まさみ
          さま 
  翡翠の騎士  前編
2000.9.21
悟浄×八戒
「いっつ……!」
「……?」
 その日の朝、三蔵は同室の八戒の声で瞳が覚めた。 それはいつもの事なのだが、何かが違う。 いつもなら、『もう朝ですよ。』とか『お早う御座います。』とかいう爽やかな声なのだが…
「つ、ぅっ……」
 その声は魘されているような声だ。 まさか、どこか具合でも悪くしているのか…? 三蔵は身を起こして隣のベットに視線を移す。
「八戒…?」
 そこには、上体を起こしてはいるものの、顔の辺りを手で押さえて蹲るような体制になっている八戒の姿があった。
「おい、どうした?」
 ベットサイドまで歩み寄り、肩に手をかけて顔を覗き込む。 そこで初めて三蔵が起き出した事に気づいたらしく、八戒は驚いたように身を強張らせた。
「あ… 三蔵。 起こしてしまいましたか… すみません。」
 蹲った体制のまま、僅かに顔を上げて苦笑交じりの声で言う。 こんな状態でも先ずは相手を気遣うなんて、こいつらしいというか… 三蔵は呆れたように小さく溜息を付く。
「俺は、どうしたんだと聞いてるんだ。 何処か痛むのか?」
「え、えぇ。 瞳がちょっと……」
「瞳? どれ、見せてみろ。」
 瞳を押さえていた八戒の手を出来るだけそっと退けさせる。 痛みに眉を顰めながら顔を上げた八戒の片目は真っ赤に充血していて、翡翠色だった筈のひとみは白く濁っていた。
「シャレになんねぇ状態だな……」
「そんなに酷いですか? 昨夜辺りからチクチクしてたんですけど、まさかこんなになるとはねぇ。」
 自分の事じゃないみたいな口調で言いながら、「あはは」と乾いた笑いを放つ。 
「そういう事は我慢なんかしてねぇで早く言え、バカが。 その時に対処すりゃ、こんなになんなかったかもしれねーだろうが。」
 椅子にドカッと腰掛けると、三蔵はそうするのが当然のようにテーブルの上のタバコに手を伸ばす。 口にくわえて火をつけようとするが、そこで思い出したように手を止めた。 瞳が痛む八戒の前でのタバコは流石にマズイと思ったのだろう。
「すみません……」
「謝ったって仕方ねぇだろ。 オラ、行くぞ。」
 火のついていないタバコをくわえたまま、つかつかと歩み寄ってその腕を掴むと、三蔵は八戒を半ば引きずるようにして歩き出す。
「えっ… さ、三蔵。 行くって何処へ…?」
「医者に決まってんだろ。」
「あ、すみません、お手数かけて…」
「いいから、サッサと歩け。 転んだりして手間かけさすんじゃねぇぞ。」
「はい、気をつけます。」
 三蔵のさり気ない気遣いがくすぐったくて、瞳の痛みが少しだけ紛れたような気がする。 八戒は、いつもとは違う自然な笑みを口元に浮かべながら三蔵の後に続いた。


「痛そうだな〜。 大丈夫なのか?」
 ベットに腰掛けた八戒の足元に座り込んでいる悟空が心配そうに覗き込む。 平気ですよ、と微笑む八戒の瞳には眼帯がされている。
「炎症起こしてんだって? ゴミでも入ったのかよ?」
 隣に腰掛けた悟浄も八戒の顔を覗き込む。 彼もタバコをくわえてはいるが、火はつけていない。
「いえ。 どうやら、毒蛾の鱗粉が原因らしいです。」
「毒蛾って… じゃあ昨日の奴か。」
 三蔵一行を狙う刺客は絶える事なく、昨日も妖怪達が襲って来た。 その時に八戒の相手となったのは、大きな羽を持つ蝶の化身のような妖怪。 もちろん、戦闘には勝利したけれど。
「戦っている最中に目に入ったか、もしくは服とかに付着していた物が後から何かの拍子に入ってしまったか… まぁ、どっちにしても変わりはありませんけどね。」
「毒!? それって大変じゃねぇか! 八戒、死んじゃうのか!?」
 悟空が必至の形相で腕に縋りついて来る。 あの砂漠での蠍妖怪の一件以来、毒という言葉に過敏になっているようだ。
「大丈夫、命に関わる物ではありませんよ。 炎症はお医者さんで貰った目薬で治せますから。」
「何だ、良かった〜… 毒って言うから焦ったぜ。」
 悟空は一安心という声をあげるが、何故か回りの空気は重い。
「三人ともどうしたんだよ? 八戒の瞳って、すぐに治るんだろ?」
「え、えぇ。 一週間くらいで治るらしいですけど…」
「その一週間が問題か…」
「何もねぇといいんだけどなぁ。」
「本当に、すみません…」
 三蔵や悟浄と話す八戒の声は沈んでいて、微笑んではいるものの全体的に翳りがある。
「どうしたんだよ、八戒? すぐに治るんだから、そんなに深刻にならなくても……」
「お前、まだ気づかねぇの? 事態は深刻なんだよ。」
「事態はって… あ!」
 悟浄に指摘されて、やっと気がついた。 八戒の眼帯は左の瞳にされていて、そして会話をしているにも関わらず、彼の視線はその人物を直視していない。 悟空がそっと眼前に手を翳しても無反応だ。
「八戒… 今、瞳が見えてねぇのか?」
「ぜんぜんって訳でもないですけど、でも殆ど見えてないって言った方が正しいかもしれませんね。」
 知っての通り八戒の右の瞳は義眼で、片眼鏡をかけていても光を感じる程度の視力しかない。 正常な左の瞳が眼帯で覆われてしまっている今、彼の視界はゼロに等しいのだ。
「治るまで見えないまま…?」
「そうなりますね。」
 片眼鏡の奥の瞳を伏せて、小さく溜息をつきながら眼帯を指で軽く押さえる八戒の姿が、悟空の瞳にはとても痛々しく写った。 瞳が見えないというのはどういう感じなのか、悟空には想像もつかない。 唯一考えつくのが、夜中に真っ暗な道や廊下を手探りで歩く時。 回りに何があるか理解らないし何につまづくか理解らないのでとても不安だけれど、今の八戒はそんな不安を常に抱えている状態なのだろうか…?
「そんな訳なんで… 悟浄。 すみませんけど、治るまでの間ジープの運転をお願い出来ますか?」
「おぅ、そんくらいお安いご用だぜ。」
「あぁ、良かった。 ジープ、ちょっと大変かもしれませんが我慢して下さいね。」
 いつの間にか八戒の肩に止まっているジープの首筋を撫で、優しく語り掛ける。 『キュウ…』と不満そうな声で鳴いたジープだが。 了解したとばかりに八戒に頬ズリをする。
「おいおい、大変ってどういう意味だよ? 俺は至って安全運転だぜ。」
「そうなんですか? ジープ。」
 八戒が問い掛けると、ジープは唸る様に鳴きながら小さな瞳を器用に細めて悟浄を見る。
「ジープは『違う』って言っているみたいですけど。」
「ンだよ、それ。 お前はどっちを信じるんだ?」
「ジープに決まってるじゃないですか。」
「即答かい……」
「あ… こういう時は、迷うフリだけでもするのが礼儀でしたねv」
 爽やかな笑顔から繰り出されるキッツイ台詞に苦笑する悟浄だが、いつもの調子が戻っている事に安堵の息をつく。 三蔵も同じ気持なのか、心なしか表情が柔らかい。
『ガタターン!』
 と、突然けたたましい音が部屋の中に響く。 悟浄と三蔵が何事かと振りかえると、ひっくり返った椅子と共に悟空が床とお友達になっていた。
「ったく… 少しは静かに出来ねぇのか、てめぇは!?」
 三蔵が呆れたように言い放つ。
「今のって悟空ですよね? すごい音しましたけど、大丈夫ですか?」
「あ、へーきへーき。 ちょっとつまづいちゃったんだ。」
 照れくさそうに笑いながら立ち上がると、倒れた椅子を直して八戒に歩み寄る。
「部屋ン中で椅子につまづいてスッ転ぶなんて、随分と器用だな。」
 からかうように言いながら笑う悟浄に『うっせー!』と一瞥を投げると、悟空は八戒と正面を向き合うように床に座った。
「俺… 今、瞳を瞑ったまま部屋の中を歩いてみたんだ。」
「え? あぁ、だから転んでしまったんですね。」
 でも、どうしてそんな危ない事を…? 八戒は首を傾げる。 すると悟空は、膝に置かれていた八戒の両手を握りしめ、真正面からその顔を見上げた。 手を握られているので位置が正確に理解ったのか、最初は悟空の方を向いていなかった八戒の視線が自然と悟空のそれと合わさる。
「何処に何があるかって事がぜんぜん理解んなくて、歩くのがすっげー怖かった。 俺は瞳を開ければまた見えるけど、今の八戒はそうじゃねぇんだよな。 すっげー大変なんだよな… 俺、少しでも八戒の役に立ちたい! 俺にも何か出来る事ねぇか? 俺、何でもするぜ!!」
「悟空…」
 悟空の素直で純粋な言葉と気持ちが心に染み渡る。 嬉しくて頼もしくて、ちょっと恥ずかしいようなそんな感情が、八戒の心の底に淀んでいた不安を押し流して行く。
「有難う御座います、悟空。 それじゃあ… 僕の瞳になってくれますか?」
「瞳に…?」
「えぇ。 何処に何があるか理解るように、誘導して欲しいんです。 そうすれば、安心して歩けますからね。 それと… 本も読めないから退屈で仕様がなくなると思うんで、その時は話し相手になって下さい。」
 初めて見た時から綺麗だと思っていたあの翡翠色の瞳の代わりなんて、思った以上の大役だ。 八戒に頼りにされているんだという実感が沸いて来て、悟空は俄然やる気が出てきた。
「瞳の代わりと話し相手だな。 わかった! 俺、頑張るぜ!!」
「宜しくお願いします。」
 手を握り返し、極上の笑みを向ける。 だが悟空は、その笑顔の中に僅かに残る翳りを見つけた。 眼帯の所為だろうか…?
「盲導犬ならぬ、盲導猿ってか? お前に出来んのかよ、そんな大役。」
 先ほどから悟空が八戒と何やらイイ感じな事に嫉妬しているのか、悟浄が普段よりもちょっとだけ意地悪い口調で口を挟んでくる。
「出来るに決まってんだろ! 俺は悟浄みてーに女の人に気を取られたりしねぇからな。」
「その変わり、食いモンに気を取られまくりだろーが。」
「八戒の瞳になってる間は取られねぇ様にするさ!」
「そんなのムリムリ。 てめぇの食い意地の悪さは死んでも治らねぇよ。」
「死んでも治らねぇのは、そっちのエロエロだろ! このセクハラ河童!!」
「ンだと、この胃袋無限大猿!!」
 二人の言い争いが激化するにつれて、三蔵の額に浮き出る青筋が増えて行く。
「てめぇら……」
 堪忍袋の尾が切れる寸前、二人めがけてハリセンを振り上げようとしたその時。
「ぅ……」
 二人の争いの声の隙間を縫うようにして、小さな呻き声が耳に飛び込んで来た。 悟空と悟浄もそれに気づいたのか、言い争いを中断して声の発生源と思われる方向に瞳をやる。 視線の先にあったのは、左の瞳を手で押さえて下を向いている八戒の姿。
「八戒!?」
「お、おい、大丈夫か!?」
 悟空と悟浄が慌てて顔を覗き込む。 三蔵の表情も険しい物になった。
「だ、大丈夫です。 ちょっと痛んだだけですから… あ、すみませんけど、お医者さんから貰って来た目薬がテーブルの上にあるんで取ってもらえますか?」
 二人が先を争うようにテーブルに向かうと、三蔵が歩み寄って来た。
「延ばすか?」
 たった一言だったが、三蔵が何を言いたいか八戒には理解った。 軽く首を振ってそれに応えると、三蔵は『やはりな』という顔で小さく溜息をついた。
「ほら、八戒。 目薬!」
 争奪戦に勝った悟空に目薬を手渡されると、八戒は点眼をする為に眼帯を外して上を向く。 ひとみの白濁は進行していないが、充血は朝より進んでいるようだ。『2.3日は酷く痛むと思いますよ。』と言う医者の言葉を思い出し、三蔵の顔が再び険しくなる。
(3日がヤマか。 来客が多くなきゃいいがな…)
 懐から『来客』を迎え撃つ為の銃を取りだし、慣れた手つきで装填されている銃弾を確認して再び懐に仕舞う。
「ちょ〜っといいか?」
 右肩に重みがかかり、瞳の端に赤い物が写った。 悟浄が肩に肘を乗せて来たのだ。 三蔵は不機嫌そうに睨みつけるが、悟浄は気にもしていないと言った感じで『話がある』という意の視線を向けてそれを窓に移し、八戒達から離れる。 普段ならウザく思う所だが、話の内容が想像出来たので三蔵はそれに続く。
「あいつの瞳が治るまで、出発は延ばした方がいいんじゃねぇの?」
 開いている窓枠に腰掛け、上体を半分外に出した状態で悟浄はタバコに火をつける。
「あいつの事だ、そうしたら居たたまれなくなって自分を追い込むに決まってる。 そうなったら鬱陶しくてたまらん。 少しでも進んだ方がいくらかマシだ。」
 悟浄が差し出して来た火のついたままのライターでタバコに火をつけ、三蔵は窓枠に寄りかかって紫煙と共に言葉を吐き出す。
「それはそうだけどよ……」
 確かに三蔵のいう通りだ。 瞳が見えないという不安に加え、皆を足止めしているという後ろめたさ。 それらを抱えたままここに滞在するより、多少ムリをしてでも旅だった方が八戒の気は楽になるだろう。
「でもよ、途中で刺客が襲って来たらどうすんだ? いくらあいつでも、アレじゃ戦えないぜ。」
「紅孩児達が直接攻撃を仕掛けて来るのならともかく、雑魚相手なら三人でも釣りが来るくらいだ。」
 大将以外は雑魚扱いな所が何とも三蔵らしいが、その意見も尤もだ。 八戒の抜けた穴は三人でフォロー出来るし、刺客が100%襲って来ってるわけでもないし、それに……
「八戒の身に危険が迫ったら、俺が護ればいいんだよな。 翡翠の瞳のお姫サマを護るのは、深紅の瞳の騎士の役目ってね♪」
「…… 涌いてんのか、てめぇ?」
 三蔵の訝しげな視線を跳ね除け、タバコを揉み消した悟浄は『翡翠の瞳のお姫サマ』の元へと歩み寄る。
「なぁ。 もう出発出来んだろ?」
「そうですね。 支度は昨夜の内に済ませましたし、宿代も前払いでしたし…」
「うっし! んじゃ、早速出発だ!」
 そう言うと、悟浄はいきなり八戒を横抱きに抱き上げた。
「わあっ! ちょ、ちょっと、悟浄!!」
 何の前触れも無く抱き上げられたにビックリしたらしい。 彼にしては珍しく焦りと驚きを露にした声をあげて、八戒は悟浄の首にしがみつく。
「おい、悟空。 荷物持って来いよ。」
「何で俺が荷物持ちなんだよ!? 八戒に瞳になってくれって頼まれたのは俺なんだぞ! 悟浄が荷物持てよ!!」
 悟空は悟浄の髪と腕を掴んで抗議をする。
「痛ててっ! 髪掴むな、バカ猿! これは早いモン勝ちなんだよ!」
「勝手に決めるな! 八戒は俺が誘導するんだ!!」
「コラ、腕を引っ張るな! 八戒を落としちまうだろうが!!」
「じゃあ降ろせばいいじゃんか! 八戒だって困ってるぞ!」
「あ、あの、二人とも落ちついて…」
 悟浄と悟空の間で揉みくちゃにされながらも八戒は二人を宥めるが、二人は『お前が荷物を持て!』という感じで八戒のエスコート権を譲ろうとしない。
『ガウンッ!』
 聞きなれた砲声が不毛な争いに終止符を打つ。 三蔵が天井に向けて威嚇射撃をしたのだ。
「どっちでもいいから、とっとと持て! 十秒以内に部屋から出なかった奴は脳天ブチ抜くぞ!」
 口では十秒と言ってはいるが、そんなに待てるほど三蔵の気が長くない事は充分に承知している。 悟浄は八戒を抱きかかえたまま弾かれるように部屋から飛び出し、悟空は荷物を引っ掴んでその後を追った。


「あ〜ぁ、今日も三蔵は一日不機嫌だな。 悟浄の所為だぞ。」
 宿屋の外まで一気に駆けて来た事で乱れた息を整えながら、悟空がボヤく。
「あん? 何言ってんだよ。 あれはてめぇが……」
 同じく息を整えながら悟浄が反論しようとする。 不毛な戦い再開かと思われたが…
「二人共。 僕にも『堪忍袋』ってモノがあるの、知ってました?」
「……」
「……」
 今度は、銃弾よりも威力のある笑顔と一言が終止符を打ったのだった。






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 きゃ〜っ(><)シリアスですう〜っ!!実は私シリアスが大好きなんですよっ。しかしその中
 にも甘いものがちらほらとあるところがまた素敵ですう〜っ。お姫様抱っこなんてもうvvそれ
 とやはり最強八戒っ。これですよねっ!!みんなに愛されている八戒が、あんなことになっ
 てしまって、私もとても気になります〜っ(><)続きが読みたいっっ!!最後の八戒のセリフ
 が大好きですう〜っvv                          有難うございましたっ!!