クロスオーバネットワークを、5次楕円関数を使ったものに変更してみましたので、実験報告です。
ある次数が与えられた時(例えば5次と限定したとき)に、その次数で理論的に最も急峻な特性を与えるものが欲しい、と考えるのは、工学的に言って、妥当な要求でしょう。
これを与える物が、楕円関数フィルタです。
しかし、楕円関数フィルタで使う数式(ヤコビの楕円関数と言います)をマトモに説明しても、正直言って専門でやった事のある人以外は、分かる人はほとんどいないと思います。それ程、難易度が高いのです。(例えば、こんな感じですね。そのリンク先(物理のかぎしっぽ さん)は、かなり易しく書いてありますがw)
楕円関数は、物理なんかでは、一般に単振り子の振動で「楕円積分」と言うのが出てきて、これには「ルジャンドル形式」と「ヤコビ形式」があって、それぞれに第一種と第二種の楕円積分があります。(正確には完全楕円積分と言うのと唯の楕円積分もあるんですけど)
で、このヤコビの第一種楕円積分と言うのを、sn-1(x) と置いた物をヤコビの楕円関数と言うんです。(sn は sin と似た性質からこう名付けられました。じゃcosと似たのは、というと、cn ってのがあります)
この楕円関数 sn-1(x) を使うと、最も急峻なフィルタが実現できると言うことを理論的に証明できるんですな。
ちゃんと書いた本として、「伝送回路網およびフィルタ」(電子情報通信学会編纂 コロナ社)がありますんで、是非とも知りたいと言う方は読んでみられると良いでしょう。
ところで、ヤコビの第一種楕円積分ですが、述べたように了解するのが難しいのみならず、計算も初等的に求めることができません。(平たく言えば、公式に代入するだけで計算、なんて事はできない)
まあ今はコンピュータで漸化的な計算をすれば良いわけですが、昔、コンピュータが一般的では無かった頃に、このフィルタの係数(R=1/Ω=1で正規化)を詳細に数表化した人達がいました。SaalさんとZverevさんです。
この人達の作った数表も売っていますが、更にこれを分かりやすく説明した本「Electronic Filter Design Handbook」(A.B.Williams, McGraw-Hill)もあります。(これは、ラプラス変換と伝達関数程度が分かれば理解できます。英語だけどw)
設計は、3kHzクロスで、Saal/Zverevのパラメータとしては CO05 20 θ=30; 1-1/K2(K=∞)、
即ち5次楕円関数で ρ=20% (RdB = 0.18dB に相当)、Amin = 61.43dB、θ=30°です
但し、クロスポイントは楕円関数フィルタの定めるカットオフ(-0.18dBの点)ではありません。フィルタのカットオフは、LPFは2.5kHz付近、HPFは3.4Hz付近として合成特性が平坦になるように調整しています。また、部品の都合から、若干零点をズラしています。
シミュレーションに用いた回路を示します。
回路図
R3,R4 は、シミュレーションの都合で入れてあるだけで、実際には不要です。(計算上、直流電位を確定させるため) 同様に、R13,R14等の小さな抵抗は、Lの寄生抵抗分であり、これを入れろと言ってる訳ではありませんので、誤解のないように(^^)。
トウィータの能率差は既に分かっているので、トランスによるステップダウンとしました。
巻き線比は2:1ですから、高域インピーダンスは約12Ωとなり、アンプから見て軽い負荷になるので歪みも減り、無駄な電力も減りますし、ステップダウンですから、電磁制動もより強力にかかる事になります。
更に、C値を小さくできる( L値は大きくなる)ので、コストも有利です。(L は値段の差が小さいからです。因みに、こういうのをフィルタの Norton変換と言いまして、実際の特性や製作上の有利なようにトランスで変換するのは良くあります。)
図中、アンプの出力抵抗分を入れてありますが、実際にこれは影響を与えます。(普通の場合は無視できます)
また、同様に負荷となるスピーカーのfs共振やインダクタンス分をシミュレーションに入れてあるのも同じ理由です。ウーファーのfsは補正する訳にいかないので(^^;)、入れてないですが、この影響は小さいです。
R6,C4がウーファの補正、C14,R15,C13,R2,L16 がトウィータの補正です。fsの補正はトランスの後ろで、インダクタンスの補正が前になっているのは、前者は逆にすると L値があまりにも大きく(3mH程度)なる為で、後者はC分を小さくできる為です。
上に述べた全ての補正を行った時の特性は、下図のようになります。
緑色が、能率差を考慮した場合の合成特性です。トウィータは位相反転です。
ざっくり言って、-60[dB/oct]程度ですね。
同じ関数に対して上述のインピーダンス補正を無しにしますと、こんな特性になってしまいます。
クロス付近の乱れはウーファの L分によるもの、高域のピークはトウィータの L分、トウィータの遮断域の大きな跳ね返りはトウィータの fs の影響です。
影像パラメータ理論や、或いはインピーダンスマッチングの概念とか高周波での動作なんかを理解している人は、「はぁ、なるほど!」と膝を打つ事でしょうが、一般にはチト説明が困難な所です(A^^;)。
*以前にも言いましたが、「電気回路とは、線形微分方程式の記法の一つです」。
27℃、誤差5%で50回のモンテカルロ解析結果を示します。
モンテカルロ解析というのは、実際に作った時にどれぐらいばらつきがあるかを調べる為のシミュレーション手法です。
素子の誤差に対して特性のばらつきが小さいのは、LC梯子型フィルタの特性の一つで、この特性のことを"素子感度"と言います。(昔、MJで某大先生が「素子感度が低いのは素子の影響で音の変化が分かりにくいと言うことで、回路に欠陥がある」とか何とか宣うて、失笑を買った事がありましたがw)
この特性から、作りっぱなしでも、ほぼ問題なく動作する事が分かります。
実作したフィルター
フィルタは、コンデンサメーカ特有の癖が出ない様に、ERO、Mundorf、BENNIC、松下、岡谷などを各種適材適所で・・・やった訳では全然なくて(A^^;;)、要するに、手持ちとアキバで買ってきたものとを混在させています。
インダクタは、Jantzen のもので、横浜で買いました。
但し、L2,L4 は丁度良いのが無かったので、自分で巻いています。
写真では、下に白いシールが無いのがそれです。
ご自分で巻く場合には、ここが参考になるでしょう。ただ、太い線を手で巻くとズレが大きいので、必ず実測して、調整して下さい。
小さい値ほど Q も高くなりやすいので、余計に調整が重要になりますので、お忘れなく。
高域用のトランスは、コアは「ナノ結晶トロイダルコア」(商標名:ファインメット)で、もっともμの大きなタイプを用いています。
巻き線は被服の薄い"撚り線"(はじめから撚って売ってある物)を用いて、バイファイラ巻きのオート・トランスで構成しています。
トランスの特性としては、一次側の巻き数は 28T で 1.5kHz の飽和点が 45Vpp になったので、丁度良し、と言う感じです。
L分は極めて大きく、68mH もありますが、飽和の問題もあるので、そんなに低い周波数では使えません。もっと巻けば同じ電圧で飽和する周波数も下がりますが、作るのも大変になります。
高域特性は、手持ちの測定器の限界を越えていて、測定不能です。これは恐ろしく結合度が高いことを示しています。
損失は、2k〜150kHzで0.1dB以下ですから、無視して構いません。
コアの値段はちょっと目から火が出る(^^;)ぐらい高価ですが、これだけ特性の優れたトランス式ATTも滅多にないので、まぁ良しとしましょう。
普通はこんなものは手に入らないでしょうが、大型のフェライトのSW電源用トロイダルコア(電源用ですよ、EMCフィルタ用は駄目ですよ)を使って、この倍ぐらい巻けば十分に実用になるでしょう。
参考までに、巻き数との関係は、以前この辺に書いています。
ネジが使ってありますが、全てステンレス製です。
トウィータのfs補正の容量は、バイポーラ電解コンデンサを使っていますが、ここはそもそも殆ど電圧がかからない所なので、実用上さして問題ありませんが、ウーファのLの補正とか、フィルタの容量の大きい所に電解コンデンサを使ってはいけません。(音が云々では無く、長期信頼性の問題で、です)
そもそも、バイポーラ電解コンデンサを交流回路に使ってはいけない、とメーカーは言っているのでして。バイポーラ電解は、どちらの電圧がかかっても動作するように両極に酸化被膜が形成してありますが、高速な極性の反転(つまり交流電圧)に対しては劣化の原因になります。
最終的な回路図を下に示します。
ちゃんと特性とって無いけど(^^;)、いきなり音の印象など。
バッフルステップの補償をしていないので、やや低域が寂しいけど、意外に明白な低域不足って事もないです。なんでか知らんけど。そのうち、プリで補償しようかと。
なんか低域が軽いです。高域は歪みが減った感じで、大人しく感じます。
バッフルステップの補償を外したし、ウーファー中域が少し上がっている(分割振動の影響)のを補償してないので、これに合わせて高域のアッテネーションも前より小さくしましたから、相対的に前回のものよりも能率が上がっています。
にも関わらず、逆に全体に音が静かになったように感じて、もっとパワーが欲しくなります。何故か良くわからんけど(^^;)。
雑味の無い、上品で透明度の高い音ですな。ワンポイント録音物なんかは、少し音像が中によるというか、モノっぽくなって前後感が強調される様な感じを受けます。
*一般的には、共振峰の強い、金属系の振動板とかの方が、急峻な特性のメリットは大きいです。Scanspeakは微妙な所ですなw
なんかメーカー製で、磁気結合がヘチマだとか言って、より低次のフィルタでより急峻な特性が得られるかのように謳ったものがあるようで、純真なアマチュアが騙されているようですが、はっきり言ってお笑い種ですw
いいですか、そもそも楕円関数は、与えられた伝達関数の次数において「数学的に」最も急峻なのですよ。
つまり、これを超える急峻さを得るのには、数学的により高い次数の伝達関数を与えるしか無いんです。
その関数の実現の手法が、LCであろうが磁気結合に依ろうが、そんな事は関係ありません。楕円関数を超える急峻さはその伝達関数の次数に置いてはあり得ないのですから。
電磁気学とか持ち出すと、それだけで何か手品か神の業か知りませんがそんなものを想像する方もいらっしゃるようですが、問題は実現手法とかでは無いのですよ。
どんな実現手法をとろうが、そのフィルタは必ず伝達関数で表現することができます。極端に言えば、機械的な音響フィルタであっても、その関数は存在するし、逆にそれを電気的に置き換える(これを等価回路といいます)ことも出来るのです。
その伝達関数が特定の次数の時に最大の減衰を与える関数はなんなのか、を論じたのが楕円関数フィルタなんです。
だから、磁気結合であろうがLCだろうがなんであろうが、同じことです。
馬鹿馬鹿しいぐらいに当たり前の話だと思っていたのですが、どうも騙される方が後を絶たないようなので、追記させて頂きます。