オトタチバナヒメの入水伝承 Special Guest 吉岡孝悦●マリンバ・打楽器・作曲![]() |
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と き 2002年3月30日[土] 午後2時30分開演(2時開場) ところ ドーンセンターホール 大阪市中央区大手町1丁目3番49号 電話06−6910−8500 入場料 5,000円 (前売り4,000円) ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメの『愛するが故に入水自殺を計る』という伝説をもとに、その物語を箏と舞と打楽器とマリンバ、舞台上にセットされるオブジェ、映像の投影と照明、コンピューターなど、あらゆる演出によって表現する、かつて誰も試みたことのない全く新しい芸術の世界です。 プログラム 出会い―――――――――――――――――――――――――――― 「とき見るごとに」―悲篥3管のために― 三宅榛名作曲(1999)彩里京鼓振り付け 「恋唄」―13絃のための― 山口 淳作曲(2002)委嘱初演 東へ――――――――――――――――――――――――――――― 「覡(かむなぎ)」―17絃箏と打楽器のための― 西村 朗作曲(1992) 「瑪瑙(ME-NOH)5」―17絃とマリンバのために― 中澤道子作曲(1994) 走水――――――――――――――――――――――――――――― 「神威譚章(しんいたんしょう)」―13絃とマリンバのための― 吉岡孝悦作曲(2002)委嘱初演 昇天――――――――――――――――――――――――――――― 「木のあゆみ」―マリンバのために― 池辺晋一郎作曲(2001) 彩里京鼓振り付け舞初演 |
ごあいさつ 本日はオトタチバナヒメの入水伝承にご来場賜り誠にありがとうございます。 大阪府芸術劇場奨励新人と認定され早3年となります。1年目は、自分の出来ることを多角的に捉えたリサイタルを行いました。2年目は、難波の文豪近松門左衛門の傑作「アコヤ」の心情を箏と舞で表現し、一つのオリジナル作品として完成することが出来ました。 この2つの試みを更にスマートに発展させたのが、今回のオリジナル作品「オトタチバナヒメの入水伝承」でございます。 この3年間は自分の芸に向き合うことも度々あり、苦悩の日々が続いて参りました。古典芸能を始め現代音楽や創作舞踊は、時として観客と遊離しがちですが、物語というオブラートで包み、受け入れやすくするのも一つの方法ではないかと考えました。テレビや映画の中では、常に最先端の芸術も古典芸能も上手く利用されています。何かそこに、新しい創作活動がスムーズに受け入れられるヒントが隠されているのではないかと思います。 最後になりましたが、Special Guestの吉岡孝悦氏を始め、本公演を開催するにあたり、ご協力、ご支援、ご協賛、ご後援を賜りました多くの皆様方にこの場をお借りいたしまして厚くお礼申し上げます。 作品は前半と後半に大きく別れておりますので、最後までごゆるりとご鑑賞下さいますよう謹んでご案内申し上げます。 |
彩里 京鼓 |
■企画意図 新世紀を迎え平和を願う中、テロ事件・戦争・世界不況と世の中くらいニュースが多い今日において、世界中が過去の歴史に起こした悲劇を忘れることなく、平和の尊き、生命の尊厳そして愛をテーマにした作品を制作することとなりました。 邦楽器が平成14年度より中学ではその演奏が、小学校では鑑賞が義務づけられ、我々、邦楽の演奏家にとっても新しい時代を迎えることとなります。 邦楽器をただ単に演奏するだけでなく、物語を通すことにより、親しみを持って邦楽や邦舞が受け入れられることを目的としています。また、今回は洋楽器も取り入れ、いっそう聞きやすく、これは新しい試みでもあります。 今回の作品のテーマであるオトタチバナヒメは、日本神話に出てくる「ヤマトタケル」から題材を取りまた。オトタチバナヒメの一途な愛情が、海の怒りまで鎮めたという話です。オトタチバナヒメは、現在でも多くの神社で、神姫としてまつられており、瘧(おこり)を鎮める神として知られています。 人間の性(さが)・男女の心理の断層・肉親の愛情・外的要因によって一瞬のうちにその幸福が悲劇となる等人間ならば誰しもが持っている心の中の葛藤や、感情はどんなに生活が便利になり近代化しても、神話の頃から変わらない唯一のものではないでしょうか。 彩里京鼓が、箏と舞でオトタチバナヒメの心情を表し、Special Guestとして世界的マリンバ演奏家の吉岡孝悦氏に、マリンバと打楽器で共演していただくこととなりました。幼少の頃誰もが、一度は演奏経験のある、太鼓や木琴を更に発展させた楽器と、これから、学校教育で本格的に取り入れられる民族楽器との融合を目指します。また、吉岡氏には、箏とマリンバによる2重奏曲を委嘱し初演となります。さらに現在ニューヨーク在住の作曲家山口淳氏にコンピューターと箏の委嘱作品をお願いしました。そして、既存曲よりこの物語の進行に合わせて4曲を選びました。結果、篳篥と舞、コンピューターと箏、17絃と打楽器、17絃とマリンバ、箏とマリンバ、マリンバと舞とそれぞれ違った組合せ となりました。衣裳は、ドイツで20世紀初頭にシュタイナーによって開発された運動芸術である「オイリュトミー」の衣裳をモチーフにしてあり、ヘア、メイクを含め「古代と宇宙(天)」をテーマに作成しました。 舞台上には、日本古来の伝統文化の傑作でもある灯籠を設置し灯龍から漏れるほのかな明かりの中に心を写します。今回は、特別に、オイリュトミー照明の第一人者であられる飯森貴夫氏に照明をお願いし、より幻想的な癒しの世界をつくりだします。 「オトタチバナヒメの入水伝承」はただ芝居風に行われるのではなく、「アコヤ」の連作として、テーマを叙事詩的ことらえた構成で音楽と舞で表現する新しい形のパフォーマンスです。 |
■ものがたり ヤマトタケルと橘姫 ヤマトタケルは、3世紀12代景行天皇の双子の皇子の弟です。若くして九州熊襲征伐に赴き、更に東国遠征に出かけます。野火の難・オトタチバナヒメの入水などの苦難を乗り越え、東国を制し大和への帰還を目前にして伊勢野の能褒野で悲劇的な最期を遂げます。 オトタチバナヒメは、伊勢の国鈴鹿を治めていた穂積忍山宿禰の娘です。兄は、讃岐の大麻神社まもり、妹は13代天皇へ嫁いでいます。ヤマトタケルが、東征に際し、伊勢神宮を参拝した帰路に二人は出会い、恋に落ち東征に父忍山宿根と共にオトタチバナヒメも随行します。走水までの行程は、常に二人は共に戦火をくぐり抜けます。二人の間には、若建王という子供がおり、後年に九州五島列島の小値賀島にて三韓をおさえる働きをしました。 走水入水 東征の間、片時も離れず、野火の難(焼津)もヤマトタケルの草薙の剣のおかげで、助かりいよいよ相模から上総(神奈川県走水から浦賀水道を渡って、千葉へはいる)ことになりました。走水の海を船で渡ろうとしたとき、海の神が、波を荒立てた。海上の波は想像を絶する凄まじさで、幾艘かの船が奈落に滑り落ちたまま再び姿を見せない。そのときオトタチバナヒメが「私が海に入り、海の神の怒りをお鎮めいたしましょう。貴方様は使命をお果たしになりますように。」と言い、“さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火の中にたちて 問いし君はも“(相模の野原の中に、火攻めの火中で、私の身を気遣って下さった君よ。野火の難で助けていただいことに対する礼と、タケルに対する想いを秘めた歌と言う辞世の句を残し、身を翻して黒い 海底に消えてしまいました。次女たちも次々と後を追います。波がおのずと安らかになりヤマトタケルの船は走水を渡ることが出来ました。 神となったオトタチバナヒメ その後、東征を終え帰路についたヤマトタケルは伊吹山で最後を迎え、白鳥となってしまいます。吾妻山とは、ヤマトタケルが、オトタチバナヒメのことを忍んでため息をつき「ああわが妻よ」と嘆いたことが由来だと言われています。入水後あちこちにオトタチバナヒメの遺品が漂流し、人々は嘆き悲しみ、吾妻神社(神奈川県二宮町・木更津市・墨田区他)、橘神社(川崎市)他多数の神社でまつられています。また、その御陵としては諸口神社(伊豆戸田村)などがあります。そしてオトタチバナヒメは瘧(おこり:高熱など)の神様となり多くの人々に現在も愛され続けています。 参考文献:上田正昭「日本武尊」 小椋一葉「天翔る白鳥ヤマトタケル」他 |
■プログラム 出会い―――――――― 「とき見るごとに」―悲篳篥3管のために― 三宅榛名作曲(1999)彩里京鼓振り付け 舞…彩里京鼓 咲く花は うつろう時あり あしひきの 山管の根し 長くありけり 移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも 楽器演奏と、唱歌が演奏者にかせられている。2曲セットで書かれており、2曲は互いによく似た姿をしているにもかかわらず、異なるコンセプトで作曲されている。たとえば、1曲目は、楽器と歌がパラレルな関係にあり、また演奏者の互いにほかのパートのゆがんだ模倣の様々なありようで作品がかたち造られる。2曲目では、うたは楽器のパートの中に組込まれ、また演奏者は演奏を続けることで、自ら徐々に過去へと消えて行き、再び新たに生まれ出て現在とその先をつくり出して行く。 詩は万葉集から。伶楽舎からの委嘱。1999年8月20日いずみホールにて初演。 [作曲者] *本日の音源は初演時のライブ録音であり、三宅榛名様、伶楽舎様、いずみホール様のご理解とご協力のもと本日使用させていただくことが出来、深く感謝申し上げます。 [彩里] <振り付け> 現代と古代との架け橋。前半は、時代を超えても代わらぬ人間の感情を表し、現代的振り付けと古典舞踊が混在する。 後半は、愛らしきオトタチバナヒメが、ヤマトタケルと出会い、東征に随行するまでを表す。 [彩里] 「恋唄」―13絃のための― 山口 淳作曲(2002)委嘱初演 箏…彩里京鼓 MD…山口淳 箏と、コンピュータの音響合成ソフトを用いて作られた音響のための作品。私にとって、電子音を用いた作品は4作目になるが、箏を用いた作品は初めてになる。コンピュータで作られた音響は、主に尺八の音を素材にしている。演奏にあたっては、この音響を収めたMDの再生と、箏のライブ演奏が重ねられる。彩里京鼓さんから、本日のリサイタルのコンセプトを伺った際、オトタチバナヒメの一見悲恋にも見える伝説に、人間の持つことの出来る感情の中で最も人間的である「愛」のかたちの極限を思った。 ニューヨークで暮らしている私は、昨年(2001年)の9月11日、あの凄惨な米国同時多発テロの現場を間近にした。強い怒りに震えると共に、自らの無力感に苛まれ、一切の創作の筆が止まってしまった。当時書いていた作品を破棄してしまったほどであった。 そんな中、少しづつ自らを取り戻し、昨年11月より書き始めたのがこの作品である。オトタチバナヒメの愛のかたちに平和への祈りの思いを重ねあわせながら、音を作っていった。 彩里京鼓さんの委嘱により、2001年11月〜2002年1月に作曲、彼女に捧げられている。貴重な機会を下さった彩里さんに心より感謝致します。 [作曲者] 東へ―――――――― 「覡」―17絃箏と打楽器のための― 西村 朗作曲(1992) 17絃…彩里京鼓 打楽器…吉岡孝悦 これは箏と打楽器の二重奏による、導入部を持つ舞曲である。古代の東アジアにおいて、箏のような絃楽器や打楽器は、神霊をまねきよせる楽器であった。この曲の導入部は、神霊をまねく招霊の楽であり、舞曲は神霊と、人の代表である巫女(シャーマン)が、合い和して踊る振霊の楽である。 この踊りによって人は神を讃え、人は神より生命と魂の力をさずかる。そのようなイメージによっての作曲であった。 この曲の起想時、私は韓国において“力ヤグム散調”の演奏を間近に聴き、感銘を受け、この作曲のインスピレーションを得た。この舞曲の一部には、その“力ヤグム散調”のりズムと旋律が引用されている。 1992年菊地悌子氏の委嘱。 [作曲者] 「瑪瑙(ME-NOH)」―17絃とマリンバのために― 中澤道子作曲(1994) 17絃…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 この作品は、マリンバと邦楽器(琴、尺八、津軽三味線など)を用い「瑪瑙」と題して書いて来たシリーズの第5作目で、1994年に初演された作品です。歴史の浅いマリンバと云う洋楽器と、日本古来の伝統楽器との組み合わせが、意外に面白く共奏し合う事を知り、今も試行錯誤を繰り返しつつ機会あらば書き挑んでいるシリーズです。琴の中でも十七絃の音は、最も幻想的な深みを持つ楽器として私自身とても好きで興味深く、この作品では中低音を中心に、調性を持たせ乍らマリンバと17絃との響き合いを試みています。 今回「琴と舞」の素晴らしい演奏者、彩里京鼓氏と、かつてこの曲の初演者、吉岡孝悦氏のお二人に依って「オトタチバナヒメ」の物語りの中で、この作品を見事に息付かせて頂きます事、心より嬉しく感謝申し上げます。 [作曲者] 走水―――――――― 「神威譚章」―13絃とマリンバのための― 吉岡孝悦作曲(2002)委嘱初演 箏…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 東征軍が三浦半島を進む頃は上大気だった空横様が、走水へ着く頃から急に怪しくなり始めた。風雨は日一日と強くなり、一向に鎮まる様子はない。東征軍は吹きすさぶ風雨の海に乗り出すが、海上は想像を絶する凄まじさで、幾艘かの船が奈落にすべり落ちたまま再び姿を見せない。怒号も悲鳴もかき消されて行く。死の一字が電光のようにヤマトタケルの全身を走った。と、その時、傍らにいたオトタチバナヒメが決然とした面持ちで告げた。 「海神の怒りを鎮めるため、私が海に入りましょう。尊(みこと)はどうぞつつがなく使命を果たされますよう。」 そう言い終えると姫は、身を翻して黒い海底に消えた。切々たる姫の辞詠が海神の心にも届いたのだろうか。荒れ狂う風雨はおさまり、一行は奇蹟的に上総に渡ることが出来た。 この部分の新曲の委嘱を彩里京鼓さんより頂きました。 本日のプログラムのクライマックスであり、最も重要な役割を果たす部分です。 『古事記』と『日本書紀』にみえるヤマトタケル伝承を比べてみると、よく似ていますが少しずつ違うところがあります。『古事記』の方がより古い形態を伝えており、さらに西征と東征を比べると、西征の物語が早く成立したとされています。西征の物語が早くに成立し、東征の物語はより新しいと考えられていますが、そのように判断できる根拠として、東征の物語の中には『古事記』『日本書紀』 共に、伊勢神宮の神威謀(神の威光の物語)的要素があります。タイトルの『神威譚章』 は、そうしたところから由来します。 [作曲者] 昇天―――――――― 「木のあゆみ」―マリンバのために― 池辺晋一郎作曲(2001) 彩里京鼓振り付け舞初演 舞…彩里京鼓 マリンバ…吉岡孝悦 マリンバの作品を書き連ねてから、随分の時が怪った。 「モノヴァランスT」(1972)では、ほとんどまともな音が鳴らない特殊なマレットを使い、「モノヴァランスW」(1975)では指による様々な奏法を細かく指定し、「モノヴァランスY」(1977)では共鳴パイプに貼られた薄い紙がうなり音を発する「ミトラ」という変型マリンバを用いた。 すなわち、いずれも実験的傾向の強い曲であった。 吉岡氏より委嘱の依頼があってすぐに考えたのは、かつての路線をもはや踏襲しない、ということだった。何しろ本当に久しぶりのマリンバとのつきあいだ(むろんソロ以外の曲、あるいは映画などドラマの音楽でのつきあいは途絶えることがなかったが)。 驚くほど新鮮な気持ちだ。とはいえ、かつての実験路線で培ったものは当然僕のなかで生き続けている。それらすべてが集大成をなして、まさにマリンバ的な「木のあゆみ」が自然に形成されるのである。 [作曲者] 2001年10月24日吉岡孝悦ソロマリンバリサイタルプログラムより。 <振り付け> 日本の伝統的な舞踊には、ストーリーの展開や歌詞をパントマイムのように表す物(能・日舞など)と一定の動きを繰り返しすることが多い物(舞楽・雅楽・民謡など)とがある。 この曲では、ピアニシモから始まるトレモロはある何種類かの一定の動きに終始する。時として、現れるフォルテの音と共に、人間の持つ喜・怒・哀・楽が見え隠れする。全ての感情を露見し、昇華し、オトタチバナヒメ自身も天へと舞う。 [彩里] |
■出演者 彩里京鼓 (さいりきょうこ) 3才より箏、日本舞踊始める。8才より三味線を始める。1978年 日本舞踊若柳流名取(若柳京鼓)。1985年より、箏三味線を沢井忠夫氏に師事。日本舞踊を若柳松紅氏に師事。1990年 沢井箏曲院講師試験首席合格。1991年 NHK邦楽技能者育成会36期卒業。1992年 沢井箏曲院合奏ゼミナール卒業。1995年〜門下生の会隔年開催。1996年〜母若柳吉純美と親子リサイタル「舞と箏」隔年開催。1999年 大阪府芸術劇場 平成11年度奨励新人となる。2000年1月31日彩里箏舞事務所設立。3月20日彩里京鼓リサイタル「箏と舞」(イシハラホール)10月19日「アコヤ」(国立文楽劇場大ホール)7月20日〜「はじめての箏」を各地で行う。第7回全国箏曲コンクール入選。2001年6月彩里箏舞事務所Tokyo Office設立。近年では、現代音楽の委嘱初演、即興演奏、新作振り付を意欲的に行っている。 彩里箏舞事務所代表。日本音楽集団研修生。 彩里箏舞SCHOOL代表。若柳流吉純美派家元後継者。 宝塚小学校箏クラブ指導。豊中市三曲協会会員。 豊中市高齢者教養講座講師。(財)日本邦楽振興会会員。 |
■舞台オブジェ 中央:鋼鏡 オトタチバナヒメの分身となり心情を映し出す 右手:草薙の剣 左手:篝火 炎で二人の愛情を表現 |
メディア論評・・・邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」より | |
彩里京鼓、マリンバと打楽器と箏と舞による「オトタチバナヒメの入水伝承」に挑戦 3月30日・大阪市天神橋ドーンセンター 関西でユニークな活動をしている彩里京鼓が、平成十一年に大阪文楽劇場で「阿古屋」の世界に挑んだ。彼女はその年の大阪府芸術劇場奨励新人賞を獲得している。日本舞踊も、三味線も箏もやる、演出も美術も作曲も振付もと、今はやりのマルチヤングである。今年はその彩里が、作曲も兼ねるマリンバ・打楽器秦者の吉岡孝悦をスペシャルゲストに、ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメの悲劇の世界に挑戦した。 箏と洋楽との共演には苦い思い出がある。高校時代、文化祭になると吹奏楽と一緒に弾かされたのだが、丸い管楽器の音色にペンパンと琴の音が吸い込まれて悲しい思いをしたものだ。以来、共演する楽器によっては素敵な共演もあるのだと気がつくまでは見向きもしなかった。今回の「彩里京鼓箏と舞 オトタチバナヒメの入水伝承」はマリンバと打楽器の共演ということで期待が膨らんだ。オトタチバナヒメの伝説をたどりながら、全曲違う楽器との共演、映像、照明、衣装にも趣向をこらす、という意欲的な構成の舞台は私の想像をはるかに超えたものだった。 出会い―『とき見ることに』は箏と舞による物語の導入部。現代舞踊と古典舞踊が混在する構成。十三絃とコンピュータによる『恋歌』は箏の基本旋律を全く無視した正しく現代音楽である。どう受け入れたらよいのかいささか戸惑った。東へ―『覡』カムナギは正確にきざまれる打楽器のリズムと不思議な旋律の十七絃が相埃って迫力のある演奏となった。『瑪瑙』はマリンバの厚みのある響きに、十七絃の低音がうまくマッチした。この物語のクライマックスとなる、走水、『神威譚章』は、マリンバのやさしい音色が十三絃を包み込む癒しの曲。最後の昇天―『木のあゆみ』はマリンバと舞で物語は終わる。 今まで耳にしたことのない旋律で度肝を抜かれたが、しっかりとした演奏力に支えられ箏の新たな分野を拓く意欲的な演奏会であった。 学校教育に邦楽が取り入れられ、若い人が邦楽にふれる機会が増えてくる。これからは色々な試みで若者にも親しめる演奏会も必要になってこよう。しかし、どんな演奏も古曲のしっかりした基礎がなければ薄っぺらなものになってしまう。新しい分野を広げるとともに、古来からの琴の音色はしっかりと伝えていかなければならない。 (中田潤子) |
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![]() ![]() ![]() ![]() オトタチバナヒメに扮し箏を演奏する彩里京鼓(右)と共演のマリンバ・吉岡孝悦(左) |
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↓邦楽と舞踊 2002年6月号 「3月の邦楽会」(記事原文) | |
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