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流しのしたの骨
江國 香織
新潮文庫

『流しのしたの骨』表紙


           
このタイトルだけを見て、またいつもの私の猟奇趣味本だと思われた方もいるかもしれませんが。
違うんですよ、ふふふ。
 
           
  なんだかちょっと疲れたなあ、心がささくれだってるなあ、、、という時、江國香織さんの本はとても沁みるのです。私にとっては癒し系の本ですね。なぜなんでしょうか。つねに淡々とした描写なのに、読んでいるとじわじわと心が回復していく感じがして。ほっとくとどんどん深みに沈みゆく精神状態を、はー、明日からもどうにか頑張れそうだ、というところまでひきあげてくれるのです。
           
主人公は、「いまはなにもしていな」くて、夜の散歩が習慣という「優雅な」19歳のこと子。彼女をとりまく家族やともだちの、なんでもない日常を穏やかにしずかに描いたお話です。登場する人たちはみんな、それぞれのカラーでもって一風変わった感じなのですが、その変わり者ぐあいが程好く気持ちよかったりして。  
           
  『流しのしたの骨』に限らず、江國香織さんの小説にはいつも、そんな「ちょっと変わった」人が出てきます。本当は、私のいちばんのお気に入り江國作品は他にあるのですが、それは大事にとっておくことにしよう。あまりに好きで客観的に読めなくて、ちゃんと書けない気がしたし。
           
この人の日本語の使い方がとても好き。言葉のえらび方やひらがなと漢字の使い分けなどが絶妙で、読んでいてなんともいえず心地よい文章なのです。。たとえば・・・。  
           
   そこでの母の気に入りはなんといっても縞うまで、母は、縞うまを眺めるのにとてもながい時間を費した。次に好きなのがフラミンゴだった。ピンク色できれい、というのがその理由で、母はいったんそれらの動物の前に立ったが最後、数十分石のように動かないのだった。

シマウマ、でもしまうま、でも縞馬、でもなく、「縞うま」。「費した」が漢字なのに、「ながい」時間、なんです。たぶん、意識して書いているのではなくて、感覚的にすっと出てくる変換だと思うのです
が。こういうところに文章のセンスがくっきり出るんだなあと。そして私には、そういうのってとても大切に思えます。江國香織さんの文で癒されるのは、こういう、繊細でさりげない心地よさのせいじゃないのかな。
           
 雨が降ると訪れるその茫漠として奇妙な感じは、それが心の動きというより身体的な何か−つい両方の太腿をぎゅっとしめつけずにはいられないような−であるだけに、私を不安にした。そして、それは何年も続いた。
 すーんとするの
 誰にも言わずにおいたその雨の日の感覚についてある日とうとうそう告白したとき、母は私が話しおわるのを待って、それは淋しいのよ、と言った。きっぱりと。
 

なんだか、ちいさいころ私もそんな気持ちになったことがあったはず。。。なんて気分にさせられる箇所でした。すーんとする、かぁ・・・。なんか胸が痛いような、でもちょっと気持ちいいいような。
           
  「茶色と白のまだらですか?」
 と、期待をこめて訊いた。父はひっそりとうなずく。
「ささやかで謙虚な、あるかなきかのかわいらしいしっぽをしているの?」
 それは質問というより確認のようだった。母は目をかがやかせ、次々父に確かめる。鼻はピンク色ですか。背中をなでるとビロードみたいにやわらかい?手のひらにのせると四つの足はとても小さくて、爬虫類みたいにつめたい足のうらをしているの?

うわ、Bisukoちゃんじゃなくてもハムスター、飼いたくなる!!その小さな足の感触までありありと思い浮かぶこの描写。ちいちゃくて、はかなくて、でもしっかり生きていて、ひげをふるふる震わせているウィリアム。手の上に載せて、さわってみたい・・・・。
           
「しま子ちゃんも入れば」
 私は布団を半分めくって言った。しま子ちゃんはいつもほんとうにつらそうに泣く。歯をくいしばるせいだと思う。泣きやもうとして押し殺した嗚咽が、う、う、うえっ、うえっ、うおっ、というふうに盛りあがっていく様子は圧巻だ。枕のわきに、透明な液体が少しだけ残っているガラス壜が転がっていた。甘い匂いのもとはどうやらこれらしい。ラベルには、杏の絵とVODKAという文字がみえる。
「これ、壜ごと飲んでたの?」
 まるで禁酒法時代の西部女だ。フリルだらけのペチコートとか。しま子ちゃんはなかなか泣きやまない。
 

透明で水のようなお酒が私は好きなのですが、日本酒だったり、ウォッカだったり、私の好みにぴったりとあてはまるお酒が江國香織さんの小説にはよく出てきます。ああ、ズブロッカのロックにレモンをしぼったやつが飲みたくなってきた!
しかしやけ酒で普通、女の子がウォッカをしかもびんごといったりします??どんな飲んだくれやねん、って感じがするのに、その酔っ払いはコドモみたいに泣きじゃくっているしま子ちゃん。いたいたしくて、でもかわいくて、どっかくすっと笑ってしまうような感じ。
           
   のどがかわいたので、私はジューススタンドで、にんじんとレモンのミックスジュースというのをのんだ。深町直人はまだ現れない。ジュースはつめたくて新鮮な味がした。そよちゃんのつくるにんじんケーキによく似ている。にんじんの持つ、不自然なほどふうわりとした「自然の」甘み、やわらかい口あたり。

深町直人は、こと子ちゃんに絶対にこう呼ばれます。深町さんでも深町くんでも直人くんでも直人でもなく、深町直人。呼び捨てだからといってなれなれしいわけでもなく、フルネームだからといって他人行儀なわけでもないその距離感、不思議にぴったりくるものがあります。
深町くん、といえば私は『時をかける少女』がすぐに思い浮かぶな。そのせいで、深町直人のキャラクターを自分でいいように作りながら読んでいるかも・・・。
『時をかける…』は他の筒井さんの小説とは雰囲気がまったく違った、詩的で繊細なお話でしたよね。ジュブナイル小説だから、ってこともあるのでしょうが。映画の原田知世ちゃん、かわいかったな。
           
 私は、しま子ちゃんにも深町直人がいればいいのにと思った。こんなふうに晴れた日の公園で、隣にすわって一緒に缶のお茶をのめる男のひとがいればいいのに。しばらく会えずにいたあとで、ちょっと背が高くなったようにみえる男のひと。ちゃんとあたたかい格好をして、やあひさしぶりって言う言い方が自然で、ポケットから固くて甘い袋菓子をだしてくれる男のひと。  

顔がどうだとか髪がどうだとかどんな服を着ているとか、そういう具体的な形容詞なんてなくても魅力がちゃんと伝わってきて、どきどきしてしまいます。こんな言い方で素敵さをあらわすことができるんだー、とびっくり。
           
  「そよは?」
 ドアがしまるなり、母は私の顔をみて訊いた。
 律が言ったとおり、そよちゃんのスリッパはクローゼットのなかだった。
「知らない」
 内側の電気のせいで、ドアのガラスには、私たち三人がぼんやり立っているのが映っている。おもての闇を背景にして、鈍色のしましまに分断されながら。

銀色夏生っぽい・・・。なんとなく。
           
「なにをぶらさげてるの?」
 律が首から下げているプラスティックのカエルをみて、しま子ちゃんが訊いた。いつか渋谷の屋台で買った、ばく転をするカエルだ。
「フロッグ氏。ことちゃんにもらったんだ」
 ふうん、と言って、しま子ちゃんはほんの少しへんな顔をした。道端で、ひからびたみみずをみつけたときみたいな顔。
 

「ひからびたみみずをみつけたときみたいな顔」、、、わからんようでわかるようなこの微妙な感じ。すばらしい。
           
  「そよちゃん」
 私は、台所に立つ姉の後ろ姿に向かって言った。
「離婚するってどんな気持ちのもの?」
 そよちゃんは鍋をみたまま少しだけ考えて、それから微笑を含んだ声でおっとりと、
「そうねえ、半殺しにされたままの状態で旅にでるような気持ち、かしら」
 と言う。おどろいた。私もしま子ちゃんも、しばらく黙ってしまったほどだ。
「ハンゴロシ」
 普通の声で言うのは気がひけて、私は小声でつぶやいた。
「お椀、もうしまっちゃったから、お皿だけれどかまわないわね」
 台所じゅうにあずきの煮えるいい匂いがただよって、そよちゃんがそう言ったとき、低い、こわばった声でしま子ちゃんが異議をとなえた。
「それはあんまりなんじゃない?」
 声に負けないくらい、顔もこわばっている。そよちゃんは、そんなしま子ちゃんをみつめて微笑んで、
「なぜ?」
 と訊いた。一歩もひかない頑固さだ。
「私たち、お互いにほんとうに半分殺しあったのよ」
 しま子ちゃんは、なにも言わなかった。
 母のぜんざいは濃くて甘い。熱々のかたまりをスプンですくっては口に入れる。恒久的ダイエット中のしま子ちゃんも、三匙くらい食べた。

ぜんざいの甘さと「ハンゴロシ」って言葉の対比が強烈で、忘れられないシーンです。
こんな剣呑な会話をおっとりとできるそよちゃんの持ち味、柔らかく、けして折れない柳のようなそよちゃんの頑固さがちゃんと出ていて、この場面は結構好きだなー。
           
 春の雨はしずかだ。こまかい雨が、しのしのとはてしなく降る。やわらかくてみずみずしい。私は畳にぺたんとすわり、あけた窓の桟に両腕をついて雨をみている。すぐ隣にねそべった深町直人は雑誌を読んでいて、頁をめくる、かわいた安心な音がする。  

こと子ちゃんが深町直人と過ごす時間はいつもこんな風にゆったりしていて、ああ、いいなあ、、と羨ましくなります。雨が降っていて、外に出なくてもよくて、閉じ込められている感じがかえって至福なひととき。
           
  「きれいな空なの」
 私は誇らしげに言った。
「それにお隣の薔薇も。ほらみて」
 体を横にずらしてしま子ちゃんの場所をつくる。しま子ちゃんはベッドに片膝だけついて、身をのりだすようにして外をみる。
「ほんと」
 パフメの匂いが鼻先をかすめる。
「随分早咲きの薔薇ね」
 薔薇はうすいレモン色で、まるまると大きな花が一つだけ咲いていた。ブロック塀を一つ隔てた隣の庭。

薔薇の香りまで漂ってきそうな感じ。うすいレモン色の薔薇っていうところがいいな。「まるまると大きな」という言葉とあいまって、なんとなく月を連想します。青い空に浮かぶお月さま。
また、私はここで『ブルーベルベット』が頭に浮かんだりもしました。青い空、咲き誇る薔薇。そんな美しい光景から始まり、猟奇な世界がずんずんと繰り広げられるのです。切り取られた誰かの耳が地面に落っこちてて。。。そこにむしがたかってて。。。うーーおぞましや、けど奇妙に美しくもあって眩暈くらくら、さすがお耽美系デビッド・リンチ。・・・はっ、しまった、話が逸れた。
           
……とまあ、こんなふうに、物語は淡々とすすみ、淡々と終わるのです。
不思議な余韻をのこしたまま。
 
           
  一見なんでもない場面をあっさりと書いているように見せながら、思いのほか強烈な印象がのこることの多い江國香織さんの小説。それがどう作用してくれるのかはわからないのですが、読み終えた頃には、私の心はすっかり快癒しているというわけです。
どの作品を何度読んでも、毎回きちんと「平らかな心」にしてくれる。私の精神安定剤ですね。
           
本文をあちこち齧って引用するという反則技を使ってしまいましたが、思わず書き写したくなるほど美しい日本語だと思うのです、私は。ああ、いつか私も、自分らしくて美しい文体を身につけることができたらな。  
           
( 2000/7/30 )
 

「つぷつぷとはじける つぷつぷ サイダーの飛沫を…」

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