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煙の殺意
泡坂妻夫
創元推理文庫

『煙の殺意』 表紙


 
これ、癖になります。いちど読んだら最後、トリッキーな泡坂魔術の虜に。  
           
  なにげなく読み始め、途中で「あれ?おかしいな」と思いつつも活字を追ってくと、最後には「おお、やられた・・・」と茫然。しかし口惜しいというより、その罠に絡め取られたことがだんだん快感になってくるからおそろしい。2編、3編、と読み進むうちに「次はどんな風に騙してくれるのだろう」と期待しはじめるようになるのです。
 
本当にさまざまな色合いのおもしろさがぎゅっと詰まっているので、どれが一番お薦めかというと決めかねてしまいますが、8編中で一番 “好き” と感じたのが 『閏(うるう)の花嫁』。
これは「やられた!」ではなく「やっぱり……」という快感でしたけどね。
 
 
  主に登場するのは加奈江と毬子の2人。毬子の蒸発事件から物語が始まります。
 
ある年の暮れ、加奈江は毬子と連絡がとれなくなり、彼女が会社を辞めたらしいことを知ります。理由は「一身上の都合」。自宅の電話もつながらず、行ってみるとアパートは綺麗に引き払われていました。お正月に一緒に蔵王に行く約束もすっぽかし、毬子は煙のように消えてしまった。心配していると、松が取れるころに彼女から一通の航空便が届きます。ほっとするあまり、思わず怒りモードに入る加奈江。  
           
   いけしゃあしゃあとした書き出しの文句。
 明けましてお目出度うございます、だって!わたしは頭を掻きむしったわよ。それだけ、わたしはあなたの身を心配し、無事を祈っていたんだ。判るわね。
 読んでゆくうち、めまいがしてきた。そんなこと、あり得ないと思い、何度も航空便をひっくり返す。だが、切手も、スタンプも、毬子の文字も、皆本物。
 
 欺されているのかしら?
 けれど、あなたはこんな手のこんだ策略の出来る女じゃない。ぺてんに掛けられることはあっても、です。
 だから、半分だけは信じることにしたの。それで、お祝いを申します。
 お目出度う。結婚するんですってね。
 
 
  ええええ〜っ……てなもんだ。
毬子のおかれている状況がこのあと徐々に判明するのですが、すべて手紙のやりとりという形で語られるため、隔靴掻痒のもどかしさ。読んでるこっちもついついのめり込み、加奈江同様にびっくりしたりやきもきしたりとすっかり感情移入。(書簡形式ってなーんか面白いです。『三島由紀夫レター教室』も大好き。いろんな人格になりきれる所為?)
 
加奈江と毬子が映画館でボヤ騒ぎに遭った時に知り合ったのが、ブロンドの髪に彫りの深い顔立ちをしたマリオ。3人でちょくちょく会うようになり、マリオが見つめているのはてっきり自分なのだと思っていたら、いつのまにやら花嫁に選ばれていたのは毬子だった。あらら。  
           
   仕方がないでしょう。あなたは、マリオ デル オルフェオ ディ フランチェスコを射止めたんだから。二月の末、あなたはれっきとしたフランチェスコ夫人となる。あなたは、シルヴィ島の中心である、ポデスター城の王妃様!
 
 わたし、ノックアウトされたみたい。
 完全なる敗北。徹底的な完敗。いっそ、気持がいいみたい。
 こうなったら、なんだって言わしてもらいましょう。だって、マリオが気に入っていたのは、わたしの方だった。今、本当はそうじゃないことが判ってしまったけれど、あの頃は、気があったのはわたしの方だったと思うんだがなあ。
 
 
  いわく、毬子は色白だけど団子っ鼻で二重顎、動作がのろいおでぶちゃんなのに対して、自分はすっきり痩せてて顔も外人向き、歌やダンスもうまけりゃ詩も作るし絵画も相当な腕前、なのに何故?と。
 
 半分は信じられない、と書いたのは、実にこのところです。マリオがわたしを選ばずに、毬子に求婚した。反対?毬子の求婚にマリオが応じた。そう。今年は閏年。Leapyear proposal(リープイヤー プロポーザル)――閏年には女性の方から求婚すると、幸せが多いんですってね。どっちだっていいや。結婚するのがわたしでないことだけは確かなんだから。でも、わたしが傍にいながら毬子が持って行かれるなんて、マリオも余程の酔狂――じゃなく、これが不思議でなくて、何が不思議でありましょう。  
           
  この自信過剰ぶりには思わず笑ってしまいますが。しかしある時など、「毬子は忙しいから来られない」とマリオが嘘をつき2人きりでデートしたこともあるというから、根拠が無いわけでもなさそうですが。
 
 「愛の断腸」観た?観てないでしょう。今度、機会があったら、ぜひごらんなさい。マリオがわたしをこの映画に誘った理由が判るから。
 というのは、新人のシモーヌ ベルナールが、とてもわたしに似ているの。本当なんだったら。その上に、マリオがアルベール
ギャレにそっくりなの。静かな古城を背景に、烈しい恋が燃えさかり、いつの間にか、わたしたち、映画の主人公になっていた。
 
 
  「あの城、ポデスター城に似ている?」
 と、わたしが訊く。
「そう、そっくりです。美しい……」
 そのとき、画面はシモーヌ ベルナールのクローズアップになっていたわ。
 
あ、愛の断腸って・・・ぷぷぷ、駄目だ、ツボに入った。ぶわははは、おもろすぎるー!  
           
  それはともかく。
最初は驚き呆れたものの、そこは親友どうし。その後、加奈江も別の人(加納冬彦君という)との結婚が決まったことだし、「毬子が幸せになることなんだから」と祝福、手紙のやりとりが続きます。
 
毬子は、マリオとその執事の決めた段取りどおり、誰にも何も告げずに急いで日本を発ち、シルヴィ島へやって来たらしい。  
 
   気の遠くなるような遠い土地。見知らぬ国に、たった独りぼっちで来たのよ。知っている人といえば、マリオと、例のバルサーモだけ。
 覚えているでしょう。わたしたちが三太夫と渾名を付けてしまった、マリオの執事。ハーモニカを頬張ったような顔で、バグパイプを三つも担ぎ出して一度に演奏しそうな体格で、いつも苦虫を噛み潰しているバルサーモ。顔を合わせている時間は、マリオより三太夫の方が長いわ。口をきくのも三太夫の方が多いの。
 マリオは政務で、ほとんど家にいない。晩餐を一緒にすることもほとんどない。会えばお早うかお寝みぐらい。わたしの気持ちが判らないのかしら。
 
古い伝統を重んじる保守的な島で、よその国から嫁をもらうとなると反対党がうるさいため、正式に結婚式を挙げるまでは毬子がこの城に住んでいることも内緒にしなければならない、と言われ、彼女は豪奢な部屋で毎日ひとりぼっち。まるで籠の鳥のよう。
気晴らしといえば、内緒で加奈江に手紙を書くことぐらい。毎日ワゴンに載せた朝食を運んでくるエレナとだけはお喋りできるので、手紙は彼女を介してこっそりやりとりしているのです。
 
           
   卵の蒸し茹でに、若鶏のタルトレット。ポタージュはポット オー フウで、仔牛のあぶり焼。花キャベツのグラタンにエビのコクテルが添えられている。あとはトマトのサラダに黒パンのトースト。わたしの大好きなロワイヤルプディングがあって、生クリームのたっぷり入った、ウインナコーヒー。これが今朝のメニュー。
 いくらでも食べられるの。ほとんど残さない。空気がいいのね、きっと。
 
そら食べ過ぎや、ちうに。この朝食だけで、加奈江の丸1日分の量らしい。
以前、マリオと3人で食事に行ったときも、ひとり旺盛な食欲で見事な食べっぷりを披露した毬子ですが、益々その食欲に磨きがかかってます。ドレスは仮縫のたびにお直しを。
 
 
  いくら豪華な部屋で贅沢に暮らしているといっても殆ど誰にも会えず話せず、言ってみれば軟禁状態なわけだし、食べることぐらいしか楽しみがないのでしょう。無理もないか。うーむ、無理もないけど・・・。
 
 加奈江の結婚式に出たいなあ。加納冬彦君に会ってみたいなあ。あなたの花嫁姿がぜひ見たい。振袖?それともドレス?どっちにしたって、この世の物ではないような、美しい花嫁が出来上がることは確かなんだから。
 マリオに言ってみよう。外ならぬ加奈江の結婚だと、ちょっと皮肉を言って。新婚旅行を兼ねて。里帰りも兼ねて。そうしよう。決定。
 
           
   わたしのウェディングドレスは出来上がったわ。でも、白ってどうしてこう肥って見えるのかしら。だめ、その話はもうなし。加奈江がまた皮肉を言うから。
 二月二十九日まで、あと二週間とちょっと。気が遠くなるほど長い時間。わたしには永遠と同じくらいに。
 
式が2/29だとすると結婚記念日は4年に1回なのね、と加奈江にからかわれた毬子、なぜこの日なのかをとくとくと説明しはじめます。  
 
   二月二十九日は、シルヴィ島にとって、由緒ある日なの。四年に一度、ロッサーナの祭という祭礼があるんですって。
 といっても、不便な土地だから、観光客が群がるわけではない。島の人たちだけで行なう儀式なんだけど、古式ゆかしい祭で、皆が心待ちにしているらしいわ。
 
昔、フランチェスコ家には、賢く思いやり深く皆に慕われていた美しい王妃ロッサーナがおりました。あるとき何日も海が荒れ続けて長いこと漁に出られず、飢えた島民が今にも暴動を起こしそうな事態に。しかし王妃の献身的な活動で暴動を抑止することができました。島民はそのときのことを忘れまいと、ロッサーナ祭の式典として後世に伝えることになったとさ。  
           
  毬子は、ロッサーナ祭で巫女さんのような役目を果たすエレナと一緒に、三太夫から儀式の礼式と順序を仕込まれています。格式張っているけどそう難しくはなく、ただ毅然とした態度を崩さなければ良いらしい。
 
 エレナの話を聞いていると、だいたい島の人たちの性格が判ってくる。
 やや保守的で、島の伝統を忠実に守っている。真面目で働き者。そう、マリオがそのとおりじゃない。融通のきかないところがあって、古いしきたりに誠実なところ。
 
 
   けれども、わたしにはまだ知らないところが沢山ある。シルヴィ島の歴史や島の人たちの生活。だいたい、この島がどこにあるかもよく判らないの。
 加納冬彦君、民族学が専攻ですってね。そういう本を知っているでしょう。だから、調べて送ってくれない?わたしだって少しは勉強がしたいもの。そしてマリオを驚かしてやりたい。
 
 相変らずの呑気屋さん。
 自分のいる島がどこだか判らないなんて!
 そこが毬子のいいところなのかしら。それがマリオをとらえたのかしら。
 調べてあげたわよ。
 加納君が、じゃない。わたしが一生懸命に調べあげたの。感謝しなさい。
 加納君は就職でそれどころじゃないわ。彼はメモに書名を書いて、わたしに渡しただけ。わたしがそれを持って、図書館に通ったんだ。ほとんど原書でしょう。訳すのに大骨を折っちゃった。
 
           
  シルヴィ島はシシリー島から東100キロの海上にある、面積4.5平方キロメートル、人口116人という小さな火山島でした。島の生活はほとんど漁業に頼っているので昔は不安定だったけれど現在はずっと豊かになり、ヘリコプターは月に二往復し、火力発電の設備も整っているとか。ポデスター城は17世紀に建てられた城で、代々フランチェスコ家が住んでいます。
 
島は、フランス革命後にフランチェスコ家が本国から買い受けたので、島の住人は全てフランチェスコ家の傘下にあります。結束は固いはずなので、反対派がいるというのは妙だけど、それも時代かしらね、と。  
 
  ただ、ロッサーナ祭だけは調べがつかず。イギリスの『世界祭礼総覧』という大きな本にも記載が無く、くだんの加納君も「その本に載っていないんじゃ、祭礼なんかないんじゃないか」と笑っていたらしい。まあ、どんな祭なのかは見てのお楽しみね、ということで。
 
島の所在もわかったし、あとは結婚式を無事に執り行うだけだ、あなたもロッサーナ妃に負けないような名妃におなりなさい、と励ます加奈江。ところが次の手紙では、加奈江の態度が一変します。  
           
   毬子!
 すぐ帰って来なさい!
 と言っても、ああ、とても無理でしょうが、とにかく、すぐ逃げ出すのよ。
 ポデスター城にいてはいけないの。絶対に!
 早く、この手紙を読んで頂戴。
 
 どこかが変なんだ。どこかが……
 何かあるに違いない。シルヴィ島で、何かが企まれていることは確かだと思う。それは毬子の身によくないことなんだ。
 だから、すぐ逃げるのよ!
 マリオを口で言いくるめて、逃げ出せるような機転のきくあなたじゃない。
 身一つで、逃げ出すんだ。
 海に飛び込んで、死に物狂いで泳ぐんだ。海が荒れていたら、岩蔭にでも隠れて、救いを待つんだ。
 とにかく、一刻も早く逃げるんだ!
 
 
  いったい何が起こったのかって?毬子は無事に逃げ出せたのかって?
それは読んでのお楽しみにしませう。浜陣はまた今回も喋りすぎてしまったので、もうすでにお察しかもしれませんが。
キーワードは、シルヴィ島の方言「シボニスータ」。まーなんておそろしい。
 
同時収録作品は、以下のとおり。
『赤の追想』 (失ったばかりの恋の謎についてバーで語り合うかつての恋人同士)
『椛山訪雪図』 (墨画と月光がモチーフ、陰翳礼讃なからくりに目を瞠ります)
『紳士の園』 (公園で花見をしつつスワン鍋を囲む奇妙な男2人、死体を発見するが)
『煙の殺意』 (デパート火災を報道するテレビに夢中な警部が担当した殺人事件、実は…)
『狐の面』 (イカサマ修験者の鼻をあかす住職の活躍で未然に防がれた殺人計画とは)
『歯と胴』 (不倫を精算しようとした狡賢男に下る天誅、逃げられないのだ因果応報なのだ。「閏の花嫁」の次にこの話が好き)
『開橋式次第』 (四世代同居の妙な大家族、記念式典出席ついでに殺人事件を解決)
 
           
  こうやって粗筋を挙げてくと、なんだか自分の表現力の拙さに恥じ入ってしまう。。
これでも一生懸命面白さを伝えようとしているんですけど、実際に読んでいただければもっと「面白いやん!」って思うこと間違いなし。独特の語り口調がかもしだすとぼけた雰囲気、淡々と語られるがゆえにいっそう強烈に感じるブラックな結末。
嵌まりますよォ。
 
( 2001/12/23 )
 

ぶ〜け。

彼は笑いを忘れ、とほんとした顔で坐っていた。

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