トップへ   もくじへ
22

21 『蘆屋家の崩壊』へ 23 『ガーデン』へ

恋愛中毒
山本文緒
角川文庫

『恋愛中毒』 表紙


 
実はパッと見、第一印象はあんまり良くなかった本。でもこの“第一印象”ちうヤツはくせもので。直感の「イヤやな〜…」が当たることもあるけど、なぜかふとした拍子にくるっと正反対の「だいすき」になってしまうこともあり。本に限ったことではありませんけれどね。
そういうなんであのときキライだなんて思ったんだろうパターンは繰り返してきてるのに、いまだによく経験します。わずかな情報しか無いくせに、そこでまず選別して拒絶しようとしてしまう私。食わず嫌いはソンなのにねー。臆病者です。
 
           
  平積みされてたこの本も、タイトル見て「どろどろ不倫もの?」とか「若い女の子のちゃらちゃらした話?」とかいった安易な想像が浮かんで最初は全然触手がのびず。が、何度めかに見かけ、気まぐれでぱらぱらめくってみたらばそのままぐいーっと引きずり込まれ、没頭・・・ハッと気がつくと、40ページ程タダ読みしてました。気持ちいいくらいの集中ぶりだわさ(周りの音が全然聞こえなくなれたのは久しぶり!)。「ちょびっと囓ってみたら意外にメチャ旨!」というわけでレジ直行。食ってみて良かった〜。
 
いちおう不倫といえば不倫だし、どろどろしてないわけでもないのだが。さっきの“第一印象”とは全く違ったお話でした。弁当屋でバイトしながらひっそりと暮らす女、水無月が主人公。そう若くもない、とりたてて美しいわけでもない、仕事バリバリでもなければお金持ちでもない。いちおう翻訳の仕事は細々とやっているけれど、現状維持できればそれでよし、といったスタンス。だからこれといって夢も、生き甲斐というほどのものもない、、、、  
 
  浮ついた夢物語的なテイストはまるで無し。あれれ?ってぐらい無し。つきすぎなぐらい地に足がついてる(まあ、その地味さの陰にはちゃんと事情ってもんがあったんですが)
そこらへんにいそうよ、こういう人、、、てカンジの、この見事な「現実離れしてなさ」にもかかわらず。暗くなるのも気づかせず貪り読ませてしまう強力なナニかがあったわけですよ。
・・・何だろう?
 
物語は、小さな編集プロダクションの下っ端青年が、無愛想で正体不明・年齢不詳な事務員のおばさんについて語るところから始まります。彼の目を通したその“おばさん”=水無月は、とっつきにくくおっかないけど、どっか気になる、ワケありっぽい謎めいたところがある人で――。
この人は一体どういう人なんだ?隠されると覗きたくなる。やばそうなものほど知りたくなってうずうず。コワイもの見たさ?読み手も一緒に興味津々。
 
           
  青年につきまとうストーカー女性が起こしたトラブルを水無月が一時的に収めたことがきっかけで、飲み屋で話をするちょっとした機会があったんですな。先輩から聞いた噂がどうしても気になった彼が、ウチの社長の愛人なんですか?と尋ねてみると、
「なわけないじゃない」
 くすりと彼女は笑った。僕は酔ってきてやや歪んだ視界に映る中年の女性を眺める。ただの黒いタートルネック。ただのショートカットの髪。肌が荒れている。眺めているうちに彼女の手の甲に小さな火傷のような痕を見つけた。少なくとも抱きたい女性ではない。けれど意志の強そうな眉のあたりに、僕は理香子が持っているものと同じような何かを感じた。それは熱くて激しくて、嫌だと思いながらも畏怖せずにはいられないものだった。粘りのある溶岩のような情熱だ。
 
なりゆき上、日頃いぶかしんでいた彼女の「謎」について少しつっこんで訊くような流れになり、そのうち水無月は「私は結婚してたことがあるんだけど」と唐突に言う。  
「そうなんですか」
 ということは離婚経験もあるということだ。確かに人生に疲れた感じが溢れ出ている。
「だから、今日のあの女の子の気持ちも少し分かる気がする」
 話題が変わったとほっとしたのも束の間、僕は「やめてくれ」と強く思った。心温まる話であるわけがなかった。とっくに女を捨ててしまったように見える中年女性の、女だった頃の話なんか聞きたくなかった。
 
  彼女の得体の知れない迫力を畏れつつ、聞きたくないと頭のどこかで抵抗しつつ、酔っているためか青年は彼女の昔話を促してしまう。離婚届を出しに行った日のことを話す水無月。一段落し、彼女は放心したように黙り込んで、ひとり長い長い回想に・・・本編、はじまり〜。
 
時間はおそらく10年ほど前に遡り、水無月の日常が描かれるのですが。ふぅ〜ん、、、とか思いながら読んでると吃驚させられてばっかり。徐々に明かされる彼女の過去に、ええっ?えええっ?・・・手の上でころころ。堅実に暮らしてた普通の女性が風変わりな愛人生活に巻き込まれ、、、ていうだけでもまあ面白そうではありますが、それだけじゃなかった。ううむ。水無月さんたら。ワケありどころかワケありありあり、でんがな。  
           
  小説家・創路(いつじ)と出逢ってしまった(というか拾われてしまった)ことが、水無月にとって不幸だったのか、はたまた幸せだったのか。ともかく、静かに平穏に暮らしていた彼女の生活はここで大きく変わることになります。
 
「弁当屋は?これから?」
「今日は休みなんです」
「あ、そう。じゃあ寿司でも食べに行こうよ?」
 
 
   私はすぐに返事ができなかった。一体この人は何なのだろう。確かに彼と私は二度ほど会ったことがある。けれどそれは弁当屋の店員と客というだけの間柄だ。たったそれだけの面識で、いきなり自宅に招き入れたりビールを飲ませたり寿司屋に誘ったりするのはどうしてなのだろう。確かに私は創路功二郎のファンだとは言ったけれど、美人だとか若くてピチピチだとかいうわけでは全然ない。あまりにも無防備すぎないか。もう少し警戒した方がいいんじゃないか。彼にとったら小娘かもしれないけれど、私が良い人間かどうかは分からないじゃないか。
(ここ、単に創路の警戒心の無さ、無頓着さに呆れての言葉に見えますが、、、、最後まで読んでからもう一度見直してみると、ムムム、唸りますぜ)
 
こんな調子で、何を考えているのかさっぱり分からない創路のペースに乗せられた水無月は『まさかと思ったけれど、やはり私はやられてしま』い、なぜか創路の事務所で働くことに。そこには、雑事をとりしきる陽子と、一応の所属タレントである女子高生・千花がいた。2人から、初対面でいきなり「先生の新しい恋人なんでしょう?」と言われる。  
           
  「違います」
「いいのよ別に。先生は公私混同が好きだから」
「だから違いますって」
「先生は馬鹿だから、一回やると愛着が湧いちゃうのよ」
 
なんちゅう会話やねん。どうやら、陽子も千花も“先生の恋人”なのらしい。さらに、25年来の愛人・美代子に、年若い2度目の妻・のばら。創路をとりまく女達に戸惑いつつも、水無月はずるずると深入りしていく。弁当屋も無断で辞めてしまった。  
 
   私は両足を投げ出し、茜色に染まった夕暮れの空を眺めた。四日間私を連れ回したのは創路功二郎だけど、ついて行ったのは私だ。何も脅されたわけじゃない。もう私は自分の感情をごまかしきれないところまできてしまった。引き返さないと決めたら自分でも驚くほど度胸がすわった。
 
 この小心な私に、責任や義務や常識を忘れさせてくれた創路功二郎に私は感謝していた。彼を好きだと思う。彼が私を必要としてくれるなら何でもしようという気になっている。彼なら思いもよらない未来へと私を連れていってくれるかもしれないと思う。だからといって、この歳でシンデレラになった気でいるわけではない。私には彼のためにできることがいくつもある。そしてそれは、結局のところ彼のためではなく自分自身のためなのだ。こんなふうに一人の男性をサポートしていく気になったのは夫以来だった。  
           
  創路は、常に水無月を連れ歩くようになる。彼の望む役割 :必要な時はいつでも呼び出せる運転手・仕事の場では秘書・二人きりのときは恋人、を把握した彼女はその奇妙な生活にも慣れ、創路のいない生活など考えられなくなる。今はいい。今は幸せだ。でも。
 
並行してつきあう女達に向かってあっけらかんと「よーよー僕の羊ちゃん達」などと呼びかけて悪びれない創路。良く言えば子供のように無邪気、悪く言えば気紛れで移り気で自分に素直な創路のことだ、いつまた新しい「ご執心」が現れるかわからない。そうなれば、飽きられてほったらかされるのは目に見えている。  
 
  「先生と付き合っていきたいなら、早く他に男をつくることね。先生一人に絞ってたら頭おかしくなるわよ」。女達は皆そうやって自分の中のあやういバランスをとっているらしい。創路に鬱陶しいと思われないために、自分のプライドのために。そんな様子を見ながら、自らの立場をより強化しようとあれこれ画策する水無月。つまり、一見それとわからないように彼女たちを蹴落とす作戦を決行。勿論、そんなことはちゃんと見抜いた上で、ひとり、またひとり、と女達は創路から離れてゆく。ところが、先妻と共にずっと外国暮らしをしていた創路の娘が突然帰国したことから雲行きは怪しくなってくる・・・
 
 言葉とは裏腹に先生は満足げに頷いている。私は羊ちゃん達の身の上よりも、ずっと謎だったことがひとつ分かって愕然としていた。先生の女の子の好みには統一性がなさすぎるのがずっと不思議だった。手近にいて便利な女が好きなだけなのかと思っていた。でも分かった。先生は"可哀相な女"が好きなのだ。ということはつまり、その子が可哀相でなくなればもう興味がなくなってしまうということか。
 先生は人の不幸が好きなのだ。私はいつまで"可哀相"でいられるだろう。そう思ったらぞっとした。
 
           
  ♪ヒトノフコウハダイスキサ・・・ソレガもらるサ。おっと、ちと意味が違うか。
 
状況が冷静に把握できる彼女は創路に「利用」されていることにも気づいていて、それでも止められない激しい感情を抱え、終わりがくることを予感し恐れ苦しんでいる。自分のこともよくわかっているから、だからこそ『どうか、どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。愛しすぎて、相手も自分もがんじがらめにしないように。』と祈ったのに。ああ。  
 
  そりゃあね、読みながらだんだん、アレ?水無月、なんかヘン・・?という気がしないでも無かったんですが。いつも冷静に自分を客観視し、たまに取り乱すことがあってもできるだけ表に出さず落ち着いて淡々としている様子から、その「おかしさ」を察知するのはなかなかむずかしい。あとで思えば、落ち着きすぎやろ!てなもんですが。彼女が起こしてしまう異常な行動そのものには感情移入できませんが、そこまでせずにはいられない、必死で、不器用で、痛々しいほど強烈な彼女の愛し方を見ていると、なんだか本当に胸がいたい。。。。
 
解説によれば、『まるで自分のことが書かれているようでとてもつらかった』という感想を抱く女性が多かったらしいのですが、それ、わかる!わかるよォ〜。うまく書けませんが、そこらへんがさっき言ってた「強力なナニか」にすごくかかわってくる気が。すいません曖昧でねぇ。自分で巧く解明できなかったのだけど。。誰もが胸の奥底に知らず眠らせている、狂おしくも烈しい感情の種が思わず反応してしまった、そんな感じ??うーん、よくわからんが、、、  
           
  ラストでまた吃驚。たしかに、彼女が狂気から醒めていない、ようにも見えますが、私はそうは思わなかったなあ…。
世の中にはいろんな人がいるものよのう・・ちょっと変わってはいるけれど、当事者がナットクしてるんなら、いろいろあっても幸せなのなら、それはそれでアリなのかもねー、、、、てとこでしょうか。無限ループかもしれないし、どこにも辿り着かないいびつな形かもしれないけど、ふしぎと悲壮感は感じず。「割れ鍋にとじ蓋」って言葉が浮かんだこの終わり方、私はわりと救いがあると思うんだけどな。それと、一種のおかしみと。
 
好きなのは、普段は落ち着いてる水無月がイザって時に表す気の強さ。激昂したストーカー女性に殴られて「倍にして殴り返した」場面とか、いきなり人の頬をつねって暴言を吐いた愛人美代子をつねり返して泣かせた場面とか、もう笑ってしまった。いいっすねぇ。
たとえば何か理不尽なことされてもその場ではとっさに対処できず、夜寝る前に思い出してムカーッ→「ああ言えばよかった、こうしてやればよかった」→ハラ立って寝られへん!!…という『時すでに遅し』タイプの私には間違ってもできそうにないので、痛快でたまらん。
 
 
  しかし。創路、と言われると板尾さんがつい浮かんできて(130R板尾…ホンコンさんの相方です。下の名前が創路さん、読みも同じなので…)ちょっと困った(笑)。
 
( 2002/7/28 )
 

約束。

私は好きな人の手を強く握りすぎる。相手が痛がっていることにすら気がつかない。
だからもう二度と誰の手も握らないように。

21 『蘆屋家の崩壊』へ 23 『ガーデン』へ


トップへ   もくじへ
22