diary about S

ちょっと昔の日記。新しいものはこちらです。






20001130(thu)

 tour「S map」、終わりましたね。
 「楽しかった」。一言にしたら、それ。
 今年もありがとう、SMAP。大好きさ。

 コンサ感想文はまだまだ未完成で、完成するのかどうかは今となってはかなり怪しいものです。木村さんのことで、血が上ったり下がったりしてますんで、今でもまだまだ。
 いずれとは思っていても、予想しうるよりさらに早かったなあ。まさに予想外。
 木村さんの・・現時点では「結婚」じゃないな、なんと書けば正確なのだ、「そのうち結婚します」報告があった、というのが正確かな。それと「そのうち父親になるようです」報告もあったか。あれ、こっちが先かな。・・まあええわ、そんな突き詰めなくても。どっちでもええわ。

 て、なんて投げやりな書き方をするのか私は。書き始めからこれなら、先がどんなこと書くか大体予測つきますね。どうもあまり楽しい文章じゃなさそうです。常以上に。
 そのへんお含み置きいただける方は、しばらくおつきあいを。
 お含み置きいただける方でも、今ちょっと弱ってるな、という方は、おつきあいいただかない方がいいかもです。
 がしがしといやな予防線張って、と。

 今回の件については、脱力ですね、一言で片付ければ。もちろん片付かないんですが。さまざまな感情の果てに辿り着いた脱力、です。
 結婚自体はねえ。条件付きで、SMAPさんの結婚は私にとっちゃ「どうでもいいこと」なんですよ。
 「条件付き」、その筆頭にあるのは「本人が幸せであること」で、これは外野からはなかなか推し量ることは難しいので、本人申告を信じます。どんなに疑っても、納得する努力はします。
 はっきりとした申告がなければ、自分の目を耳を感覚を信じちゃいますけどね。
 そしてどうしても譲れない、筆頭でなくとも必須な条件が、ファンのエゴ承知、「SMAPがSMAPのままいられること」。
 今回ここを激しく揺さぶられて、ちょっと参りました、そして現在もそれは継続中。不安で仕方ないです。

 近未来の不安は、東京の三日の間に、かなり払拭されました。
 「解散はない」「来年のコンサートも決定している」、そう繰り返し明言し、ファンの不安を払拭したいと張りつめていた人に、いつものコンサの風景を見せてくれて、言葉よりも私には明瞭な「大丈夫」をくれた人たちに、「ありがとう」と、少し泣けました。
 「らいおんハート」はSMAPのウタだと、三日間言い続けてくれたことも嬉しかった。あの時に起きた拍手の音の大きさ激しさ、しっかりと受け取ってくれていたらいいな。せめてSMAPさんだけでも。ワイドショーでは哀しいくらいここの部分はなかったことにされてますから。ほんとに哀しいくらい。
 「解散と書いたマスコミくたばれ」、そう言った彼には、数日ぶり、具体的に言うと名古屋でのコンサート以来に、私が愛している部分が見えて嬉しかった。
 東京で、ああ、SMAPは大丈夫だと、心底そう思えました。
 でも同時に、それが期限付き、長く見積もっても来年までの「大丈夫」しかもらえなかったということに、いやでも思考は到達せざるを得ません。
 いつだって「いつか」だった不安が、気付いたらすぐ側にあって、足元が揺らぐとはこういうことかと、半ば他人事のように思いつつ、疲労困憊。考えるの少し疲れたので、放棄したいのですが、考えの方が私を放棄してくれません。参る。

 思考の迷路に入り込んだまま、木村さんに思うことを。
 木村さんが「自分は変わらない」と言うのを、喜ぶだけで聞けない私です。この一年を見てきた私には。そして、「変わらない」、これは私には不満です。
 「変わらない」でなく、より大人になってくれたらと、そう願わずにいられません。
 大人にならないのが木村さんの魅力だと、そういうご意見も多いし、私もそう思う時もあります。木村さん自身、それを拒否されているところが節々に伺える。
 でも、大人になることって、大切な人を傷つけずにすむ知恵を身につけることって、忌避するものではないでしょう。
 大人であることを拒否し、それを通せば、必ずどこかにひずみが生じ、それは近しい人に負担を強いることになるかもしれない。それを通して良しとするのは、強者の論理だし。
 なにより、「親」となる人は、大人でなければならない。
 木村さんが思う「かっこいいオヤジ」が、どんなビジョンを描いているのか私にはわからないけど、かっこいい大人って、そうとうかっこいいと思うんだけどね。なにが大切なのか、理解できている大人。

 中居さん。
 コンサで、強ばった顔をみるのは哀しかった。辛かった。世界が少しでも中居さんにやわらかいことを祈らずにいられません。祈るしかできないんですから私には。
 今から年末年始、そして年明けてのドラマ。私は楽しいだけ嬉しいだけではみれないかもしれない。ファンにそう思われること、中居さんにとって、嬉しいことではきっとないだろう。でもそうなる。ごめんよ中居さん。

 形あるものはいつか壊れるものだけど、でも壊れ方そして時期は全員が少しでも納得がいくように、そうできるように、力を尽くしてほしい。
 来年の今頃に、去年の私は杞憂が過ぎたし悲観的過ぎたと苦笑させてほしい。願う。

 杞憂をぐつぐつ煮詰めたような日記になりましたが、常時こうじゃないんですよ。いいとも見て「あ、帽子とった、いえーい」とかも相変わらず思ってます。
 でもまあ、一度吐き出しておきたかったんで、書いてみました。
 おつきあいありがとうございました。というより、すいませんでした。

 ・・これ、私がもし無理矢理読まされていたら、怒るだろうなあ。「暗すぎる」って(笑)。