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北九州・下関観光 その2

山口下関

<関門海峡 めかりPK> 

関門海峡は日本史に良く出てくる海峡なので、皆さん良くご存知かと思います。山口県下関市と福岡県北九州市の間で、本州と九州を隔てる海峡で、幅約600m。 旧称は馬関海峡。日本海と瀬戸内海をつなぐ重要航路が通り、潮流が速く複雑なことでも有名です。歴史的には1185年(元暦2年/寿永4年)源氏と平家による壇ノ浦の戦いで、安徳天皇をはじめとして平家一門滅亡。 そして、1863年(文久3年)長州藩が、海峡を通過するアメリカ商船を攻撃。下関戦争(馬関戦争)の発端となった事。 又、1895年(明治28年)日清戦争の講和条約である下関条約が、海峡に面した割烹旅館「春帆楼」で締結されたり。そんな色々な歴史的な海峡を、現代的な関門橋で一瞬で渡り、九州から本州へ。旅の最終日は山口県の下関周辺を散策しました。この日の朝食は、九州自動車道の『めかりパーキングエリア』のロイヤルで、関門海峡を望みながら、ふくの天ぷらうどんを食べました。朝からハードなモノをいただきながら、綺麗な海峡を眺望。K君曰く、このロイヤルという名前のお店は、全国に展開しているロイヤルホストの元祖のお店らしいです。

下関市観光ホームページ参照】

ふくの揚げた物とウニの丼0天ぷらうどん
↑ふくの揚げた物とウニの丼と、ふくの
天ぷらうどん。かき揚げも美味しかった。

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水槽で泳ぐふくちゃん達↓

ふくちゃん達

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ロイヤルから見た関門橋→
ロイアルからの眺め
 
ふくの鯉のぼり? 0

←ふくの鯉のぼり?
九州自動車道の下関
インターにて。

→九州と本州をつなぐ重要道路。
行きは関門橋、帰りは関門 トンネルを利用。
関門 トンネルは、ただのトンネルでした。。

関門 トンネル

0関門橋

<赤間神社>

こちらの神社は、源平の激戦が行われた壇ノ浦を望む高台に、鎮座されてます。壇ノ浦の合戦の際、合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳天皇を、お祀りしています。こちらの神社のシンボル、「水天門」は安徳天皇と一緒に入水した祖母二位の尼の「海の中にも都はある」というい願いを、映したものといわれています。本物の竜宮城は見たこと無いけど、竜宮城のイメージそのままです。海の中にある竜宮城の様な造りはとても鮮やかで、青空に映えてました。鮮やかな美朱色のお宮は、美しかったです。ここから、関門海峡を望む景色は最高です。

赤間神宮ホームページ参照】

水天門0水天門から本殿を望む0本殿

1.平家にゆかりのある神社なので、平家一門のお墓があります。壇之浦の合戦で滅んだ平家の大将・平知盛を、はじめ平家一門の武将を祀っている。
2.七盛塚入口にある芳一堂小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談で有名な「耳なし芳一」の像。3.平家の家紋。胡蝶なんですね〜、知らんかったわ。
4.平家の家紋が付いたデンデン太鼓。入水した小さい安徳天皇を慰める意味もあるのかな…。5.祖母二位の尼に抱かれて入水された安徳天皇の一場面。
6.助けられた母の建礼門院の一場面。7.安徳天皇御陵。中国地方唯一の御陵。こんな風に扉がある御陵って、他にもあるんでしょうかね。

1.平家一門の墓02.芳一堂03.平家の家紋04.デンデン太鼓

05.入水された安徳天皇の場面06.助けられた二位の尼07.安徳天皇のお墓

<日清講和条約記念館>

世界外交史に残るこの日清講和会議は、明治28年(1895年)3月20日から同年4月17日まで、春帆楼において行われました。清国講和全権大臣の李鴻章と日本全権弁理大臣の伊藤博文を主軸とする、両国代表11名が会議にのぞみました。この講和会議が29日間の長期にわたったのは、3月24日の午後4時頃に宿舎引接寺への帰途、李鴻章全権が凶漢に狙撃され負傷したので、一時休会となったからです。しかし、会議は4月10日に再開され、4月17日に調印を終えました。

【日清講和条約について 下関市教育委員会】

この記念館は、日清講和会議に使用された調度品やその他貴重な資料を広く一般に公開展示するため、昭和10年(1935年)から2か年の継続事業で下関市が建設したものです。館内には当時使われたランプや、舶来製のストーブとアンテーィークな赤色のビロードの椅子や重厚なテーブルが中央に置かれ当時の雰囲気をそのまま復元しています。しかし、会議が行われた時期は春だったはずなのに、暖房器具があるという事は、当時結構寒かったと言う事かしら?蒔絵の硯箱や火鉢が渋くて素敵!なんせ明治という時代やからね〜。その他、周囲には日清両国講和条約の額物・六曲の屏風・当時の春帆楼の写真等を展示しています。まさに歴史はその時動いた!って感じの空間です。

日清講和記念館0館内0当時の写真か絵

伊藤博文と陸奥宗光像0二人の署名0時代を感じさせるランプ

『かみそり外交』と言われた明治の外務大臣・陸奥宗光は、海援隊の中で一番出世した
人物で、坂本龍馬の意思を一番継いでる人だと思います。こんな人に今の、フニャフニャ
日本外交を叩き直して欲しい!伊藤博文は長州の桂さんや晋作さんの下で、陸奥宗光
は坂本龍馬の下で偉大な先輩達の意思を継いで、新政府を引っ張った二人。陸奥は一回
、新政府にたて突き引退していましたが、若い頃から付き合いがある伊藤に拾われるんです。
陸奥宗光とは実名ではないし、元は紀州藩脱藩武士と言われているけど、よくわかってい
ない、実は謎が多い人なのです。徳川のお膝もとの紀州藩からなんで、こ〜ゆう陸奥の様な
人物が出てきたのか、私にとって、とても興味を引く人物なのです。

左は伊藤博文と陸奥宗光像。中央は二人の署名ですが、似てません?
毛筆で書くと書体が似るんですかね〜。そして、レトロなランプ。

<壇ノ浦古戦場跡 みもすも川公園>

公園から下関海峡大橋を望む

壇之浦古戦場を一望できるこの公園には、八艘飛びの源義経像と碇をかついだ
平知盛像が設置してあり、大河ドラマ「義経」に出演していた俳優さんの手形も
一緒に設置してありました。が……全く興味なし!
チラッと手形見て、初めて平知盛って小泉孝太郎がやってたんや、と知りました。

でも、この碇をかついだ平知盛像像って、変じゃない?!
だって、あんな大きな碇を振り回すなんて、絶対ありえん。まぁ、いいけど。

また、ここは幕末の馬関戦争(攘夷戦)で、外国船に砲撃した砲台跡でもあり、
天保製長州砲のレプリカが設置されています。下の絵は、外国船に砲撃した様子。
こんな所から大砲をぶっ放したらさぞかし、気持ち良かった事でしょうね。。
外国船はたまったものではなかったでしょう。黒船を見てビビッてた江戸の役人とは
違って、長州の人は豪快ですな〜。しかし、この後にこの場所はすぐ、連合艦隊の
外人さんにたっぷり仕返しされて、奪われちゃうのですが…。

0迫力ある長州砲0当時の様子0海に向かってぶっ放せ!0大砲をまじまじとみるダ〜リン

看板 公園に並んでいる5基の長州砲の内、このように遊べるモノがあります。
誰が考えたのか。誰がこんなんで遊ぶねん、と思ってたら、うちの旦那
さんがコインを入れて遊んでました。タハハ……。

ゴォゴォ、、ブシュ〜ブシュ〜、と言う怪しい音の後で、ドーンッ!!
と、低い機械音がしました・笑)。煙は本当の煙じゃなくて、ドライアイスの
様なので代用してるようですね。近くで見ていたK君に、水蒸気が降っき
て「冷たい!」と言ってた。。
大砲の煙
 
みもすも川公園のすぐ東側にある『ふくと瓦そばのお店
平家茶屋』で昼ごはん。瓦そばと海鮮丼→。海鮮丼は丼だ
けやと思ったら、茶碗蒸しと小鉢とお味噌汁と香の物が付
いた御膳できてビックリよ。瓦そばは、初体験。
下の方が熱でパリパリになっていて、茶そばの風味が引き
立って美味しい。錦糸卵と牛肉とあなごのモノを選んだけど
他にも色々トッピング出来ます。これを暖かい御汁に付け
て食べます。海峡を行き交う船を眺めながら座敷で
美味しいもんを食べる!贅沢だな〜♪又食べたいです。
店内の座敷0瓦蕎麦0海鮮丼

― 昼ごはん食べた後は、城下町長府へ ―

 

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