diary about S

ちょっと昔の日記。新しいものはこちらです。






20010801(wed)

 金色なのか、茶を越して金なのかそれは。
 7/31のいいともをみるなりしばし身動きできなくなりました。確かに7/28に、長岡で生のお姿を確認してきたはずなんですが、あそこまで色素抜いてたとは思いもよらなかったわ。髪の色の話です、中居さんの。
 そして、そこまで色素しっかり入ってるとは思ってなかったわ、肌。もはや逆転してますやん、肌と髪の色の黒さ。私、それはちょっと・・(頭抱え込み)。
 最近「Smac」のスーツ姿筆頭に、黒髪でやや白い中居さんに、「黒髪モミ時々ヒゲ(天気予報か)、イタ男のパチモン風なビジュアルコンセプトと言えなくもないわ」などとらちもないこと考えつつも、慣れってステキ、なんか男前だぞと思って来ていたのに、のに。
 一気に「慣れ」リセット。振り出しに戻る。
 「誰やあれはー!」(中居さんです)。
 会場のファン(推定)の方からは「かっこいい」と声上がってました。ええ、わかってるんです、実際近くでみたらかっこいいことは(ファンバカ)。でも、私の好みの問題です、肌の焦げ具合だけでも十分涙ぐむに値し、その上に髪の色とのバランスを思えば、ただただ落涙。
 ぐだぐだ言ってはいますが、ほんと「好みの問題」、そんだけです。長岡では「ああ、かっこいい人がいる」と感嘆させてくれたんで、まあ、いいと言えばいいんですけど。なかなか素直に私の好みど真ん中な容姿になっちゃくれない。元々、中居さんが思う「かっこいい見た目」と私のとが、そうとうずれてると思われるんで、これはしょうがない、か。
 でも、しつこいですけど、肌は大切にしてほしいわ。もったいないから。
 いいとも、髪の色の話になったところで会場から巻きおこった「帽子(取れ)」コールと、それに困ったようななんとも言えない顔をしている中居さんとに、あらためて、髪の色一つでこんだけ騒がれる人てのもあんまいないよなーとおもしろがってはいました。ほんとなんであんな騒がれるかな、茶髪にしただけで。私も騒ぐんですが、理由は不明。多分、印象がものすごい変わるのと、中居さん自身が、茶髪お披露目をもったいぶって付加価値つけてるからかなーと。・・「付加価値」。自分で書いておきながらなんですが、仰々しいなあ、たかが髪の色、のはずなのに。でも、実際そう言ってしまうくらい、ファンの関心を集めてると思います、中居さんの髪の色てのは。
 そういうもったいぶったところは、無邪気なんかあざといのかわかりませんけど、どっちにしたってけっこう好きなとこです。中居さんの。
 無邪気さとあざとさって、そもそも完全分離できないもんだと思いますし。

 上でちょっと書いているように、ツアー初日だけ行ってきました。あんだけ旅費使っておきながら1日だけで帰ってくるんもアホかとは思いましたが、月末は基本的に仕事休めませんので。給料あってのスマコンですし(会社方向拝み)。
 この場ではネタバレ一切書きません。また後日、ネタバレの感想文のようなものはupしたいとは思ってます。
 ものすごい大ざっぱな、ネタバレにならない感想は「楽しいーーーー」。
 もう少しだけ細かい感想は、「去年と今年、なにもかも対、表と裏だな」ということ。
 これは言わな、いえ言わせて下さい、な感想は、「みんな、すごい楽しそう」。最初に中居さんのアップがビジョンに映った時には、「笑顔」と言ったきり絶句。「茶髪」よりも、「笑顔」のが、みぞおちあたりにドンと来ました。涙出そうにいい笑顔でした。そうか私はこれを確認したくて長岡まで来たんだなとぼんやり理解しました。鉄板敷きの上(なぜか場所によって敷いてあったんですが、日没までは私らを目玉焼きにしたいんか!な暑さ熱さでした)踊りながら(器用)。
 こうして、浮かれ狂う私の夏は幕開けと相成りました。いい幕開けでした。

 今回のもそうなんですけど、これからしばらく、相当飛行機に乗りますが、ほとんどANAです。もちろん作為的にです。SMAP(SMAPA~NA)の機内放送、楽しいです。つなぎ部分では時々Charさんのチャンネルに変えつつ、乗っている間中眠りもしないで聞いてました。特に剛さんと慎吾さんの、好きです。これもあんまネタバレしない方がいいかな。えーと、剛さんのには「ああっ柄悪くてステキ(えっ)、あああっ、かわいいー!(心の中でじたばた)」で、慎吾さんのは笑いのツボに入って口元押さえて表情隠してました(怪しい)。
 それで、中居さんのには、「・・アナタ・・(脱力)」でした・・(笑)。

 7/27CDTVとか楽しくて楽しかったんで書きたいんですが、タイムアウト。
 去年の8月分を今みてみたら、ツアーなかったのに暑さにやられて(去年からクーラー壊れっぱなし。もう直すのあきらめました)3回しか更新してませんでした。今年はそれよりは多いの目標。せめて4回(目標低過ぎ)。


20010815(wed)

 8/14のストスマはイケテルでしたが、新潟のファン10年選手さんがすごく素直にいい感じで、ああ10年ファンでもこんなにまっすぐ素直な人が、と、我が身を振り返りつつ、よい人にあたってよかったねえ中居さん、と思ってました、ついさっき。

 現時点までで行ったコンサ(7/28長岡と8/5大阪)の感想文は書いてupしたので大安堵です。これで心おきなく広島に臨めます。
 横浜スタジアム好きですし、長岡も幸い良い天気で良かったしで、だいぶ苦手意識薄れましたが、それでもやはり野外は苦手です。日焼け嫌いだし天候に左右されるし虫出るかもだしで、着ていく服や靴がかなり限定されちゃうし。
 かなり前ですけど、お友達のHさんとそういう話したんですよ。そしていったんは、広島はスニーカーとそれに合う服とかになっちゃうかなーと言っていたのですが、「でもっせっかくの中居さんの誕生日だから」ということで、急遽「広島中居ファン白鳥計画」というものが発生。なんだそりゃ。
 えーとですね。ファン心として、たとえ野外だろうと歩く時間が長そうだろうと、誕生日をおめかししてお祝いして上げたい、いやするべきだろう(ここで軽く気分高揚)。スニーカーも悪くはないが、ここは一つ、クルマとお店の間くらいしか歩けなくてよってな華奢な非実用的な靴を履き、それにともないコーディネートコンセプトは、いっそ小マダム、コサージュなんかもオプションで、バックはそれに見合った小振りなものを(さらに気分高揚)。当然足は痛いわ動きづらいわで苦痛は必至、だがしかし、表情はあくまで穏やかにして涼やかもちろん顔に汗をかくのは厳禁です、さながら水中でのばた足大回転をおくびにも出さない、そう、白鳥、白鳥になっておめでとうを言うのよ中居ファンー!(極限まで気分高揚)
 てな話を、けたけた笑いながらしてました。計画という名のネタですね、こりゃ。でも、極端に走ってネタにしつつも、そういう気持ちはやっぱり少しはあるのです。自己満足なんですけど。
 ちなみに冗談10割の華奢靴提案は、つーさんに「死ぬわ」一言で却下されました。ごもっともでございます。
 ああ、しかし何着て行こう。雨が降ったらレインコートでそれはイヤだから晴れてください、けど紫外線イヤだからあまり晴れ過ぎませんように。で、日没後は星が見えますように。
 身勝手にも程がありますが、だって中居さんの誕生日ですもん、こんくらいいいじゃないですか天気の神様ー(身勝手の上に厚かましい)。

 AL「pamS」(「ウラスマ」と「ウラスマップ」、どっちが正しい読み方なのかいまだに判断付かず)ずーっと聴いてます。
 「Vest」の時と違って、一応こちらは発売後即買いました。たくさん新ver.の曲があるとは聞いてましたが、なぜかウタの新録があると思ってなかったんです、アレンジちょっと変えたかなーくらいしか思ってなくて。
 なので、1曲目「雪が降ってきた」で、「あ、2000年コンサver.。ということはウタ録り直してるわ」と聴き入る体勢に入ったか入らないかで、中居さんソロ突入。うわ。て、「うわ」て何、「うわ」て。
 なんか説明しづらいんですが、えーとですね、なんか、いい感じで、他の新録もこんな感じだったら私またしてもやられてしまう予感がひしひしと。で、「うわ、やば」。思わずオーディオ見つめてしまいました。コンコンと叩いたりはしてませんが(しなくていいです)。
 そしたら3曲目の「恋の形」で案の定で予想以上にやられました。中居さんの歌声の真骨頂じゃないですか、この切なさ加減は。降参です、中居さんすいません(謝るということはなにかやましいところがあるのか私)。
 13曲目の「BEST FRIEND」の歌声も真骨頂。真骨頂過ぎ。切ないというか飾りなく優しいというかなんというか・・私には泣ける泣かす声、なんですよねえ。・・連続降参。
 吾郎さんの保険も聴きたかったが、この中居さんのウタを採用してくれてありがとうだほんとに。スマスマやコンサでは聴けることもあるけど、今の中居さんの、こういう歌声ってほとんどCDになってないですもん。AL「013」の「逢いたくなって」はあるけど、でもあれも早2年前だし。
 中居さんの歌う声がほんとに好きです。で、歌という言葉を使わないで、中居さんの揺らす空気が鼓膜に届いた時の感覚が好き、と言ったら、好きの理由が私自身にも、少しだけわかる気がします。
 声に限らず音って、空気振動ですよね。それが鼓膜を振るわせて、その後脳に届くわけで。物理的心理的、両面に一気に響くなら、そりゃ大きな力がありましょう。それならば、素直に降参しとくに限ります。
 他の新録も、オリジナルと趣を異にしてて、それをしみじみ聴く最近です。「pamS」、いいALですね。
 全然期待してなかったのになあ(えっ!)。


20010816(thu)

 そう言えば8/13生スマ。SMAPさんの浴衣姿だったり、吾郎さんの逆ヘルメットだったり(つい2000年新春生スマではかまの片足に両足つっこんでいたお姿を思い出してたりする)、いろいろ楽しかったんですが、うん、前回の生スマ時の時のような文句はひとっつもなくて楽しめたんですが、中居さんと吾郎さん、罰ゲームになっちゃっいましたねえ。罰ゲームが設定されている以上、必ず誰か二人はあたっちゃうんで、しょうがないんですが。
 中居さん4回目ですか。多いわ。しかも最近2回は、クラッカーで負けてるし。ここぞのここぞで勝負弱いなあ・・なんからしいわ(苦笑)。まあ、ここぞのここぞの、さらにここぞでは、そこそこ強いんですけどねえ。
 今回は罰ゲームの内容がわからないので、今一つ心配のしようもないんですが(そういう時はしなくていいのでは)、もういっそ初心に戻って、瞬間怖い系とか、恥系にしときましょうよスマスマさん。て、恥系勧めてはいけませんよね私ったら。中居さんだけでなくて吾郎さんがご一緒なんだから(どういう了見この中居ファンは)。
 んー、素人な私が「コンサ終了後」で即想像するのは、撤収の手伝いなんですが、これは画的にもそうおもしろないでしょうし、気持ち的に酷そうだし、身体もきつそうだし。でも、ま、こんな素人がぱっと考えつくようなことをするわけないですよねーまさかねー(笑顔笑顔笑顔)。
 牛ロデオ(中居さんの乗馬じゃなくて乗牛て発言は軽くツボ入りました)の時に膝のサポーター見てしまったし、体力系根性系は、ほんとに本気に、イヤです。イヤ。
 なんかまだしっかり企画内容決まってなさそう(邪推)なので、とりあえず心配保留で(だからしなくていいのでは)、祈っておきます。
 「カラダもココロも楽で、ちょっと楽しい思い出になるような、そして画的におもしろくて、ファンにも番組をたまたまみているだけの方にも楽しい内容になりますように」。
 言うだけはタダですから。

 8/15のストスマ、久々に中居さんの言葉にくらっと軽くメマイがしました。中居さん、「太った」と言われると寂しくなるんですって。今回読んだハガキのように、「ふっくらしたかな?」のような言い方だと、愛情感じて嬉しくなるんですって。
 「太った」と言われて怒るとかならまだしも、「寂しくなる」ってのは、そして、言葉の選び方に愛情感じて「嬉しくなる」ってのは、結局あれですか、言葉そのものよりも、その言葉を選んだ相手が、どのくらい自分に愛情持って接してくれてるかなってのを一々感じ取ってそれに一喜一憂してるってことですか。この話聞いて、「あ、ふっくらだったら言い放題なんだー」と勘違いしてうちわに「ふっくら中居くんLOVE」とか書いていったら(いろんな意味で絶対やりません)、やっぱり寂しくなっちゃうんですか中居さん。なるんでしょうね多分。
 ・・つくづく扱いづらい。自分は散々言うくせに、またしてもラジオでぽこぽこ腹叩いてラジオ前の私をひっくり返らせたくせに。
 しかし中居さんが取扱注意人物なのをおいても、ほんと言葉って難しいなと思いますよ。相手に悪気がないのわかっていても、どっかしらにひっかかって心中むっとすることが私もそりゃありますし。でもそこで「寂しい」てのは、なかなか出てこないなあ・・まったく、難しい人ですこと。
 んー、でも、ま、難しい人のファンとしては、難しい人だと感じること自体がなかなか楽しくもありますよ。ほんとに。
 たまに「そこまで考えんなや!」とか言いたくもなりますけど。しんどくないかなと思うんですよね、そういうの。しんどくないのならいいんですけど。

 同じく8/15ストスマで、「Smac」のジャケですとか、ツアーグッズの写真が「もっと良いのあるだろう」とご不満気でした。そうですか、あれやらこれやら見て、「もっとかっこいいのがあるはず」、そう思う、と。・・良かった(どういう意味)。
 そこで「うちわ」て単語も出たんですが、この前のサムガでしょうか、コンサで何年も前の中居さんうちわを持っている人を見て、うちわはそんな高いもんじゃないから、新しいの買ってほしい、というようなこと言ったらしいですね中居さん。「らしい」てのは、私がサムガを聞いてなくて(電波入りません)、つーさんに内容を聞いたからなんですが。
 古いうちわってのは、「このくらい昔から中居くんが好きで、このくらい昔のうちわを大切にとっておいたくらいずっと好き続行で、そして今も好きよ」って意味があるんじゃないんですか。いや当人じゃないので推測するだけなんですけど。それをお金もったいないから古いのずっと使っているととられたんじゃ、なんか当人じゃないくせにやるせないんですが中居さん。あまりにやるせないので、こうなったら今年買ったうちわは出さずに過去買うだけで一度も会場で持たれていないうちわの数々引っぱり出して目の前に突き付けたらあ!てな気分になりました、ついうっかり(うっかりでなく)。
 つーさんは言いました、「中居はファン心はわかるけど、女心はわかってないねえ」と。まったくだ。
 でもこっちも「難しい人」とか言ってんですから、お互い様ってこと。ですかね、これは(そうでしょうきっと)。


20010830(thu)

 8/18と19の広島、ほんとうに楽しくて幸せでした。とても。でも今は名古屋前後のことを書きます。
 ある程度時間が過ぎた後とはいえ、私が冷静かと言えばそれは疑問なんですが、それでも、昨日や一昨日やその前の日よりは、わずかなりともアタマ冷えたかなと思うというか、思いたいというか。
 でもやっぱりまだまだ、ぐるぐるしてますね。

 吾郎さんのことの第一報が入ったのが、8/24の22:38でした。うつぶせに寝転がって行儀悪く本を読んでた姿勢から、ケータイの画面を見て跳ね起きたので、立ちくらみ起こしたのを覚えてます。その後も、めまいのような感覚は長らくありました。
 めまいもしますよ、こんなこと、想像したこともない。
 その日寝るまでの数時間、個人個人のテレビやネットでの情報収集に、友人との情報交換はめまぐるしく続きました。えらい騒ぎでしたが、おそらく騒いでいたのは私や私の友人だけではありますまい。
 もう寝ていたつーさんが起きてきて、メールを見て電話してきた時には、私確か、「なんでこんな時に寝てるのよ」と理不尽極まりない怒り方をしました。ほんと理不尽。つーさんに罪はないのはもちろんだし、それをつーさんがその時知っても知らなくても、もっと言えば、私がいくら情報をかき集めようが、状況はどうにもなりませんのに。
 その「どうしようもできない」感が、余計に焦燥感煽っていたのかもしれません、今にして思えば。
 8/25に名古屋に移動している間、私すごいぴりぴりしてました。そのくせ、駅の売店のスポーツ新聞、新幹線内の電光掲示板、前の席に座っている人たちの会話に出てくる内容、どれもこれも、吾郎さんのことという実感なかったです。現実感なかったというか。うちを出る前には、コンサートは4人でやると発表されていて、ああ4人なんだ、と、これもうすらぼんやりとしか受け取らなくて。
 でも、グッズ売場に吾郎さん個人のグッズがない、というメールを受け取ったあたりから、そろりそろりと、実感がわいてきました。
 今日は吾郎さんがいないんだな。と。

 8/25のコンサ、登場時の彼らの顔ったら見るのも辛いものでしたし、一気に不安高まりました。でも、どこかで、彼らは大丈夫だという根拠無しの自信もあって、それを彼らは、ありがとう、実証してくれました。
 こういうのって、どうしてそう感じるのかってもし聞かれたとしても、「知らん。以上」なんですが、みんな、辛いとかそういうの、ないわけがない、ものすごいあるのに、それは今は後回しで、自分たちにできる限りのものをみせる、やり遂げる、そんな気持ちが伝わってきて、それは中居さんが「僕たちSMAP5人」と言った言葉にわかりやすいように、私たちファンのため以外にも、吾郎さんのためだったと感じられて。なんも証拠があるわけじゃありませんけど。
 ああなんて言うのかなあ・・木村さんが「あいつの分まで」と言った時はもちろん、中居さんがカラダを折って「ありがとうありがとうありがとう」と叫んだ時、・・いや、そういう時だけじゃなくて、言葉がある時だけじゃなくて、中居さん木村さん剛さん慎吾さんが、言葉という形をとろうととるまいと、そこには絶えることなく吾郎さんを感じました。不在の存在。彼らは辛いけど大丈夫って思えて、それなら私も辛くても大丈夫だって思えても、不在を痛切に感じて感じて、大丈夫だけど辛いけど大丈夫だけど辛い、堂々巡りです。
 辛くて当然なんです。辛いと感じるのは、そこにいない人が、大切な人だから。大切じゃなきゃ辛くない。大切なんだよ、吾郎さんが。

 8/26は、オープニングから、8/25とは比べものにならないくらい、辛さの隠れた表情をしてました彼ら。私は終演後に母から来ていたメールに気付いたのですが、開演前に吾郎さん釈放となっていたのですね、それででしょうね。まったくわかりやすい人たちだよ。愛おしいね、どうにもこうにも。
 8/25と変わらない彼らの気合いに、私の方も、とりあえずできることはこれくらいかなと思って、気合いだけでも彼らにつき合おうと思って、そうしました。
 先ほど書いたように、終演後に吾郎さん釈放を知り、お知らせできるありったけの人にそのことをお知らせして、友人と食事をしたりしてホテルに戻りました。その時はかなり辛さ薄らいでた気がします。
 でもダメですね、吾郎さんの会見の様子を見ちゃうと、吾郎さんの顔見ちゃうと、もうどうしようもないくらい辛くて。この辛さをどうにかするの、吾郎さんが辛い顔するような状況のうちは無理、絶対無理。だから、吾郎さんも、中居さん木村さん剛さん慎吾さん、謝るとかは微妙にずれてんの、違うの。少なくとも私には、「辛い気持ちにさせた」って理由では謝らなくていい。不在も、別に謝っていらない。謝る先は、仕事やそれ以外の、金銭やそれ以外の、損害を被らせてしまった方たちでしょう。
 謝るとかじゃなくて、無理しないで辛くない顔をみせてくれたら、そしたらもう辛くないから。それがこの現状ではものすごい難しいことかもしれないねってのは理解しているけど、もしかしたらこれは、とにかく謝れーという意味不明の要求よか、ずっと厳しい難しい要求なのかもしれないけど、でも、私はそうなんです。
 でもねえ、「SMAPには僕のすべてがあります」、これで、私はもう十分。辛くて平気じゃない状況でも大丈夫。大丈夫だから、少なくとも、ファン一人分は、申し訳ないとか思うな、吾郎さん、それに中居さん木村さん剛さん慎吾さん。そんな素振り見せたら今度は怒る(何様だ私は)。

 吾郎さんの罪。日本が法治国家というのなら、そしてこれが民事でなく刑事事件だと言うなら、それなら司直が10の罪に10の罰を。そうして下さいと私が言うまでもないでしょう。10の分の罪を、償わなければならない相手に償えばいい。それ以外の正解はないはずですよね、この国には。
 ところで社会的制裁って、便利な言葉ですよね。そう言うと、制裁をあたかも民意の総意みたいに、そして加える側の人数が不特定多数になって、随分と個が薄まるような錯覚を起こせますもん。でも錯覚はしょせん錯覚で、私的制裁の集合体だと思いますけどね、社会的制裁という言葉のメッキを剥げば。
 なにかしらの利害損得や感情を一切抜いて行動したり、不特定多数に向けて発言したりすることは、人間には不可能でしょう。数字でさえ、その場でどの数字を使うか取捨選択する時点で、もう誰かの考えが絡んでくる。そのことをひっくるめて、私は今までのことと、この先にあることを、「ありがとう」と感じたことやその真逆のことを、覚えておきます。私は忘れないですね、そういうの。
 若い時から踊りや歌のレッスンばかりで世間知らずだからと言った方。まるで見てきたようなことおっしゃりますが、それを「見てきたような嘘を言い」って言うのじゃなかったですかね、もしかして。
 一般人に比べてずいぶん釈放が早くて芸能人は得ですねと言った方。一般人なら50台のカメラ、200人の報道陣に囲まれて、「どうやって償うのですか」なんて聞かれることはないのではないのですか。
 ここに書いたことも書かないことも、しっかりと覚えておきます。こういった、自分の大切な人のことになって、今まで見逃してきたことが少し見えた気もします。そのことに関しては、得したなあ。うん、得した。
 私が得した分、どこかで誰かが損することになるのでしょうかね。質量保存の法則はこの場合有効なんだろうか。とりあえず、今まで「吾郎さんが」「SMAPが」CMしているという理由でお金を使っていた商品で、そうではなくなったものから一切合切手を引きましたけど。お金使う理由なくなったんで、私個人の分と、私が選んで使っていた会社の分をとりあえず。すいませんね企業数社。でもまあ、微々たるもんですよ、私一人が動かせる金額分くらい。

 記者会見の時に辛かったと書きましたが、それ以降も実は辛さは増してます。記者会見には、吾郎さんが居た。でも、それが私の知覚できた現時点での最後の吾郎さんで、今後いつ顔を見せてくれるか、予想がつかない。雑誌(ポポロの今月号は買って下さい、大阪二日目のレポがあります)やビデオ見てもそうなんですが、CD聴いてる時が今は一番吾郎さんの現在の不在を感じて辛い。でも聴く。辛くても聴きたいから聴く。そして刻一刻と思い知ってます、私が考えていた以上に吾郎さんが私にとって大切だということを。

 こんだけ長々と書いても、要するに「吾郎さんに逢いたい、SMAP5人に逢いたい」、そんだけです。いつでもいい、早いと嬉しいけど早くなくても、嬉しい。
 私の友人や母や、それ以外、私とお互いの存在を知らないだろうすべての、吾郎さんを、SMAP5人を待っている人たちを、どうか嬉しいと思わせてほしい。いつでもいい、早すぎるも遅すぎるも何にも言わない。ただ待ってます。大人しく待つかどうかはわかりませんけど。
 そして帰ってきたら、大変なことは吾郎さん自身、SMAP自身、自力で乗り切らなきゃいけないけど、ほんと私には何もできんけど、邪魔にはならないよに、隙あらば助けたいと思い上がりすれすれの気持ちでいるから。
 申し訳ないけどそのくらいは許しておいて下さい、吾郎さん。中居さん木村さん剛さん慎吾さん。
 過去も現在もきっとこの先も大事だから、そうせずにはいられないから、そのくらい、許しておいて下さい。

 必ずいつかの日にこう言いたいのです。「お帰りなさい、吾郎さん」。