屍の聲 |
スプラッタは好きでもホラーは苦手。絶叫マシーンには大笑いして乗るくせにお化け屋敷は最後まで目と耳を塞いでしまう。『リング』なんて見ちゃった日にはお風呂に入るのが怖くてしかたがない。そういう奴がなんでこの本を手にとったかというと、高知弁のせいです。 | |||||
2代目スケバン刑事・南野ちゃんがヨーヨーをかまえながら「おんしら、許さんぜよ!」と啖呵きるとこが好きでねー。夏目「鬼龍院」雅子にもシビレタ。その他、映画『陽暉楼』やらドラマ『櫂』やら、宮尾登美子原作の一連の作品も大好き。 女性のあやつる高知弁、きりっと恰好良くてなおかつ色気があって。憧れますねー。 |
|||||
この恐怖短編集『屍 |
|||||
今回とりあげる表題作は、惚けてしまった祖母と孫の布由子をめぐるお話。 惚ける直前までかわいがっていたお気に入りの孫娘を、何かあると |
|||||
「布由子ぉ、布由子ぉ。どこぞぉーっ」 | |||||
と呼んで求めるのですが、布由子が行ってみると |
「おまん、誰ぞ」 「うちが布由子や、おばあちゃんっ」 「ちがう、ちがう。布由子は、おまんみたいな子やない。布由子はどこや。おまんが隠したがか。どこや、布由子をどこへやった」 |
|||||
なんていうことが日常茶飯事。 | |||||
最初のうちは、おかしな行動のたび家族にからかわれると「なんちゃあじゃない。ちくと思い違いしただけじゃ」と不機嫌になる程度だったのが、徐々にその思い違いがひどくなり、火事騒ぎまで起こしてしまうようになります。 | |||||
「どうして火ぃつけたがやろ」 「ようわからんけど、なんでも夢に死んだおじいちゃんが出てきたんやと。ほいで、お仏壇に線香をあげようと思うて、マッチを探してきて火をつけたらしいわ。まっこと、おばあちゃんの惚けも困ったことや」 |
|||||
仕事と祖母の世話に明け暮れる母もやつれ、疲れきっている毎日。父も仲間と呑みに行くことをやめ、布由子も祖母が家から消えるたびに村中を走り回って探すことにうんざり。 何をしでかすかわからない祖母を抱えて、家族はいつも休まることがないのです。 |
私とおばあちゃんは冷たい空気の中に立っていた。おばあちゃんは口をすぼめて、焼けた蒲団をまだ見つめている。長年、自分が使ってきたものだとわかったのだろうか。離れがたいらしく、焼けて綿の出てきた蒲団を凝視している。 父が運ぶ時、破れてしまったのだろう。焦げた蒲団の布が引き裂かれ、その間から白い綿がむわりとこぼれ出ていた。おばあちゃんの脳もこんなになってしまったのだ。腐ってどろどろになって、頭蓋骨から流れ出た脳……。 |
|||||
杯でお茶を飲むと中風になるでぇ。猫が死人の頭の上を通ったら、死んだ人が起きあがるきに気ぃつけや。嫁入りの時に顔が赤うなって困るきに、しゃもじを舐めたらいかん。 おばあちゃん子だった私は、さんざんそんなことを聞かされて育った。そして惚けてしまった今でも、おばあちゃんは長年蓄えこんできた愚にもつかない迷信を、お気にいりの孫の私に話して聞かせたがっている。だからいつも私を探す。もう顔もわからなくなっているくせに、私の名を呼ぶ。惚ける直前まで、おばあちゃんと最も深く関わり合っていたのは私だったから。 |
|||||
学校帰り、友達の家へ遊びに行く途中の布由子は、山の中の畑に向かう祖母の姿を見かけます。最初は好きにさせておこうと思うのですが、先日のボヤのこともあり山火事でも起こされたら大変、と祖母を連れ帰るべく後を追います。「いやや、あては畑に行かないかん。皆、あてを待ちゆう」。布由子の言うこともきかず歩きつづける祖母。しかし突然、正気にかえって。 | |||||
「またこの頭が……この頭がわからんようになっちょったがか。またそんなこと……」 |
「こうなっても時々、頭がはっきりするがや。ほんで、自分がどこにおるかわかってびっくりする。けんどなんも覚えてない。なんも思い出せやせん……」 おばあちゃんは呻(うめ)いた。私は、その隣にしゃがみこんだ。慰めてあげたかったが、言葉が出てこなかった。冷気が薄い石英の層のように、私たちの肩に積もっていく。 |
|||||
「また、わからんようになるのが怖い。怖 |
|||||
祖母は、惚けるくらいなら死んだ方がましだと涙を滲ませるのです。考えもしなかった、祖母の正気の瞬間でした。いつのまにか裸足で見知らぬ場所に立っていたり、他人の家でご飯を食べていたりする自分に気づいたとしたら・・・と考えて、そのいたたまれなさと孤独を実感し、それ以上聞いていられなくなった布由子は「家に帰ろう」とうながします。ところが。 | |||||
雉の鳴き声をきっかけに、また祖母は現実から離れていくのです。 「いかん。雉が鳴きゆう。地震が来るぞ」と怯えて走り出した祖母は急斜面に足をすべらせ、谷川へ転落。布由子は必死で駆け下り手を伸ばしますが、水に沈みつつある祖母の顔を見てどきりとします。 |
おばあちゃんは、首を横に振っていた。すがるような目つきで私を見つめて、哀しそうにかぶりを振っていた。 死にたいのだろうか。 川面に伸ばそうとした私の手が止まった。 惚けるんやったら、死んだほうがましじゃ。 さっき聞いた言葉が頭に響いた。 おばあちゃんは、首を横に振りながら静かな川の淵に沈んでいく。 死にたいのだ。 私はそう思った。 |
||||||
祖母の頭の動きは止まり、微笑みながら、昂然と顎を上げて沈んでゆき・・・。 しかし、しばらくして浮き上がった祖母は「助けとうぜっ」と必死の形相でもがきます。助けようと再び布由子は手を伸ばし、そして、その手を途中でとめます。正気の祖母は死にたがっている。死なせてあげなくては。結局布由子は、手をさしのべるのをやめるのです。 |
||||||
皆、布由子が祖母の遺体を見つけたことを「子供には酷なことだったろう」と気の毒がりこそすれ、彼女がしたこと、いや、しなかったことには誰も気づきません。がやはり、時間が経つごとに布由子の罪悪感はつのります。 | ||||||
水に沈む前、首を横に振ったおばあちゃんの仕種を、私は自分の都合のいいように解釈したのだ。おばあちゃんの死を願っていたから、あの仕種を、死にたいと告げているのだと思いこんだ。だけど、あれはただ、苦しくて首を横に振ったのかもしれなかった。最後に水中から浮きあがってきて、「助けとうぜ」と叫んだ言葉こそ、おばあちゃんの本心だったのではないか。おばあちゃんは死にたくなかったのだ。 | ||||||
通夜の晩、枕元につく布由子の目の前で、飼い猫が祖母の頭の上を飛び越えます。 すると…。 ―猫が死人の頭の上を通ったら、死んだ人が起きあがるきに気ぃつけや。 その言葉通り、なんと祖母は蘇ったのです。 |
||||||
おばあちゃんの遺体を覆う蒲団が動いた。かりかりかり。小さな音がした。見ると、蒲団の中から節くれだった手が伸びてきて、茶色の爪で畳を引っ掻いていた。五本の指が蜘蛛の脚のようにもぞもぞと蠢きながら、こちらに這ってくる。 | ||||||
起きあがり布由子の膝を掴んで「布由子はどこじゃ」と迫る祖母はそりゃあもうコワイですが。 | ||||||
祖母は本当に死にたかったのかどうか、そして祖母は本当に蘇ったのかどうか、わからないまま迎える結末。脱力感のある怖さ、背筋がうすら寒くなるような心細さを味わえますよ。 | ||||||
誰でも生きている限りはいつか年老いて、この祖母のように惚けてしまう可能性はあるはず。本人の理性や意識のあずかり知らない部分で勝手に行動してしまう。突然意識が戻って、何処にいるのか何故そこにいるのか、何をしでかしたのかすらわからないとしたら。 「惚けるんやったら、死んだ方がましじゃ」という祖母の言葉はとても哀しく響きました。高知弁だからこそ余計せつない。 |
同時収録作品は、『猿祈願』(不倫の末結婚した妊婦が観音堂の中で出会ったのは、自分の流産を祈願する老婆だった・・・)、『残り火』(舅と夫に長年虐げられてきた妻が自分の半生を振り返って、とうとうぶちギレる)、『盛夏の毒』(魅力的な妻の浮気を疑う夫、妻が毒蛇に咬まれたその時ついに・・・)、『雪蒲団』(父親を亡くし、新潟の母の実家へ引っ越してきた少年が踏み越えた一線)、『正月女』(心臓病で余命わずかな妻が、自分の後釜を狙う夫の元恋人に嫉妬し余計な嘘を言って・・・)の計6篇。 | |||||
いずれも、読後に不気味な余韻を残す恐怖小説ばかり。いかにも板東眞砂子らしい地方色濃厚な、土着〜な、まとわりつくような重たい雰囲気が、よりいっそう怖さを盛り上げます。 残暑厳しき折、『屍の聲』でゾーッとしてみるのはいかが。 |
|||||
( 2001/8/26 ) |
――無駄やち、登見ちゃん。もう七人引きははじまっちゅうがやきねぇ。