彩里京鼓・プロフィール

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彩里京鼓 プロフィール profile
彩里京鼓・プロフィール
「メディア論評」・・・邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」より
平成12年10月17日(火曜日)付 産経新聞 夕刊
3才より、箏、日本舞踊始める。
彩里京鼓近影彩里京鼓近影
彩里京鼓近影彩里京鼓近影
Kyoko Sairi
8才より三味線を始める。
1980年  日本舞踊若柳流名取(若柳京鼓)
1985年  箏、三味線を沢井忠夫氏に師事。
        日本舞踊を若柳松紅氏に師事。
1991年  NHK邦楽技能者育成会36期卒業。
        沢井箏曲院講師試験首席合格。
1991年  沢井箏曲院合奏ゼミナール卒業。
1995年〜 母、若柳吉純美と親子リサイタル「舞と箏」隔年開催。
        彩里京鼓門下生による発表会も隔年開催。
1998年  沢井筝曲院教師試験奨励賞受賞。
1999年  大阪府芸術劇場奨励新人となる。
2000年  1月31日彩里筝舞事務所設立。
2000年  3月20日イシハラホールにてソロリサイタル彩里京鼓「箏と舞
        10月19日国立文楽劇場大ホールにて「アコヤ」を開催。
       第7回全国筝曲コンクール入賞。
2001年  6月彩里筝舞東京事務所開設。
2002年  3月30日ドーンセンター大ホールにて
       彩里京鼓「箏と舞、オトタチバナヒメの入水伝承」を開催。
2003年  1月29日ドーンセンター大ホールにて、喜劇 「釣り女」を開催。
2003年  4月16日東京公演、彩里京鼓「箏と舞、オトタチバナヒメの入水伝承」を開催。
       近年では、現代音楽の委嘱初演、即興演奏、新作振り付けを積極的に行っている。
2006年  3月15日ソロリサイタル-はじめての箏VOL.6
       ザ・フェニックスホール 等リサイタル・コンサート多数開催。
現在、   彩里筝舞事務所代表。
       彩里筝舞事務所代表。
       彩里筝舞SCHOOL代表。
       豊中市三曲協会会員。
       伝統芸能コーディネーター。      

彩里京鼓・プロフィール

彩里京鼓・プロフィール

メディア論評・・・邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」より
彩里京鼓、マリンバと打楽器と箏と舞による「オトタチバナヒメの入水伝承」に挑戦
3月30日・大阪市天神橋ドーンセンター


 関西でユニークな活動をしている彩里京鼓が、平成十一年に大阪文楽劇場で「阿古屋」の世界に挑んだ。彼女はその年の大阪府芸術劇場奨励新人賞を獲得している。日本舞踊も、三味線も箏もやる、演出も美術も作曲も振付もと、今はやりのマルチヤングである。今年はその彩里が、作曲も兼ねるマリンバ・打楽器秦者の吉岡孝悦をスペシャルゲストに、ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメの悲劇の世界に挑戦した。
 箏と洋楽との共演には苦い思い出がある。高校時代、文化祭になると吹奏楽と一緒に弾かされたのだが、丸い管楽器の音色にペンパンと琴の音が吸い込まれて悲しい思いをしたものだ。以来、共演する楽器によっては素敵な共演もあるのだと気がつくまでは見向きもしなかった。今回の「彩里京鼓箏と舞 オトタチバナヒメの入水伝承」はマリンバと打楽器の共演ということで期待が膨らんだ。オトタチバナヒメの伝説をたどりながら、全曲違う楽器との共演、映像、照明、衣装にも趣向をこらす、という意欲的な構成の舞台は私の想像をはるかに超えたものだった。
 出会い―『とき見ることに』は箏と舞による物語の導入部。現代舞踊と古典舞踊が混在する構成。十三絃とコンピュータによる『恋歌』は箏の基本旋律を全く無視した正しく現代音楽である。どう受け入れたらよいのかいささか戸惑った。東へ―『覡』
カムナギは正確にきざまれる打楽器のリズムと不思議な旋律の十七絃が相埃って迫力のある演奏となった。『瑪瑙』はマリンバの厚みのある響きに、十七絃の低音がうまくマッチした。この物語のクライマックスとなる、走水、『神威譚章』は、マリンバのやさしい音色が十三絃を包み込む癒しの曲。最後の昇天―『木のあゆみ』はマリンバと舞で物語は終わる。
 今まで耳にしたことのない旋律で度肝を抜かれたが、しっかりとした演奏力に支えられ箏の新たな分野を拓く意欲的な演奏会であった。
 学校教育に邦楽が取り入れられ、若い人が邦楽にふれる機会が増えてくる。これからは色々な試みで若者にも親しめる演奏会も必要になってこよう。しかし、どんな演奏も古曲のしっかりした基礎がなければ薄っぺらなものになってしまう。新しい分野を広げるとともに、古来からの琴の音色はしっかりと伝えていかなければならない。   (中田潤子)

オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左)オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左)
オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左)オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左)
オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左)

 
         ↓邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」(記事原文)
邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」(記事原文)
 
彩里京鼓・プロフィール
 
メディア論評・・・平成12年10月17日(火曜日)付 産経新聞 夕刊
スターになって、古典広めたい
3歳から始めた“二刀流”

平成12年10月17日(火曜日)付 産経新聞 夕刊・原本
平成12年10月17日(火曜日)付 産経新聞 夕刊・原本
平成12年10月17日(火曜日)付
産経新聞・夕刊
 「二十歳を過ぎたころ、日本舞踊とお箏のどちらを取るの、と周囲からかなり強く言われました。日本人はカテゴリー主義というか二つはできない、一つのことをやらなければならないと考えます。しかし、無理をしてやってきたわけでなく自然だったのです。私は両方をやっていたから、認められるようになってきました」

 日本舞踊と箏の“二刀流”で活動する彩里京鼓はこう話す。日本舞踊の家元である母親の手ほどきがあって、三歳から二つを抵抗なく続けてきた珍しい存在。練習方法や表現の仕方などがまったく違うからこそできたのだという。
 「弦楽器であるお箏の練習は技術の問題があるので日々やっていないとだめです。一方日本舞踊は何十時間も集中してできるものではありません。作品をイメージしたり頭を使います。アプローチの仕方が若干違います。これがピアノとお箏だったらできなかったと思います」
現代曲で面白さに目覚め

 初めからプロを目指していたわけではない。大阪府豊中市立南桜塚小学校から第一中学校、府立豊中高校と進んだ。面白さに目覚めたのは金蘭短大に進学してから。大学で筝曲部に入った。
 「たまたま聴きにいった演奏会が沢井忠夫先生でした。とても感動して、翌日入門させてくださいと電話をしました。長唄も地歌もやりましたし、古典ばかり勉強していました。沢井先生が弾く現代曲を聞いて、お箏でもこんな曲ができるんだ、と思いました」
 沢井先生は昭和十二年生まれ。東京芸大を卒業し、積極的に現代の作品を取り上げた。またまた沢井筝曲院で後進を指導し、邦楽の普及に多大な貢献をした。平成九年五十九歳で早逝した
 
同じころ、日本舞踊も若柳松紅に師事した。江戸の芝居ものを勉強させてもらったことがきっかけになったという。
 「セリフを話すことで芝居をする楽しみに目覚めました」

新しい形のあこやに全力

 ↓舞台「道成寺」
舞台「道成寺」
彩里京鼓UP写真。 今、最も力を注いでいるのが十九日に国立文楽劇場で行う「アコヤ 恨の行方VOL1」と題した公演。まさに。“二刀流”を存分に生かしたものになっている。「アコヤ」は歌舞伎や文楽の「琴責め」で知られる「阿古屋」がベースの一つになっている。近松門左衛門の「出世景清」を踏まえて作られた浄瑠璃「壇浦兜軍記」の三段目。平家の残党、景清の行方を捜す為愛人の遊女阿古屋が調べられる。阿古屋に琴、三味線、胡弓を演奏させるが、その演奏に乱れがないため本当に行方を知らないのだと、釈放される。
 彩里の「アコヤ」はこの芝居を舞台に乗せるのではない。景清と阿古屋の愛と哀しみを箏、尺八、舞で表すまったく新しい形のパフォーマンス。
「尺八の三橋貴風さんにお箏を引く人はたくさん知っているけど、君のように日本舞踊もやっている人は知らない。君らしい活動をやってみたら、と勧められました。阿古屋はまさに私だと思いました」
 栄の段(平家の繁栄)、責めの段(琴責め)、昇の段(昇天)という構成で、菩薩を母、若柳吉純美、景清を三橋、アコヤを彩里が演じる。常盤津の「景清」、尺八本曲の「鶴之巣籠」などや自作の曲が演奏される。
 「文楽の『阿古屋』とは趣を異にします。最愛の人を失う究極の悲しみを表現したい。現代でもヒット間違いなしのメロドラマです。一心に景清を思った阿古屋を菩薩が救うという救済の場で終わります」
 衣装、演出、振付に加え、高校時代に工業デザイナーを目指したこともあるという才能を生かして舞台装置も自ら考えた。約一時間五十分の総合的な作品だ。
 
「スポーツで言えばトライアスロンみたいでしょうか。いろんなことをやってきたからできるんです。踊りですか、箏ですか、と質問されますが、そう質問されないように認められたい」
職人ではなく芸術家に・・・

箏演奏中の彩里京鼓 今後は三つの活動を柱にしていきたいという。「アコヤ」のように文学作品をシリーズ化した舞台。もう一つは「芸術性を追求し、それぞれソリストとして認められる」ための日本舞踊やお箏のリサイタル。そしてレクチャーコンサートなど地域社会への貢献。
 「邦楽や古典を広めたい、とボランティアで踊りをしたりしていますが、それだけでは普及しないことが分かってきました。たとえば東儀秀樹さんが出たことで雅楽を多くの人が知りました。スターが生まれないと人の興味を引かないんです。成功してもいないのに邦楽を聞いてください、といくらいっても人は動いてくれません。古典を埋没させないためにもプロとしてやっていきたい。職人ではなく芸術家としてやっていきたいと思います」
 
 母、若柳吉純美の話
 門前の小僧ではありませんが、私が日舞をやり、家にお箏もあったので自然体で同時進行で始めました。遊びながら踊っていたという感じです。センスは良かったと思います。普通は始めてもなかなか続けられませんし、好きなことで生活していけるのは幸せなこと。若い人には古いものを大切にしてほしい。若い人のパワーがないと古いものが消えていってしまいます。
文・江原和雄  写真・林俊志   (舞台「道成寺」は彩里京鼓提供)  
 
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