東洋一の軍港だった呉

 私は広島県は呉で育ちました。瀬戸内の平地の少ない町ですが、その地形上の利点から戦前は軍港として機能してきました。呉海軍工廠で戦艦大和が作られたことはご存知の方も多いと思います。戦後も自衛隊の基地があるため、潜水艦などなかなか見られないものが見れます。


 パノラマ的に配置した呉湾の写真です。真中の切れてる桟橋が潜水艦艦隊の桟橋です。肝心な所が松ノ木で隠れて見えません。こんな風に使えるなら、もっと真面目に写真取っとけばよかった。戦艦大和を作ったドックはこれより右側にあります。

 この写真は’98年1月3日に撮影したものです。左の写真には8隻の潜水艦が写っています。この他の桟橋に2隻ありましたので、この日10隻は係留されていたことになります。自衛隊のことは良くは知りませんが、やはり正月は休むみたいです。機密を旨とする潜水艦が10隻も目前の桟橋でプカプカ浮いているのをみると、やはりこの国は平和だなと思います。わが国の潜水艦保有数は知りませんが、その内のかなりの数がこの日呉湾に浮かんでいたことになります。もしどこかの国に攻撃を受けたら?そんなことは想像したくありませんが!
 話を戻しますが、呉に住んでいてもこんなに沢山の潜水艦を間近に見られることは滅多にありません。近県の方で正月暇を持て余した方はいらっしゃることをお勧めします。一見の価値があります。
 右の写真は名前は忘れてしまいましたが半水中双胴船で、これも呉が母港です。写真は逆光で見難いですが、近くで見ると飛行甲板があって空母って感じがします。この程度の護衛艦でも結構威圧感はありますから、戦前の戦艦大和や空母赤城などが呉湾に浮かんだ姿は大きすぎて想像できません。
 ちなみに、私の父親は「子供の頃、憲兵の眼を盗んで戦艦大和を建造しているところを見に行った」というのを自慢してました。ギ装(漢字が出ません。舟偏に義のギです。)中だったらしく、46cm砲を上げたり下ろしたりしていたそうです。この記憶だけはちょっと羨ましいです。

 おまけとして戦争遺跡の一例。これ何の写真か分かりますか?トーチカです。トーチカといっても分からない方がほとんどでしょうから説明しますと、この中に機関銃や大砲をもって立てこもり、敵の侵入を防ぐ施設です。潜水艦桟橋の近くに残っているものです。子供の頃見た記憶がありましたので、捜してみましたらまだありました。左は海軍神社跡の階段の途中にあります。右も何かの海軍施設の跡地近くにあるのですが、何の施設跡地だったか忘れました。戦後半世紀以上経ってもこんなものが残っていました。本土決戦に備えたのしょうか?