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リサイタル・コンサート・イベント履歴 consert & event career![]() |
【※ 02/03/30 オトタチバナヒメの入水伝承:目次→|ごあいさつ|企画意図|ものがたり|プログラム・解説|】 【:メディア論評→|邦楽と舞踊00/6月号|】 |
【※ 00/10/19 アコヤ|:目次→|プログラム|解説|彩里京鼓プロフィール】 【:メディア論評→|00年DECEMBAR 邦楽ジャーナル|10月17日付産経新聞 夕刊|平成12年10月1日 関西芸能】】 |
【※ 00/03/20 箏と舞|:目次→| ごあいさつ | プログラム・解説 | 】 |
オトタチバナヒメの入水伝承 Special Guest 吉岡孝悦●マリンバ・打楽器・作曲![]() |
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【 :目次:|ごあいさつ|企画意図|ものがたり|プログラム・解説| 】 【:メディア論評:|邦楽と舞踊00/6月号|】 | ||
と き 2002年3月30日[土] 午後2時30分開演(2時開場) ところ ドーンセンターホール 大阪市中央区大手町1丁目3番49号 電話06−6910−8500 入場料 5,000円 (前売り4,000円) ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメの『愛するが故に入水自殺を計る』という伝説をもとに、その物語を箏と舞と打楽器とマリンバ、舞台上にセットされるオブジェ、映像の投影と照明、コンピューターなど、あらゆる演出によって表現する、かつて誰も試みたことのない全く新しい芸術の世界です。 プログラム 出会い―――――――――――――――――――――――――――― 「とき見るごとに」―悲篥3管のために― 三宅榛名作曲(1999)彩里京鼓振り付け 「恋唄」―13絃のための― 山口 淳作曲(2002)委嘱初演 東へ――――――――――――――――――――――――――――― 「覡(かむなぎ)」―17絃箏と打楽器のための― 西村 朗作曲(1992) 「瑪瑙(ME-NOH)5」―17絃とマリンバのために― 中澤道子作曲(1994) 走水――――――――――――――――――――――――――――― 「神威譚章(しんいたんしょう)」―13絃とマリンバのための― 吉岡孝悦作曲(2002)委嘱初演 昇天――――――――――――――――――――――――――――― 「木のあゆみ」―マリンバのために― 池辺晋一郎作曲(2001) 彩里京鼓振り付け舞初演 |
ごあいさつ 本日はオトタチバナヒメの入水伝承にご来場賜り誠にありがとうございます。 大阪府芸術劇場奨励新人と認定され早3年となります。1年目は、自分の出来ることを多角的に捉えたリサイタルを行いました。2年目は、難波の文豪近松門左衛門の傑作「アコヤ」の心情を箏と舞で表現し、一つのオリジナル作品として完成することが出来ました。 この2つの試みを更にスマートに発展させたのが、今回のオリジナル作品「オトタチバナヒメの入水伝承」でございます。 この3年間は自分の芸に向き合うことも度々あり、苦悩の日々が続いて参りました。古典芸能を始め現代音楽や創作舞踊は、時として観客と遊離しがちですが、物語というオブラートで包み、受け入れやすくするのも一つの方法ではないかと考えました。テレビや映画の中では、常に最先端の芸術も古典芸能も上手く利用されています。何かそこに、新しい創作活動がスムーズに受け入れられるヒントが隠されているのではないかと思います。 最後になりましたが、Special Guestの吉岡孝悦氏を始め、本公演を開催するにあたり、ご協力、ご支援、ご協賛、ご後援を賜りました多くの皆様方にこの場をお借りいたしまして厚くお礼申し上げます。 作品は前半と後半に大きく別れておりますので、最後までごゆるりとご鑑賞下さいますよう謹んでご案内申し上げます。 |
彩里 京鼓 |
■企画意図 新世紀を迎え平和を願う中、テロ事件・戦争・世界不況と世の中くらいニュースが多い今日において、世界中が過去の歴史に起こした悲劇を忘れることなく、平和の尊き、生命の尊厳そして愛をテーマにした作品を制作することとなりました。 邦楽器が平成14年度より中学ではその演奏が、小学校では鑑賞が義務づけられ、我々、邦楽の演奏家にとっても新しい時代を迎えることとなります。 邦楽器をただ単に演奏するだけでなく、物語を通すことにより、親しみを持って邦楽や邦舞が受け入れられることを目的としています。また、今回は洋楽器も取り入れ、いっそう聞きやすく、これは新しい試みでもあります。 今回の作品のテーマであるオトタチバナヒメは、日本神話に出てくる「ヤマトタケル」から題材を取りまた。オトタチバナヒメの一途な愛情が、海の怒りまで鎮めたという話です。オトタチバナヒメは、現在でも多くの神社で、神姫としてまつられており、瘧(おこり)を鎮める神として知られています。 人間の性(さが)・男女の心理の断層・肉親の愛情・外的要因によって一瞬のうちにその幸福が悲劇となる等人間ならば誰しもが持っている心の中の葛藤や、感情はどんなに生活が便利になり近代化しても、神話の頃から変わらない唯一のものではないでしょうか。 彩里京鼓が、箏と舞でオトタチバナヒメの心情を表し、Special Guestとして世界的マリンバ演奏家の吉岡孝悦氏に、マリンバと打楽器で共演していただくこととなりました。幼少の頃誰もが、一度は演奏経験のある、太鼓や木琴を更に発展させた楽器と、これから、学校教育で本格的に取り入れられる民族楽器との融合を目指します。また、吉岡氏には、箏とマリンバによる2重奏曲を委嘱し初演となります。さらに現在ニューヨーク在住の作曲家山口淳氏にコンピューターと箏の委嘱作品をお願いしました。そして、既存曲よりこの物語の進行に合わせて4曲を選びました。結果、篳篥と舞、コンピューターと箏、17絃と打楽器、17絃とマリンバ、箏とマリンバ、マリンバと舞とそれぞれ違った組合せ となりました。衣裳は、ドイツで20世紀初頭にシュタイナーによって開発された運動芸術である「オイリュトミー」の衣裳をモチーフにしてあり、ヘア、メイクを含め「古代と宇宙(天)」をテーマに作成しました。 舞台上には、日本古来の伝統文化の傑作でもある灯籠を設置し灯龍から漏れるほのかな明かりの中に心を写します。今回は、特別に、オイリュトミー照明の第一人者であられる飯森貴夫氏に照明をお願いし、より幻想的な癒しの世界をつくりだします。 「オトタチバナヒメの入水伝承」はただ芝居風に行われるのではなく、「アコヤ」の連作として、テーマを叙事詩的ことらえた構成で音楽と舞で表現する新しい形のパフォーマンスです。 |
■ものがたり ヤマトタケルと橘姫 ヤマトタケルは、3世紀12代景行天皇の双子の皇子の弟です。若くして九州熊襲征伐に赴き、更に東国遠征に出かけます。野火の難・オトタチバナヒメの入水などの苦難を乗り越え、東国を制し大和への帰還を目前にして伊勢野の能褒野で悲劇的な最期を遂げます。 オトタチバナヒメは、伊勢の国鈴鹿を治めていた穂積忍山宿禰の娘です。兄は、讃岐の大麻神社まもり、妹は13代天皇へ嫁いでいます。ヤマトタケルが、東征に際し、伊勢神宮を参拝した帰路に二人は出会い、恋に落ち東征に父忍山宿根と共にオトタチバナヒメも随行します。走水までの行程は、常に二人は共に戦火をくぐり抜けます。二人の間には、若建王という子供がおり、後年に九州五島列島の小値賀島にて三韓をおさえる働きをしました。 走水入水 東征の間、片時も離れず、野火の難(焼津)もヤマトタケルの草薙の剣のおかげで、助かりいよいよ相模から上総(神奈川県走水から浦賀水道を渡って、千葉へはいる)ことになりました。走水の海を船で渡ろうとしたとき、海の神が、波を荒立てた。海上の波は想像を絶する凄まじさで、幾艘かの船が奈落に滑り落ちたまま再び姿を見せない。そのときオトタチバナヒメが「私が海に入り、海の神の怒りをお鎮めいたしましょう。貴方様は使命をお果たしになりますように。」と言い、“さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火の中にたちて 問いし君はも“(相模の野原の中に、火攻めの火中で、私の身を気遣って下さった君よ。野火の難で助けていただいことに対する礼と、タケルに対する想いを秘めた歌と言う辞世の句を残し、身を翻して黒い 海底に消えてしまいました。次女たちも次々と後を追います。波がおのずと安らかになりヤマトタケルの船は走水を渡ることが出来ました。 神となったオトタチバナヒメ その後、東征を終え帰路についたヤマトタケルは伊吹山で最後を迎え、白鳥となってしまいます。吾妻山とは、ヤマトタケルが、オトタチバナヒメのことを忍んでため息をつき「ああわが妻よ」と嘆いたことが由来だと言われています。入水後あちこちにオトタチバナヒメの遺品が漂流し、人々は嘆き悲しみ、吾妻神社(神奈川県二宮町・木更津市・墨田区他)、橘神社(川崎市)他多数の神社でまつられています。また、その御陵としては諸口神社(伊豆戸田村)などがあります。そしてオトタチバナヒメは瘧(おこり:高熱など)の神様となり多くの人々に現在も愛され続けています。 参考文献:上田正昭「日本武尊」 小椋一葉「天翔る白鳥ヤマトタケル」他 |
■プログラム 出会い―――――――― 「とき見るごとに」―悲篳篥3管のために― 三宅榛名作曲(1999)彩里京鼓振り付け 舞…彩里京鼓 咲く花は うつろう時あり あしひきの 山管の根し 長くありけり 移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも 楽器演奏と、唱歌が演奏者にかせられている。2曲セットで書かれており、2曲は互いによく似た姿をしているにもかかわらず、異なるコンセプトで作曲されている。たとえば、1曲目は、楽器と歌がパラレルな関係にあり、また演奏者の互いにほかのパートのゆがんだ模倣の様々なありようで作品がかたち造られる。2曲目では、うたは楽器のパートの中に組込まれ、また演奏者は演奏を続けることで、自ら徐々に過去へと消えて行き、再び新たに生まれ出て現在とその先をつくり出して行く。 詩は万葉集から。伶楽舎からの委嘱。1999年8月20日いずみホールにて初演。 [作曲者] *本日の音源は初演時のライブ録音であり、三宅榛名様、伶楽舎様、いずみホール様のご理解とご協力のもと本日使用させていただくことが出来、深く感謝申し上げます。 [彩里] <振り付け> 現代と古代との架け橋。前半は、時代を超えても代わらぬ人間の感情を表し、現代的振り付けと古典舞踊が混在する。 後半は、愛らしきオトタチバナヒメが、ヤマトタケルと出会い、東征に随行するまでを表す。 [彩里] 「恋唄」―13絃のための― 山口 淳作曲(2002)委嘱初演 箏…彩里京鼓 MD…山口淳 箏と、コンピュータの音響合成ソフトを用いて作られた音響のための作品。私にとって、電子音を用いた作品は4作目になるが、箏を用いた作品は初めてになる。コンピュータで作られた音響は、主に尺八の音を素材にしている。演奏にあたっては、この音響を収めたMDの再生と、箏のライブ演奏が重ねられる。彩里京鼓さんから、本日のリサイタルのコンセプトを伺った際、オトタチバナヒメの一見悲恋にも見える伝説に、人間の持つことの出来る感情の中で最も人間的である「愛」のかたちの極限を思った。 ニューヨークで暮らしている私は、昨年(2001年)の9月11日、あの凄惨な米国同時多発テロの現場を間近にした。強い怒りに震えると共に、自らの無力感に苛まれ、一切の創作の筆が止まってしまった。当時書いていた作品を破棄してしまったほどであった。 そんな中、少しづつ自らを取り戻し、昨年11月より書き始めたのがこの作品である。オトタチバナヒメの愛のかたちに平和への祈りの思いを重ねあわせながら、音を作っていった。 彩里京鼓さんの委嘱により、2001年11月〜2002年1月に作曲、彼女に捧げられている。貴重な機会を下さった彩里さんに心より感謝致します。 [作曲者] 東へ―――――――― 「覡」―17絃箏と打楽器のための― 西村 朗作曲(1992) 17絃…彩里京鼓 打楽器…吉岡孝悦 これは箏と打楽器の二重奏による、導入部を持つ舞曲である。古代の東アジアにおいて、箏のような絃楽器や打楽器は、神霊をまねきよせる楽器であった。この曲の導入部は、神霊をまねく招霊の楽であり、舞曲は神霊と、人の代表である巫女(シャーマン)が、合い和して踊る振霊の楽である。 この踊りによって人は神を讃え、人は神より生命と魂の力をさずかる。そのようなイメージによっての作曲であった。 この曲の起想時、私は韓国において“力ヤグム散調”の演奏を間近に聴き、感銘を受け、この作曲のインスピレーションを得た。この舞曲の一部には、その“力ヤグム散調”のりズムと旋律が引用されている。 1992年菊地悌子氏の委嘱。 [作曲者] 「瑪瑙(ME-NOH)」―17絃とマリンバのために― 中澤道子作曲(1994) 17絃…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 この作品は、マリンバと邦楽器(琴、尺八、津軽三味線など)を用い「瑪瑙」と題して書いて来たシリーズの第5作目で、1994年に初演された作品です。歴史の浅いマリンバと云う洋楽器と、日本古来の伝統楽器との組み合わせが、意外に面白く共奏し合う事を知り、今も試行錯誤を繰り返しつつ機会あらば書き挑んでいるシリーズです。琴の中でも十七絃の音は、最も幻想的な深みを持つ楽器として私自身とても好きで興味深く、この作品では中低音を中心に、調性を持たせ乍らマリンバと17絃との響き合いを試みています。 今回「琴と舞」の素晴らしい演奏者、彩里京鼓氏と、かつてこの曲の初演者、吉岡孝悦氏のお二人に依って「オトタチバナヒメ」の物語りの中で、この作品を見事に息付かせて頂きます事、心より嬉しく感謝申し上げます。 [作曲者] 走水―――――――― 「神威譚章」―13絃とマリンバのための― 吉岡孝悦作曲(2002)委嘱初演 箏…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 東征軍が三浦半島を進む頃は上大気だった空横様が、走水へ着く頃から急に怪しくなり始めた。風雨は日一日と強くなり、一向に鎮まる様子はない。東征軍は吹きすさぶ風雨の海に乗り出すが、海上は想像を絶する凄まじさで、幾艘かの船が奈落にすべり落ちたまま再び姿を見せない。怒号も悲鳴もかき消されて行く。死の一字が電光のようにヤマトタケルの全身を走った。と、その時、傍らにいたオトタチバナヒメが決然とした面持ちで告げた。 「海神の怒りを鎮めるため、私が海に入りましょう。尊(みこと)はどうぞつつがなく使命を果たされますよう。」 そう言い終えると姫は、身を翻して黒い海底に消えた。切々たる姫の辞詠が海神の心にも届いたのだろうか。荒れ狂う風雨はおさまり、一行は奇蹟的に上総に渡ることが出来た。 この部分の新曲の委嘱を彩里京鼓さんより頂きました。 本日のプログラムのクライマックスであり、最も重要な役割を果たす部分です。 『古事記』と『日本書紀』にみえるヤマトタケル伝承を比べてみると、よく似ていますが少しずつ違うところがあります。『古事記』の方がより古い形態を伝えており、さらに西征と東征を比べると、西征の物語が早く成立したとされています。西征の物語が早くに成立し、東征の物語はより新しいと考えられていますが、そのように判断できる根拠として、東征の物語の中には『古事記』『日本書紀』 共に、伊勢神宮の神威謀(神の威光の物語)的要素があります。タイトルの『神威譚章』 は、そうしたところから由来します。 [作曲者] 昇天―――――――― 「木のあゆみ」―マリンバのために― 池辺晋一郎作曲(2001) 彩里京鼓振り付け舞初演 舞…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 マリンバの作品を書き連ねてから、随分の時が怪った。 「モノヴァランスT」(1972)では、ほとんどまともな音が鳴らない特殊なマレットを使い、「モノヴァランスW」(1975)では指による様々な奏法を細かく指定し、「モノヴァランスY」(1977)では共鳴パイプに貼られた薄い紙がうなり音を発する「ミトラ」という変型マリンバを用いた。 すなわち、いずれも実験的傾向の強い曲であった。 吉岡氏より委嘱の依頼があってすぐに考えたのは、かつての路線をもはや踏襲しない、ということだった。何しろ本当に久しぶりのマリンバとのつきあいだ(むろんソロ以外の曲、あるいは映画などドラマの音楽でのつきあいは途絶えることがなかったが)。 驚くほど新鮮な気持ちだ。とはいえ、かつての実験路線で培ったものは当然僕のなかで生き続けている。それらすべてが集大成をなして、まさにマリンバ的な「木のあゆみ」が自然に形成されるのである。 [作曲者] 2001年10月24日吉岡孝悦ソロマリンバリサイタルプログラムより。 <振り付け> 日本の伝統的な舞踊には、ストーリーの展開や歌詞をパントマイムのように表す物(能・日舞など)と一定の動きを繰り返しすることが多い物(舞楽・雅楽・民謡など)とがある。 この曲では、ピアニシモから始まるトレモロはある何種類かの一定の動きに終始する。時として、現れるフォルテの音と共に、人間の持つ喜・怒・哀・楽が見え隠れする。全ての感情を露見し、昇華し、オトタチバナヒメ自身も天へと舞う。 [彩里] |
■出演者 彩里京鼓 (さいりきょうこ) 3才より箏、日本舞踊始める。8才より三味線を始める。1978年 日本舞踊若柳流名取(若柳京鼓)。1985年より、箏三味線を沢井忠夫氏に師事。日本舞踊を若柳松紅氏に師事。1990年 沢井箏曲院講師試験首席合格。1991年 NHK邦楽技能者育成会36期卒業。1992年 沢井箏曲院合奏ゼミナール卒業。1995年〜門下生の会隔年開催。1996年〜母若柳吉純美と親子リサイタル「舞と箏」隔年開催。1999年 大阪府芸術劇場 平成11年度奨励新人となる。2000年1月31日彩里箏舞事務所設立。3月20日彩里京鼓リサイタル「箏と舞」(イシハラホール)10月19日「アコヤ」(国立文楽劇場大ホール)7月20日〜「はじめての箏」を各地で行う。第7回全国箏曲コンクール入選。2001年6月彩里箏舞事務所Tokyo Office設立。近年では、現代音楽の委嘱初演、即興演奏、新作振り付を意欲的に行っている。 彩里箏舞事務所代表。日本音楽集団研修生。 彩里箏舞SCHOOL代表。若柳流吉純美派家元後継者。 宝塚小学校箏クラブ指導。豊中市三曲協会会員。 豊中市高齢者教養講座講師。(財)日本邦楽振興会会員。 |
■舞台オブジェ 中央:鋼鏡 オトタチバナヒメの分身となり心情を映し出す 右手:草薙の剣 左手:篝火 炎で二人の愛情を表現 |
メディア論評・・・邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」より | |
彩里京鼓、マリンバと打楽器と箏と舞による「オトタチバナヒメの入水伝承」に挑戦 3月30日・大阪市天神橋ドーンセンター 関西でユニークな活動をしている彩里京鼓が、平成十一年に大阪文楽劇場で「阿古屋」の世界に挑んだ。彼女はその年の大阪府芸術劇場奨励新人賞を獲得している。日本舞踊も、三味線も箏もやる、演出も美術も作曲も振付もと、今はやりのマルチヤングである。今年はその彩里が、作曲も兼ねるマリンバ・打楽器秦者の吉岡孝悦をスペシャルゲストに、ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメの悲劇の世界に挑戦した。 箏と洋楽との共演には苦い思い出がある。高校時代、文化祭になると吹奏楽と一緒に弾かされたのだが、丸い管楽器の音色にペンパンと琴の音が吸い込まれて悲しい思いをしたものだ。以来、共演する楽器によっては素敵な共演もあるのだと気がつくまでは見向きもしなかった。今回の「彩里京鼓箏と舞 オトタチバナヒメの入水伝承」はマリンバと打楽器の共演ということで期待が膨らんだ。オトタチバナヒメの伝説をたどりながら、全曲違う楽器との共演、映像、照明、衣装にも趣向をこらす、という意欲的な構成の舞台は私の想像をはるかに超えたものだった。 出会い―『とき見ることに』は箏と舞による物語の導入部。現代舞踊と古典舞踊が混在する構成。十三絃とコンピュータによる『恋歌』は箏の基本旋律を全く無視した正しく現代音楽である。どう受け入れたらよいのかいささか戸惑った。東へ―『覡』カムナギは正確にきざまれる打楽器のリズムと不思議な旋律の十七絃が相埃って迫力のある演奏となった。『瑪瑙』はマリンバの厚みのある響きに、十七絃の低音がうまくマッチした。この物語のクライマックスとなる、走水、『神威譚章』は、マリンバのやさしい音色が十三絃を包み込む癒しの曲。最後の昇天―『木のあゆみ』はマリンバと舞で物語は終わる。 今まで耳にしたことのない旋律で度肝を抜かれたが、しっかりとした演奏力に支えられ箏の新たな分野を拓く意欲的な演奏会であった。 学校教育に邦楽が取り入れられ、若い人が邦楽にふれる機会が増えてくる。これからは色々な試みで若者にも親しめる演奏会も必要になってこよう。しかし、どんな演奏も古曲のしっかりした基礎がなければ薄っぺらなものになってしまう。新しい分野を広げるとともに、古来からの琴の音色はしっかりと伝えていかなければならない。 (中田潤子) |
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![]() ![]() ![]() ![]() オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左) |
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↓邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」(記事原文) | |
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アコヤ AKOYA 根の行方 VOL.1 ![]() |
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【目次: プログラム|解説|彩里京鼓プロフィール】 【メディア論評|00年DECEMBAR 邦楽ジャーナル|10月17日付産経新聞 夕刊|平成12年10月1日 関西芸能】 |
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と き 2000年10月19日[木] 午後6時30分開演 開場午後6時 ところ 国立文楽劇場 大ホール 大阪市中央区日本橋1-12-10 TEL:06-6212-2531 プログラム |
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一・栄の段 二・責の段 三・昇の段 |
■蘇莫者(聖徳太子傳古典本曲) ■ときみるごとに〜悲篥3管のために〜(1999年三宅榛名作曲) ■常盤津 景清 ■〜インプロヴァイズ〜 尺八・舞 ■AKOYA (2000年彩里京鼓作曲) ■秋風の曲(光崎検校作曲) ■秘曲 鶴之巣籠(尺八古典本曲) |
プログラム |
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一・栄の段 | ■蘇莫者(聖徳太子傳古典本曲) 幸せの時代の象徴である夢殿に、景清が一人たたずんでいます。 月明かりの中で吹く「蘇莫者」は、物思いにふける景清の心を表しています。 |
■ときみるごとに〜悲篥3管のために〜 (1999年三宅榛名作曲) 京都五条坂に住む遊女アコヤは、景清に出会い、恋に落ちます。そして、二人の子供に も恵まれ、幸せな時を過ごします。そんなある日、最近景清との恋仲を噂されている小 野姫より手紙が届きます。手紙を見たアコヤは、嫉妬に狂い景清を問いつめようと景清 の後を追ってゆきます。 |
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■常盤津 景 清 蛇の目傘を、さした景清が力強く八島合戦を踊ったあとアコヤとの郭での良き時を舞い ます。衣装がぶっかえった後は景清の強さと勇猛ぶりを見せます。その背景にはひたひ たと近づいてくる悲劇の象徴が現れます |
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二・責の段 | ■ 〜インプロヴァイズ〜 尺八・舞 景清は、源頼朝を討つという大業の前に、アコヤの嫉妬により捕まった小野の姫を助け るため捕らえられます。頼朝を討つことが出来なくなった無念と、アコヤに対する怒り は、最高潮に達します。 一方アコヤは、景清に「小野の姫の事を聞きたい、景清様は捕まってしまった・・・」 と複雑な気持ちで景清に会いにゆきます。やっと会えた景清、うれし、かなし、と思い ながら近づきますが、景清の逆鱗に触れ、自分が犯した事の重大さに気がつきます。 |
■AKOYA (2000年彩里京鼓作曲) 景清の怒りをおさめ、また、自分の心に偽り無きことを箏の音で表します。ついにアコ ヤは力つきてその命の灯火は燃え尽きてしまいます。 |
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三・昇の段 | ■秋風の曲 (光崎検校作曲) アコヤの魂は、菩薩様との出会いにより、現世の苦しみから解き放たれます。 |
■秘曲 鶴之巣籠(尺八古典本曲) 菩薩様のお力により替え玉が処刑され、景清は囚われのみから解き放たれますが、アコ ヤは今はもう他界し、決して触れることも、交わることもできません。また、出家の身 となった景清は、未だ昇天することも出来ず、ただ、アコヤが菩薩様に導かれてゆくの を祈るのみなのです。 |
メディア論評・・・平成12年10月17日(火曜日)付 産経新聞 夕刊 | |||
スターになって、古典広めたい ◆3歳から始めた“二刀流” ![]()
日本舞踊と箏の“二刀流”で活動する彩里京鼓はこう話す。日本舞踊の家元である母親の手ほどきがあって、三歳から二つを抵抗なく続けてきた珍しい存在。練習方法や表現の仕方などがまったく違うからこそできたのだという。 「弦楽器であるお箏の練習は技術の問題があるので日々やっていないとだめです。一方日本舞踊は何十時間も集中してできるものではありません。作品をイメージしたり頭を使います。アプローチの仕方が若干違います。これがピアノとお箏だったらできなかったと思います」 ◆現代曲で面白さに目覚め ![]() 初めからプロを目指していたわけではない。大阪府豊中市立南桜塚小学校から第一中学校、府立豊中高校と進んだ。面白さに目覚めたのは金蘭短大に進学してから。大学で筝曲部に入った。 「たまたま聴きにいった演奏会が沢井忠夫先生でした。とても感動して、翌日入門させてくださいと電話をしました。長唄も地歌もやりましたし、古典ばかり勉強していました。沢井先生が弾く現代曲を聞いて、お箏でもこんな曲ができるんだ、と思いました」 沢井先生は昭和十二年生まれ。東京芸大を卒業し、積極的に現代の作品を取り上げた。またまた沢井筝曲院で後進を指導し、邦楽の普及に多大な貢献をした。平成九年五十九歳で早逝した 同じころ、日本舞踊も若柳松紅に師事した。江戸の芝居ものを勉強させてもらったことがきっかけになったという。 「セリフを話すことで芝居をする楽しみに目覚めました」 ◆新しい形のあこやに全力 ![]() ↓舞台「道成寺」 ![]() ![]() 彩里の「アコヤ」はこの芝居を舞台に乗せるのではない。景清と阿古屋の愛と哀しみを箏、尺八、舞で表すまったく新しい形のパフォーマンス。「尺八の三橋貴風さんにお箏を引く人はたくさん知っているけど、君のように日本舞踊もやっている人は知らない。君らしい活動をやってみたら、と勧められました。阿古屋はまさに私だと思いました」 栄の段(平家の繁栄)、責めの段(琴責め)、昇の段(昇天)という構成で、菩薩を母、若柳吉純美、景清を三橋、アコヤを彩里が演じる。常盤津の「景清」、尺八本曲の「鶴之巣籠」などや自作の曲が演奏される。 「文楽の『阿古屋』とは趣を異にします。最愛の人を失う究極の悲しみを表現したい。現代でもヒット間違いなしのメロドラマです。一心に景清を思った阿古屋を菩薩が救うという救済の場で終わります」 衣装、演出、振付に加え、高校時代に工業デザイナーを目指したこともあるという才能を生かして舞台装置も自ら考えた。約一時間五十分の総合的な作品だ。 「スポーツで言えばトライアスロンみたいでしょうか。いろんなことをやってきたからできるんです。踊りですか、箏ですか、と質問されますが、そう質問されないように認められたい」 ◆職人ではなく芸術家に・・・ ![]() ![]() 「邦楽や古典を広めたい、とボランティアで踊りをしたりしていますが、それだけでは普及しないことが分かってきました。たとえば東儀秀樹さんが出たことで雅楽を多くの人が知りました。スターが生まれないと人の興味を引かないんです。成功してもいないのに邦楽を聞いてください、といくらいっても人は動いてくれません。古典を埋没させないためにもプロとしてやっていきたい。職人ではなく芸術家としてやっていきたいと思います」
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文・江原和雄 写真・林俊志 (舞台「道成寺」は彩里京鼓提供) |
メディア論評・・・平成12年10月1日 関西芸能 | ||
連載 この人 彩里京鼓![]() 「いま、彩里京鼓がおもしろいよ・・・」と声をかけたら彼女、 表情を崩して笑いころげた。無性に明るい。 ![]() 「おもしろい・・・とは芸がすばらしいってこと・・・」とつけ加えたら、今度は照れ笑いをした。二つの顔をもつ女―彩里京鼓は箏曲家の名、若柳京鼓が日本舞踊家。 一人ふた役を見事にこなしつつある才女 いや彩女といったら、ほめ過ぎだろうか。 「この人」に登場を願った理由は、今秋10月19日夜、大阪・国立文楽劇場で“彩里京鼓リサイタル”をもち、箏と舞による創作「アコヤ」を発表する話題の人。文楽・歌舞伎で知られた近松名作「壇ノ浦兜軍記(かぶとぐんき)」のヒロイン・阿古屋(遊女)を演じる。文学好きの彼女にとっては願ってもない素材・上演である。当然、二つの顔が披露される。当日のプログラムに私は「魅力的な“アコヤ”讃」なる一文を贈った。いま沈んでいる邦楽・舞踊界に新しい風を注ごうとする姿勢が実にうれしい。 狂言界で和泉元弥、野村萬斎らがスターダムに乗ったし、雅楽界にも東儀秀樹、津軽三味線でも石田兄弟が・・・、彼らに負けじと彩里京鼓が本舞台にノリ始めた。芸欲が実にいい。 京鼓―父は陶芸家(岩本浩氏)、母は日舞家、先頃、吉純美派家元・若柳吉純美の名乗りをあげた。京鼓の本名・岩本京子だが、いわば芸術家肌家系の名門子女である。 九州、福岡生まれの京鼓は、三歳のとき踊りを、母の手ほどきをうけた。同じ頃、箏を箱田歌穂センセに師事した。九歳のとき家庭の事情で大阪へ。「お琴も踊りも大好き。とくに踊りはいいべべ(着物)が着られるからスッゴイ好き」子供心にも手放しの喜びようだ。その後、京都の若柳旭甫に師事、十三歳のとき「若柳京鼓」を名取った。邦楽も縁あって沢井忠夫の門下に飛び入り、現代邦楽も学んだ。さ行が強運の相・・・占い師のことば通り、彩里京鼓と命名。今春も「箏と舞リサイタル」を大阪・イシハラホールで開いたばかり。そして「アコヤ」の発表とくれば、まこと強運の持主か。去る九月「彩里倶楽部」を大阪、キタのホテルで発会、結成した。いわば後援会のスタートで喜びひとしお。今年、十二月京都南座の「顔見世興行」の演目に「壇ノ浦兜軍記」が登場。主人公、遊女・阿古屋に坂東玉三郎が扮し、琴・三味線・胡弓を弾く・・・。いわばこの芸を彩里京鼓が先取りするわけだ。いやはや「いま、京鼓がおもしろい」とご推薦申し上げるゆえんです。 |
彩里京鼓 箏と舞 ![]() |
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【 目次: | ごあいさつ | プログラム・解説 | 】 | |
と き 2000年3月20日[祝] 午後6時開演 ところ イシハラホール プログラム 舞 とき見るごとに〜悲篥(ひちりき)3管のために〜 三宅榛名作曲(1999)彩里京鼓振り付け舞初演 舞―彩里京鼓 箏 三つの悲歌 Trois Eleies 新実徳英作曲(1984) 箏独奏―彩里京鼓 T―悲・哀 U―謝 V―慟哭 箏 「みだれ」による変容〜17絃のための〜 広瀬量平作曲(1980) 17絃独奏―彩里京鼓 箏 緑篠清漣(ろくじょうれいれん)〜尺八と箏のために〜 秋岸寛久作曲(2000)委嘱作品・初演 箏―彩里京鼓 松・竹・梅 作詞 梅津勝一郎 作曲 中島勝祐(1968) 彩里京鼓―振り付け 舞―彩里京鼓 |
ごあいさつ 本日は彩里京鼓「箏と舞」にお越し頂き誠にありがとう御座います。 本日のプログラムは、現代舞踊・17絃独奏・箏独奏・尺八と箏の二重秦・古典舞踊と それぞれ全く違った角度からの彩里京鼓を見ていただける内容で御座います。 ![]() 私の中では、箏と舞は幼少の頃より、自分の中で常にバランスよく共存Lて参りました。 本日は、自然体のまま自分の今もてる全ての力を出し尽くし、 それぞれ違った切り口の彩里京鼓を、 皆様方にご自由に感じて頂ければと、思っておりますので、 お時間の許します限り最後までごゆるりとご高覧頂けましたら幸いに存じます。 そして今後は箏と舞を、時にはより融合させたり、 時には対比させたりしたオリジナルの舞台づくりを行ってゆきたいと思います。 また、この会を開催するに当たり非常に多くの方々のご理解とご協力を賜りました。 ご後援・ご広告主様・その他ご協賛ご協力賜りました皆様方にも この場をお借りいたしまして厚くお礼申し上げます。ありがとう御座いました。 |
■プログラム 舞 とき見るごとに〜悲篥3管のために〜三宅榛名作曲(1999) 彩里京鼓―振り付け舞い初演 舞―彩里京鼓 楽器演奏と、唱歌が演奏者にかせられている。 2曲セットで書かれており、 2曲は互いによく似た姿をしているにもかかわらず、 異なるコンセプトで作曲されている。 たとえば1曲目は、楽器とうたがパラレルな関係にあり、 また演奏者の互いにほかのパートの ゆがんだ模倣の様々なありようで作品がかたち造られる。 2曲目では、うたは器楽パートの中に組込まれ、 また演奏者は演奏を続けることで 自ら徐々に過去へと消え行き、再び新たに生まれ出て 現存とその先をつくり出して行く。 2曲セットとして、また場合によっては 1曲だけ演奏することもできる。 詩は万葉集から。伶楽舎からの委嘱。 1999年8月20日いずみホールにて初演。 咲く花は うつろふ時あり あしひきの 山管の根し 長くありけり 移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも [作曲者] 尚、本日の音源は初演時のライブ録音であり、 三宅榛名様、伶楽者様、いずみホール様の理解とご協力ものと 本日使用させていただくことができましたことを 深く感謝申し上げます。(彩里京鼓) 箏 三つの悲歌 Trois Eleies 新実徳英作曲(1984) 箏独奏―彩里京鼓 T〜Vの各曲のイメージは、およそ次のような言葉と対応している。 T―悲・哀 U―謝 V―慟哭 各々は単独にも演奏され得るが、 実際には全体で一曲とでもいうべき構成をとった。 「情感の表出」にのみ陥るのを避け、 作品の持つべき論理性を保持する為である。すなわち T―呈示 U―展開 V―さらに展開、再び再現 となっている。いわばソナタ形式に準ずるものであるが、 ここでいう展開とは、古典的なものではなく、より自由なものである。 【福永千恵子委嘱・・作曲者】 箏 「みだれ」による変容〜17絃〜のための 広瀬量平作曲(1980) 17弦独奏―彩里京鼓 17世紀日本の偉大な箏曲家八橋険校(1614〜1685)は 〈六段の調べ〉〈輪舌(みだれ)〉〈須磨〉〈雲井の曲〉などの名作を残し、 今日の箏曲の始祖となっている。 彼は声楽との癒着していた箏音楽の中から、 箏のみによる器楽曲という分野を創始した。・・・ 形式美によってすぐれているへ六段の調べ)でなく、 より自由で、しかも表現主義的な深さを持つ〈みだれ〉による、 というのもまさに当をえていると同感した。・・・ 〈みだれ〉の中のいくつかのモチーフを借り、 それに反応しつつそのときの自分の思いを託していったともいえようか。 時には〈みだれ〉がそのまま聞こえたりもするが、 それはいわば私の心の中に幻聴のように聞こえてくる〈みだれ〉でもある。 曲は11の部分からなり、 私の17絃のための二つ目の作品である。 1980年11月1日東京文化会館小ホール菊地悌子リサイタルにおいて初演。 【広瀬量平カメラータ・トウキョウCD解説より】 箏 緑篠清漣(ろくじょうせいれん)〜尺八と箏のために〜 秋岸寛久作曲(2000)委嘱作品・初演 箏―彩里京鼓 タイトルは「白雲は幽石を抱き緑篠は清漣に媚ぷ」という 自然を描写した漢詩からとりました。 川岸の緑のなよ竹は滑らかなさざ波に甘えるようにそよいでいる、 という風景が尺八と箏の二重奏のイメージと 重なるところがあったのでつけたのですが、 曲の内容とはまったくかかわりありません。自由な対話に始まり、 尺八の流れに箏が絡む部分、箏の刻むリズムに尺八が歌う部分等のあと、 ゆっくりな中間部、再び律動的な部分、 最後は箏のアルペジオにのった尺八の長いフレーズで終わります。 わずか3週間前に完成したこの曲を見事に初演して下さる(であろう) お二人に心から感謝いたします。 [作曲者] 松・竹・梅(まつたけうめ)作詞 梅津勝一郎 作曲中島勝祐(1968) 彩里京鼓―振り付け 舞―彩里京鼓 昭和43年、第1回「東音創作会」で発表された曲です。 従来の「松竹梅」ものとは異なり、松・竹・梅、それぞれがテーマを持ち、 独立した曲になっています。その三曲を笛の演奏でつないでいます。 「松」は松の羽衣、天女と漁夫の昔話を本調子で。 上調子を入れて浄瑠璃風に仕上げています。 「竹」は京童が竹と遊ぶ様子を二上がりで。 低音三味線を使って現代邦楽の感じを出しています。 「梅」は梅の模様が入った小袖を着た男女の恋を描いた曲です。 三下がりで。替え手を入れてしっとりとした趣を表現し、 純長唄風に作曲しています。 作曲者、作詞者共にこの曲が処女作で その後二人で多くの曲を作っています。 舞踊化されており、レコードも発売されいています。[作曲者] |
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