展示室22   清 元 「女 太 夫」







れまた、珍しい写真が見つかりました!名披露目の「鷺娘」より、
もっと若い時の写真です。何方かの会に、急遽応援出演した時のもの
で、この時、女形の身体の使い方を徹底的にシゴかれたのが、今では
本当に良かったと思っています。花道で一踊りしたのち、カタカタと
下駄を鳴らしながら本舞台に掛かると、期せずして客席からジワが起
こったので、思わず心の中で「ヤッタ〜!」と叫びました。ほんのさ
さやかな舞台でしたが、僕にとっては1つのエポックになったと思っ
ています。「女太夫」という呼び名より、「鳥追い」という言い方の
方が馴染みがありますが、実は「女太夫」が普通の呼び名で、「鳥追
い」という呼び名は、お正月の間だけの特別な名前だったそうです。
被っている笠も服装も、普段とは違っていたらしいですネ。また、舞
台衣装としては、「赤」を使うこともありますが、実際には赤い物を
身に付ける事は、禁じられていたそうです。ですから、女太夫や鳥追
いを演じる場合、舞踊であっても決して赤い色を使用しないという舞
踊家さんもいらっしゃるようですが、舞台の彩りとしては、肌脱ぎを
した時の真っ赤な襦袢は、捨て難いなァと思います。前出の、「角兵
衛」の場合でも、角兵衛が赤い襦袢なのに、鳥追いが白地や浅黄地の
襦袢だったりすると、何だか淋しい感じがするのは、僕だけでしょう
か?!夕立に会った女太夫が、四ツ竹の踊りや、当時の流行り歌など
を踊って見せる、他愛のない内容ですが、三味線や四ツ竹の扱い方な
どが結構難しく、芸者でも娘でもない、大道芸人の雰囲気を出そうと
思うと、なかなか一筋縄ではいかない踊りです。        







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