真空管は無帰還でも低歪みである、という伝説

〜本当に真空管はトランジスタより無帰還なら低歪みと言えるか?〜







真空管のマニアと言うか、いわば真空管信者みたいな人が必ず口にするのが、真空管のリニアリティーです。
特に三極管は、それがトランジスタに比して優れているから、無帰還でも使用可能であり、オーディオユースでは有利である、との論法ですが、これは真実でしょうか?

主題からもお察しの事と思うので、結論から先に言えば、それは伝説に過ぎません。それを証明したいと思います。

エミッタ接地及びカソード接地の電圧増幅段の場合を例にとります。

先ず三極管・・特にμの低いもの・・が、何故低歪みなのかを考えてみましょう。

真空管の動作原理とは、カソードから出た熱電子が、プレートに飛びつき、プレート電流が流れる際に、グリッド電圧によって制御される、言ってみればそれだけの事ですが、μが低いと言うことは、グリッドによる制御があまり効かない、と言うことです。
そのためにグリッドのピッチが荒く作ってあるのです。

これは、見方を変えれば、高 rp 高利得の真空管に帰還を掛けた時と、近い動作になります。

さらに、真空管の Ic-gm 曲線は、まさしく曲線であり、とても低歪みとは言えませんが、rp もまた曲線であり、低μ管種はそれで直線性が是正される、と考える事もできます。

三極管のプレート電流は、プレート電圧に依存性があります。プレート電位が上昇すれば、カソードから放出された熱電子を引きつける力が強くなり、電流が増える方向に働いてプレート電位が下がります。結果としてμが下がり、rp は小さくなります。

プレートを入力と見たとき、その電圧に応じて電流が変化する訳ですから、これは一種のNFBであると言えます。
グリッドのピッチを荒くしてグリッドに対するプレートの感度を落とすことで、プレートからの帰還を掛かりやすくしてあるという見方も出来ます。

だから低rp低μの真空管は低歪みなのです。
ややハイパーボリックな表現をするなら、低μで低歪みの真空管はそれ単体で高NFBである、ともとれる訳です。

真空管式無帰還アンプに信仰を抱いている人には申し訳ありませんが、これは厳然たる事実です。

一方、トランジスタは、コレクタの出力インピーダンスが極めて高く、コレクタ電流変化させる要因はあくまでベース電流であり、個別のディバイス特性による差異というのはベース電流の感度ですから、信号源のインピーダンスが十分に低ければ、あまり種別による差が出ません。
よく勘違いされるのですが、高 hfe トランジスタは単にベース電流が少ないだけであって、gmが高いわけではないのです。

この事を式を使って説明しましょう。
エミッタ抵抗による電流帰還がない場合のトランジスタの直流ゲインは、次式で表されます。

A=RL・hfe/hie

ここにRLは負荷抵抗です。今、hfeが十分大きければ

hie=kT・hfe/(q・|Ic|)

で近似できます。(rbb':ベース広がり抵抗による影響を無視しています。)
ここに q は電子の電荷、k はボルツマン定数、T は絶対温度です。それぞれの値はここ

よって、

A=RL・q・|Ic|/kT

ですから、ほとんど負荷抵抗とコレクタ電流だけでゲインが決まります。これが真空管との本質的な差異となっているのです。
(信号源のインピーダンスが十分に小さい場合です。つまりベース電流が影響しない場合です。)

この式はまた、トランジスタのgmが、Icに対して線形に変化することを示しています。
つまりgmの線形性はトランジスタの方が良いのです。

負荷抵抗と電流の積、つまりバイアスによってRLにかかる電圧でほぼゲインが決定していると言うことです。
従って、電圧が高いときには通常ゲインが大き過ぎて、無帰還では使えなくなります。
言い替えると、エミッタに抵抗を入れて(電流帰還と考えても良い)、初めてその回路で必要なゲインを決定しうるのです。

エミッタ抵抗無しの場合での歪み率を実測したのが下の図です。トランジスタは2SC1845です。

Vcc=30V、RE=0Ω、Ic≒1.1mA、ゲイン≒58dBの時のデータです。ゲインは計算値に良く一致しています。

1V出力の時の歪みは2%に達していますが、この時の入力は約12mVです。
RL・Ic=18Vくらいですが、真空管回路であれば、RL・Icは、この5〜10倍にもなるので、同条件でトランジスタにすればゲインは70〜80dB近くになります。
その時の入力は1.2mV〜2.4mV位であり、1V出力時の歪みは0.2%ぐらいになるでしょう。

この特性をもってトランジスタはやはり歪みが多いとするのは早計というものです。この点についてお話しします。

μの低い真空管が、本質的には帰還を掛けたのと大差ないことをお話ししました。一方、トランジスタはエミッタ抵抗によって初めて必要なゲインが決定できることもお話ししました。

では、トランジスタと真空管を同じゲインにしたらどうなるでしょう?

例えば、真空管でも低歪み品種である12AU7の増幅率μはVp=150V、RL=100kΩで15ぐらいです。

トランジスタで、負荷抵抗100kΩとしてゲインを15ぐらいにするには、エミッタ抵抗を6.2kΩぐらいにする必要があります。
当然ながら電源電圧はそれに見合った高い値、つまり真空管と同等にする必要があります。
この時のエミッタ接地増幅器の特性を考えてみましょう。

普通のAF電圧増幅用Tr.でhfeが300ぐらいあります。
先ず、しばしば真空管信者にトランジスタの欠点として指摘される入力インピーダンスは、6.2k×300=1.86MΩで、ことさらに言うほど、真空管に見劣りするものではありません。

一方、懸案の歪みはどうでしょうか。これは、コレクタ電流値で変わります。
下の回路を見て下さい。

    図1. 電流帰還エミッタ接地増幅器
 

本質的には、この回路の歪みは三つの要素で決まります。

一つは、入力に対する Vbe の変化の割合です。入力電圧 Vin は、Re・Ic+Vbeですから、Vbeが入力電圧に対してノンリニアに変化する分だけは歪みになりますが、これはエミッタ・フォロアであっても同じことです。これがIcとReに比例することは容易に想像が付くところでしょう。

先ほど計算した、RE=0Ωの場合なら、言ってみればエミッタフォロア(E_OUT)で 0Ωをドライブするようなものですから、コレクタ出力(C_OUT)は当然歪みます。と言うより、入力で歪んでいると考えた方が近いです。

歪みがないのは、Vin から見てVbeのダイオード接合が入力に対して線形に変化しうる極めて僅かな領域だけです。
(真空管がカソード抵抗をバイパスしても使えるのは、歪みが小さいからではなく、gmがトランジスタよりも遥かに小さいからです。)

つまり、この場合の歪みは対出力では無く、対入力で見るべきものなのです。だから、RLにバイアス電流で発生する電圧が低い領域では、別の言い方をすると電源電圧が低くゲインが小さい場合には、僅か1Vの出力でも盛大に歪みを発生しますが、ゲインが十分に大きく出力が小さいときの歪みはそれ程でもないのです。これは先に示したFull gain の歪率特性からも明らかです。

12AU7であれば1mAぐらいは最低でも流すのですから、その例によれば、RL=100kΩ、RL=6.2kΩ、Vcc=150VとしてVce=44V。
この時最大出力振幅は44Vp-pで、24dB(約15倍)くらいの電圧利得ですから、最大入力振幅は約3Vp-pです。

これなら、Re=6.2kΩはエミッタ側にとってドライブできる範囲です。この時、Ic は±0.22mAぐらいしか変化しません。
つまり、これが原因で問題になるような歪みが出るとは思えません。

もう一つは、hfe と Ic のリニアリティーですが、最近のトランジスタでは十分に線形であり、しかもそのノンリニア分は、要するに入力電圧に対する Ib によってReに発生する電圧との比になりますから、無視できるほど小さな値です。

最後の一つは、コレクタ出力抵抗 hoe の Ic に対するリニアリティーです。これは、RLが大きいほど影響は大きくなりますが、Vceが大きいほど変化が小さくなります。おそらく歪み成分としてはこれが一番小さいでしょう。

つまるところ、同じ電圧で同じ利得をとった場合、三極真空管に対してトランジスタが歪み率で不利になる理由は見あたらないのです。

賢明なる読者諸子は既にお気づきのことと存じますが、IcがREをドライブできる電流であれば、コレクタ出力でも十分に歪みは小さく、対入力電圧で見ればエミッタフォロアと概ね同等になることが推察されます。

以上の考察を証明する為に、図1.の回路を、実際に試作してとったデータを下に示します。

本来ならもっと高い電圧で測りたかったのですが、テスト用レギュレータの最大出力電圧が30Vなのでこれで測っています。トランジスタは2SC1815、RE=1.8k(バイアスとの合成は0.9k)です。

                                図2.入力対歪み特性

ごらんの通り、通常とは異なり、入力対歪み率の図になっています。こうしてみると、どこで歪みが発生しているのか解ります。
同じ入力なら、赤で示したエミッタ出力(E-out)と、青のコレクタ出力(C-out)の歪みはほぼ完全に一致しています。大入力での急激な悪化はクリッピンッグです。
(低レベル時にエミッタ出力の歪みが悪化しているのは、出力レベルが低いために環境ノイズの影響が見えています。)

この特性から、前述の考察が正しい事が証明されました。
今度は、この時のコレクタ出力レベル対歪み率の特性を下に示します。

歪みが低い方の二つが電源電圧30V、Ic=1.1mA、RE=1.8k(ゲイン24dB:赤)及びRE=∞(ゲイン18dB:緑)です。

バイアス電流 Ic に対する依存性があることを示すためにとったのが一番歪みの多い曲線(青)です。
Ic=0.6mA、RE=1.8k(バイアス抵抗との合成で0.9k)、Vcc=20Vとして測定してあります。ようするにバイアスを含めて同じ回路の電圧可変でそうなるだけです。
明らかに歪みが多くなっていることが解ると思います。

最初に触れたように、12AU7と同じ電圧、同じゲインにするなら、間違いなく緑のラインよりも歪みは低くなります。
先の計算で示したように、REが6.2kΩに大きくなるから、エミッタ側で発生する歪みはこれよりもずっと小さくなるからです。
これは先ほどの入力対歪みのデータからも明らかです。

それでも、緑のラインは既に12AU7等の真空管よりも歪みは小さくなっています。
12AU7なら、出力1Vでの歪みは0.05%以上は確実で、場合によっては0.1%を越えるでしょう。

つまり、十分に検討された定数値をとるなら、オーバーオール無帰還アンプの特性はトランジスタの方が真空管よりも遥かに低歪みであると言えます。

これは、上条氏の発表された無帰還アンプにその例を見ることが出来ます。あれだけの特性を無帰還真空管アンプで得るのは、おそらく不可能でしょう。

私の作ったものはプリもパワーも無帰還ではありませんが、オーバーオールの電圧帰還は25dB程度ですから、多極管の真空管アンプより少し多いぐらいのものですが、歪み率は軽く一桁以上は低くなっています。

これが電流帰還の賜であるという指摘は当を得たものとは思えません。トランジスタの歪みはVbeの変化に比例すると考えるべきです。
それを言うなら、最初に指摘したように、低μで低歪みの真空管だって、早い話がプレートに帰還が掛かっているようなものですから。

誤解の無いように付け加えると、真空管がオーディオ用のディバイスとして魅力がないと言ってるのではありません。
その魅力の源を高調波歪みの低さに求めるのは正しくないし、低帰還に求めるのは筋違いである、と言ってるのです。

真空管の裸特性信者の方には辛い内容であったかもしれませんが、宗教的な盲信は早めに捨て去った方が真実に近づくのは早いでしょう。

正しい理論とそれに基づく実験。これだけが、真実を語ります。
伝説を真に受けるのは、相対論のページでお話しした「疑似科学者」の言い分と何ら変わるところがありません。

Vccをわずか30Vくらいにして1000倍近くも利得を稼いだトランジスタアンプと、150Vもかけて15倍そこそこの真空管とで歪みを比較することのナンセンスに早く気が付くべきです。

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