中学生にも解る特殊相対性理論











「相対性理論」といった途端、「難しい、そんなもの解るわけがない。」と言って敬遠する人が多いようです。
オーディオアンプなんか自分で作ろうって思う人は、技術や科学に興味がある筈なんですが、例外的とは言えない様です。

でも、待って下さい。確かに一般相対性理論はものすごく難しい、というかその証明に使われるテンソル解析というやつはかなり手強いんですが、特殊相対性理論は、中学生でも解るぐらいに簡単なんです。その結果が、我々の日常生活の常識からあまりにもかけ離れているために、何か納得しにくい、というだけの事です。

そして、だからこそ、コンノ氏や窪○氏ら、いわゆる超科学者、疑似科学者どもが、この領域に限って跋扈する訳です。
だから一般相対論は勿論のこと、客観的に見て普通の感覚ではもっと信じがたい筈の「量子力学」への反論は全くと言っていいぐらいにありません。
何を言ってるのか解らないので、反論しようにも出来ないわけです。

というわけで、特殊相対性理論を、中学生までに習う数学だけでここに説明します。「厳密さと正確さ」を求める向きは、別のページを探して下さい。


特殊相対性理論は、次の二つの仮定からスタートしています。

1.自然法則は全ての慣性系において同等である。
2.真空中において、光の速度は光源の速度に依らず一定である。

第一の仮定を平たく言えば、動いている物の上であろうが静止している物の上であろうが投げたボールは投げた人にとって見れば同じである、ということです。

第二の仮定、光速度一定の原理が正しいかどうかで、コンノケンイチ氏や窪○氏を始めとする怪しげな人たちが活躍するわけですが、残念ながらこれは実験により証明されています。(数学的にも証明できます。そもそもマックスウェルの方程式からこれが導けるからこそ、ローレンツ変換なんてものが考えられた。)
有名なやつはマイケルソン/モーリーの実験ですが、旧ソ連のブルエヴィッチの実験は、より明快です。

物理学で言う仮定とは、いわば全ての基本としての定義みたいなもので、これが正しいか否かは、実験で確認するよりありません。


話のついでに書きますが、オーディオ技術評論で高名な窪○氏は近年、疑似科学界に鮮烈にデビュー(^^;)、「崩壊する相対性理論」 とかいう本を書いていますが、はっきり言って大笑い。

逆に言って、あれが笑えるようになれば、貴方は特殊相対性理論を理解したと言えます。教科書に載せても良いぐらいに見事な‘勘違い’ですから、
「窪○のパラドックス」 とか 「窪○の vcosθ」 とか名前を付けて、大学で試験問題を出しては如何と思います。
(ついでに書くと、私個人としてはオーディオ技術でも窪○氏を「?」と見ていますけど、まぁそれはどうでも宜しい。)

ドクター中松も似たような事を言ってますな〜。あの男もあんな事を言うせいで、最近“やっと”化けの皮がはがれて来ましたね。

こういう人達は、マイケルソン/モーリーの実験以来、光速度の実験が行われていないと思っているらしい。
だから一生懸命その誤り(と当人が思いこんでいる)を探して、「自分はアインシュタインを超えた」とばかりに自画自賛するわけですな。

勿論、何度も繰り返し追試され、異なる手段で手を変え品を変え、実証されています。ブルエヴィッチのはその一つです。
だから、もし仮にマイケルソン/モーリーの実験が本当に否定されても、相対論学者にとって見れば痛くも痒くもない、どこで間違えたか探すだけのこと。

確かに、一般向けの本(数式が出てこないやつ)を見ると、これが唯一無二の証明みたいに思えるので、この罠にはまった可哀想な人の一人が窪○氏とも言えるのです。
実際問題、その種の解釈本にはいろんな意味で問題が多いです。解ったような気にはさせてくれますが。
(最近知ったのですが、中には「≒トンデモ本」と言えるような本まであるようです。)

この種の確認実験が行われるのは、別の理由でそうなったのか、実験の誤りなのか、本当に正しいのか実験しないと解らないからです。
これは今もって続けられていて、論文も出ているんですよ。もっともあの人達には理解できない、或いは理解する気がない、のかも知れませんが。

この種の人達の共通項は、「自分は正しい」ということを前提に人の話を聞くことにありますから、理解できるだけの能力があったって、理解する気なんて無いのです。
だから、どんなに正論を説いても時間の無駄、豚に真珠です。だって、最初から理解する気がなければ、どれだけ証拠があっても同じ事でしょう?

そういえば、心理学者の多湖先生が、「人は論理で納得するのでは無い。心で納得するのだ。」といった事をおっしゃっていました。
詰まるところ、そういうことなんでしょうな〜。物理学者は心理学を勉強すべき時期が来ている?!

‘かつ’はエンジニアであって物理学者じゃないのに、なんでこんな事を言い出すかというと、窪○氏が彼の著書で
「エレクトロニクス関係の技術者ならこんな事はすぐに解る・・云々」
なんて、とんでもないことを書いていたからです。 たまんないよな〜、あれと一緒にされたんじゃ〜。(T_T)

そう、物理学者じゃなくたって、普通の頭を持ったエンジニアなら、貴方のマチガイはすぐに解りますよ、窪○センセ!

さて、この二つの仮定を是とすれば、いよいよ特殊相対性理論です。
初めに断っておきますが、相対性理論は完全に証明されたかと問われれば、「否」と答えざるを得ないと思います。
「今のところそれを否定する証拠は見つかっていない」 と言うのが正しい答えでしょう。
逆に「それを確認する証拠は多数見つかっている」 でもいいでしょう。これが実際的な限度です。




1.時間の相対性

二つの仮定が正しいとすると、「異なる慣性系においては時間の進みが異なる」という、驚くべき結論を得ます。もう一度、二つの仮定をここに書きます。

1.自然法則は全ての慣性系において同等である。
2.真空中において、光の速度は光源の速度に依らず一定である。

次の仮想実験を考えます。
ロケット A B があります。共に慣性航行しており、ロケットエンジンは止まっていて、一定速度で飛んでいる状態です。A B には相対速度差 v があるとしましょう。

ロケット B にはライトと光に反応するストップウォッチと鏡が あるとします。点 a にライトとストップウォッチ、点 b に鏡があります。
今、点 a でライトが光って、点 b に置かれた鏡で反射して再び点 a に戻ってきますよね。

この時、点 a に設けられた光感応ストップウォッチで、光が点灯してから鏡に反射して戻ってくるまでの時間を計測するとしましょう。

ロケットB に乗っている人にしてみるなら、光の経路は明らかに a→b→a ですね。
従ってストップウォッチの計測時間を to とすると、

ここに c は光速度です。

ところが、A のロケットに乗っている人にしてみるなら、速度差 v がありますから、光が b に届くより前に点 B に置かれた鏡は点 p に移動します。

同様に鏡に反射した光が戻る間にストップウォッチの位置は a' となります。

この時、仮定2.から、相対的にも光速度は変化しません。A の人から見て、光の経路は a→p→a' であり、入射角と反射角は等しいので、


となり、明らかに t>t0 ですね。
つまり、光速度一定を認めると、慣性系が違えばストップウォッチの計測時間が変わる!これは、見た目ではなく、本当に変わると言うことです。

この、時間の相対性こそ、光の速度が一定であることと運動が相対的であることを認めた途端に、直ちに得られる重要な結論です。

ある基準と決めた慣性系での時間のことを「固有時間」と言います。
上のロケットの例で、その固有時間を求めてみましょう。

ピタゴラスの定理から

ここで、距離=速度×時間だから


これをピタゴラスの式に代入すると、

ですね。 これを整理しますと、

を得ます。(数式を見た途端に読み飛ばした貴方、全部中学校で学んだ範囲ですよ!)

明らかに(1)式の分母は1より小さいので
t>t0、つまり、他の基準系 (静止系ではありませんよ) の観測者が測る時間は固有時間よりも常に長いのです。
別の言い方をすると、仮定1.から、どちらのロケットにとっても一方が動いている事になるので、どちらも相手の時計が遅れる様に「感じる」のです。

「感じる」? なんのこっちゃ。巧く言えないのですが、ここがこの部分のミソです。
実際に相対論的時間差が問題になる速度であるなら、どうやって相手の時間を確認しますか?

実際に相手の時間を測るためには、光速度で測る事になるので、完全な慣性系(重力を含めて、あらゆる加速度を持たない慣性運動)において、実はこの相対的時間を直接的に測る方法は無いのです。
仮に、時間ゼロで相手の時計を見たなら、お互いに相手の時計が遅れているように見えますよ、と言うのが本当の所です。

それでも、以下のような疑問を持たれる方が居るやもしれません。

Q. 一般的感覚から言えば、一方からみて時計が遅れるなら、反対からみれば進まないのか?

この疑問に関しては 重要な問題を含んでいます。
そもそも自然法則は全ての慣性系において同等であるとか、全ての運動が相対的である、とか言っている意味を本当に掴むことです。これは、意外に分かりにくい点です。

お互いに、というのが鍵です。例えば地球大気圏のすれすれ付近で生成する素粒子ミューオンは、光速度に近いので、地上に降りるのに地球の観測者の時間でみて、時間が200倍にも達します。だから、極めて不安定なミューオンが、途中で崩壊せずに地上で観測可能なのですが、ところがミューオン君にしてみるなら、遅れているのは地上の時計です。決して地球の時計が進んでいるようにはみえません。

これを、極端な例で考えてみましょう。
例えば、全宇宙にAとBという二つの物体しか無かったとしたなら、宇宙における運動は、A から見た B と B から見た A の運動だけですね。この場合、どちらが止まっていてどちらが動いているのかなんて、意味を持ち得ないことが解るでしょう?

これこそが肝心な点です。つまり、どちらが動いているのか?は言えないのです。
だから、例に挙げたロケットの場合も、どちらから見ても相手が動いていると考えられるわけです。
と言うことは、どちらから見ても(どちらを基準にしても)、時計の動きもやはり「相対的」なものである、言い替えると「等しく同じように物理法則が働く」、だから「お互いに遅れる」と考えるしか無いのです。

これは、実は特殊相対論に限った話ではありません。そもそも、ニュートン力学の基礎たるガリレイ変換に於いても、速度とは相対的概念である、という考えの基に成り立っています。

ガリレイ変換を式にすれば、

x'=x−vt
t'=t

です。つまり、別の系から見ても時間は変化せずに、慣性系の速度 v だけ速度が変化する式です。

例を上げて説明しましょう。
例えば、密閉された巨大な船の上で野球をやっても、地上でも、ホームランを打つのに要する力は同じです。
船から見たボールの相対速度は、船の上のバッターの力積に比例します。(注:力積=力×時間です。ボールの初速度は、力ではなく、力積に比例します。)

もし地上で野球をやれば、ホームランボールはバッターの力積で地上から見た相対速度が決まりますが、もしも動いている船からボールの速度を測れば、地上で測った場合とはボールの速度が異なります。
同様に、船の上で打ったホームランボールの速度を地上から測れば、船の速度が加算されます。

そんなことは当たり前だって?
その当たり前を、全宇宙にまで拡張したのが相対性原理(このページの最初に述べた第一の仮定)です。

この考え方に、光速度不変の原理を仮定として加えたときに、特殊相対性理論が誕生したのです。
明らかに、上に示したガリレイ変換は光速度を一定にしません。
だから、これとは異なる変換が必要になったわけです。それこそが(1)式です。

逆に、もし仮に 時間が 一方からみて遅れ、一方からみて進むとしたら、それは宇宙に何か別の基準系、つまり絶対基準系の存在を認めることに他なりません。何故なら、それは運動が相対的なものではない、と認めることであり、物理法則が慣性系で等しくない事になるからです。

(1)式を ローレンツ変換 と言います。

注:さらに言うなら、絶対基準系の存在を仮定するなら、光速度が一定であるという仮定にも無理があります。何故なら、その仮定では絶対基準系に対する絶対速度が存在するからです。

だからこそ、光の媒質としてエーテルを考えた19世紀の科学者達は、エーテルに対する地球の動きで光速度が変化するだろう、と考えました。そしてそれが誤りである事が解ったのが、かの有名なマイケルソン/モーリーの実験です。

エーテルの否定と光速度一定の仮定は対になっていて、絶対基準系の否定なのです。
つまり、ガリレイ変換をとるべきか、ローレンツ変換をとるべきか?との疑問に対しては、実験によってガリレイ変換が否定され、ローレンツ変換が採用された、という事です。ガリレイ変換は光速度に対して十分に小さい速度である時の、近似式です。

但し、実を言えば、慣性運動が完全に相対的である事と、物理法則があらゆる慣性系で同等であることは、同じではありません。両者の間には、ある隠れた(暗黙の)仮定が存在します。
それは、「宇宙空間は、あらゆる方向に等しく一様である」という仮定です。この暗黙の仮定はわりと容易に納得できると思います。けれど、地上の楔に囚われている人は、意外にこの事を見落としがちのように思います。

これに対する有名な反論に「双子のパラドックス」があります。
あれは、加速と減速を行っているのを無視している上に、異なる慣性系に移動した事を無視しているが故に起こる矛盾で、実際には矛盾しません。
仮に加速と減速を無視しても、ちゃんと(?)ロケット旅行に出た片割れが若くなります。

ドップラー効果及び双子のパラドックスのページを読んで頂ければ、多少なりともニュアンスが掴めると思います。

そもそも、これが常識に反する、あり得ないという人達(疑似科学者など)に聞きたい。「では、時間とは何ですか?」と。
この問いに答えられたら、間違いなくノーベル賞です。

よーく考えてみて下さい。相対時間を認めないのは、結局の所、絶対時間、即ち絶対位置を求めているに過ぎず、神様にしかできない事であると解るでしょう。
宇宙空間における絶対位置なんてものは、人間の知るところではありません。人間に知ることの出来ないものを研究するのは科学ではありません。それはもはや宗教なのです。

(特殊相対論に否定的な疑似科学本をよく読むと、実は疑似科学者というのはニュートン力学も理解していないんじゃないかと感じます。その最たるものが、相対性原理でしょう。G教授なんか、そうとしか思えません。)
 




2.長さの短縮

いま、貴方が何か一定速度 v で動いている物体、例えば電車の長さを測りたいとしましょう。どうやりますか?

(i) v がわかっているんだから、ストップウオッチで頭とお尻を計測すれば、ストップウオッチの計測時間を v で割ればよい。
(ii) 二人の人間が、同時刻に、電車の頭とお尻を見定めて、後に巻き尺で測る。

どうやっても、時計が必要ですね。
さて、上に述べたローレンツ変換から、時間が相対的なものである事がわかっています。だから、基準が違えば(異なる慣性系では)、長さも変わってしまいます。

このとき、相対時間は勿論 (1)式になります。当然、移動すれば移動距離もこの式に関わってくるわけです。
じゃあ、電車の移動距離は、実際に定量的にどうなるか、を考えましょう。

仮定1.の相対性原理から、電車と目的地は、目的地が動いていて電車が止まっている、としたところで同じ事です。
電車に乗っている人から見た距離 lo は、乗っていた時間を to とすると
lo = vto ,

それを駅で見ていた人にしてみれば、移動距離がl で時間が to であったとすれば
l = vt 、故に llo = to/t  となるので、相対時間の(1)式を代入すると

を得ます。一目みて解りますが、明らかに l < lo 。
つまり、動いている物の‘長さ’は別の慣性系からみると短くなる。
これをローレンツ短縮と言います。

先に説明した、不安定な粒子ミューオンについてもう一度。
勿論ミューオン君にしてみれば自分の時間は変化してないのです。ミューオンが崩壊せずに地上に届くのは、ローレンツ短縮のおかげで地上までの距離が短くなったからです。

これも、例えば走っている電車を実際に写真に撮れば、それは光速度での計測ですから、こうはいきません。ローレンツ短縮は、式の上で、計測に必要な時間というか「見る」為に必要な時間を無視している点に注意して下さい。

もう一つ、短縮しているのは、相手と共にある長さです。例えば、地球から飛んでいくロケットの長さは地球から見て短縮します。ロケットから見れば、目的地までの距離が短縮します。
でも、地球からみてロケットが旅した距離が短縮するのではありません。それは、地球と共にある長さ、言い替えると地球から見た静止系座標だからです。

速度という概念はニュートン以前、ガリレイの昔から相対的なものであると解っていました。
それに時間とか長さとかいう概念もやはり相対的なものであるとしたのが相対性理論なのです。
絶対不変なのは、光速度だけなのです。他は、質量も含め、全てが相対的です。

アメリカと欧州では、楕円軌道衛星によるディジタルラジオが計画されているので、ドップラー効果もオーディオに関係があります。

*特殊相対論について、私の調べたところでは、パクパクさんのHP(逆説の相対性理論)が解りやすいと思われます。
双子のパラドックスの解説もありますから、もっと詳しく知りたい、という方はどうぞ。
ある程度は理解できている方には、第2部の超光速変換のページは必見です。

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