まさみ
          さま 
  翡翠の騎士  中編
2000.10.12
悟浄×八戒
「…… おい、三蔵。」
 ジープのハンドルを握り、意識の半分と顔は進む先に向けながら、悟浄は助手席の三蔵に声をかける。
「………」
 三蔵の返事がないのは、聞こえないのではなくて無視をしているから。
「三蔵サマってば、今日は一段と不機嫌じゃん?」
 チラリと横目で見る。 仏頂面は地なので表情から読み取る事は出来ないが、普段よりも多いタバコの消費量がそれを物語っていた。
「…… 悪いか?」
「いーや。 そのお気持ち、俺も理解るからな。」
 視線を意味ありげに背後に向ける。 二人の背後。 つまり後部では、即席の学習塾が開かれているようだ。
「なぁなぁ、八戒! 何かすっげー匂いするけど、これって何の匂いだ?」
 悟空が告げると、間もなく八戒の鼻腔にも濃厚な芳香が届く。 この一度覚えたら忘れない印象的な香りは…
「あぁ、これは銀木犀っていう花の香りですよ。 近くに白い小さな花をつけた木がありませんでしたか?」
「あった、あった! さっき通りすぎた大きな家の庭にいっぱい生えてたぜ。 ふーん、銀木犀って花かぁ。 花がこんなにイイ匂いなんだから、実とかは甘くて美味いんだろうな〜。」
「あ〜… 残念ながら、銀木犀に食用の実は成らないんですよ。」
「マジ!? ちぇっ、つまんねぇの。」
 喜びと期待、そして落胆。 見えずとも表情が容易に想像出来る声音と口調。 喜怒哀楽の移り変わりが激しいのは表情だけじゃなかった事を再発見し、また彼らしい発想に思わず笑いがこみ上げる。
「でも、確かに銀木犀に食べられる実が成ったとしたら、とっても美味しい実になりそうですよね。」
「だろ? やっぱり八戒もそう思うよな!」
「えぇ。」
 ご機嫌ではしゃぎまくる悟空と、微笑みを絶やさずにその相手をする八戒。 八戒の瞳が治るまで悟浄がジープの運転をする事になったので、悟浄と八戒の定位置が入れ替わる状態になった。 つまり運転席に悟浄、助手席に三蔵、その後ろが悟空で、その隣に八戒。 悟浄が隣の時はからかわれてばかりだった悟空は、隣が八戒で、しかも運転をしていないので彼の邪魔になる事なくゆっくりと話が出来る事がとても嬉しかった。
「そんでな、八戒。」

「そうだろ? 八戒。」

「それとさ、八戒。」

「はいはい、何ですか?」
 子犬のようにじゃれついて来る悟空の無邪気さが瞳の痛みの鎮痛剤となり、八戒の表情も自然と緩む。 その八戒の笑顔が、悟空を更に楽しい気持ちにさせる。 ジープの前後は、完全に違う空間と化していた。
「悟空の奴、さっきから『八戒、八戒』って… 今日は八戒のバーゲンセールかってんだよなぁ?」
 八戒を独り占めしている悟空。 それに対しての嫉妬心を剥き出しにして、悟浄は三蔵に同意を求める。
「…… 何故俺に振る?」
 腕を組み、正面を見据えながらムカつきオーラで威嚇するが、三蔵がそんな態度をとればとる程に悟浄は構いたくなって来てしまうから始末に追えない。
「あれ、三蔵もそれで不機嫌なんじゃねぇの? いつもお隣の八戒を、小猿ちゃんに取られてさ。」
「…… 殺すぞ。」
 組んでいた左手で銃を持ち、右肘の下から銃口を覗かせる。 その行動が悟浄に図星を指されてしまったという事を証明してしまっているのだが、三蔵はそれに気づいていないようだ。
「三蔵。」
 前のシートの背の部分に手をかけ、八戒が三蔵の顔を覗き込むように身を乗り出して来た。 話の中心だった八戒が絶妙のタイミングで声をかけてきたので、まさか聞こえていたのかと悟浄も三蔵も一瞬ギクリとなる。
「今日はタバコの本数がヤケに多いようですけど… もしかして僕の所為ですか?」
 話は聞こえていなかったらしいが、核心をついているような八戒の問い。 三蔵の顔に、珍しく動揺の色が浮かぶ。
「僕の不注意でこんな事になってしまったんですから、三蔵が怒るのも当然ですよね。」
 どうやら八戒は、自分がこんな事になってしまって厄介事が増えたから三蔵は機嫌を悪くしているのだと思っているらしい。
「そう思うなら、これからは具合がわりぃと感じたらすぐに医者に行くなり何なりしろ。 前にも言ったが、足手纏いは必要ないんだからな。」
 大抵の人間ならば相手を気遣って勘違いを訂正する所だが、それをしないどころか眉ひとつ動かさず平然と誤魔化し、それでいて言葉の裏に気遣いを忍ばせる。 何つーか… 三蔵だよなぁ。 掴み所のない感想を抱きながら、悟浄はフッと鼻で笑う。
「肝に銘じておきます。」
 苦笑しながら肩を竦めた八戒は、再び後部に腰を下ろす。
「悟空。 八戒に余計な事吹き込むんじゃねぇ。」
「へ? 何の事だよ、三蔵? 俺、何にも言ってねぇぞ。」
「ウソつけ。 てめぇがチクったんだろうが。」
 瞳の見えない八戒に、自分のタバコの量が多い事が理解る筈はない。 となれば答えは一つ、悟空が口を滑らせたに違いない。
「言ってねぇよ!!」
「だから、ウソつくんじゃねぇって言ってんだろ!」
「あ… 違うんです、三蔵。 匂いですよ、匂い。」
「匂い?」
「はい。 三蔵のタバコの煙の匂い、さっきからプンプンしてますからね。」
 三蔵は、思わず手元のタバコに瞳を落とす。
「タバコだったら、俺も吸ってるぜ。」
 左の人差し指と薬指にタバコを挟み、悟浄が手を掲げる。
「香りが違うんですよ。 と言っても、さっき気づいたんですけど。 瞳が見えないと、知らずの内に嗅覚や聴覚が敏感になるみたいですね。」
 敏感にねぇ… 八戒の言葉の中のキーワードに反応して、悟浄の18禁思考モードがオンになった。
「それってさ、触覚もそうだよな。 回りが見えねぇとよ、いつ何処を触られるか理解んねぇからスリリングで、いつもより敏感になるんじゃねぇ?」
 悟浄が意味ありげに言うと、何故か八戒の笑顔が引き攣った。 悟浄はニタつきながら嬉しそうに含み笑いをしている。 何か善からぬ事を企んでいる事は一目瞭然だ。
(天然の目隠しプレイか。 それも悪く……)
「腐った事考えてんじゃねぇぞ。」
 悟浄の思考を読んだかのようなタイミングで、三蔵がこめかみに銃をつきつける。
「運転してる人に銃をつきつけるのはマナー違反でーす。」
「うるせぇ、てめぇは存在自体がマナー違反なんだよ。」
「うわ、今の言葉傷ついたな〜。」
「ならついでに死ね。」
 悟空との口喧嘩が小学生並なら、これは高校生並と言った所だろうか。
(レベル的には変わりありませんけどね。)
 八戒が悟浄と三蔵のやり取りを苦笑しながら聞いていると、悟空が服の袖を引いてきた。
「何ですか、悟空?」
「悟浄の奴、何を考えてたんだ?」
「さぁ…? 何を考えてたんでしょうねぇ?」
 きっと大した事じゃないですよ。 笑顔が引き攣らないように気を付けながら、八戒は瞳が治るまでの間は決して悟浄とは同室になるまいと思うのだった。


「なーんか、霧が凄くなって来てない?」
 右肘をジープのドアの上に乗せて左手だけでハンドルを握っていた悟浄だったが、視界不良で自然と用心深くなったのか、両手でハンドルを握り、速度も緩める。 街を後にしてから平野を疾走している間は晴天だったのだが、森に入った途端に霧が立ち込め、周囲は薄暗くなって来た。 補足しておくと、森に入ってからまだ十数分と経っていない。
「うわ、すっげー。 こうすると手の先が霞むぜ。」
 悟空は両手をめいいっぱい上へ伸ばす。 流れて行く霧が風と共に指の間に絡み付き、その先を霞ませた。 視界はニm強といった所だろうか。
「そんなに濃い霧なんですか?」
「あぁ。 不自然なくらいにな…」
 三蔵が周囲を睨みながら呟くと、その言葉の中に含まれている意味を読み取った三人の目つきが鋭くなった。
「作為的な霧ですか… 迷わせる為の罠か、もしくは威嚇のつもりなんでしょうねぇ、きっと。」
「こんな事したって、死ぬのがちょびっと遅くなるだけなんだけどな。」
「でもさ、ひょっとしたら昨日のよりは強い奴かもしれねぇぜ!」
 刺客の襲来は100%確実だというのに、切羽詰まった緊張感は薄い。 空気は張り詰めているがそれは期待に近く、来るなら来いとばかりの不適な態度。 これが彼らの臨戦体制なのだ。
「三人で行く。 いいな。」
 銃の安全装置を解除しながら三蔵が言う。 その言葉にいち早く反応したのは八戒だった。 小さく息を飲んで顔を上げ、三蔵がいるであろう方向に視線を向ける。
「三蔵…! 僕なら大丈夫です。」
「ふざけるな。 そんな状態でいつもみたいに戦えるわけねぇだろ。 こいつらは戦ってる最中にお前に気を配れるほど器用な奴じゃねぇし、俺は誰かを援護しながら戦うなんて面倒な事はしたくねぇ。 お前はここでジッとしてろ。」
 八戒は訴えかけるように言うが、三蔵はそれを一蹴した。
「………」
 予想はしていた事だが、実際にその現実をつきつけられると辛い物がある。 必要とされていない、何の役にも立っていない。 そんな無力感にさいなまれる。 今の自分は、足手纏い以外の何者でもないのだ。
「すみません……」
 瞳を伏せ、膝の上の両手をきつく握り締め、ジープのエンジン音に掻き消されそうな声で搾り出す。 八戒の口癖のような言葉だが、この一言は重みが違っていた。
「ま、仕方ねぇじゃん? 今回だけって事で、我慢しろや。 なっ?」
 漂いかけていた重い空気にはそぐわない軽い口調で悟浄が言うと、それに便乗して悟空も口を開く。
「そうだよ! 仕方ないよ! だから八戒、そんなに……!」
 しかし、今まで不気味なくらいに静かだった森が一斉に色めき立った事で悟空の言葉は遮られた。 間を置かずに、茂みから十数匹の妖怪がジープの前へ飛び出して来る。
「わりぃな。 俺って一度突っ走っちゃう簡単には止まれねぇんだよ!」
 悟浄は躊躇することなくアクセルを踏み込んだ。 妖怪達は避ける間もなく次々に跳ね飛ばされる。 全て跳ね飛ばし、振り切り、これで終わりかと思ったその時、前方にまた一つ妖怪らしい影が見えた。
「まーだ居たのかよ。」
 しかしその妖怪は、自分に向かって加速してくるジープを前に平然と立ち尽くしている。 そのまま跳ね飛ばされると誰もが思った次の瞬間、妖怪は跳躍し、ボンネットに飛び乗った。
「何っ!?」
 見えない八戒以外の三人は息を呑む。 疾走してくるジープのボンネットに飛び乗るなんて、簡単に出来る事ではない。 おもしれぇじゃねぇか、と言わんばかりに三蔵の唇の端が吊り上がった。
「なかなかやるな。」
 銃を妖怪に向ける。 軽い破裂音と共に銃口から火花が飛び散るが、その時にはもう妖怪の姿は三人の視界から消えていた。
「チッ! チョロチョロしやがって。」
 三蔵は忌々しそうに舌を打つ。
「悟空。 一体何が…!」
 入ってくる情報が音だけでは事態が呑み込めない。 八戒は悟空に状況を問おうと口を開くが、その言葉は不自然に打ち切られた。 背後に気配を感じたからだ。 走っているジープの後部に居る状態で背後に気配を感じるなんて通常ではありえない。 八戒は反射的に振りかえる。
「!! 後ろか!?」
 八戒より一瞬遅れて気配を感じ取った三蔵と悟空も振りかえる。 そこには先程の妖怪が居た。 八戒の座っている場所のすぐ後ろ。 車体後方の角とホイールに足を乗せて器用に腰を落としている。 その顔に、ふてぶてしいまでの笑みを張りつけて。
「こいつ、いつの間に!」
 八戒は身構え、三蔵は銃を向け、悟空は如意棒を具現化させる為に力を集中させる。 直後、ザァッという音と共に、宙を舞う何かが後方に流れる風に逆らって四人の周辺に纏わりついて来た。 いくら手で払っても後から後から鬱陶しく纏わりついて来て、一向に振り払う事が出来ない。
「これは…!?」
 見えはしないが顔や腕に何かが当たる軽い感触を感じ、それを振り払おうと八戒の手は本能的に動いている。 と、いきなり二の腕を掴まれ、立ち上がらせられた。 位置からいって、背後にいる何者かの仕業。 八戒はすかさずその腕を掴み返し、捻り上げようとするが…
「危ねぇっ!!」
 『纏わりつく物』を振り払おうとしていた悟浄のハンドルを握る手が滑った。 ジープは大きく蛇行し、その不規則な動きは八戒の身体からバランス感覚を奪う。
「……!?」
 身体が大きく揺らめくと同時に、腕を強く引かれた。 足元が不安定になり、身体に垂直にあたっていた風の抵抗がなくなって、流れに押される。 身体が宙に投げ出された事に気づいたのは、その直後だった。
「っ! 八戒!!」
 隣の異変に気づいた悟空が『纏わりつく物』の隙間を縫って瞳を凝らす。 その時にはもう八戒の身体はジープの車体のどこにも触れていなかった。 『纏わりつく物』を振り払う事も忘れて手を伸ばすが僅かに遅く、八戒の姿はあっという間に遠ざかり、霧の中に消えて行った。
「はっかーーーい!!」
「どうした、悟空!?」
「八戒が… 八戒がジープから落ちた!」
「何ぃっ!?」
 悟浄は咄嗟にブレーキを踏む。 車体は悲鳴をあげて180度スピンターンする。 それによってかかるGから三人が開放され、ジープが停止した時には、今までの騒ぎがウソのように何も無くなっていた。 『纏わりつく物』も、例の妖怪の姿も、そして八戒の姿も…… 主を失った片眼鏡だけが、そこに彼が居たという痕跡を残している。
「クソッ!」
 三蔵は苛立ちをぶつけるようにシートの背を殴りつける。 そのまま拳を握り締めるが、その手の中に違和感を感じた。 手を広げ、視線を落とす。
「あいつだよ! あのヘンな奴が八戒を巻き込んだんだ!!」
 八戒の姿が消えた直後にあの妖怪も同じ方向に消えたのを、悟空は一瞬だが瞳にしていた。
「畜生! よりにもよって八戒を巻き込む事はねぇだろうが!!」
「いや… 奴は最初から八戒狙いだ。」
 三蔵の言葉に、悟浄と悟空は瞳を見開く。 『纏わりつく物』を振り払っている時に無意識にそれを掴んだらしい三蔵の掌には、ボロボロになった薄い翅(はね)と薄茶色の鱗粉がこびりついていた。





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 うっ…まさみさま…こ、こんなところで続くとは……。本当にあと1話で終ります?なんだかも
 のすごい展開になっているような気がするのですが…。まあとにかく結末がハッピーになる
 ことを期待して、私は待ちつづけたいと思います。しかし悟浄がかっこいいーっ(><)いえ、
 三蔵ももちろんかっこいいんですが、自分が悟浄を彼らしく書けないだけにとても羨ましい。
 戦闘シーンもちゃんと書けるなんて…素敵すぎです。       有難うございましたっ!!