幸村祭天王寺七坂

結婚式の楽人をしていると色んな方とお話させて頂く機会があります。最近、仲良くさせて頂いている、大阪の笙吹きの方の氏神様は、安居神社というお宮さんです。こちらのお宮で幸村祭というお祭りがあると言う事をお聞きして、早速お邪魔しました。私は神戸の人間なのでよく知らなかったのですが、安居神社の界隈は神社仏閣が多く名所や旧跡が一杯あり、古い町並みが残っています。幸村祭とは戦国時代の武将、真田幸村の慰霊祭です。慰霊祭には真田氏ゆかりの地、上田市長の代理の方や、真田家の方も参列されていました。信州の上田市では真田まつりという、お祭りが行われているそうです。

安居神社は大坂夏の陣の際、真田幸村(1567〜1615)が亡くなった場所で「真田幸村戦死跡之碑」があります。真田幸村って、人気のある戦国武将の一人ですよね〜。生き様が日本人好みですよね、私も幸村さんは印象いいです。ただ、同じ武将でも楠正成公が湊川神社で祭られているのに対して、幸村さんが祭られてないのは徳川政権が長く続いたからでしょうか。。楠公は天皇家への忠臣ですが、幸村は徳川政権にしたら思いっきり苦しめられた、敵の武将ですもんね……。なんで、幸村が豊臣方に付いたのかは勉強不足で知りませんが。。。負けるとわかっていて、全身全霊をかけて敵と戦うところが、かっちょいいよな。

祭典は11時半から始まり、知り合の方は慰霊祭は笙を吹いておられました。慰霊祭が終わると神楽奉納です。毎年、巫女舞を奉納されていて、去年は豊栄舞でしたが今年は浪速神楽の一つ、胡蝶吾妻舞を奉納されました。胡蝶吾妻舞は両手に扇を持ち、回しながら舞う神楽です。扇をクルクル回したり、ヒラヒラさせたりすると蝶が飛んでいるようです。だから、舞の名前が胡蝶吾妻舞なのかしら。お祭り前は“上手い事、扇が回せない〜”とおっしゃってましたが、上手く回せてましたよ。来年も又違う浪速神楽を奉納されるとの情報なので、今から楽しみです。祭典中、「真田幸村戦死跡之碑」にお神酒を捧げる間、境内に小鳥のさえずりが響き、蝶がツツジの周りをヒラヒラ飛んでいる様は、まるで幸村公が喜んでるように感じました。

安居神社0本殿0慰霊祭0
胡蝶吾妻舞0胡蝶吾妻舞0胡蝶吾妻舞0胡蝶吾妻舞0

神楽奉納が終わると、大阪城真田鉄砲隊の皆さんによる楽しい演舞が始まりました。幸村さんが生み出した真田流忍術、真田紐・真田からくり医薬品のシロク(漢字がわかりません、、、手の指が4本足の指は6本あるガマだそうです)のガマの油。九度山の名産だったそうです。画の油売りって話には聞いたことあるけど、ほんまに聞いたことはなかったんで、かじりついて見てしまった。。。ガマの油の威力を見せるのに、油を塗った刀が切れなくなるのは、説得力があって思わず買ってしまいそうになったわ〜(うそっ)。楽しいおしゃべりのガマの油売りの後は独楽を使った演舞。やってる人が大阪のおっちゃんなので、皆さんお話が上手くて聞き入ってしまいました。

0ガマの油売り0連発弓矢でガマを捕る?!0ゲコゲコ、ガマさん登場0真田流忍術で使うもの、手裏剣・真田紐など。
油を塗ってない刀はよく切れる0油を塗った刀が切れなくなる00独楽を使った演舞
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大阪城真田鉄砲隊の演舞の次は、大阪城甲冑隊の皆さんによる活劇です。この赤い甲冑で六文銭は真田の大阪部隊だけだそうです。活劇は大阪冬の陣真田丸(山本勘助の山城をお手本として作られた、三日月のねじろ)の戦いから、豊臣方が滅ぼされる大阪夏の陣までです。最終決戦の夏の陣では、『目指すは家康の首!家康覚悟!!』と小さい甲冑隊が勇ましく声を上げ、観客から拍手を受けてました。真剣だからよけい可愛いのです。夏の陣は、大阪城の南にある茶臼山に、赤い甲冑の真田部隊が結集し、その様は霧島ツツジが咲くが如くだったそうです。しかし、合戦が佳境になるにつれて幸村勢は劣勢になり、家康の首は捕る事が出来ず真田部隊も散りじりに。幸村公は力の限り戦い抜き、最後にこの地にたどり着き命果てました。その後、大阪城は落城し、家康により新しい幕府が誕生します。活劇が終わった後、皆で幸村公に思いをはせ黙祷を捧げました。

00大阪城甲冑隊の皆さん0大阪城甲冑隊の皆さん0大阪城甲冑隊の活劇0実写の幸村君達

安居神社0可愛い幸村君 0

武将・幸村公祭り…元和元年(1615年)5月7日
大阪夏の陣にて安居神社で討死にされた
真田幸村公を偲び御霊を慰めるため例年戦没碑
の前で執り行う、幸村祭と言われるお祭り。
【安居神社バンフ参照

00幸村祭が終わった後に天王寺七坂をめぐりをしました