐子(みさこ)」である。呼び名は平凡だが、漢字で「勝負?」したのであろう。私は『真里子』という名前が気に入っている。親しみやすいし、字も普通 じゃなくて、一生懸命考えてくれたんだな、と思えるし。それなのに、それなのに『真理子』、と何も気に掛けずに書いてしまう人がいる。私は哀しくなって、やがて淋しくなって、お終いにはちょっと腹が立ってくる。折角、母がひねってくれたのに・・・・サ。
 ところで、巌本真理さんがアメリカから帰国したということは事実なのか、調べようと思った事もあるけど、私が勝手に誇らしく思い込んでいるにとどめようと、思っている。
 次号は、変わったことが好きだった母との思い出を綴る予定。
                                          つづく

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