昔々のお話

 お盆に実家に帰って捜してみると色々出てきました。眺めていると昔のことを思い出します。

1.昔の雑誌
 少しづつ捨てられながら奇跡的に残っていた雑誌です。子供の頃、Uコン技術をダンボール箱に仕舞っておいたら、母親に捨てられて悲しい思いをしたのを思い出します。


 ’70年代後半のラジオの製作と初歩のラジオです。私が子供の頃、電子工作といえばこの2誌でした。今では初歩のラジオはもう有りませんし、ラジオの製作も何とか維持されているといった状況ですが、この頃はBCLブーム真っ盛りでかなりの割合の子供が購入していたと思います。’80年代になるとマイコン(死語)が登場して急速にそちらに移って行きました。


 ’70年代後半のラジコン技術です。子供の頃の趣味はラジコンでした。他の子供と同様によくプラモデルを作っていましたが、近所に新しく模型屋さんが出来てそこでラジコンの存在を知りました。その頃のラジコンはとても高価で小学生の小遣いではとても手に入りません。仕方がないので友達と一緒にUコンで遊んでました。(Uコンをご存知の方はもはや少ないでしょう。これでも小学校高学年には高価な遊びです。Uコンについて知りたい方は
こちらを見てください。)そのうちアルバイトしながらラジコンの無線機を手に入れました。(プロポなどと呼ぶのは新参者です。昔の人はは無線機と呼んでました。プロポーショナルシステムの前からラジコンは存在します。ちなみに「ラジコン」は増田屋の登録商標です)今でも覚えていますが4チャンネルでは一番安かったマイクロ製のスペースコマンダーG45です。これでポンコツ号ジロー(ふざけてません。本当にこの名前のラジコン飛行機でした。)を飛ばしました。さすがにアルバイトしながら 一緒にラジコンをする友達はいませんでしたので、周りは大人ばかりでした。

 現在ではラジコンはTOYのレベルになってしまいましたが、この頃はラジコン技術の名前が示すように技術の要素が残っていました。私もラジコン技術やUコン技術で飛行機の設計方法やエンジンの構造、無線機の回路など学びました。


 モデルジャーナル、75年5月創刊された模型雑誌です。’70年代は海外の雰囲気のする珍しい雑誌でした。残念ながら’70年代の物は4冊しか残ってません。’79年12月号をもってUコン技術が休刊し、モデルジャーナルに統合されました。それで’80年から毎月購入していたのですが、内容が次第にラジコンCarに席巻されてこちらも無くなってしまいました。


 色々な飛行機の雑誌です。実家にこれだけ残っていました。飛行機は好きですがどうもジェット機は好きになれませんので、第2次大戦のレシプロ機が殆どです。唯一「最後の有人戦闘機」と言われたF−104Jのみジェット機です。真中にある丸メカニック零戦は世界で唯一「栄」エンジンで飛ぶ零戦が日本に里帰りした時に出版されたものです。’78年のことですからもう22年前の事になります。この手の本は第2次大戦の飛行機が主流ですが、個人的には第1次大戦の戦闘機やシュナイダーカップレース機も好きです。どっかの出版社で発行してくれないものでしょうか?


 メカニックマガジンです。上の雑誌に比べて時代は下がって’80年代中頃の科学雑誌です。怪力戦車のところで書きましたが、この頃科学雑誌が流行しました。科学雑誌とは思えない内容もあって気に入ってました。今回捨てようとも思いましたが、読み返してみるともう20年ぐらい経って読み返すと面白そうなので保管して置く事にしました。

2.エンジン
 ラジコンやUコンで使用したエンジンです。メタノールを燃料とする2サイクルグローエンジンで、甘ったるい匂いの排気ガスを出しながら甲高い音で回ってました。


 ENYA09V、最初に購入した模型エンジンです。これで始めてUコンを飛ばしました。09はエンジン排気量0.09立方インチを表しますので約1.5ccになります。ニードルバルブが脱出しています。国内模型エンジンメーカとしては戦前からある小川精機と戦後の塩谷製作所が2大メーカですが、その他にFuji、ハイネス、ジーマーク、HGK(その他KO、ウエダなんてのもあったらしい。)がありました。なぜかこのエンジンだけ排気口が右側にあって、Uコンに使うとマフラーとニードルバルブが同じ方向になり調整しづらかったことを覚えています。W型からは排気口は他のエンジンと同じ左側になりました。


 ENYA19Xです。最初Uコンに使用してその後スロットルキャブレターに交換してラジコンに使いました。上に書いたポンコツ号のエンジンがこれです。サビもまったく出ていませんし圧縮も十分あるので、内部を洗浄すれば今でもすぐに回ると思います。


 小川精機製のエンジンです。左上がOS35H、右上がOS10FSR、左はOS40で全てラジコン用です。OS35Hは模型屋のおじさんから中古を譲ってもらったもので、’70年代の始め頃の製品でしょう。OS40は’75年頃、OS10FSRは’80年頃購入したものです。

3.その他


 中学生の時始めて作った電子工作?が残っていました。スイッチ付き、ヒューズ内臓のテーブルタップです。はんだ鏝の使うときに電源入り切りがすぐ出来るし、ヒューズが入っているので、粗大ゴミから部品を取って作った真空管アンプも安全にテスト出来るなど結構便利に使いました。他のガラクタは捨ててしまいましたが、これは実用的なので10年以上現役でした。必要な物、欲しい物を作ると云う物作りの基本がここに残ってました。


 高校生の時作った京浜電子?のステレオアンプキットです。出力8W+8Wの小さなステレオアンプですが、自分で作った事もあってか残っていました。スピーカは安い組み立てキットが売ってましたので、16cmフルレンジユニットと密閉式のエンクロージャーキットを買ってきてバックロードホーンに改造して作りました。最近バックロードホーンはまったく見なくなりましたが、その頃は結構気に入った音がしていたと思います。このスピーカは母親によって何時の間にか庭の植木鉢の台に再就職させられ天命を終えたようです。

 これは高校生の時、学校のごみ捨て場に捨ててあったSONYの卓上計算器です。キーボードの上に何か重量物を落としたらしく、鉄板でできた丈夫なキーボードのパネルが変形し、何個かのキーが潰れていました。拾って帰って潰れたキーの代わりスイッチをつけて電源を入れると動作しました。プラスチックのケースは外して捨ててしまいましたが、有効数字が14桁もある電卓なので、高校生の頃は裸のまま物理の計算など結構便利に使ってました。オールトランジスタそれもこれ専用と思われる見たことも無いトランジスタで作られており、機械的な構造も極めて頑丈です。拾って来てからも20年以上経っており製造から30年近く経つ筈ですが、未だに正常に動作します。イコールキーを押すと一所懸命計算しているんだ言わんばかりに全数字がごそごそ動いて結果を表示します。