SAIYUKI
NOVELS 16
離獣が求める最期 2  2000.6.30
SANZO×HAKKAI
 皆で囲む食卓は、とても楽しいはずなのに。
 いつもと同じように、今にも銃を放ちそうな不穏な空気を纏った三蔵を視界において、楽しげにコミュニケーションを取っている悟空と悟浄を微笑みながら見守りつつ、八戒は心の中でため息をついた。
 いつもならこの団欒のひとときを自分も楽しんでいるのに、今はそれ以上に気になることがあって、心底楽しめないでいた。
 普通はそうだろう。そういうものは刺のように、抜くまでいたいものなのだ。しかし八戒は自分のことしか考えていないようで、それがとても嫌だった。
 本当は食事もどうでもよかった。気分的なものかもしれないが、あまり食欲もなかったし、食べていても以前のようにおいしいと思わなくなっていた。
 一番心配なのは、調理をしたときに味がわからなくなっているのではないか、美味しい物が作れないのではないか、ということだった。それにまだ確定したわけではないが、もし栄養分を取られているのだとしたら、どうせ食べてもむざむざ敵にエサを与えているだけである。しかしそれでもここにいるのは、彼らに心配をかけたくないからだった。事実を知られたくないから。これだけである。
 機械的に口に運び、機械的に口を動かす。
 あまり食物のありがたみを理解しない食べ方で食事を済ませた八戒は、最後の締めに、縁側に座ってくつろぐ老夫婦のように、湯のみを右手で持ち左てで底を支えて、いつものようにのほほんとお茶をすする。
 新発見だった。
 植物は水分を必要とする。だから美味しいと感じられるのかもしれない。とてもお茶が美味しかったのである。同時に美味しいと感じられることが、実はとても幸せなことなのだということも。
「八戒。もう食わねーの?」
「ええ」
 小さな幸せをかみ締めている八戒は、本人の意とは関係なく、口元に笑みが浮かんでいる。
「…あまり食ってねーじゃん」
「いえ。充分食べましたよ。悟空、食べます?」
「えっ、いいの?」
 突然の瞳の輝き。本当に可愛いんだからとは、八戒の意。
「いじきたねーな。八戒の分まで貰ってんじゃねーよ」
 とは、悟浄と三蔵の意だった。
「八戒からくれるって言ったんだよっ」
 うるせーなと悟浄を睨みつける悟空は、それでも手を止めようとはしない。
 いつもとは、なんら変わらない情景。ただ、1つだけ変わっていることは…。
「僕、ちょっと散歩に行ってきますね」
 必ず最後の人が食べ終わるまで待っている八戒のその珍しい言葉に、否定する者はいなかったが、いぶかしげな表情をしている者はいた。そんな彼のために言葉を綴る。
「食べ過ぎちゃったようなんです。少し運動してきます」
 そう言うと、八戒は席を立ち、外へと出て行った。





 宿屋の近くにある森にきていた。
 八戒の予想では、もうそろそろ来るはずだった。
 散策という名目でここにきたのだが、実のところはこれから襲うであろう胃痛のためだったのである。
 まだ慣れない痛み。
 その激痛に耐えている姿は、例えようもないくらい無様なものだろう。そんな姿を皆の前にさらすわけにはいかなかった。
 それが自分のプライド。
 ましてこのことは誰にも打ち明けていないし、話すつもりもない。だからこそ、よけいにみんなの前にはいられないのだ。たとえごまかすのがうまいと言っても、3人から同時につっこまれて回避できるかは、さすがの八戒でもわからなかった。
 とにかく早くこの痛みになれ、そしらぬ顔でみんなの前にいられるようにしなければならない。
 でないと、彼らと一緒に旅ができない。
 三蔵のそばにいられない。
「くっ…」
 きた。
 八戒の予想通りだった。今回も食事後。
 しかし予想に反していたのは、痛みが朝よりも強いことだった。
 だんだんと強くなっていく痛みに、苦痛の声が漏れないよう懸命にこらえる。
 冷や汗は後から後から、止めど無く吹き出してくるが、それを拭う余裕すら今の八戒にはない。
 そしてとうとう、彼は膝をおってしまった。
 自分との戦い。孤独な戦い。
 自分のことが精一杯で、周りが見えない状態の中、耳に小枝を踏んだ音がした。
 はっとして八戒は顔を上げ、その人物を確認する。
 誰にも会いたくないからここに来たというのに、悪いことは重なるもので。
 八戒の瞳に写ったのは、悟浄と同じ赤い髪をした、紅孩児だった。
(こんなときに敵がくるなんて…まったく、タイミング悪すぎです…)
「ほう。いいところで会ったな。悟空はどこだ」
「さあ。僕がそう簡単に言うと思いますか?」
 激痛に耐えながらも、すらすらと言葉を綴ったことは、賞賛に値することだった。
 多分、彼と戦うことになるだろう。弱みを握られたらこちらが不利だ。
 八戒は現状を知られないように、何気ない風で力を振り絞って立ちあがろうとした。だが力を入れてしまったことが、かえって逆効果だったのだろう。さらに強くなった痛みに耐えきれず、体が崩れ落ちてしまった。
「っ、おいっ」
 慌てたのは紅孩児の方だった。とっさに八戒の腕を掴むが。
「さ、わらない…で、くだ・・さいっ…」
 とぎれとぎれのその弱々しい声は、とても痛々しいものだった。
 もしそれが自分たちが倒したときのものであれば、勝利の実感が沸いてくるのだろう。しかし、それとはまったく関係なくこういう姿を見ると、なぜか見放すことができない。立ち去ろうにも後ろ髪が引かれる思いが紅孩児にはするのだった。
「…どこか悪いのか?」
「別っ、に…つっ・・くっ」
 八戒の体に襲いかかる激痛。それはまだ勢いが衰えないようだ。しゃがんでいた体勢から、両手両足を地面につき、頭を上げる力さえないのかうなだれた体勢へと変わっていく。さらに土を力強く握り締めていることから、容易に理解できた。
 そんな無防備な姿を、八戒から少し離れ、紅孩児は木にもたれてじっと見つめる。
 今なら簡単に殺すことができる。そうすれば今後の戦いがやりやすくなってくるのだ。いや、やりやすいなんてものではない。三蔵一行を壊滅状態に持っていけるだろう。そこまでわかっているのに、それでも紅孩児は悩んでいた。
 本当にいいのだろうか。
 躊躇してしまうのはなぜ?
 この場で殺すのと、見逃すのと。いったいどちらが後悔するだろう…。
 紅孩児は深く深く息を吐く。
 どちらにしろ自分は後で悔やんでしまうことだろう。それなら今の気持ちに正直になった方がいいのかもしれない。
 そうやって彼が自問自答している間に、やっと八戒は痛みが引いてきたようだった。
 ゆっくりと、まだ力の入らない足で立ちあがると、いやな汗で顔につく前髪をかきあげながら、こちらを見つめる紅孩児へ、のろのろと顔を向ける。
「殺さないんですか?今ならチャンスですよ。まあ、こんな状態でも、僕は最後まであがきますけど」
 なぜこんな挑発的な言葉を発してしまうのか、八戒にもよくわからなかったが、もしかしたら以前八百鼡が言っていた通り、敵に情けをかれられたくなかったからかもしれない。
 それではあまりにも自分が情けなさすぎる。
 紅孩児は強い。対して八戒の体力は、疲労のため限界に近い。もちろん全力なんて出せるはずがない。
 明らかに自分はここで死ぬだろう。
 それともカフスを外してみようか。
 だがそうするとこの状態では自我を保てるか自信がない。
 それでは狩られに迷惑がかかるだけだ。
 とにかく今後の彼らのためにも、少しでも紅孩児にダメージを与えなくてはと強く思い、悲鳴を上げそうな自分の体を叱咤して、八戒は身構える。
「そんな弱々しい奴とは戦う気がおきんからな。俺が相手をするのは、悟空ほどの強さをもつ者のみだ」
 敵の大将なのに、とんでもない甘さだった。結局は自分を見逃すといっているのだから。
 八戒は大きく息を吐いて体の力を抜くと、近くの木の根元に座り込み、体を支えるために寄りかかった。
「……有難うございました」
 これでまだ自分の希望は繋がれている。
 みんなと…三蔵と一緒に旅を。
 丁寧なその言葉は紅孩児を驚かせるには充分だった。
 敵に礼を言うなんて。プライドとか、そういうのはないのだろうか。
 …八百鼡が気に入るわけだ。
「具合が悪そうだな」
 それは何となく口にしたことだった。
 ぐったりしている八戒にかける言葉が見つからず、しかし彼に興味を抱き始めているのは事実で。
 もう少し、八戒という非常に珍しいタイプの敵と話がしてみたくなっていた。
 八戒の方も、敵の中ではカリスマ的存在のなのに、実は人間味のある親しみ深いく、今では穏やかな雰囲気を纏っている彼に安心して、つい口にしてしまう。それに…。
「…いえ。胃が痛くなるだけですよ。食事後に」
 それに、言ったところで、全てを理解するはずがないのだから。
「………」
 食事後に胃が痛くなる?そしてあの激痛…。
 まさかな。
 一瞬浮かんだことを否定する。
 しかし、そう言えばあの式神を三蔵一行に仕向けると言っていた奴がいなかったか…。
 あの、体内に実を入れさせて養分を吸い取らせる、式神を。
「まさかお前、樹の式神に実を植え付けられなかったか?」
「えっ…」
 先ほどの痛みも完全に消え、だんだんと血色の良くなってきていた八戒の顔から、さーっと色がなくなった。
「式神とは戦ったはずだ。そ奴の放った実を手にしなかったかと、聞いてるんだ!」
「それは…」
「やはりそうなんだな」
 紅孩児の勢いに押され、反論できなかった八戒だった。
 でも、それよりも、なによりも一番気になったのは、自分の予想通りだったということだった。
「言わないで下さい。このことは誰にもっ!」
 あまりのその必死な姿は今まで三蔵一行を見てきた中で、初めて目にしたものだった。戦っている最中でも、彼はいつも顔に笑みを浮かべていなかっただろうか。
 それ以外でも八百鼡に雰囲気が少し似ていると思ったほどだ。
 優しく暖かく、そして笑みを欠かさない。
 その印象とは打って変わった姿だった。
「…なぜ言わない」
「心配、かけたくありませんから」
 八戒は紅孩児から視線をそらすと、葉と葉の隙間から覗く青い空を見つめる。
 どこか昔を懐かしむ、そんな感じを漂わせながら。
「仲間だろう」
「仲間だからです。彼らにはやらなくてはならないことがあります。こんなことで、手を煩わせるわけにはいきません」
 物腰の柔らかい彼からは想像のできない、強い意思がその言葉には含まれていることを紅孩児は察した。
 まして自分は本来敵である。何を言っても無駄だ。
「あなただったらどうします?あなたの体にもし実を植え付けられたら。あなたは仲間に言いますか?真実を」
「………」
「それに、ガラスのように扱われるのは、嫌ですから」
「…わかった。約束しよう」
「有難うございます」
 ニッコリと八戒は笑いかける。
 彼は知っているのだろうか。
 実をつけられた人がたどる道は死だということを。
 それを知っていて、なおの笑顔だったら…とても強いと思った。
 いったいどこからそんな強さがくるのだろうか。
「そのかわり、明日1人になる時間を作ってくれ。それが条件だ」
「えっ、あの…」
「明日になればわかる」
 それだけを言い残すと、彼は静かに消えて行った。
 まだ八戒は紅孩児の条件に同意していないというのに。
 絶対に作るという自信があるかのように。
 別れの言葉もなく、紅孩児は消えて行った。
 ただ1人、八戒を残して。




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