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いやみなほど真っ青な空のもと、ジープはひたすら次の村を目指して西へと向かう。
次の村へ、はやるように走るさまは、いまのこの空気から抜け出したいという各々の心情が現れているようである。しかしまだ三蔵がかもしだす雰囲気は言葉にしたくないものがあったものの、それでも昨日よりは幾分ましになっていた。それは誰も口に出しはしないが雰囲気を放っている本人以外の全員が感じとっていることで、実際、昨日はじっと我慢をしていた悟空が今は小声で悟浄と話しをしている。
やはり時間が解決してくれたことだった。
八戒のこの思いも時間が解決してくれたらどんなにいいことだろう。
三蔵を忘れることができたらどんなに…。
そう思った自分が悲しくなった。
それは無理だ。忘れられるはずがない。忘れたくない。今まで生きてきた中で一番の素敵な思い出だから。
それでも。三蔵の悲しみをも時間が解決してくれることを、八戒は願っていた。
大丈夫。自分がいなくても、きっと三蔵に似合う人物が現れて、自分のことなんかすぐに忘れるだろう。
昨日のことだって、思い出として終るのみだ。
瞬間八戒の心に沸き起こった悲愁を、安堵で無理やりねじ伏せた。
すぐに離れなくてはならないと思うのに、離れたくないという気持ちも強くあることを八戒は気付いていた。なるべく多くみんなとともにあり、なるべく長く三蔵のそばにいたいのだが、その三蔵の態度を見ると少しでも早く逃げ出したくなる。とても複雑な心境で醜い心と思ったが、それでもかまわないとも思った。なんにしろあと少ししか時間がなく、ジープを運転している間…次の村までなのである。その時間は一緒にいられる。だからこそ何も話をせずただひたすらジープを走らせるだけだとは言えども、この仲間から離れなくてはならないならそれでもいいからまだこの時間が続けばいいと、村まではまだ距離があって欲しいと願ってしまうのだった。
しかし現実はそう簡単にはいかなかった。
「ほら、村が見えてきましたよ」
どんなに八戒が願っていても、他の3人は村にたどりつくことを心待ちしているのだ。
悟空と悟浄はもちろん歓声を上げて喜んでいる。それが遠いものに感じていた。
まだ彼らにはこの村で自分が旅から離脱することを知らせていなかった。
言ったら彼らはどういう反応を示すだろうか。
引きとめてくれるだろうか。
それとも何とも思わない?
どちらにしろ、自分は絶対にここから離れなくてはならないのだから、そんなことはどちらでもいいことだ。
そんな八戒の思惑とはうらはらに刻一刻と三蔵一行は村へと近づいていき、別れの時間も近づいていくのだった。
「ずいぶんと早く着いてしまいましたねえ」
まだお昼までは少々時間があるようだ。以前の予定では夕方から夜にかけて到着するはずだったので、やはり昨日の無言がとても効果的だったようである。いかにいつも時間をロスしているのかがよくよくわかるのだが、急ぐ旅ではないので彼らはそれほど気にしていないのだろう。
「どうします、三蔵?」
今日はどうするのかと聞いているのだ。
お昼はここで済ませるとして、この時間なら食事後にすぐ出発すれば次の街には明日の夜には着くことが可能だろう。だがもしこのままこの村で泊まるのなら、次の街には明後日の夕方ごろになるはずだ。目的のある旅をしている者にとって、あまり時間を気にしないとは言っても1日の違いはやはり大きかった。
だがそれでもで三蔵は考える。
八戒は離れると言った。今ここで出発すると言ったら、確実に彼とはここお別れである。だがもし出発を明日と決断したら?そうしたら八戒は今日1日くらいは一緒にすごすかもしれない。
八戒は離脱する目的を何も言わなかったが、紅孩児の元へ行くことは明らかだった。三蔵が許したことだし、たしかに愛する人の元にいたほうがいいに決まっている。
自分でも未練がましいと思う。
人の心は縛れない。人の気持ちも永遠だとは思わない。だからこそ八戒が紅孩児を選んだことは仕方がないことだと割り切っていたつもりだったのに。それでもまだ三蔵は八戒のことが好きなのだ。あんなシーンを目撃しただけですぐに想いが冷めるわけがない。つい最近までは恋人同士だった想い人が、自分の元を離れ敵の隣にいて自分の知らぬ場所で月日を過ごして行く。そう実感したとき、以前八戒に「思う道を進め」と言ったことを後悔した。
しかしもう遅い。すべてが先に進みすぎてしまっていて、後戻りするには時間がかかりすぎていた。
だからこそ。もう少しだけ八戒と一緒の時間をすごしたかったのである。
落ち込みそうになる気持ちを、三蔵は奮い立たせる。
これはかけだった。
「明朝出発だ」
「……わかりました。では補充品を買ってきますのでお昼は先にすませてください」
そう言って八戒は荷物の中を確認すると、買出しをしにみんなの元を離れて行った。
八戒はさよならを言わなかった。つまりは明日の朝までは一緒にいるということだ。
その短い時間を大切にしようと三蔵は思った。
買出しのため一旦みんなの元を離れた八戒はと言えば。
いつもと変わりなく返事をしたものの、内心では出発が明朝ということでほっとしていたのだった。
三蔵が自分をどう思っていたとしても、八戒はもちろん今だに三蔵のことが好きなのだ。
彼の顔を思い出してみる。
黄金の髪を持つ綺麗な顔立ち。
月光も似合う彼だったが、太陽の日差しもよく似合ていると思う。
そして八戒は俯いた。
ほら、こんなにもドキドキしているではないか。
爆発しそうな心臓はなだめるかのように、八戒は胸に手をあてた。
あれほど離れることを決心していたのに、もう少しだけ近くにいれることにこんなにも嬉しくなっている。
こんなことで本当に離れられるのだろうか。
2人の思いはすれ違ったまま、最後の夜を向かえようとしていた。
夕飯時。
今までで一番まずいと感じた食事だった。
しかし先日と同様に今日も朝食をとっていなかったので、ここで食事をすませないとみんなから何を言われるかわからなかった。
いらぬ心配はかけさせられないと、八戒は無理やりに食事をとっていた。
実は昼も買出しに出かけていたので、「外でとってきた」と嘘を言って食べていなかったのである。もしかしたらそのせいかもしれなかった。昼は飲物を食事として美味しくいただいたために、この砂のように感じる食事がいようにまずく思えるのかもしれない。
3人を見て、気付かれないように溜め息をつく。
彼らの食べっぷりからして、ここもそれなりにおいしいところなのだろう。
やはりもう潮時だったのだ。それで確信するとともに、胸に残っていたもやもやが晴れた気がした。
そして八戒は1人台所に食器を片しに行ったついでに、3人には気付かれないよう、紅孩児から貰った最後の薬を飲み干した。
これが最後の欺きとして。
明日はここを出発する。それと同時に八戒とは離れるということになるのに、三蔵はまだ動けずにいた。
今日は偶然にも個室がとれたのだから、最後のこのときを有効に遣わなくてはならないのに。
窓の近くに椅子を持っていき座って外を何気なしに眺めながら、三蔵は考えを巡らせていた。
そのときだった。ドアが控えめに叩かれる。
その叩き方で、声を聞かずとも誰かと尋ねなくとも、はっきりとわかる。今の今まで思考の中にいた人物だ。
「三蔵。ちょっといいですか?」
「ああ」
静かに入ってくるその猫のような歩き方を見るのもこれが最後。
「本当ならば本日お別れをするつもりですが、明日出発ということなので明日見送りまでいさせていただきます」
「ああ」
「色々と今まで有難うございました」
丁寧におじきをする八戒。ふしによそよそしさが感じられるのは、もう心中は紅孩児の方へ行っているからだろうか。
「三蔵」
「………」
窓のサンに肘をついて手の平に顎を乗せるといういかにもだるそうな姿で、これまただるそうに八戒に視線をずらす。
三蔵からすればいかにこの時間をどうすればいいかずっと考えているのだが、八戒からすればそれは嫌われているとしか取れなかった。
だから申し訳なさそうに言う。
これが最後の我侭なお願いだからと。
「あの…抱いて欲しいんです…」
「………」
三蔵本人からすれば願ってもみないことのはずなのに、なぜか口から出た言葉はまったく違うものだった。
「…同情か?」
理由がわからない。なぜ八戒はそんなことを言う?自分のことなどもう何とも思っていないはずだ。
「いえ、まさか…」
「なら何だ」
これ以上自分を惨めにさせるつもりか?
「………」
体内の液体すべてが沸騰したような感じをうけた。
このままでは八戒を傷つけてしまう。
そうわかっているのに、もうどうすることもできなかった。
「まあいい。俺からすれば願ってもみないことだしな」
このままでは双方が傷つくとわかっているのに、どうすることもできなかった。
「何をされても文句を言うなよ」
ぐいっと引っ張るとベッドへと押し倒し。
「お前から望んだことだからな」
そして腕と言葉で、三蔵は逃げ道をふさいだ。
三蔵は激情にまかせたまま、八戒を抱いた。彼を気遣う余裕もなく。
その間八戒は弱音を吐くことなく、ただ目を瞑って三蔵だけを感じとっていた。
それは暴力と等しいものだったかもしれない。今まで何度も関係を持ってきた中で初めての、そして最大の、2人にとって後味の悪いものだった。
それなのに…八戒は……。
ベッドの上で力なく横たわる八戒をそのままに、三蔵は椅子に腰掛け夜空を見ながら、煙草をすっていた。それさえもがとてもまずく感じる。
ベッドがきしむ音が聞こえたと思うと、布のこすれる音がした。目を向けると八戒がゆっくりと服に着替えているところだった。
ここであやまればよかったのだ。三蔵はすでに後悔で一杯になっており、どうしようもなかったのである。しかし目を八戒にむけただけで、とうとう口にすることができなかった。
だるそうにゆっくりと着替える八戒を見れば、いかに負担が大きかったのかが傍目でもわかるのに。
それなのに…。
「有難うございました」
「!!」
はんなりと笑って言ったのだ。
三蔵を責めることなく、泣くこともなく。
「これからも、気をつけて旅をして下さいね」
ズタズタに傷つけた人に対して気遣いの言葉まで述べて。
「………」
驚倒したまま八戒を凝視する三蔵を残し、八戒は静かに部屋を出て行った。
そのドアをくぐる彼の背がとても小さく感じたのは、自分に負い目があるからだろうか。
「………」
また三蔵は夜空を見上げる。
あまりにも静かなその夜は色々と考えてしまいそうだったが、あまり考えないよう努力する。
すべてが遅すぎた…。
寂しそうに佇む月を眺めている三蔵。その彼の頬に一粒の涙がすーっと流れていったのを、その本人さえ気がつくことはなかった。
そして八戒はというと。
だるい体を駆使して自分の部屋まで戻ると、糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。とにかく何もせずに、このまま眠りにつきたかった。
何も考えずに、ただひたすら。
しかしそれでも先ほどのことが頭をよぎる。
三蔵に言った言葉は決して嘘ではなかった。八戒の本心である。
本当に抱いてもらえて嬉しかったのだ。
後悔なんてしていない。たとえ今までにない荒っぽい行為だとしても。元から今までのように優しくしてくれるとも思ってなかったし、もしかしたら抱いてくれないかもしれないとも思っていたのだ。だから三蔵を感じることができただけで八戒には充分だった。
それなのに…。
八戒はどうして涙が頬を伝うのか、自分でもよくわからなかった。
「あのー。突然なんですが…」
「「はい?」」
またいつものコミュニケーションを朝食後に楽しんでいた悟空と悟浄へ、おずおずと八戒は話しかける。
「あの。僕ちょっとやりたいことがあるので、別行動をとらせていただきますね」
「いつ帰ってくんの?お昼までには終る?」
そのなんでもないような、本当にちょっと街まで出かけてくるようなそんな八戒の言い様に、悟空もまたいつもの買い物のような感覚で聞いてくる。
「いえ、あの、いつ終るかわからないので、皆さんで先に行っててください…ということなんですが…」
「えっ?どういうことだよ、それっ」
初耳のことだけに、2人は驚きを隠せない。今までだって八戒はそんなそぶりをちっとも見せていなかったのだから。
悟浄は三蔵を伺い見るが、憮然とした表情からは何も探ることはできなかった。
「………」
「なんでだよ、八戒っ。一緒に旅しながらやればいいじゃん」
「それはちょっと…。それに三蔵の許可もとってますし……」
「さんぞーっ」
「仕方ねーだろ」
それは少々なげやりな言い方で。悟浄はひっかかるものがあった。
とても悲しそうにしている悟空は少しふくれっ面をしている。そのまま上目使いで、おねだりモードのように小さく尋ねてきた。
「じゃあ、いつ帰ってくんの?」
「えっ?」
「いつ終るか聞いてんのっ」
半分は涙目である。
悟空は八戒が大好きだ。
一緒に散歩に行ったり、一緒にお布団に入ったり。温かく優しげな雰囲気で自分を包んでくれる腕がすごく好き。
それが当分お預けなうえ、大好きな八戒の笑顔が見れないのである。
「えーっと…」
「お前ねー。八戒が困ってんだろ。無理言うんじゃねーよ。……でもな、八戒」
やっぱりガキだなと悟浄らしい軽い口調で話していたが、突然それが厳しいものへと変わった。
「終ったら、ぜってー帰ってこいよ」
鋭い視線が八戒を射る。
千里眼ではないのだから悟浄がすべてを知るはずはないのに、まるで今までのすべてを見てきたようなその視線とものの言い様に、今の自分の心境までも見透かされそうで八戒は一瞬ドキリと心臓が鳴る。
「……はい」
これ以上悟浄を見ていられなくて、視線をそらした。
今日もまた憎らしいほど青い空。そこに一番近いのではないかと思われるほど高い崖の上で。
八戒は1人下を見おろす。
ただっ広い荒野を、砂埃をあげてかけぬけていくジープの姿がそこにはあった。
それはいつもの光景。わいわい楽しく、ただひたすら西へ向けて旅を続ける光景。
だが今までと少し違うのは、その中に自分の姿がないということ。
運転席には悟浄が座っているということ。
自分で決めたことなのに。わかっていたことなのに。
やはりこんなにも辛い気持ちになる。
「どうした?」
めまぐるしく自分の周りだけが変わっていった数日間。その間に、見なくとももう誰だかがわかるようになったその声。
「すみませんでした。昨日は行けなくて…」
「気にするな。ところでどうしてこんなところにいる?」
「…治療に専念することにしたんですよ」
食い入るように仲間だった彼らを見つめる。
今の自分と彼らとの距離のように、だんだんと遠くなって行く彼らをじっと。
「心境の変化か?よく抜け出せたな。…言ったのか?」
「言うわけないでしょう」
やっとそこで八戒は振り返って紅孩児を見つめる。
「先日のお話がまだ有効なら、お言葉に甘えさせて頂きたいんですが…」
辛い気持ちを引きずったまま話す八戒の声は少し暗く、震えているようにも感じられた。
紅孩児にはまだ仲間と離れるという体験をしたことがないので八戒の気持ちがわからなかったが、もしかしたら自分が母を思う気持ちに少し似ているのかもしれないと、八戒の面持ちを見ながら思った。
「くっ……はっ…」
やはり痛みは唐突にやってきた。
体中をかけぬける激痛を我慢する術を、八戒はまだ取得していなかった。
我慢しようにも漏れる声。
かきむしりたくなる胃。
服を破きそうなほど、ぐっと胃の位置を握り締める。その手もまた震えていた。
「…っ………」
「おいっ」
崩れ落ちる体を寸でで受け止めると、紅孩児はそっと本人の負担にならないように抱き上げた。
本当ならば一昨日のように無理やり口移しででも薬を飲ませて、楽にさせた方がいいのかもしれない。だがそれよりも早く今の八戒の体を八百鼡に見てもらった方がいいかもしれないと考えた。
自分でも少しならわかるがそれは本当に初歩のことだけ。
種のこと、薬のこと、特効薬のこと。あとは種が根を張り始める前に見られる光景のいくつか。
ただそれだけだから、今彼の体内にある種の状態が予測できなかった。
少しでも早くと八百鼡のもとへ急ぐべく、紅孩児はその場から姿を消した。
その間八戒は紅孩児の腕の中で薄れゆく意識と懸命に戦いながら、ぎりぎりまで瞳を開らいて荒野をかけるジープを見つめていたのだった。
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