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そこは大きな庭が広がる平屋の小さな一戸建てだった。
庭には幾本もの太い枝をたくさんの葉で覆い隠している、がっしりとした樹が立っており、窓を開ければ部屋の中に心地よい風を運んでくれる。その他にもさまざまな花が咲いており、見る者の心を和ませてくれる。
しかしそんな華やかところとまったく対照的なのが寝室だ。
それはいかにも病人が暮しています、というような殺風景なものだった。
1間の窓のところに置かれている一人ではあまりにも大きいダブルベッド。
家具も替えの服が少ししか入っていないモノトーンのタンスが1つだけ。
それはすべて八戒の希望からだった。
「そんなにここにはいないでしょうから、必要ないですよ」
あっさりと笑みを浮かべてそう言った八戒。
紅孩児はその言葉の意味について考えてみたが、少しでも早く種が無くなって三蔵一行の元へと戻ろうとする希望からなのか、それとも特効薬が見つからず近いうちに木へと変化してしまうだろうという諦めからなのか。しかし真意を尋ねることはできなかった。
小さなキッチンにも生活の匂いを伺わせるものはあまりなかった。食事は苦痛をもたらすだけだからするつもりがまったくないと、台所には調理道具さえ置いていない。あるものといったらヤカンとカップとお茶の葉。食事代わりといってはなんだが、飲物だけは充分すぎるほど取っている八戒だったので。
そして、八戒が強く願ったコーヒー。
紅孩児は知るよしもなかったからただ八戒はコーヒーが好きなのだろうと安易に思っていただけだったが、八戒にとってコーヒーは特別なものだった。
三蔵がコーヒーを好きだから。
自分のいれたコーヒーをとても好んで飲んでくれたから。
だからこそ、八戒はコーヒーを入れ続ける。
誰よりも飲んでほしい人が、例え近くに居なくても。
そして今も八百鼡からの配慮である庭の植物を眺めながら、コーヒー豆の選別をしていたりする。
手を動かしては、ぼーっと見つめて。
ぼーっと見つめては、彼らのことを考えて。
いつのまにか考えが彼らに行ってしまう。
そう。仲間だった3人。悟空、悟浄、そして三蔵。
あれから3日が経過している。
彼らはどうしているだろうか…。
そのころの三蔵一行は少し遅れての昼食時だった。
ガツガツと勢いよく元気に食べ物をかき込んでいる悟空。
そんな悟空にちょっかいを出して喧嘩を始める悟浄。
その2人に渾身の一撃を与えて制裁を加える三蔵。
それは今までと何ら変わらない光景だったが、実際は八戒がいなくなったことで波乱が生じていた。
それは3日前のあの日。
「あっ、八戒だっ」
八戒は気付かなかったが、三蔵たちを崖の上から見送っていた彼の姿をたまたま振り返った悟空がめざとく見つめていたのだ。
そのときだった。
八戒の背後に影が忍び寄る。
八戒はまったく気付かないようで、逃げもしなければ攻撃もしかけない。
「八戒、危ないっ。後ろっ!」
その悟空の必死な声は他の2人の耳に届く。
三蔵はあわてて八戒を見、悟浄はルームミラーを動かして八戒を捕らえると突然車を止めた。
皆が見つめる中、八戒は振り返る。そして崩れ落ちた八戒を抱きかかえたのは。
「……紅孩児」
長い赤の髪を風にたなびかせて、ゆうゆうと八戒を抱えてこちらを見下ろしているように見えるその姿。
「八戒を返せっ」
そして姿を消した。
「返せーっ」
声が届くはずもなく。
「悟浄っ、戻せよ。早くっ!」
「無駄だ」
にべもなく三蔵は言う。
その言葉は悟空にも悟浄にも耳を疑うものだった。
三蔵と八戒が2人でいるときの纏う雰囲気は自分たちといるときとは少し違っていた。優しく、暖かいそれ。そこだけは世界が違うようだと悟空は思ったことがあるほどだ。
入りたくとも入れないその空間。寂しげな瞳で2人を見つめる悟空に気付いた悟浄が、なぐさめるようにポンポンと頭を叩いてくる。その行為が子供扱いされているようで、とても癪にさわって嫌だったが、そんなことはどうでもいいと一瞬思えてしまうほどに好きだったし、目を奪われるものだった。
そんな2人はお互いを大切にし必要としてることが、ありありとわかるほどだったのに。
なのにいったいどうしたことだろう。
「な、にっ、言ってんだよっ、三蔵っ!八戒がっ!!」
「………」
正面を見据えたまま、彼は取り合ってもくれない。
「悟浄っ」
「今行っても無駄さ。跡も形も残っちゃねーよ。それなら敵さんがきてくれるのを待った方が簡単だろ?」
「……ちぇ」
その的をついた意見が通り、不謹慎ながらも敵が攻めてくることを願って、こうして西へと旅を続けている。
移動中は各々思いにはせていて、いつもの元気はまるっきり無かった。
悟空は八戒を取り返すことを考えて。
悟浄は三蔵と八戒のことを考えて。
三蔵は紅孩児と八戒のことを考えて。
これでいいのだ。やはり愛しい人は一緒に居た方がいい。
崩れ落ちるように見えたのが少々気にかかるが、それでも紅孩児は彼を大事そうに抱えていたようだ。
光明三蔵のことを思い出す。
手の届かないところに行ってしまった人。
まだ幼かった自分。それでもあのときの痛みが消えることはない。
近くにそういう存在があるのなら、近くにおいてやるのが一番だ。
じゃあ自分は?
自分のこの痛みはどうすればいい?
それでも大切な人が幸せになるなら構わない。八戒にはもう2度と、この辛さを与えたくはないから。
そう納得しようとしようとしているのに、何か引っかかるものがある。
それが何なのかどうしても掴めずに、今に至っている。
八戒が城より少し離れたこの家で花を見ながら一人思いをはせていると、ひょっこりと独角と八百鼡が顔を出した。
「よお」
「こんにちは」
はたから見ただけであの仲間たちがいかににぎやかなるかはよくわかる。それが突然こんな殺風景なところに来たのだ。さぞや退屈をしているだろうと遊びに来てくれたようである。
「具合はいかがですか?」
「有難うございます。大丈夫です」
そこだけ春が来たようなそんな雰囲気を漂わせている2人を見ていると、まるで自分が特殊のような気がしてくる独角だったが、自分が普通なんだと、こういう雰囲気を出す人物が2人もそろってここにいること事態が異常なんだと、自分に言いきかせるのだった。
「ところで。沙悟浄って奴のこと、聞きたいんだけどよ」
「…偵察ですか?」
「いや。ただの興味」
「興味ねえ…」
「どんな奴だ?」
どんなって……。
考えを巡らせる。
ふふ、と八戒は笑った。
「そうですねえ」
同居していたころのこと。旅をしている間のこと。
悟空との漫才。三蔵との掛け合い。事件、珍事など、少しずつ様々なことを話す。
優しい彼。カッコイイ彼。照れ屋な彼。
話しながら思い出へと浸って行く。彼との…彼らとの思い出に。
もちろん女癖のことを忘れはしない。
「八百鼡。お前、奴には近づくなよ」
「どうして?大丈夫でしょう?」
「いや、わかんねーよ。それに紅の奴の心配事がまた増えるからな」
「まあ、あたらずといえども遠からず、ですね」
悟浄にも迷惑をかけてしまった。
いつもおどけている人だが鋭い目をも備え持っているので、今回のことが彼に悟られなければいいと思う。
虫の息の自分を拾って看病してくれた上に、同居までさせてくれたとても優しい人。
そんな人までをも騙して裏切ることができる自分は、なんて冷たい奴なんだろうと。
つきん。
胃が痛んだ。
つきん、つきん。
食事をしたわけではないのに、どうして…。
「お前たち、ここにいたのか」
「紅孩児さま」
八百鼡ならわかる。しかしまさか独角まできているとは思ってもみなかった。
「行くぞ」
「どこへ行くんだ?」
「三蔵一行のところに決まっている」
「!!」
それまでの柔らかな空気が一変した。
緊迫して、鋭いものへと。
「…行かせません」
強い意思を含んだ口調。声。
あの優しげな暖かいものから、獲物を逃さない豹へと変貌する。
その2つの顔の違いの激しさに、誰もがニノ口を告げなかった。
仲間の元を離れても、仲間のことを思い、孤独で闘おうとしている悲しい獣。
それは美しくもあったが、同時に見ているこちらが辛くなるものだった。
(悟浄。お前、いい仲間持ってんじゃねーか)
あの遠い昔。母親を殺したときからずっと気になっていたこと。
本人の意向も考えず、独断で彼をこの世に留めてしまった自分。
禁忌の子供としての重荷を背負い生きていかなければならないたった1人の血の繋がった弟は、もしかしたらあのとき死んでいた方がよかったのかもしれないと。
そう思ったことが、いままで何度あったことだろうか。
(こういう奴が近くにいんだから、大丈夫かもな)
「おい、紅。病人いじめんなよ」
「あ、いや」
「病人じゃありません」
「食事をとりたくないなんて言っている奴は病人っていうんだぜ」
「………」
「手合わせするだけだ。たまには行かないと不信がられるからな。それにうるさい奴がいるのでな」
八戒がここに住んでいることはもちろんこの3人しか知らない。
もう三蔵一行のことはほとんどの妖怪に知られている。もしこの事実が公になってしまったら、どれだけの妖怪がここに攻めてくるかわからないのだ。たとえ八戒が見かけに寄らず強いといえども、一人ではとうてい太刀打ちできるはずがない。
だからこそ玉面公主にも疑われずにするためには、今まで同様に過ごして行かなければならない。
「お前も行くか?」
この前八戒は彼らに心配をかたくないと言っていた。仲間だからこそだと。
それまで仲間の存在が強いのに、離れてしまっているのは心苦しいことだろうと。
あれだけ一緒に来ることを拒んでいたのに突然それを返上したほどだ、彼らの間に何かが起こったのだろうがそれがいったいなんなのかまではわかるはずがない。
しかしただ1つ言えること。それは今でも八戒の中で仲間の存在が大きいこと。
それなら会わせてやってもいいだろう。
別に種のことを知られなければいいことだし、遠巻きにして彼らに気付かれないようにしていてもいいのだから。
「はい。お願いします」
たった数日離れていただけでここまで辛くなるとは、ある程度予想はしていたもののここまでとは思わなかった。
悟空の元気な笑顔。
悟浄の優しい笑み。
三蔵の凛とした姿。
夢と思い出とで動いていた彼らを、また現実で目にすることができる。
それは八戒にとって願ってもみなかったことであり、禁断の果実でもあった。
甘い薫りに誘われて。美味しそうなそれに近づいていく。
嬉しい気持ちを内に潜め、じっと彼等を見つめる。
しかし神様はちゃんと空から見ているのだ。そして自分に報いを与えるときを計っている。
「久しぶりだな」
三蔵たちの前に、紅孩児、独角、八百鼡が立ちはだかる。
「待ってたぜ、紅孩児」
その悟空の態度に八戒は違和感を覚えた。
紅孩児と闘うことを楽しみにしている彼。強い敵と闘うのが好きだから嬉々とした顔になる。ところが今日はそれがなかった。
「八戒をどこへやったっ!返せよっ!!」
誰もがど肝を抜かれた言葉だった。
おかしい。八戒は誰にも知らせてはいないと言っていたはずだ。
視線のみを八戒に向けて様子を伺えば、瞳を見開いて驚倒しているようだった。
やはり知らせてはいなかったのか。ではなぜこいつらは知っている?
その紅孩児の視線を見逃さない人物がいた。
「そこにいるんだろ、八戒。出てこいよ」
うっそうとした森の中。紅孩児たちからは少しだけ八戒が見えていても、三蔵たちからは見えないはずのところ。なのに悟浄はきっちりと視線を外さずに向けてくる。
心臓が跳ね上がる。
偶然?
そう願いつつ、存在自体を消し去るように息を潜める。
「八戒っ!!」
もうだめだ。ごまかしきれないことも、悟浄が引かないことも明白だった。
八戒は覚悟を決めて1歩を踏み出した。「裏切り者」と罵倒を浴びせられる覚悟を。
しなだれている葉をかきわけてゆっくりと姿を現した八戒に、三蔵と悟浄がはっとする。
色が白く、ほっそりとしたその姿。それはとても儚げで、今にも緑に溶け込んでしまいそうで、消えてなくなってしまいそうで。淡雪を連想させるほどだった。
「八戒」
あたかもほっとした声。
当たり前だ。敵に捕まったことでとんでもない事態が起きているのではないかと、悟空の胸は不安で一杯だったのだが、目の前に現れた綺麗な人はどこにも怪我をした様子はなかったのだから。
その悟空の声で2人は我に返った。
「…どーゆーことか説明してもらいたんだけど?」
「………」
悟浄は三蔵と八戒にとってよい理解者だった。
彼のトークの上手さで、恋に対しての悩み事などを親身になって聞いてくれたり、喧嘩をしたときなどはパイプ役をしてくれたこともあった。そんな彼だからこそ、自分に対しての問答は今回のことの大半を理解し、鋭い視線は嘘で包んでいることを責めたてているようだった。
しかし。それよりも辛かったのは。
「どうしたんだよ、八戒。こっちにこいよ」
すがるような瞳。
「やりたいことが何なのかわかんねーけど、俺手伝うから。だから帰ってこいよ、八戒」
「………」
八戒の作る料理が好きだった。
暖かい手が好きだった。緑の瞳、纏う雰囲気。そして三蔵と一緒にいる八戒が何よりも好きだった。
優しくて大好きな八戒が自分たちの近くにいるのが当然だと思っていたし、傍から離れることなど疑いもしなかった。
その悟空の甘い考えを否定する現実がある。
目の前いにる八戒はどちらかといえば、自分たちより紅孩児たちの近くにいる。そしてこちらに来ようともしなければ、紅孩児たちに攻撃をするそぶりさえ見せない。
自分たちと八戒と。
そんなには離れておらず近づいていける距離なのに、なぜかこの間には壁があるようで。厚くて高いその壁を乗越えるのには時間がかかりそうで。壊すのにはまだ道具が足りないようで。
だからこそ、誰1人として動ける者はいなかった。
無表情でじっと悟空に目をむけて耳を傾けていた八戒だったが、静かに首を振るとはんなりと微笑した。
「行けません」
「どーしてっ!?」
信じられないと驚愕する悟空。
「どうしてと言われましても…」
その口調と苦笑はいつもの彼で。
それなのに、三蔵と悟浄には何かがひっかかった。
「僕はここにいると決めたことですし」
「何でだよっ!」
「理由を聞かせてもらおーか、八戒」
今まで沈黙を守っていた悟浄がやっと口を開く。
鋭い視線。有無を言わさないその口調。
しかしそれに流される八戒ではなかった。彼には同居していた時間があるので、そういうのにはとうに慣れてしまっていたのだ。
「理由など不必要だと思いますが。事実だけで充分でしょう?」
どの言葉も笑顔でかわすことなど容易いこと。
「今の僕にはこの方たちが必要なんです」
これだけは真実だった。
今のこの体には紅孩児たちの力が必要だった。
三蔵たちではどうすることもできない。ましてや自分1人の力でさえもどうにもなりはしないのだ。はっきり言えば紅孩児たちにだってどうすることもできないかもしれないのだが、確率はゼロではない。少しでも可能性があるのだからそれにかけてみるだけのこと。
「……嘘だ」
呟きほどの小さな声音。だがそれでも皆の視線を悟空に集中させるには充分のものだった。
項垂れた頭。力なくたれている手。本当にただ立っているというものだろう。そんな悟空の手がゆっくりと握り締められる。
自分の気持ちを奮い立たせようとしているのか。
それとも八戒への怒りからか。
どちらも含まれているのではないかと思っていた矢先。
「八戒は俺たちよりこいつらの方が大切だっていうのかよっ!俺たちより…」
続けようとしたが唇が震えてうまく言葉になりそうになかった。
悟空は一度きゅっと唇を引き締める。
「そんなの、俺信じないからな。だって八戒言ったじゃん。帰ってくるって…」
最後の声が濡れていたのは気のせいだろうか。
それを確認しようにも悟空はまだ下を向いたままだし、終りの言葉を飲み込んで黙り込んでしまった。その先は何を言おうとしたのかわからないが、先を促すこともできなかった。
誰もが口を開かなかった。
いや、開けなかったと言っていい。
沈黙が短い時間を支配した。そしてやっと悟空が動いた。
「だから俺待ってるから。八戒が戻ってくること、信じてるからっ」
八戒は目を見開いた。
顔を上げた悟空の瞳が涙で濡れていたのである。
悟空が泣いている…。
つきん。
それは初めて見せた彼の涙だった。
いつも元気で明るくて。辛いことや悲しいことなど、何があっても持ち前の強さで乗越えてきた彼。あんなに素直で太陽のような彼を曇らせてしまったのは自分。涙を流させてしまったのは自分。
そんな自分に信じるという言葉が出てくるなんて…。
ののしられると思っていた。責められると思っていた。
どんなに汚い言葉を投げつけられようとも、どんな攻撃を加えられようとも、それを受け止める自信はあったのに。なのに…。
つきん…。
その言葉は予想外だった。
それは反則だ。
三蔵を守りたいという利己的な考えで嘘を幾重もの嘘で包み、真実を隠してきた。
仲間に迷惑がかかると思ったからこそ、彼らのもとを出たりもした。
だから自分に言うセリフではないはずだ。言ってもらう資格など…あるはずがないのに。
それまでつけていた笑顔の仮面が崩れていく。
瞳が揺れる。指先が震える。喉元が震える。
そんな八戒の変化を監察する余裕など悟空にあるはずもなく、躊躇もせずに言葉を続ける。
「絶対、信じてっからっ!!」
どうして…そこまで信頼できる!?
ずきんっ!
「…!……」
とっさに八戒は唇を強く噛んで顔をそらした。
予兆があった胃の痛み。それを無視してここまできたが、まさかこんなところで激痛が襲うとは。
苦痛の声を漏らさず、崩れることもせず。
それは八戒のプライドゆえのことだった。
弱い自分を見せたくない、彼らに心配をかけたくない。それがプライド。
だがそれが限界だった。
この体勢でしかいられない。動けない。
ただこの激痛に耐えることで精一杯だった。
彼の異変を察した紅孩児と八百鼡が不自然にならないようそれでも急いで八戒の元へと近づく。
今では立っているのも辛そうな八戒の体の向きを変えて八戒を抱きしめ、体重を自分の方へと傾けてやる。多分そろそろ足に力が入らなくなるだろうから。
「埒があかん」
悟浄が見つめる。ことの成り行きを記憶に鮮明に刻むように。
三蔵が見つめる。目を細め眉根を寄せて、嫉妬の意をのせた鋭い眼光を向ける。
悟空が恐る恐る声をかける。
「…八戒?」
どうして何も言ってくれないんだろう。
どうして自分を見てくれないんだろう。
八戒を呼びかけ彼に言葉を求めるが、しかし返事もしてくれなければこちらを向いてくれもしない。
次はいつ会えるかわからないから。だからこそ、最後に八戒の綺麗な顔を見ておきたいのに。
はぐれた子犬のような悟空に、八戒は本当なら救いの手を差し伸べてあげたかった。だが自分が取った今までの行動と激痛に耐えている今の状況とでそんなことができるはずもなく。希望とは別に激痛は増すばかりで。
とうとう崩れ落ちそうになった体をタイミングよく紅孩児は抱き上げると、八戒の顔を胸にあてて苦痛でゆがみそうになるのを隠してやる。
痛みに耐えるのでさえ大変なことなのに、それを気づかせずに平静を保つことなどとても難しいことだから。なのにもかかわらず強情にも続けるそれを少しでも楽にしてあげたくて。
「今日はこれで失礼する」
「八戒…」
だんだんと薄くなっていく彼ら。
まだだ。
今行かないでほしい。
必死に手を伸ばす悟空。
「八戒っ」
このままでは間に合わないと慌てて駆け寄る。
なぜか今八戒を捕まえなくてはならないような気がしたから。
「八戒っ!」
しかし悟空の気持ちも空しく、完全に彼らは消えていった。
紅孩児も独角も八百鼡も。もちろん八戒さえいない、ただただ荒野が広がる寂しい静かな砂地。
今まで彼らがいた場所を、八戒を思い出すかのように彼を探しているかのように、悟空は微動だにせず凝視している。
頬を伝う雫をぐいっと腕で拭っても、それでも瞳はそらさずに。
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