天王寺七坂
幸村祭が行われた安居神社のある天王寺区内は、大阪市の中心部を南北に走る上町台地にあります
(上町台地!大学の考古の受業で習ったわ〜、懐かしい)。
天王寺区内には、その上町台地に沿って天王寺七坂と呼ばれる坂があります。
「天王寺七坂」は「真言坂」「源聖寺坂」「口縄坂」「愛染坂」「清水坂」「天神坂」「逢坂」の7つです。
↓安居神社にお邪魔するのに、地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅で降り、神社に向かう途中
「天王寺七坂」の一つ「逢坂」を通りました。ここは車が行き交う大きな道路で、ちょっとびっくり!
坂の向こうには通天閣が見えましたよ。
幸村祭が終わり神社北の「天神坂」に出て、残りの天王寺七坂めぐりをしました。0
「天神坂」の前を通り北に行くと↓「清水坂」。
名前は坂の上の清水寺から由来しています。伶人町は四天王寺の伶人さんが住んでた場所。00
「清水坂」↓の次は「愛染坂」。
愛染かつらで有名な愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)が、坂の上がり口にあります。00
愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)
聖徳太子が四天王寺に置いた四院の一つ、施薬院が始まりです。大阪で一番早い夏祭り、
大阪三大祭の一つ「愛染まつり」で知られています。縁結びで有名な霊木「愛染かつら」
や「愛染めの霊水」があり良縁を願う人の参拝が絶えません。愛染かつらで有名な愛染堂勝鬘院。
大阪では愛染さんの名で親しまれています。境内の多宝塔は大阪市内最古(1600年)の建造物で、
重要文化財に指定されています。 ただ、多宝塔は本堂の真裏にあり正面から見るとかくれているので、
知らないと見落とすかも……。最近、こちらの多宝塔がとても美しかった!と、多宝塔に凝っている男友達からタイムリーなメールが来ました。
なんでも以前ここに来て、こちらの多宝塔を写真で撮りまくったそうです。彼曰く『愛染堂って名の通り、恋愛成就
のお守りが多数ありました。でもとても高額なので購入は控えましたが、帰ってみたらそんなに散財していないので、
買っておけばよかった…。もはや神頼みしかないので…。』だって。神頼み……あかんやろっ!
若い兄ちゃんやねんから、自力でがんばらなぁ。しゃぁないな、おばちゃんが一つ恋愛成就のお守り買ったろ!
と言う事で、一つお買い上げなり〜。000
愛染堂勝鬘院の多宝塔を後に、「口縄坂」「減聖坂」「真言坂」をめざすっ!
0 ←「口縄坂」は、坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから名付けられたそうです。大阪を代表する坂として人気の坂です。
0 ←「減聖坂」
銀山寺の近くにあります。天王寺七坂の最後は生國魂神社の北にある「真言坂」。
生國魂神社は、芸能上達の神様・浄瑠璃神社、女性の守護神・鴫野神社など多くの境内社があります。
社殿は生國魂造という、全国でも珍しい桃山時代の様式が継承されています。境内には井原西鶴像や上方落語の祖
・米澤彦八の碑があります。毎年9月の彦八まつりは上方の噺家さんたちが集まって色々な催しや出店で賑わいます。
0 00 0 私が竜笛を習っている先生が毎年4月初旬に、こちらで御神楽祭で
演奏されている神社です。御神楽は夜暗くなってから蝋燭と篝火で
神秘的に行われます。毎年行けずじまいでしたが、来年はお友達と
行く約束をしました。嬉しい〜!生國魂神社の参道脇にあった時代の先駆けになった川崎孫
四郎さんと島男也さんの石碑。(右から一つ目と二つ目の写真)
時代の先駆けすぎるっちゅうねんっ(>_<)
←「真言坂」は一番北にある坂です。現在は千日前通りから生國魂神社北門までの短い坂ですが、明治末期までは北にある高津宮の参道から続く長い坂でした。かつて生國魂神社の北側には、真言宗の寺ばかり6坊があったことから「真言坂」と呼ばれたそうです。
歩いたルート
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅→逢坂→
安居神社→天神坂→清水坂→愛染坂→愛染堂
→口縄坂→減聖坂→生國魂神社→真言坂
→地下鉄谷町線谷町9丁目