展示室4 舞 曲「 ボ レ ロ 」



和57年の夏、僕が35歳の時、あの「長崎大水害」が起こりまし
た。結婚して丁度1ヶ月目だったので、その時の事は今でもよく覚え
ています。先輩の1人は、1週間後に発表会を控えていたのに、ホー
ルが水浸しになった為に、半年も延期しなければなりませんでした。
僕を始め数人の先輩達は、それぞれ数週間の内に発表会を催す予定で
したが、運良くホールは無事だったものの、多くの人達が亡くなられ
てまだ日も浅いのに、踊りの会など催しても良いものかと、皆とても
悩みました。結局は予定通りに実行したのですが、その時に何度も集
まって話し合いをした5人のメンバーで、「これを良いキッカケにし
て、勉強会をやろう!」ということになりました。
こうして生まれた
古典舞踊研究会が、「かえで会」です。            





藤間金繁    藤間由喜将    藤間喜州    藤間梅由喜


年1月に、古典舞踊の勉強の為の小さな発表会を催すこと。お浚い
会等では時間の都合でカットされるような部分も、出来るだけ生かし
て全曲を踊ること。毎回テーマを決めて、配役はくじ引きで行い、苦
手な役どころでも文句を言わずに挑戦すること。皆で知恵を絞って、
新しい作品を作り出していくことなどを決めて、昭和58年の1月に
第1回の公演を開催しました。その後6年間に渡って活動を続けまし
たが、途中でメンバーの脱退や死亡による欠員が相次ぎ、現在は解散
こそしていないものの、有名無実の状態です。それならいっそ1人で
でもと思い立ち、ここ数年は僕自身のライフワークとして、既にご紹
介した幾つかの作品を発表してきましたが、この創作活動の基になっ
ているのが、「かえで会」での様々な取り組みでした。「かえで会」
がなかったら、今日の僕の活動は無かったかも知れない・・・そう思
う時、他の四人の先輩達と、会の結成と活動を支援して下さった恩師
藤間富公衛師に対して、言葉にならない位感謝しています。   






っと早くに「かえで会」の創作舞踊をご紹介したかったのですが、
写真がなかなか思うように集まらず、僕自身の写真さえ、数度の引越
しの際に紛失している有様なので、掲載が遅れてしまいました。やっ
と写真を手に入れたこの作品は、第5回公演の時のもので、創作舞踊
としては4作目に当ります。初めてクラシック音楽に挑戦して、こ存
知ラヴェルの「ボレロ」を日舞として振り付けました。「ボレロ」と
言えば、「20世紀バレェ団」のものが余りにも有名なので、かなり
の躊躇もありましたが、最終的には紋付袴姿の男性の群舞として、日
舞の基礎的な動きを組み合わせながら、同じメロディの繰り返しの中
で少しずつ高揚していく音楽に乗って、だんだん複雑な動きへと変化
していく過程を楽しんでもらおうということになりました。とはいっ
ても、長崎は男性舞踊家が少ない上に、「かえで会」の中では僕が只
1人の男性だったので、他の女性のメンバーが男装する事になりまし
た。日舞ではご存知の通り、女性が素踊りで立ち役を演じる場合は、
着流しに後見結びの帯で、俗に「前割れ」という鬘を着けます。袴を
着ける事はまずありませんから、僕以外のメンバーは、けっこう喜ん
でいたようです。僕は扮装を皆と同じ感じにする為に、わざわざ七三
に分けた散切り風の鬘まで着けたのですが、一番若いくせに一番身体
が大きいので、小さくなって踊っていたようです。       






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