SAIYUKI
NOVELS 12
離獣が求める最期 2000.6.7
SANZO×HAKKAI
 透けるようなどこまでも続く青い空。
 そしてどこまでも続く広大なる荒野。
 場所柄も良く、天気も良好な今日は、絶好の戦闘日和である。
「おや。お客さまがおみえですよ」
 十数人の妖怪たちと、身長が3メートルくらいの樹木の式神が一体。
 前からこちらに向かって歩いてくる。
 向こうの旅人も大変ですねえ、なんてのほほんと言えるような風貌の相手たちではないし、向こうは敵意剥き出しでニタニタしながらこちらを見ている。
 完全に敵だと言いきれる集団だ。
「誰の担当だあ?あのでけーの」
 ちらりと三蔵を見れば、そ知らぬ顔をしている。
 つまり、俺は関知しない、お前らでやれ、と言っているのだ。
「あっ、実がなってる!…うまそー」
 式神には真っ赤な実がところどころに顔を伺わせている。
 でもそれは毒リンゴじゃねーか、とは悟浄の言い分だ。
「毒を持って毒を制すだな。よし、悟空。お前が行け」
「えー、やだよ、俺。よけい腹減るじゃん。どうせあれ、食えねーんだろ」
「食ってもかまわん」
「あのー。まずは妖怪のみなさんを倒してから、最後にみんなで式神というのは、いかがでしょう。妖怪のみなさんもお待ちですし、あまり待たせては申し訳ないですよ。さほど力もないくせに、わざわざ死にに来てくださったんですから」
 にっこり笑って口から出るその言葉には、少々刺々しいものがあるようだった。
「決まりだな」
「んじゃあ、始めましょっか」
 数分後。八戒の言った通り、さほど力のない妖怪たちは、綺麗に気持ちよく片付けられていた。
 残るは式神一体のみ。
「あっ、逃げた」
 あまりにもあっさりと片付けられてしまった仲間たちを見て、適わないと思ったのか逃亡を開始した。
「何で木なのに、走れんのー?」
 素朴な疑問。
 いつも悟空はそうだ。こんな戦いという普通なら緊張感で溢れるほどの場でも、今は遊びだとでも言うようにそれを自然に癒してくれる。というより、彼の場合は本当に遊び感覚なのだろうが。
「お前、考えてもみろよ。さっき歩いて登場しただろうが」
「あ、そっか」
 もちろん彼らが逃がしてくれるはずもなく、追いかけっこを楽しむように、後を追う。
 そして予想に反さず、三蔵は仲間に入っていない。
 まったく無駄な体力使わせやがって、とでもいうように苛々しげに煙草を1本くわえている彼。
「ずりーよな、あのタレ目」
「あーゆー奴だよ」
「それにしても体のわりには、すばしっこいですねえ」
 式神ながらあなどれず、攻撃は右、左と器用によけ、逃げる方向も急に角度を変えるなどして、なかなかない頭を使っているようだ。
 高みの見物をしていた三蔵は、なんだかんだ言いながらも冷静に敵を観察していたようで、先を見通しタイミングよく行く手を阻んだ。
 はさみうちをされた敵は三蔵と悟空たちを交互に見やると、人数を最優先したのか、三蔵に最後のあがきと言わんばかりに何かを投げつけた。
 小さく丸い物がいくつも三蔵を襲う。しかし彼はそれを経文で防ぎきり、ひるんだ敵を残りの3人が見逃すはずもなく、追いかけっこの時間に終止符が打たれた。
「初のパターンでしたね」
「こんなくだらねーこと、やんなよな」
「……あれ、三蔵、服に何か…」
 八戒はそれをつまむと、三蔵にも見えるように手のひらへ乗せる。
 多分それは先ほどの式神が最後に投げつけたものだろう。直径1センチくらいの丸い実のようなもので、固く、全体は短い毛で被われていてチクチクしている。その毛によって服につく仕組みとなっているようだ。
「ああ、これ。昔よく草むらなどに入って、服にいっぱいつけたものです。知らぬ間についていたりするんですよね。人の背中にも黙ってくっつけたりして」
 さして感心のない三蔵は、どういうものか物体を確認しただけで、すぐ視線を他に移す。
 しかし八戒は、まだ無邪気だったころを思い出すように優しく微笑みながら、久方ぶりにみたそれをじっと見つめている。
 すると、その実はすーと、空気に解け込むように消えていってしまった。
「あれ?」
 確実に消えた…と思う。落としたわけではないはずだが…。
 それでも、もしかしたらと、足元をきょろきょろと見てしまう八戒。
 やはり、ない。
 服についていないかと念のために見てみるが、見当たらない。
「??」
 小首をかしげて考える。
「行くぞ、八戒」
「はいっ」
 例え式神が投げつけたものでも、この実は生きている。
 小さいながらも心を和ましてくれた実。可哀想だから、どこかの森にでも運んであげようかと思っていた八戒だったのだが。
 仕方がないと、さして気にするふうもなく、先を急ぐべくみんなのもとへと戻って行った。





 胃が痛い…ような気がする。
 お茶を飲みながら、夕食後ののんびりとした時間を楽しんでいるとき。
 にこにことみんなの話を聞きながら、誰にも気付かれないようにそっと何気なく、八戒は胃に手を当てる。
 まだうずく程度の小さいものなので、実際のところ胃なのかお腹なのか、はっきりしないのだが。
 でもお腹だと仮定するには、さっきの夕飯は自分で材料を吟味して自分で調理したものなのだし、食べあわせの問題ではないと思うので、確率的には少ないと思う。それに何よりお腹なら、他の3人も異変があるはずだ。
 となるとやっぱり胃になるはずだが、樹木の姿をした式神と戦って以来、この数日間は穏やかな日々を過ごしている。胃が痛くなるような心配ごとはなかったはずだ。
 それともまったく見当違いのことを考えてしまっているのだろうか…。
 違う観点から考えてみようと、思考を巡らせようとしたとき。
「……っ」
 突然、激痛が八戒を襲った。
 あまりにもそれは突然で、いつもなら我慢できるはずなのに声を少し漏らしてしまった。
「どうした、八戒?」
「あっ、いえ、ガス止めてなかったのを思い出して」
 とっさとはいえ、つっかえることなく流れるようにスムーズに出た言葉に、自分ごとながら感心した。
「ちょっと行ってきますね」
「めずらしーな」
「すみません」
 とにかく早く1人になりたと思っていたためか、八戒を目で追っている2人の視線の意味には気付かず、みんなを見ることもなく、その場から逃げるようにあわてて台所にかけ込んだ。
 嫌な脂汗が額に浮き出ている。
 それを拭いながら、キッチンによりかかった。
 もう激痛はさっきの一瞬だけで治まっていた。さきほどまでうずいていた痛みまでもが今はもうない。
 しかし今ので完全にわかった。
 胃だ。
 原因なんて思い当たるふしがないが、あれほどの激痛。絶対何かあるはずだ。
 病気?でもそれなら今までで少しは兆候があってもいいはず…。
 しばらくの間様子見でキッチンにいたが、そのときもその後も結局痛みはこなかった。
 再度原因を考えていたのたが、どうしても思い当たらず、まして胃の方も激痛はおろかうずくことさえなくなったので、この場かぎりの痛みだろうと、八戒はもう気にしなくなっていた。
 ところがそれをあざ笑うかのように、翌日の朝食後すぐに胃のうずきが再開した。
 昨夜のことを考えるとまた激痛がくるのかと身構えていれば、案の定、ジープを運転しているときにそれはやってきた。
 ハンドルを握り締める手に力が入る。
 それでもさすがに予測していただけあって、今回は声を漏らすことはしなかった。
 昨晩より少し長い激痛を無事にやりすごしたとき、無意識に肩に力が入っていたのに気付いた。
 ゆっくりと力を抜く。
 これで気のせいだと思えるほど、八戒は楽天家ではない。
 まだまだ旅は長い。これからだって彼らと一緒に西を目指して、三蔵のそばにいることが自分の希望なのに。彼らに心配だってかけさせられない。そんな自分は許さない。
 早めに対処の必要がある。
 そんな考えに没頭していたため、三蔵の刺すような視線には気付けなかった。
 村を出発してから3時間。小さな村にたどり着いた。
 地図ではここから次の村まで、2日ほどの道のりだ。
 あまりにも小さい村なのでここには泊まらず、多めに食料を補給して出発する予定だったのだが。
「悟浄。宿、探してこい」
「三蔵?どうしたんです?」
「今日、ここで泊まんの?」
「ああ。予定変更だ」
「いいけどよ。そーいうこと八戒のがうまいのに、何で俺なわけ?」
 ちゃかすのと探るのとごっちゃ混ぜの悟浄の視線に、三蔵は冷めた視線を返した。
 そんなくだらんこと聞いてる暇があったらさっさと行け、というように。
「はいはい。いこーぜ、悟空」
「えー、俺もー?」
「いいから。こいよ」
 まだ不満を言いたそうな悟空を無理やり引きずり出すと、悟浄はジープから離れて行った。
 八戒にはまるっきり訳がわからない。
 今朝の食事のときに今日の予定をちゃんと確認していたのだ。
 そのとき三蔵は言ったではないか。この村は食料補給のみで通過すると。
 めったにない予定変更に、いぶかしさを隠せない八戒だった。
「どうした?納得いかなさそうだな」
 シートに全体重をかけて寄りかかり、前を見て尊大なる態度でマルボロを吸うのに熱中しているのかと思いきや、脇にいる自分の反応をちゃんとみている彼。
 今だって彼のことはちらっと見ただけだったのに、絶妙なタイミングで話しかけてくる。
「ええ。どうして変更なんか…」
「寝ぼけてんのか」
「えっ…」
 煙を1つ大きく吐くと、三蔵はこちらを向いた。
「本気でわからんのか?」
 心の底までをも射るようなその紫の瞳に、八戒は「まさか」と小さく呟き、深々とため息をつく。
 そしてふと浮かんだ1つの疑問。しかしそれは確信に近いものだった。
「じゃあ、もしかして悟浄も…」
「だろうな」
 だから悟空を連れて行ったのだろう。病人の近くで騒がせないために。
「…まったく。あなたたちには、かないませんよ」
 苦笑して肩をすくめる八戒。
 ここまで簡単に見破られてしまうと、自分の立場がなくなってしまう。
 自分が彼らに甘えているのか。彼らがただ単に敏すぎるのか。
 どちらにしても、気をひきしめなくてはならない。まだはっきりとした原因がわかっていないのだ。原因が判明したとき、それを知られたら…。
 彼らは絶対一緒には行動させてくれないだろう。
 知られるのだけはさけなければ。
 ここ最近、自分のことばかりで周りを見る余裕がなかったのを、改めて思い知らされた八戒だった。
「どこでわかったんです?」
 痛みがきたのは昨夜から。まだそんなに時間が経ってはいないし、まして酷いのは先ほどのを合わせてまだ2回きりだ。
 最初のときはごまかしてみたし、先ほどのだって、声は出さなかったし、もし顔が痛みでゆがんでしまったとしても、正面を向いていたのだから誰も自分の表情を見ていないはずだ。
「昨夜のはお前にはしては下手な言い訳だったな」
 最初から?あれを言い訳と判断していた?あのときはみんな納得していた風だったのに。
「お前があんな馬鹿なヘマ、するわけないだろ」
 あっさり断言する三蔵。
 なぜ自分のことでもないのにそこまで断言できるのだろう。
 そう思った八戒は、確かにあんなヘマをしたことはないが、簡単に見ぬかれたことがなぜかしゃくで、反論してみたくなった。
「わかりませんよ」
「そうだな。ない、とは言いきれないかもしれんが、らしからぬ行動なのは事実だ。考えられるのは、深く考えに没頭するほど重要なことか、何も考えられないほどひどく具合が悪いかだ」
 そこまで自分のことをわかってくれているのかと、八戒は嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちだった。
 苦笑を隠せない。
「それで、どうして体調が悪いと?」
「さっき痛みを耐えてただろ」
「!」
 あんな一瞬のことを彼は見ていたのか。
 体に力を入れたのを見て、すぐその結論を出すなんて。
「…すごい観察力ですね。お見逸れしますよ」
「で、どうなんだ?」
「もう大丈夫ですよ」
 いつもの人の食えない笑顔に、三蔵の瞳が自然に細くなる。
 また真実を隠しているのではないかと。
 この笑顔で被われた真実を見ぬくのは、三蔵でも困難なときがあるのだ。
「本当です。たまに胃が痛くなるだけなんですよ」
 原因がわからないからこそ、今の真実を言える。
 簡単なものだったら嘘などつかず、あらいざらいすべてのことを言ってしまうが、複雑なものだったら、多分見ぬかれてしまっているだろう。
 それでもたまに激痛がくることは言わない。小さくても大きくても、痛みにはかわりないから。
「あなたたちの過激で危険なコミュニケーションに、僕の細い神経が磨り減って胃にきたんでしょう。すぐ治りますよ。だから予定をわざわざ変更しなくても……」
 まだまだ旅は始まったばかりである。こんなことで足を止めることはないと、八戒は思う。
 しかしそれは八戒の言い分。
 八戒からすれば、自分のことなので「こんなこと」の一言で済ませてしまえるが、今の八戒の立場が他の誰かだったら。彼は慎重に慎重を重ねることだろう。
 それと同じなのだ。
 三蔵からすれば、心配して当然。
 八戒は口ではあんなことを言っているが、実際のところはどうかわからない。自分は八戒ではないから、真実や痛みの度合いを知ることは出来ないのだから。
 昨晩のことだって下手なうそをついたときのあの声は、苦痛の声を押さえきれなかったのだろう。
八戒は具合が悪いときでも、必ず自分から言ったりしない。いつも最後まで我慢して無理を重ねて倒れるか、周りに気付かれ強制的に休ませるか、どちらかなのだ。だから苦痛の声などもってのほか。
 それを今回出してしまったということは、本人は言わないがよほどのことではないだろうか。
 だったら1日くらいなんだというんだ。
「別に急ぐ旅でもない。1日くらいつぶしてもかまわん」
 どうせ疲れだってたまっているだろう。
 体は疲れ、それでも周りに気を配り、ほとんどのことを彼1人がやる。それでも神経を張って行動する彼。
 そしかしたら、そういうアンバランスさが胃にきてしまったということも考えられる。
 1日ゆっくり過ごせば、様子も見れるし、体も本調子に戻ることだってありえるかもしれない。
「はい。有難うございます」
 表現が不器用だが三蔵がいかに心配してくれているのかがわかる八戒は、その言葉に甘えることにした。
 わざわざ八戒のためにしてくれることだ。自分のためだけの彼の優しさに、浸るのもいいかもしれない。
 それに、ちょうどいい機会だ。
 さすがに午前中から宿を取る旅人は少なく、部屋を4つ取ることができた。
 久しぶりの個室。ゆっくりと羽を伸ばせることが嬉しくて、いつの間にか口元は笑みの形を作ってしまう。
 ジープもぱたぱたとベッドまで移動すると、さっそくおやすみの体勢に入っている。
 いつもの、2人や4人部屋でみんなで楽しく過ごすのも、もちろんそれはそれで楽しいのだが、本来1人でいることも好きな彼である。たまにこういうのもいいと思えても仕方がないだろう。
 お茶を入れ、窓を開けて何気なしに流れる雲を目で追いながら、胃痛の原因を再度考えてみる。
 ゆっくり考えに没頭してみたかったのだ。原因を探るために。誰の視線も気にすることなく、ゆっくりと。
 昨日。一昨日。だんだん過去を振りかえっていく。
 そんなときだった。
「八戒ーっ。メシだってー」
「はい。今いきます」
 …食事。
 そう言えば食事した後に必ず胃痛が起きていないだろうか。
 そして時間を戻って数日前。行き着いた結果。
 あの実だ。
 手のひらで消えたあの実。まだ確信は持てないが、あれが体の中に入ったのではないだろうか。そしてあの実が、成長するに必要な養分を自分の体から吸い取っているとしたら。
 そうすれば、すべて納得がいく。
 痛みが始まったのは、あの式神と戦ったあと。
 痛みがくるのは、決まって食事を終えてから。
 では、自分のこの体は、あの実にのっとられてしまうのだろうか。
 最後まで三蔵と旅ができないのだろうか。
「八戒ーっ」
 呼んでもこない八戒に痺れを切らした悟空が、再度呼びかける。
 彼らを待たせてはいけない。
 不信がられてはいけない。
 その気持ちから重くなる腰を上げ、しぶしぶ八戒の足は階下へと向かっていった。
 必死に暗い表情を笑みに変えて。



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