diary about S

ちょっと昔の日記。新しいものはこちらです。






20000615(thu)

 仕事今忙しい時期です。遅く帰ってきて、遅くにご飯を食べます。イライラ解消も兼ねて甘いものも外せません。ハーゲンダッツのバナナストロベリー、美味しいです。なんだか少し太った気がします。
 ・・・・・・・・・・・がくり(言葉にならない脱力感)。

 先週6/5のスマスマ見てから、ごそごそっと引っぱり出してきたBOOWYエンドレスです。「DREAMIN'」のイントロ聴いたらいまだに皮膚ざわざわって来るし、「PLASTIC BOMB」なんかついアタマが動いて(止せ)。
 エンドトークの木村さん曰くの「バンド小僧」という単語も懐かしさのツボに来ました。今でも言うのかなあ、あんま言わないような気がすんなあ。そうかあ、吾郎さん好きだったか。X好きだったと言われた時ほどの驚きはないけど、同じような道通って来てるのねーと嬉しかったです。吾郎さん、に、木村さんも、掃除の時間にモップの柄を抱えて「ライブハウス武道館へよーこそ」とかやったかしら。・・やらないか(笑)。
 剛さんはもう済んだけど、あと三人、中居さん木村さん慎吾さんの選曲も楽しみです。中居さん、ブルーハーツ選びそうな気もするし、外しそうな気もするし。

 6/10の土曜日は泊まりがけで友人の結婚式に出かけてまして、ドラマ、リアルタイムで見れなかったです。
 「刺されてるわ、生徒殴ってるわ、ステキ(えっ!?)」と、予告みてからずっとそわそわしていた私ですから、式に出かける時もぐずぐず「ドラマ見たいよう、サタスマはあとでいいけど、ドラマはリアルタイムで見たいよう」と泣き言を。挙げ句には「2次会の途中で一時間くらいさぼってホテル帰っちゃおっかなー」などと血迷っていたのですが、それはなんとか思いとどまりました(当たり前)。
 6/11に帰ってきてからなんとかドラマみたんですけど、いやあ、もう、かっこよかった。よろめきました、ぐらぐらと。見終えてからしばらく、ちょっとテンション変でしたよ。そのテンションでSOPHIAのライブに出かけて、余計に訳の分からないテンションになったんですけど(笑)。
 今回はファン魂全開で風間先生中心の感想なんですが(いつもかも)、まずはその外堀、ドラマの全体的な感想を、ちょっと。
 冒頭でまず刺されて、そこから風間先生の回想の形で進むというのは良いですね。これなら通常の「風間先生視点にてナレーション」パターンで矛盾ないし。また今回はそのパターンを逆手に取った、ナレーションかと思ったら南波先生の横でほんとにしゃべっている、というの、あれにはちょっとやられた。笑ったと同時に、「そういう手法はこのドラマならではだな、うまいなー」と感心してました。
 今回も、おそらくは1時間という制限ゆえのツッコミどころもわさわさありましたけど、そのへんは流します。流せない程度ではなかったし。流せなかったのは、風間先生の英語の発音ぐらいかな。わざとでもあれで目一杯でもどっちでも、ちと(観ている私が)素に戻っちゃったよ。
 ・・うおー、きつ、文章にするときっつい言い方。すいません。でも少しくらい難癖つけないと、今回めろ過ぎて悔しいんで。・・どうして素直にメロだけで済ませられないのか私は・・つくづく・・。

 で、風間先生ね。風間先生。・・うーん、かっこよかったです。・・と言った切り、その続きがなかなか出ませんが、そう言ってばかりではなにも書けないので、なんとか言葉にしてみます(挑戦)。
 以下、「私はここをこうかっこいいと思った」、熱弁編(うざったい)。

 刺されてからの、ケータイでのデート相手とのとか、戻ってきた沙村少年との、気力と意地に支えられたかっこつけには相当やられました。どこか、自分に対して第三者の視点を置いて、冷静に見ているようなところも込みでかっこよかったです。
 刺された身体で南波先生と沙村少年がいる現場に向かった時点、ケータイを切って振り向いたキヌカ先生の視線の先にいないと判明した時点でも、かなり。いや、ドラマの流れからしたらそうなって当然なんですけど(なんてひねた見方を)、そう思っていても。
 こう、ドラマの先を「次はこう来るでしょ」と先回りして考えていて、実際その通りになった時に、それでも力尽くで感動とか動揺とかさせられた時の敗北感て、すごい気持ちいいです。ずっと見続けてきた喜び感じるというかなんというか。
 壁を手で支えて「沙村」と叫ぶところとかは、理屈抜きでかっこよかったです。でもほんとに圧巻だったのは、この後。
 「許さない」と言った言葉と、その後の言動は全然一致してない。「許さない」という言葉は、断罪の言葉だと思うんです。断罪は断罪で、そこから先はない。のに、しがみつくすがりつく手の力と、「人生には取り返しのつかないことがある」「お前は甘えているだけだ」という言葉には、「許されない人間に、その罪を認識させることによって許されるようにしてやりたい」とでもいうような熱を感じてしまった。ものすごく「先生」に見えました。
 無様ですし、余計なお世話なんです。生命を削ってすがりついても、言葉を向けても、沙村少年には届いてない。そういうの、多分アタマではわかっていると思うんですよ。それでもそうせずにはいられない衝動は、捨て身で無防備、徒手空拳の空回り。バカですよね。
 でも、そのバカさ加減を、どうしようもなくかっこいいと私は感じてしまうわけで、感動すらしてしまうわけで。
 ・・ええ、ベタ惚れです(自己申告)。

 ケンカの後倒れたり捨てられたりする定番スポットのゴミ捨て場にて、キヌカ先生に見つけてもらった後に、ぱって目を開いて、あちこちに視線やって。「そうね、無茶ね」って、熱から冷めたような口調。あれ、なんか妙にかっこよくて、「腹刺されてあんなぼこぼこ蹴られたら内臓出るだろうがー」と思っていた(思ってたんかい)のもチャラになりました。
 なんだか、薄っぺらだと思っていた見えていた層を抜けた場所に潜んでいるものを垣間見て、「にやり」って感じでした。

 ええと。「かっこいい」って、めちゃくちゃ大ざっぱに2種類に区切れると思うんですよ。「すごい、素晴らしい、かっこいい!」という、憧れたキラキラしたマナザシで見てしまうのと、「バカみたい。でも、かっこいいよ」という、哀しいとか愛おしいとか嬉しいとか苦笑とかが微妙に混じったのと、2種類。あのすがりつくシーンで感じたのは、後者の「かっこいい」でした。
 中居さんて、そういう「かっこいい」がすごく似合うなあと思うんですけど。無様なところと交互にくるかっこよさ、もしくは、無様さと同時にしか存在できない種類のかっこよさ。今回のシーンとは全然意味合いが違うんですけど、黒澤監督の「酔いどれ天使」のラスト間近で感じたのと、同じ種類・・かな。
 そういうの、中居さんすごく似合う。そして、そういうのを「かっこいい」と感じさせてくれる人って、実は結構貴重なのではないかな・・と。・・・・・・・ファン魂全開ぶっちぎりですね(笑)。
 何はともあれ、ほんといいもの見せていただきました。ありがとうございました、と、深々一礼。

 うーん、いつもながら自分で読んでもわかりにくい(おい)感想ですが、ま、そのへんはだましだましで。
 ・・ここで「だますなよ!」とつっこんでもらえるととても嬉しい私は西人間。

 同じく6/10のサタスマもすごく好きでした。この感想は次回に回すとして、新しいスカパーのCM。サッカー編なんですけど、私の初見の感想は、「おぎゃりんがいる・・・・・・・・」でした。朝っぱらから軽く倒れました。
 映像的には好み違うんですけど、でも今回はオチで笑ってしまったので、もしかしたら好きかも知れないです。ちょっと悔しい(なぜ)。


20000624(sat)

 笑えるくらい日記の更新ペースと仕事の忙しさ比例してますね、と、過去数ヶ月分を振り返って一人思う。
 月の前半は青息吐息、後半は巻き返しって感じかな。来ていただいているみなさま、一つご参考に(とか言ってないで前半もしっかり書け自分)。

 6/20にケータイ機種変しました。docomoの209iライン。いくらなんでも発売当日しかも午前中に行くかこの新し者好きは、と、自分に呆れながら行ったんですけど、ケータイe-mailの必要に迫られてまして。変更前で208(i未対応)だったので、お店のおじさんにも「もったいないですねえ」といさめられましたが、私もそう思いますスイマセン。
 imode機能はようわかりませんが、それ以外での進化って、軽量化と文字変換の賢さと着メロくらいですかね。いや着メロすごいですよ、ついこの前3和音と華々しくうたっていたのに、今度は4和音、しかも楽器が選べるんですよ、ピアノ(風)とかアコーディオン(風)とか、あまつさえ三味線(風)とか。
 こんなん自力で使いこなせるわけないわ、楽譜あってもめんどくさくてやってられるかーい、ああ単音で喜んでいた時期が懐かしい・・とかぶつぶつ言いながらも、元から入っている着メロの完成度には脱帽。とりあえず、変更前のケータイから、一曲だけ引越させました、3和音分。それ以外はおいおいと。
 引越させた一曲は「蒲田行進曲」です(わははははは)。オルガン(風)にしたらなかなかいい感じです。あとはなんとかもう1和音分入力をー(野望)。

 さて、いったいいつのだ、という、前々回、6/10のサタスマを少し。中居さんの方が、赤ちゃん企画で、終わってみたらお父さんはずうとるびの人だった!の回です(どんな回)。
 どんどん赤ちゃんとの接し方が慣れてきていて、安心度増しつつ(それでも安心しきるにははるか遠い・・)、視覚的ヒーリング効果はそのままで、かなり好きな企画なんですけど、今回はその上に「野球少年と中居さん」まで見れて、かなり幸せな回ではなかったかと。
 最近ないですよね、「野球少年と中居さん」という画。私は正直、これは中居さんであってもなくても関係なくそんなに好きではないんですけど(そういう場にテレビカメラが入るのはどんなもんか、とか、青臭いことを考えたりとかで)、それでもいざ見だしたら、中居さんの表情があまりにも好みどんぴしゃで見入ってしまうわけでして(カタナシ)。
 いい顔なんですよ、大好きな野球と、自分と同じものが好きな少年に接している時の中居さん。かなり好き(小声で主張)。
 あのオトナゲの無さにも、心底ときめきました。なんででしょう、私中居さんのヤジすごい好きなんですよ。ガラ悪ければ悪いほどトキメキポイント大加算。・・何故。
 そしてあのホームランは、小学生相手にオトナゲ無さマックス。でも、これは揶揄抜きで「かっこいいー」と思いました。
 あれねえ、もし自分のツレだとかがあれを私の目の前でやったなら、「オトナゲないー」と苦笑したかも。でも、テレビじゃないですか。あの打った時の、キラキラした嬉しそうなお子さんたちの顔、それをしっかりと見てしまいましたから。すごくいい顔だったなあ。だから、そんな顔をさせた中居さんを「かっこいいな」、と。こういう時は逆に「テレビっていいなあ」と思います。
 しかし中居さん、そうしていい場ではほんと折り目正しい態度ね。そういうとこすごい好きですね、私と母。あと、人様の名前の漢字を絶対書き間違えない、記憶があやふやな時はひらがなで書く、そういうところも。

 6/17の「伝説の教師」。またしても結婚式行ってました。そしてサタスマは、とうとうやってもた、留守録失敗。菅野さんが大変支えてくれていたようで、ああそこはそこだけは見たかった(そこだけか)。
 で、ドラマですけど。今回はわりと辛めの感想です。
 最終回に向けての序奏となる、南波先生が借金を返済でき、教員免許を持ってないのが発覚する回でしたが、それを除いたら、「伝説の17歳」事件の内容は、正直この回に持ってこなくても良かったかな、と。確かに風間先生とは事件が深く関っていましたが、食い込み方が今ひとつ浅かったかなーなどとえらそうなことを。
 6/10の風間先生刺された回(そんな言い方もどうかと)と、同じ「少年法」を真っ向から扱って、みている側に想起させた点ではこの回で正解だったかな、とは思いましたけど。
 あとタカベ「少年」が、風間先生をメインのターゲットに選んだ理由が少し甘いかなと最初思ったんですけど、それは描かれていない部分、風間先生に対してタカベ少年が持っていた期待と、それを裏切られと感じたことだとかを想像でちっと補ったら、わりとすんなり。でもやっぱり、そこをもう少し入れてほしかった、面談と卒業式後だけでなく。
 さて、辛めはここまで。次、好きな部分。
 正しい名前で呼んでもらえない、名前を覚えてもらっていなかったという失望感が引き金というの、さっき小賢しげに「理由の描き方が甘い」とか言っておいてなんですが、これは好きな部分。
 風間先生がなかなか顔と名前を思い出さないの、これは典型的な「足を踏まれた方は痛みを覚えていても、踏んだ方は気づきさえしていない」ですよね。「あの時こんなに痛かった」と言われた足を踏んだ側の人間、さぞばつが悪いでしょうな。・・なんて、完全に他人事でみてられる人なんて一人もいないですよね、なんせ「気づいてない」だけで、いつかどこかで誰かの足を踏んでるかもなんですから、誰だって。
 そういうのを突きつけられて、少しどきーとしました。そういう「どき」、私は大事だなと思っているんで、だからこれは好きな部分。
 ドラマの骨格を離れた風間先生ラブツボとしましては、やはりあれですかね、まだ直接でなくパソコンの画面を通して会話をしている時の短気加減と、「バスには生徒は乗せない」と言ったとこ。男前でしたわ。

 これを書いているのは6/24の深夜です。もう寝て起きたら最終回なんですよね。実はかなりしゅーんとなってます。寂しいし。でも早くみたい気持ちもあるし。
 中居さんのドラマで、ここまで入れ込んだのもしかして初めてかもしれない。終わるにあたって、これだけ寂しくなるほど惹きつけてくれたこと、そのことにかなり感謝ですけど、それはほんとにドラマが終わってから。今は「どうぞ良いものをみせてください」とだけ。
 ・・しかし寂しい・・。

 もう少し。6/19スマスマ、の、トリビュート。
 小田和正さん、オフコース時も含めてあまり知らないんですね私。テレビでお姿拝見した覚えも多分ないし。「伝えたいことがあるんだ」はSG持ってますけど。・・あの、「最後の恋」の主題歌で、それで(なんとなく小声)。
 SMAPさん、気合い入ってましたねえ。ウタ難しかったし、技術面言っちゃうとそりゃごにょごにょー(お茶濁し)なんですけど、どうも私そういうの全然どうでもいいタチらしくて、ただSMAPさんたちの真摯で真剣な姿に「SMAPさんいいよなあ」と思ってました。
 小田さんがちょっと踊られたとこ、あそこでぱあって中居さん笑うんですよ。そしてそれまでのかったい表情が嘘みたいないい笑顔。ちょっと不意打ちだったんで、「ゆ、油断した・・」、かなりよろめきました。
 私が中居さんの「きれいな笑顔」じゃなくて、「あーほんとに笑ってる」な笑顔をより好きなんは、「中居さん今楽しいんだな嬉しいんだな」と思うと、ほかほか幸せになるからかなー、と。・・メロすぎるかも(がっくり)。
 そして剛さん剛さん。なんだよー泣くなよー、と、おろおろしました。うん、すごい驚きました。普段けっして感動しやすい人ではないと思っているんで、余計に。驚くと同時に、すごい愛おしかったです。まあそのへんは、ツレと合同でやってます剛さんサイト(リンクページにリンク張ってます)みてやって下さい。かなり崩壊してます、ツレと共に。
 そんな剛さんの背中(多分)をどん、てしてくれた小田さん、踊ったところでもそう感じたんですけど、なんかすごいいい人なんですねえ(しみじみ)。
 あと、すごく歌うことが身体に馴染んでいる人なんだなあというの、それ強く感じました。ウタを愛して、ウタに愛されている人、そんな感じ。
 エンドトークで、なんで「おーうおー(WOH WOHが、こう聴こえるんですよ・・)」だけで感動するんだろって首ひねってましたけど、私も理由わかんないけど、確かにちょっときた。「歌っていいなあって思った」という剛さんに同意。しかし素直やなー。ほんとにそう思ってたでしょ、そう言った時(笑)。
 トークいい感じでした。ここでも節々で「小田さんいい人だー」思ってました。なんてったって、SMAPさんがすごい楽しそうで。あんなに「また来て下さい」ってみんなして言うの、あの懐き方はちょっと可愛い。ほんとにビストロに来て下さったらいいね。
 できたら「夜空ノムコウ」フルに聴きたかった。あそこまであのウタを好きだと言ってくれるのんも、なんか嬉しいですねえ。
 小田さん「5人であのウタを歌っているのが、男にはくる」みたいなこと言われてたじゃないですか。私は男女の差で感じ方が違うか否かっての、「同じだと思いたいけど、でもどこか違うかもな」と思っている口なんで、あれ聞いてちょっと悔しかったですね、「きっと全然違う聞き方見え方があるんだろうな、それを体感してみたいー」って。でもまあ女にはきっと女にしかわからないとこもあるだろうし、これは永遠に五分五分の平行線。うーん、平等(どういう感心の仕方だ)。
 ああそうだ、これはつーさんに私信。あなたに言われて、ウタラストの木村さんによる写真の中居さんの顔、あらためてみちゃいましたよ。確かに夢にみそうに怖かったです(無礼千万)。

 あと数時間したらドラマ最終回・・しんみり(湿)。野球を楽しみにしている方にはスイマセン、サタスマトーク放送希望の雨乞いしつつ寝ます。明日はドラマまで落ち着かないから美容院でも行ってきます(なーぜー)。


20000630(fri)

 そろそろ覚悟決めました、今回は「伝説の教師」について。

 これ書いている時点ですでに、終わってから5日立っているんですけど、いまだなんとなくぼんやりです。終わっちゃったんだなあ。ちょっとぽっかりかなりしんみり。
 アタマ切り替える為にもはよ日記書かねばなーと思いつつ、わりと時間はあったのに、だらだら書かずにここまで来てしまいました。一応書こうかなと思って、自宅のマシン前にちょんと座ってみたりもしましたが、思考が働かないで、はっと気づくとフリーセルやってたりしたダメ人間ぶりをここに告白。その「書こうとしては挫折」を数回繰り返して、自分のダメっぷりと同時に、いかにこのドラマを私が好きだったのかをあらためて確認しました。
 んー、確認するまでもないか。ほんと好きでした。毎週土曜日が来るのが楽しみでしょうがなくて、三ヶ月の間には仕事がえらいきつい時期も含まれてますけど、その時も「とりあえず土曜日まで生き抜くんだそしたらドラマがー」などと励みにしてみたり。結構効きました、この呪文。
 ご当人たちには、いろんなこといろんな意味でしんどいことだったと思います。でもしんどい甲斐のあるものができたと私は思うしそれで嬉しいし、ご当人たちもそう感じているんなら、もっと嬉しい。

 これ言えるの、嬉しくもありやっぱりしつこく寂しくもあり、なんですが。
 「よいものをみせていただきました。ありがとうございました」
 一礼。

 始まる前から今現在までの自分のスタンスを、日記を読み返しつつ(古いモノほどより恥ずかしく感じるのはナゼ)振り返ってみると、開始前の自分、「期待しすぎないように」と自分で自分を牽制してるのが見え見えで、そのおずおず加減が我ながらちょっと笑える。
 第一話の冒頭シーンで速攻風間先生におちたとは言え、それでもまだまだ「期待のしすぎはがっかりの元だから」とか思って用心していた気配。・・イヤなファンだ。加齢のせいかしら(いやそれだけでは)。
 それが「たとえがっかりすることがあってもいい、もう全部預けた!」と覚悟決めたのは、・・いつかなあ、やはり9話、沙村少年の回かしら。て、遅い。疑り深いにもほどが。
 でもそんな風に、ともすれば重箱の隅をつつきがちな私でさえ、実際「・・これはちょっと」と時々無口になりながらも(風間先生の「中居正広キャラ」化には頷けないですなにがあっても頑として)、それをチャラにして余りあるなにかしらが毎回あった。「風間先生かっこえーーー!」だったり、腹の底から笑えたりだったり。ああ、泣いた回も多かったなあ。もともと嬉しくても怒っても哀しくてもすぐ泣くんですけどね。

 ここからは、全体感想絡めつつの最終話への感想。

 冒頭からいきなり「中居正広キャラ」な人がいましたねフフフ(危)。なあにが「君をレッカー移動しちゃおっかなー」だ、なあにが「夏夏夏夏」だ、あれだけ私が「全部預けた!」と覚悟決めたというのに(そもそもなぜ「覚悟」)、最終回始まる前から緊張しっぱなしで、おじゃマンボウみてからはさらにそわそわ、雨天決行サタスマないとわかってがっかり、そんな純粋真っ直ぐ無邪気なファン(自称)にこの仕打ちかー!、と、軽くコブシ握り込んでました(なにをする気だったんだ)。
 南波先生がこのまま消えたら、担任昇格どころか「連帯責任」でクビになると言い渡されたとこあたりでからは指ほどけて、その後はもうそんなことなかったですけど。
 浅井さんかと思っていた借金取り氏、「南波」さん、かっこよかったなあ。ずっと私「借金取り氏と風間先生が顔合わすとしたら、どんなふうになるかな」と思っていたんですけど、すごい効果的でしたね、「今まで顔を合わせてないこと」が。緊張感がかっこよかった。

 「掛け合い」へのこだわりを感じたバスでの回想シーン(そうかその手があったかとひとしきり感心)、少し思い出し笑いをした、少し嬉しいような穏やかな顔、あれ、外部・・キヌカ先生であったり、「南波」さんであったり、他の先生方だったり、レッカー移動しちゃった彼女だったり、からの作用がない状態でのあの顔、あれが風間先生の南波先生への気持ちの現れだと思うんですよね、すごい素直な。見ていて「そうだろそうだろ」って、ちょっとこっちがほのぼのしちゃうような。
 それが外部からの干渉があった途端に、いきなり複雑になるんですよね風間先生の心の動き。「偽名を使っていた」そして「そもそも南波次郎じゃなかった」、つまり「自分は騙されていた」という事実に怒ったり、誰かが南波先生を誉めてもけなしても、どっちにも反発したり。
 風間先生の南波先生への感情は複雑です。迷惑散々かけられて、「常識で考えたら」とても好きとか尊敬できるとか思えないはず、そんなはずはない、それでもそれで済ませてしまえない何かがあるのもわかっていて、自分でそれに苛ついている、そんな感じかなあ勝手に解釈したら。
 複雑だから、南波先生かばわれたら反射的に許せないだのと言い返し、逆にけなされたら、職員室ならこそっと反論して席外しちゃったり、レッカーな彼女に嘲笑されたら、「なんにもわかんねえくせに」なんて言っちゃう。それってすごい重い言葉だな。「俺にはわかる」という言葉が隠れているんだから。
 そう口から出た瞬間に、自分でも認めたんじゃないかなあ、「自分にはわかっている」って。上っ面眺めただけでは見えない、南波先生についての大事なことを。
 気づくの遅いよなー、これだから屈折した人間は世話がかかる時間がかかる。でも、そういう迷いのあとの「わかった」って、すごい強い力がありますから。一晩中クルマで当てなく探し回る、そんな端から見たらバカみたいな力が。
 そういうのって、ああ、メロでごめんなさい、愛おしいとか思ってしまいました。
 夜の中を泣きそうな顔でクルマ走らせている時点ですでにかなり「愛おしい」ゲージ上がって、それが一気に針振り切れたのが、朝になってクルマにあたってきた南波先生を見下ろしている風間先生の顔を見た時。
 なんでそんな顔するの、その目反則、と言い残していったん倒れました。好きすぎる・・。
 路上に転がってぎゃんぎゃんわめいている、そんな情け無い姿を見せられて、怒りや困惑、それと、それでもやっぱりこの人が、こんな情け無い姿を見てもそれでもこの人は自分には必要だと認めて、それでどこか安らいだような、そういうのが短い時間に表情に目に浮かんで行くんですよ。目が離せなかった。
 中居さんの目はやっぱりいいな。すごい雄弁だったり、厚いカーテン下ろしてしまったり。財産だな中居さんの。
 などとファンの幸せに酔いしれていたら、今度はそっぽ向いて落伍者だのなんだのと「欠点」わめき出す。もう勘弁して下さいってくらいに愛おしくて再度倒れました、その素直じゃないんだか、素直過ぎるんだかわからない、「伝えたい」、そのエネルギーに。
 それ見てる聞いてる南波先生の顔もねえ、もうもう愛おしいです、揃いも揃って、バカで愛おしい。
 そして南波先生の口から出た「風間ちゃん」、これで倒れているのに更に倒れました(どうやって)。
「友情ごっこしたいんか」「そんなことしたくもねえな」にもかなりきたんですが、「風間ちゃん」、これ、ここだけでなく、今までのいろんなこと一気に思い出されて。
 何話だったっけなあ、初めて「風間ちゃん」って南波先生が言って、風間先生も「なにそれ」って反応で、みている私も「風間ちゃんてなにー」って笑っていたんですが、徐々にそれが自然な事になって、二人の関係の変化に連れてどんどん意味合いが変わってきて。
 何度もいろんな場面いろんな感情で繰り返された「風間ちゃん」、そんな引っかからずに聞き流していたはずなのに、知らぬ間に徐々に効いてきて、そこへあの「風間ちゃん」。
 そこにこもっているいろんなものを勝手に想像して、「やられた・・」。
 すごいこの二人の関係好きだなって、いいなって、そう思いました。かなり幸せな気持ちで。

 教室のシーン、大好きです。
 生徒の前、ずらずらと南波先生の嘘や不実を並べ上げていく風間先生。怒った表情で。それはそのまま教室に入ってきた先生たちに引き継がれるんですけど、どこかこの両者の言葉には、違いがある。
 先生たちのは、南波先生に向けて弾劾の言葉。でも風間先生のは、生徒へそして自分への、再確認の言葉のように感じました。
 これだけ南波先生には怒っている、怒る理由が自分には生徒にはある。それでも、この人が必要だと思うのか否か。
 そして「それでも、必要だ」、そう思う、そのことの確認作業。「やっとわかった」、そう言えるまでの作業の一つ。
 数々の欠点欠点欠点欠点、「それがどうした」、て。そこに辿り着いちゃったら、強いよね。
 そんで、人のために本気で怒れる人は強い。怒っている風間先生見て、今までの南波先生から発せられる言葉の強さの理由が、一部分だけわかった気になりました。
 キヌカ先生にはほんとにありがとうだしかし。「常識です」、そう口にするのを待つ間の高揚感は結構すごかった。そして「常識です」に背中を押されて口を開いた南波先生のまくし立て、ぞくぞくするくらい気持ちよかった。気持ちいいと同時に、それを見ている風間先生キヌカ先生そして生徒と同じように、今までのこと思い出してしんみりぼんやりしてました。
 ここに限ったことじゃないですけど、風間先生視点のナレーションすごい好きなんですけど、この場での欠点を上げていく口調、そして「まだまだ言えるぞ」にはちょっと涙出そうになりました。嬉しくても案外人間泣きそうになるもんです。
 その場で言えることは言い切って南波先生退場、そして風間先生が、「南波先生の最後の授業を終わる」と言って机を叩くとこ、お見事でした、かっこよかった。あの机の音で、過去に飛んでいた思考が現在に戻りました。そしてひとまず終わったな、そう思いました。

 その後のシーンは、一転して穏やかで、やっぱり好き。
 教師になりたいと、ゲスト陣(浜田さん木村さん)の教師を見て思い立って、あんだけ感動的に出ていった教室に入って「恥ずかしながら戻って参りました」。高校生には元ネタわからんよーと、そこからの流れにも笑って笑って、幸せな気分で。
 うん、幸せでした。すごく。
 幸せな気持ちで見終われるのって、すごい幸せなことだと思います。

 大好きでした、ほんと。あんまり書いてませんけど、キヌカ先生の「お母さん」や、風間先生のお弁当に入っていた玉子焼きの黄色、そんな部分も説明過剰でなくて、ある程度観る側にゆだねてくれているようなところも、垣間見れたのだろうか、松本さんの見せたかったもの、そして中居さん、かっこよかった、ほんとかっこよかった。
 それだから、「ほんとにありがとうございました」「お疲れさまでした」。それと、やっぱりこっちかなあ、「またお目にかかれる日があれば、嬉しいです」。

 「伝説の教師」以外のことは、今日はもういいでしょう。もう十分うざく長いし(笑)。それでも書ききったとは到底思えないんですけど、これはまあ、際限ないですから。
 読んで下さったみなさまにも、おつき合いありがとうございました。