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白い殺意
デイナ・スタベノウ
芹澤 恵 訳
ハヤカワ・ミステリ文庫

『白い殺意』 表紙


 
秋になると聴きたくなるのがスガシカオだとしたら、冬になると無性に読みたくなるのがこのシリーズかも。  
 
  ホットカーペットの上で膝掛けにくるまって胡座をかく、というのが私の冬の読書スタイル。
そして、そういうぬくぬく状態で、たとえば湯気の立つココアなんかを片手にスタベノウ作品を読んでると、あったかい場所にいながらにして心はアラスカの原野をさまよってゆく・・・ううう幸せ。てな具合に、苦手な寒い季節を楽しむことができちゃう本なのです。
 
主人公ケイト・シュガックは、アラスカ奥地に住むアリュート人女性。かつてはアンカレッジ地方検事局きっての辣腕捜査官との異名をとっていました。  
身長5フィート、体重はせいぜい110ポンドといったところ。彼女の民族特有の滑らかなブロンズ色の肌、頬骨が高く、頬のあたりはのっぺりしている。こめかみに向かって切れあがった眦(まなじり)に、微妙な陰翳を宿した淡い茶色の眼。そして、顔の輪郭を縁取る、つややかでくせのない漆黒の髪。
 
   そのとき、彼女が身を屈め、床のうえに置いた袋から小麦粉をすくい取った。彼は息を呑んだ。一瞬、彼女のシャツの襟元がはだけて、咽喉の傷痕がのぞいたのだ。まだ赤みの残る、引き攣れたような醜い傷痕が。それは彼女の咽喉首を真一文字に横切り、もう少しで右の耳から左の耳に達しそうなほどの長さがあった。これであの声の説明もつく、と彼は思った。思わず身震いが出た。
 
14ヶ月前、「匿名の通報のウラを取るためだ」としか言われず送り込まれた現場で、ケイトは4歳の娘にナイフをつきつけ性的虐待を働く最中の父親と遭遇。格闘のすえ、咽喉を切り裂かれながらも彼女は男を殺します。自分の父親をかばおうと素手でつかみかかってくる、裸の子どもの悲鳴を聞きながら。  
 
  警告もバックアップも一切なしに危険な状況へひとりで放り出されたことに激怒し絶望したケイトは、事件の翌日に病院を抜け出します。そして、恋人でもあった上司のオフィスのドアに、犯人から奪い取った血まみれのナイフで退職届を突き立てて去り・・・。
以来、ケイトは故郷のアリュート人入植地にあるログ・キャビンで、狼の血が半分入った雌犬のマットとふたりきりの隠遁生活を送っています。
 
そこへ、そのかつての上司ジャック・モーガンが、失踪した国立公園管理局レインジャーと検事局捜査官の捜索をケイトに依頼するためにやってくるのです。  
 
  その、国立公園の開発をめぐって地元住民と揉めていたレインジャーの父親が下院議員だったためにFBIが口をはさみ、彼の捜索にアンカレッジ地方検事局の捜査官ケネス・ダールが派遣されることになったのですが、そのダールまでが行方不明になってしまい…。
ここで生まれ、育ち、この公園のことを誰よりも知っているケイトにお鉢がまわってきたというわけです。
 
はじめのうちケイトは猛烈に反発し断ろうとするのですが、ダールに奥地での仕事を教えたのは自分だ、という責任感から、結局は引き受けます。  
「モーガン、これはおたくが決めることだが、彼女の代役、本当に捜さなくてもかまわないだろうか?」ギャンブルは重ねて言った。「彼女がこの仕事を引き受けるって断言できるかい?」
「ああ、できる」とジャック・モーガンは言った。いかにも自信たっぷりな言い方だったが、少しも嬉しそうには聞こえなかった。
 
  もう一度ジャックのもとで仕事をすることは、傷口に塩を擦り込まれるようなものだ。昨日、彼の姿を眼にしたとき、コーヒー一杯勧めずにその場で追い返さなかったのは、ひとえに、アラスカの奥地で暮らす人間が大切にしている、歓待の精神に反したくなかったからだ。そのために、どれほど自制心を酷使したことか……。
ジャックの仕打ちに悪態をつきながらも、やがて彼女は、公園内に住んでいる身内や友人知人をたずね、行方不明者2人の捜索を始めるのですが。。。
 
またも私は、話の筋はさておき、という読み方をしてしまいます。登場するさまざまな人々(犬も含む)の性格やアラスカ奥地での生活、人々の間を行き来する感情なんかが気になってしかたない。主人公ケイトをはじめ、これが個性的で魅力あふれる人々ばかりなのです。  
 
  両親を亡くした8歳の時、祖母とともにニニルトナで暮らすことを拒否したケイトを引き取って育て、奥地で生きていくすべを叩き込んでくれたアベル・イントフート。
 ケイトはもう一度笑い声をあげ、肩をすくめた。アベルは返事代わりに鼻を鳴らした。それから、まえに進み出ると、ケイトの背中に腕をまわし、あばらが痛くなるほど強く抱き締めて言った。「嬢や、いつまでこんなとこにつっ立って、わしを悪党呼ばわりしてりゃ気がすむんだね?さあさあ、なかに入った入った」
 
 子どもたちのほうは一向に関心を示さなかったので、アベルはもっぱらケイトを自分の生徒に選んだ。そして、彼女の父親が教え残したことを、生きていれば教えたであろうことを、残らず教え込んだ。シトカオグロジカを仕留めるときには、木の根元に、必要とあらば何時間も、じっと辛抱強く坐って待たなくてはならないこと、鹿が安心して動き出した瞬間が狙い目だということ―ケイトはそれをアベルから習った。  
 
  母屋の玄関のまえに建つアベル・イントフートの姿には、テニスンの詩に出てくる鷲に似通ったものがある、とケイトはいつものことながら思った。節くれ立った鉤爪で岩角をつかみ、紺碧の虚空に身をさらす鷲と同様、アベルは誇りに満ち、自信にあふれ、己れと己れの所有物をとことん守り抜こうという強烈な意気込みを発散させていた。
 
頑固で扱いにくいと思いながらも、ケイトはアベルを心から愛し、大切に思い、いつも気遣っているのです。そして、そのアベルの科白を借りると「この公園で起こることで、エカテリーナの知らないことはないからな」という、ケイトの祖母エカテリーナ・ムーニン・シュガック。  
 
  一族のおさ、そして公園の陰の首領ドンとでも言うべき、したたかで一筋縄ではいかない老婦人。ケイトは、この祖母を敬愛しつつも畏れ、尊敬しながら反発するという複雑な感情を抱いています。祖母を訪ねようとする玄関先で、こんなシーンが。
 
ケイトの傍らで、マットが顔をあげ、訝しそうな表情で彼女のほうを振り仰いだ。ふさふさした尻尾が尻のうえで疑問符の恰好になっていた。「あのね、マット、自分が怖いものなしだからって、他人(ひと) までそうだと決め付けるのはよくないことよ」ケイトが訓戒を垂れると、マットは小首を傾げた。「お坐り」とケイトは言った。マットは素直にその場にうずくまり、ケイトがドアマットで丹念に靴を拭い、背筋を伸ばし、胸を張り、ドアを開けるのを眼で追った。  
びびってるケイトがちょっとかわいい。
 
  「おやまあ」祖母は挨拶代わりにケイトの名を呼んだ。「カーティア」
「エマア」ケイトは身を屈めて、年老いた相手の頬に唇を押し当てた。祖母は驚くほど若い肌をしていた。「よかった、元気そうね」
「あたしはいつだって元気だよ。もっとも、自分と同じ血を引く人たちに囲まれて、自分の故郷で暮らしてない人には、わからないことだろうけど」
 
エマアは、ケイトが一族とともに故郷の村ニニルトナで暮らそうとしないことが気に入らないのです。この言い争いはケイトが物心ついて以来ずっと平行線をたどり続けており、村から彼女の足が遠のく一因にもなっているのですが。  
 
  でもまあ、ずっと喧嘩腰なわけではなく、こんな場面もあります。
フライパンの油がぱちぱちと音を立てはじめると、祖母は取りわけておいた生地を小さくちぎって丸め、油のなかに落とし、両面が金茶色になるまでこんがりと揚げた。それを縁が欠けた皿に盛りあげ、四角く切ったバター1片と粉砂糖の入ったシェイカーを添えてテーブルに出す。
・・・ごくっ。涎が。
 
湯気が立ちのぼり、揚げパンのこうばしい香りにチョコレートの甘い匂いが混じりあった。ケイトは思わず唾を飲み込んだ。祖母がスプーンに手を伸ばすのが見えた。「駄目よ、エマア」ケイトはあわててマグカップを手元に引き寄せた。祖母の家のドアをくぐってから、初めて出た自然なことばと仕種だった。「粉の塊が残ってるほうが好きだってこと、知ってるでしょ?」ケイトはカップからスプーンを取り出すと、皿のうえから揚げパンをひとつつまみ、ココアにひたしてかぶりついた。  
うーっ!食・べ・たーい!!
 
  ともかく、どんな相手にも必ず見返りを求め、ケイトのことを 一族の長女であり、エカテリーナ・ムーニン・シュガックの命令を一族の下々にまで伝播徹底させるためのお抱え守衛官と見なしているエマアから情報をもらったのと引き換えに、ケイトは都会に行きたがる従妹を説き伏せるよう命じられます。ぶつくさ言いながらも結局は従うケイトなのでした。
 
その従妹ジーニアを捜しに出かけた《バーニーのロードハウス》で、銃を振り回して騒ぎを起こした酔っ払いを捕まえに登場するのが、アラスカ州警察一の男前、ジム・ショウピン。  
 
  ジム・ショウピンがアラスカ州警察に採用されたとき、警察の身長規定はまだ廃止されていなかった。ヘリコプターの乗降口から、そのジム・ショウピンの頭がのぞいた。それが上へ上へと伸びていき、最後に6フィート10インチの身長を残らずさらして彼は地面のうえに降り立った。
 
採用当時、体重規定があったとしても、彼ならばまちがいなくクリアしていたにちがいない。あの260ポンドの身体は残らず筋肉だ、と証言できる者は公園内だけでも複数いたし、ビリー・マイクも公言していた―「ジム・ショウピンが例のチョッパー(ヘリコプター)から降り立った姿には、なんと言っても説得力がある。あれでみんな納得するのさ、ああ、法の番人が来たなって」  
 
  「お巡りだって同業者との交流はあるんだぜ」彼はにやりとした。チョッパー・ジムは鮫のような笑みの持ち主だった。口元を大きくほころばせ、白い歯をのぞかせて、今にも食いつきそうな笑い方をした。また、すべてを見透かすことができそうな、冴えた眼差しをしていた。そのふたつがあいまったとき、犯罪者にはある種の効果を、異性に対してはそれとはまったく別種の効果をあげると言われていた。
 
その鮫スマイルの効果はというと、ケイトまでつい一瞬ぼうっとし、慌てて理性を取り戻すほど。異性であれば種は関係ないらしく、チョッパー・ジムの魅力にはマットですら抵抗できないのです。伊達に公園の父と呼ばれているわけではないらしい。うーむ。  
 
  ところで、調査が進むうちに、14ヵ月前の事件と同じように、ケイトがジャックに嵌められたと誤解するようなことが起きます。怒り心頭でアンカレッジからジャックを呼び出したケイトは、噛みつかんばかりの勢いで彼に食ってかかります。
 
「ひとでなし」ケイトは耳を貸さずに言った。言い放った瞬間、強烈な憤りが一挙にこみあげてきた。ジャックは顔をあげて、ケイトの表情に眼を止めると思わず後ずさった。「あなたは、わたしに眼隠しをして野原の真ん中に放り出した。汚いわ、汚すぎる」ケイトの繰り出した拳を、ジャックは片手で受け止めた。ケイトはなおも言い募った。「そうよ、あなたはわたしに眼隠しをして、ここに送り込んだのよ。14ヵ月まえ、あの垂れ込みがあったときと同じようにね」今度はジャックの脛を狙って蹴りを放った。右足のブーツの真上を力いっぱい蹴りつけた。  
 
  「目下、調査中だ―あのとき、あなたはそう言ったわ」ケイトは鼻先で笑った。「今のところ、近所の人間の証言しか得られてない。あなたはそう言った。たぶん、たいしたことじゃないだろうが、うちとしては念のため、裏を取らなくちゃならない、きみが行ってくれ、今度はきみの番だから。あなたはそう言った」
 顎鬚に覆われたジャックの顔から血の気が引いた。「まえもって状況がわかってたら、きみをひとりで行かせたと思うか?」
 
ケイトの口から出るジャック・モーガン像からするとどんな人非人かと思えますが、ジャックもまた傷つき、苦しみ、そして変わらず彼女を愛しつづけていたようです。ケイトが、彼の部下であるケネス・ダール(前述の、行方不明になった捜査官です)と半ばあてつけのようにつきあっていた時も、黙って耐えて見守っていたり。  
 
   ジャックはその場に立ったまま、顔をうつむきかげんにして、ことばの奔流を浴びていた。ブルーの眼に生真面目な表情を浮かべ、瞬ぎもせずに。ケイトが低くかすれた声を無理やり張りあげてなじるたびに、ジャックの表情が和らいだ。彼には、それがフル・オーケストラの奏でる<ハレルヤ・コーラス>の替え歌に聞こえたから。
 
傷ついた咽喉をふりしぼってジャックをなじり倒すケイト。合間にみぞおちを殴るわ脛を蹴るわのえらい暴れようで。でも、事件以来かたくなに口を閉ざしていた彼女がやっと、胸のうちをぶちまけているのです。ジャックは、殴られなじられることで却ってほっとしているというか、喜んでいるみたい・・。そして、ケイトの心の動きを読み取るのにも長けてます。  
 
   ケイトの口調が鈍り、最悪の嵐が去ったことがわかると、ジャックはおもむろに口を開いた。「だが、あのときあの仕事からはずされたりしたら、きみは激怒して、わたしの金玉を切り落としていた。さもなけりゃ、辞表を叩きつけて出て行っていたかだ」と物静かに言った。「ケイト、きみは優秀だった。最高の捜査官だった」
 
で、このあとは憎まれ口の応酬になり。  
 そして、精一杯憎々しげに言った。「どこまで嫌味なの」
 ジャックはだしぬけに笑みを浮かべた。不意を突かれた相手が、思わず釣り込まれそうになるような笑みを、ケイトに投げかけた。「気がすんだか?」
「よけいなお世話よ」ケイトは歯を食いしばり、押しころした声で言った。
「気がすんだようだな」とジャックは言った。
 
  これを境に、ふたりの間を流れる空気に微妙な変化が。一足飛びに元通り、というわけにはいきませんが、一緒に捜査を進めていくうち、だんだんと昔のふたりに戻っていきそうな気配を漂わせはじめます。
ケイトとジャックの関係を見守っていくのも、このシリーズを読む楽しみのひとつなのです。
 
おまけ。このジャック・モーガンにも意外な弱点がありまして。  
 
   だが、ジャック・モーガンを何よりも悩ませたのは、300フィートという構脚の高さだった。……ジャックは四つん這いになって、踏み固められた雪に文字通り鼻をつけるようにしていた。右も左も見ず、ただ、スノーモービルのタイヤの跡だけを、無数のタイヤが踏みしだいた跡だけをひたすら睨みながら、せまい橋のど真ん中をそろそろと這い進んでいた。
 
・・・私も、ちょっぴりだけ高所恐怖症の気があるので、ジャックの気持ちはじゅうぶん実感を伴って想像できます。だって、ピックアップ・トラックが辛うじて通れる幅で、しかも欄干は左右とも無いんですよ。約90m下には、岩をも砕く凄まじい勢いで川が流れてる。……ぞぉっ。
でも、いつも沈着なジャックの怖がるさまは、気の毒やらおかしいやら。わざと崖縁ぎりぎりに立って見せたり、などとケイトがつい意地悪してしまうのも無理はない。。
 
 
  他にも紹介したい登場人物はまだまだいるんですが、今回も、そろそろHTMLエディタが言うことをきかなくなって来た(つまり1ページが重たすぎるってこと…?)ので、涙をのんで我慢します。でも、彼女を抜きにこの本を語れない人物?がまだいたのでした。最後にこれだけ。
 
「犬?あれが?」後部席の男は、執拗に見据えてくる動物の黄色い眼から視線をそらそうとしたが、うまくいかなかった。思わず、手袋をはめたままの手をポケットのなかに突っ込み、愛用の38ポリス・スペシャルを探り当て、銃把の頼もしい握り心地にすがった。顔をあげると、例の黄色い眼はまだ彼のほうを見つめていた。思慮深く、なにごとかに思いを凝らしているような眼だった。彼はその場に凍りついた。そして、ややあってからようやく口を開いた。「わたしには狼に見えるね」  
 
  ケイトの住むログ・キャビンの強面こわもてドアマンであり、また無二の親友でもある、狼犬マット。
 
ケイトは声に出して長々と悪態をついた。ドアのところからマットがおずおずと鼻面をのぞかせ、非難がましい眼を向けてきた。ケイトは自制心を総動員し、大切なルームメイトにクレセント・レンチを投げつけるのを思い止どまった。
「わたしは普通の人みたいに、寝起きが悪くちゃいけないわけ?」と噛みつくように言ってみた。
 ええ、いけないわ。マットの表情はそう言っていた。
 
 
   マットは、ほぼ60秒間それにじっと耐え、それからおもむろにひと声、吠えた。甲高く鋭い吠え声だった。周囲の犬たちは、とたんに黙り込んだ。群れの半数は、耳をぺたんと寝かせて、客人におもねるように尻尾を振っている。残りの半分は雪のうえに身を伏せ、ごろんと仰向けになると、脚で宙を掻きはじめた。マットはさも得意そうに、おつにすましてケイトのほうを見あげた。
 
「ああ、先が平らなのと、十字になってるのと、両方ついてる」
「うわぁ。豪華版」
「ほめても駄目。欲しけりゃ自分で買うこった」
「これはなあに?いけません、マット、邪魔しないで」最後のひとことは、自分にもなかをのぞかせてほしいと、段ボール箱のうえに覆いかぶさった、マットの大きな頭に向かって発せられた。マットは傷ついたような顔をして、椅子から飛び降り、床のうえの定位置に戻った。
 
 
  エマアの家の前でのやりとりといい、マットったら、まるで人間の言葉を全部理解しているかのようなお茶目さ。賢くて強くて優しくて忠実で、本当にケイトのよき相棒なんだなーと。
犬派の私にはこたえられません。
 
えーと。肝心の、お話の行く末なんですが。
ケイトにとってはショッキングな結末が待っています。手に入れた情報をつなぎ合わせると、どうひねくっても、信じたくない真実に辿り着いてしまうのです。
 
 
  「何があったのか、わかったんだな?」ジャックの顔は陰になっていた。薄暗がりに隔てられて、彼の低く太い声だけが遊離して聞こえた。感情の欠けたその声は、容赦なく返答を求めていた。………
「ええ」と彼女は言った。それは、ボビーが聞いたこともないような、重苦しく暗い声だった。ボビーの知っている、あの負けじ魂の塊のようなケイトの声とはとても思えなかった。
 
1冊目からこんな悲しい結末だなんて・・・。しかも、最後にジャックから、アンカレッジで前の仕事に戻る気はないか、と聞かれたケイトはきっぱりと断ってしまうのです。シリーズは無事に続くの?と心配になった私。でも、、。  
 
   ジャックは長いこと、じっとケイトを見つめた。そして、ひとしきり見つめると、長いため息をつき、それから一度だけ頷いた。彼女の決断を、何もいわずに受け入れた印として。
「でも、ときどきなら、力を貸すわ。この公園のことを誰よりもよく知ってる人間が、必要になったときには。この公園に住んでる人間の半数と血のつながってる人間が、必要になったときには」ケイトは顔をあげると、つけ加えるように言った。「報酬は一日につき400ドル、経費は別よ」
 
というわけで、ケイトはこの公園内にとどまり、時々はジャックの持ち込む仕事の依頼を受ける、という形が当分つづきそうです。ふたりの遠距離恋愛もね。
最後に(これでホントに最後だってば!)、アラスカの大自然を少々、お楽しみください。
 
           
  初めて見る者にとって、それは、この不純で無秩序で不完全な人間ひとの世にあって、あまりにも清浄で、あまりにも秩序正しく、あまりにも完璧すぎる光景のように思われた。
 入植地の一隅に建つログ・キャビン、その先は切り立った崖になっており、100ヤードほどしたを半ば凍結したカヌヤク河が流れている。川の対岸の土手を越えたあたりから、土地は一気に上昇カーヴを描き、峻険なクィラク山脈の峰々へと連なっていく。
 
 スノーモービルの猛々しいエンジン音は、原野を貫き、こだまし、極北の十二月の静けさをかき乱した。ひょろりとした樺の木立から樹皮をむしり取っていたムース(アメリカヘラジカ)を驚かせ、速い流れに顔を出しかけたビーヴァーを巣穴に引き戻し、唐檜のてっぺんでまどろむハクトウワシを眼醒めさせた。……頭上はるかに、極北の冬特有の、水晶のような空が拡がっていた。明るく透明で、雲も色もまったくない空。東側の山々の稜線のあたりだけが、かすかに薄紅色に染まっている。  
 
  ね、こういう文章をあったか〜い部屋で読む……幸福なひとときだと思いませんか?
炬燵でアイスクリームを食べる、もしくは温突オンドルのきいた部屋で冷麺をすする(こっちはやったことないけど…)時の快感に似てるかも。
 
( 2000/12/24 )
 

樹氷

繊細な氷の鞘に包まれた樹木の枝に飛びついて、きらきらと輝く氷の雨を降らせては、
遊んでくれとせがむような表情でケイトの顔を見上げた。

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