北マリアナ諸島(ロタ&テニアン&サイパン)ローカル情報満載ファイル


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■225、フィリピン版マック「ジョリビー」
ハンバーガーとスパゲッティ・ミーソースとコーラのセットメニューサイパンにはフィリピンからの出稼ぎ労働者がたくさん住んでいる。そんな理由からだろうが、フィリピンのファーストフードチェーン店“ジョリビー”というハンバーガー屋がある。マクドナルドのフィリピン版だ。

フィリピン人達には大人気で、本国フィリピンではマクドナルドを凌ぐ人気とも言われている。主に、フィリピン国内を中心にチェーン展開されているが、アメリカ、香港、ベトナム、インドネシア、ブルネイ等にもチェーン店がある。そして、サイパンのガラパン地区にもチェーン店がある。店内はジョリビー・キャラクターのハチとシンボルカラーの赤・黄で彩られて、明るく、かわいい店内だ。子供用の遊具スペースもある。

メニューはハンバーガーやフライドチキンの他に、ご飯&おかず(アドボ・カレー等)&飲み物のセットメニュー、スパゲティーミートソース、大人版お子様ランチの様ないろいろ盛り合わせのプレート等など、たいへんバラエティーに富んでいる。また、ミリアンダ(おやつ・軽食)にぴったりな感じの具沢山スープやナチョス等もある。値段はマクドナルドよりは少し高めだが、味はフィリピン人好みの甘い味付けで美味しく、食べやすい。ランチやおやつに一度お試しあれ。

■224、チャモロ・コミュニティ in USA

今も古代チャモロ文化を継承しているベン・ロザリオマリアナのチャモロ人は何かにつけ米国本土へ出かけて行く。彼らのパスポートはUSパスポートなので、米国では米国人と同じく扱いで、滞在期間も気にせず、また、仕事も自由に選択することできる。それに、言葉も同じだ。

彼らは米国本土のことをアメリカとは呼ばずステイツ(States)と呼ぶ。この呼び方が微妙で、自分達のマリアナもUSA(合衆国)の一員だということを暗に主張しているのである。

米国本土へは出稼ぎに行ったり、親戚に会いに行ったり、学校へ行ったり等など。また、マリアナで粗相をしでかして島に居れなくなった場合にもよく出かけて行く。

ここでおもしろいのは各島のチャモロ人によって、それぞれ行く地域が大体決まっていることである。ロタのチャモロ人はほとんどがテキサス州だ。テニアンもテキサス州だが、都市が異なっている。サイパンは知らないが、グアムはカリフォルニア州と昔から相場が決っている。そして、そこには各々の島のチャモロ・コミュニティがあるという。

週末などには時々集っては各コミュニティでチャモロスタイルのBBQパーティなどを催すそうだ。そして、毎年9月にはラスベガスでロタ、テニアン、サイパン、グアムのチャモロ人たちが終結して、数日間に亘って盛大なチャモロ・フィエスタ(お祭り)を催すという。そして、この期間中は皆が休むためのチャモロハウスまで即席で造ってしまうそうだ。このフィエスタ、ぜひ見てみたいものだ。

■223、「今、そこにある危機」金正日の死

1997年からサイパン国際空港の真正面に建っている幽霊ビル北マリアナ諸島への観光客で一番に多いのは日本人、二番目は韓国人である。しかし、この度のサブプライムローン問題に端を発した金融危機(2008年10月)で韓国経済が悪化し、韓国通貨ウォンが米ドルに対して30%ほど下落している。もちろん、株価も30〜40%ほど下落している。

韓国経済悪化と同時に、これまで順調に伸びてきていた北マリアナ諸島における韓国人観光客数に陰りが見え始めてきた。また、これまで韓国投資家はホテルやゴルフ場の買収等々の投資も非常に積極的であった。しかし、これに関しても陰りが見え始めてきた。お隣のグアムではすでに韓国の投資家はほとんど撤退してしまっている。以前から韓国の投資家は何か起こると撤退が素早いのが特徴だ。

1997年にジョージ・ソロス(ヘッジファンド)が仕掛けたアジア通貨危機で韓国経済が破綻した時、韓国人観光客はピタッと来なくなり、韓国の投資家たちは建設中のホテルさえも途中で放り出して帰国してしまった。その後始末にマリアナ政府は苦慮したものだ。その当時の様子を物語る建設途中のセメントむき出しのホテルが今もサイパン国際空港の真正面に幽霊ビルのように建っている。

しかし、北朝鮮の独裁者金正日が死ぬとマリアナ観光産業への影響は1997年のアジア通貨危機当時の比ではない。なぜなら、北からの大勢の難民流入や北への緊急経済援助で韓国経済は混乱し、疲弊してしまうからだ。こうなると、韓国からの観光客はゼロになることは確実である。もちろん、投資も全てゼロになる。そして、「今、そこにある危機」の原因となる金正日の死は確実にそこまでやって来ている。

アジア通貨危機の時はIMF(国際通貨基金)の支援で比較的早く経済復興を成し遂げ、3年ほど後には観光客は戻ってきた。しかし、「今、そこにある危機」の場合は、この状態がもっと長期間に亘って続くことになる。5年、いや10年くらい続くかも知れない。この辺の対応策をマリアナ政府や政治家は早急に練っておく必要がある。

しかし、おそらく、現時点でそんなことは誰一人考えていないだろう。それがチャモロ人気質というものだ。また、韓国マーケット(韓国人観光客)を主に相手にしているホテルや現地旅行社、それに、韓国人投資家の現地パートナーも要注意だ。利益は早め早めに確保しておく方が安全だ。「今、そこにある危機」への対応が急がれる。

■222、憩いの場「ファーム」

週末をファームで過ごす島民たち北マリアナ諸島では中流以上の人たちのほとんどがファーム(農場)を所有している。それは所有地のジャングルを開拓したもので、バナナ、ヤシの木、カラマンシー(=シークアサー)、タロイモ、ヤムイモ、サツマイモ、カンコン(=空芯菜)、パパイヤ、ホットペッパー(激辛唐辛子)、パイナップル、マンゴーなどを栽培している。

さらに、牛や豚やニワトリなどの家畜も放し飼い状態で飼っている。家畜の餌はファームで採れたヤシの実やバナナやそこらへんに生えている草でまかなわれる。家畜用に飼料を買うことは決してない。これらの作物や家畜は自宅用である。だから、ファームがあれば、ほとんど自給自足状態で生活することができる。

ファームの使い方は食料の生産場としてだけではない。憩いの場にもなっている。敷地内に質素な家屋があって、週末にはファミリーが集まってBBQ(バーベキュー)をしながらビールを飲んで、朝から晩までノンビリと過ごすのである。これは娯楽の少ない島民たちの昔ながらのファームの楽しみ方なのである。ちょっとした別荘といったところである。我々日本人から見ると羨ましい限りだ。

ここでの農作物の栽培方法がおもしろい。日本のように同じ種類の作物を一箇所に畝などを作って効率的に植えるのではない。広い敷地内に野菜やフルーツがあちらこちらに点々と植えてある。世話もほとんどしない。なすがまま状態である。だから、我々には畑ではなくジャングルのように見える。最初に訪れた時は効率の悪い農法だと思ったのだが、これが理に適った農薬を使わない自然農法なのだ。マリアナでは昔から一切農薬は使わない。ファミリーの食べる分があればいいので、労力やカネの掛かる効率的な農業は必要ないのである。南の島らしいノンビリした農法だ。

■221、ジャングルに卵??

ロタ島のジャングルで見つけた野性のニワトリの卵マリアナ諸島のジャングルを歩いていると、時々足元に卵が転がっていることがある。野生のニワトリが産み落としたものだ。これは日本で売られている無精卵と違って有精卵なのである。すなわち、この卵は親鳥が温めるとヒヨコに孵るのである。もちろん、食べることもでき、味は美味しい。

以前にも触れたが、マリアナ諸島には野生のニワトリがたくさん生息している。親鳥が小さなヒヨコを連れて道端を歩いている風景をよく見かけることがある。これらのニワトリは少し小さめでスリムだ。そのため、空を飛ぶことができる。空を飛ぶニワトリは珍しいということで、かつてはイギリスの新聞に取上げられたことがあるくらいだ。

しかし、空を飛ぶと言ってもカモメのように大空を舞うというのではなく、羽ばたいて高い木の枝へ舞い上がることができる程度である。それでも危険回避には十分な能力だ。陸上での動きも猫のように敏捷だ。だから、野犬や野良猫などにやられることは滅多にない。また、マリアナ諸島には卵の天敵であるヘビが生息していないのも、野生のニワトリが生存できている大きな理由だ。

島民たちはこれらの野生のニワトリのことを「ワイルド・チキン」と呼ぶ。BBQ(バーベキュー)にしたら、肉が香ばしく、脂身が少なく、抜群に美味しいそうだ。スーパーで売られている冷凍チキンとは比べ物にならないそうだ。因みに、牛は「ビーフ」、豚は「ポーク」と呼ぶ。非常にストレートな表現である。島民たちはこれらの動物を「肉の塊」としか捉えていないようだ。

■220、ちょっとお得な「Happy Hour」

ロタ島の道路脇で見かけた「ハッピーアワー」の看板日本ではあまりポピュラーではないが、マリアナ諸島では「ハッピーアワー」と云う習慣が島民の間に定着している。それは、ホテルのバーやレストランやカフェ、街中のバーやレストランやカフェやビーチハウスなどで午後4時前後頃から7時前後のディナータイムまでの時間帯に限って、アルコールやソフトドリンク、それに、おつまみ等々がお値打ち料金で提供されるというもの。

日本の社会では、この夕方の忙しい時間帯にバーやレストランでまったりとビールを飲むなんてことは社会通念上許されない。しかし、北マリアナ諸島では、政府観光局を除いて全てのガバメント(政府機関)は4時に仕事が引ける。だから、仕事帰りにちょっと一杯ということで「ハッピーアワー」という習慣がポピュラーなのである。

因みに、政府観光局の就業時間は朝8時〜夕方5時である。その他の公務員は朝7時〜夕方4時である。もちろん、観光客も利用できるので、ぜひ、「ハッピーアワー」を活用されてみては。

■219、ロシアのオイルマネーとサイパン

ビーチで遊ぶロシア人ファミリー昨年辺りからサイパンでロシア人観光客が目立つようになってきた。サイパンへ来ているロシア人のほとんどが超の付く裕福層だ。これは近年の原油高によるオイルマネーでロシア人がリッチになったという証だ。

ロシアからサイパンへの就航便はない。自家用ジェットや特別チャーター便でやってくる超リッチなロシア人もいるが、それ以外は韓国トランジットでサイパンへやって来るのが一般的なルートとなっている。

サイパンはロシア人がビザ無しで訪れることができる唯一の米国なのである。普通のロシア人はビザ無しで米国領へは入国できない。すなわち、我々日本人のように簡単に米国へ観光旅行に行くことができないのである。彼らにとって米国旅行はたいへんなステイタスなのである。観光目的で米国ビザを申請しても普通のロシア人には下りないのが実情だ。それゆえ、すぐ隣の米国領グアムへは入国することはできないのである。

現在のサイパン(北マリアナ諸島)はUSテリトリーではあるが、米国ではないという中途半端なポジション(米国自治領)にある。但し、来年の2009年6月1日からは入国に関して米国連邦法が施行され、米国本土と同様の扱いになることが決まっている。

驚くことに、今年に入ってサイパンで別荘として立派な邸宅を購入しているロシア人もいる。オイルマネーのなせる業だ。数年前には想像すらできなかったことだ。ロシアのオイルマネーだけでなく、9・11やイラク戦争時の緊迫感、さらに、韓国の経済破綻や中国の台頭等々、サイパンは小さな島だが世界の現状を生でリアルタイムに見せてくれるのがおもしろい。

■218、ロタ・チャーター直行便運航

チャーター便からロタ空港滑走路に降り立つ観光客2008年4月27日早朝1:33に成田空港から乗客175名を乗せたダイレクト便がロタ空港に到着した。これはKNT(近畿日本ツーリスト)がコンチネンタル航空の機材を使って仕立てたものだ。というより、KNTのサイパン支社PDI(パシフィック・デベロップメント・インク)が仕掛けたプロジェクトと云ったほうが正確だ。

日本からダイレクト便がロタ空港に降り立つのは、実に20数年ぶりの出来事である。1980年代、パウパウホテルが元気だった頃、日本から200名ほどダイバーを乗せたチャーター便が飛んだことがあった。それ以来の出来事である。

ロタ空港ではロタ市長ジョセフ・イノスやマリアナ政府観光局長ペリー・テノリオ等々の歓迎、それに、地元の子供達による貝殻で作った歓迎のレイ、ロタの美味しい水「ロタ・クリスタル」のプレゼント・・等々、熱烈な歓迎が行なわれた。そして、空港待合室で市長イノスの歓迎スピーチが10分間ほどあり、その間に乗客の荷物が宿泊ホテル毎に仕分けされていたという手際のよさ。心配されていた入国審査もスムーズに終わり、空港からホテルまでの送迎もスムーズで、到着から約1時間後にはホテルの部屋に入ることができた。さすが、「やる時はやる、チャモロ」である。

ロタ島が中型機を受け入れるのは容易ではない。この日に照準を合わせて、滑走路の延長工事をしたり、タラップを購入したり、特別車両を購入したり等など、時間とカネをかけ、準備万端で、4月27日のチャーター便を迎えたのである。

また、数日前からこの日のためにロタ観光局とロタ市役所の職員達が協力して、道端の草を刈ったり、ゴミを拾ったり、花を植えたり・・・等々、歓迎の気持ちを込めて忙しく働いたそうだ。ロタ観光局長トミ−曰く、「忙しいけど、日本から大勢の観光客が来てくれるのは嬉しい。このプロイジェクトを実施してくれたPDIに感謝したい。」と話してくれた。

そして、チャーター・フライトの第一便で行った友人から、帰国後、「チャーターで行ったロタは楽しかったよ。よく働いたチャモロ人に120点をあげたいくらい。」と連絡があった。そのことをトミーに知らせてやると、「そう、それは良かった。ありがとう。」と嬉しそうだった。ロタのような産業のない島では「観光客が来て、初めてなんぼの世界」なのである。

この時ばかりは、ダイビング・ショップもお客さんでいっぱい、一日に6回もボートを出したという。セレナで働くマーク・マイケルもお客さんがたくさん来て忙しかったが、忙しい方が島に活気があって良いと話してくれた。さらに、トンガカフェや東京苑などのレストランもお客さんでいっぱいだったそうだ。

また、いかにもロタ島らしい話をひとつ。ロタ市長イノスがチャーター便で訪れた観光客に歓迎の意味を込めて、個人的にビーチでバーベキュー(BBQ)を振舞ったそうだ。しかし、前もって何のアナウンスもしていなかったので、観光客はほとんど来なかったそうだ。そうして、この企画は見事に“こけた”のである。可愛そうなイノス。しかし、この持て成しの気持ちが嬉しい。これがロタ島民の真骨頂「ロタ・ホスピタリティ」なのだ。

ロタの人が作るBBQは掛け値なしに美味い。日本で食べるBBQとは一味も二味も違う。機会があれば、ぜひトライしてみられては。

ゴールデンウィークの期間中に170名ほどを乗せたチャーター便が計3回飛ぶ。そして、その内の何割かの人がロタ・ファンになるだろう。とにかく、この度のロタ・チャーター便プロジェクトは大成功だった。今後も継続して欲しいものである。

■217、三浦騒動に見るチャモロ人気質

ジョーのTシャツの左胸にあるポリス・シールの刺繍サイパン国際空港にて三浦和義が拘束され、サイパン拘置所に収監されてから約3週間が過ぎた3月13日に「タガマン2008」大会の開催でサイパンに行った。そして、意外な人物から三浦騒動にまつわるレアな話を聞くことができた。

大会翌日16日(日)夕方、ジェームス・サントスの家でバーベキューをご馳走になり、その男と出会った。“ジョー”というその男はジェームスのたくさんいる親戚の一人、但し、KFCロタメンバーのジョー・サントスではない。サイパンにはジョーという名は掃いて捨てるほどいる。彼には過去にも何度か会っていたので顔は知っていた。その日は、ジェームスが三浦話を聞かせるためにわざわざ呼んでくれたものだ。

そのジョーは、何と、三浦和義が収監されている拘置所の警察官だった。彼の持っている情報は日本のマスコミにとっては宝の山みたいなモノである。三浦和義がいる房は2〜3畳の広さで、通常は囚人2人が入るらしいが、三浦は1人で入っていると言う。小さい2段ベッドがあるだけで、トイレは付いていない。トイレの時は左右に2人の刑務官が付き添って行き、“何時何分、うんち、おしっこ”と記録し、その様子も見ているそうだ。(双方とも嫌だろうな・・)


三浦は拘留されている拘置所さらに、彼は空港での拘束に繋がる最初のファックスをロス市警から受け取った男でもあった。その内容は“サイパン空港にて、出国の際、カズヨシ・ミウラ、ジャパニーズ(男)を拘束せよ。27年前のロサンゼルスにおいての妻殺人容疑で・・・”このファックスを読んだ彼は、“27年も前の事件・・? 殺人って!”とびっくりして、すぐに上官にそのファックスを持って行ったそうだ。そして、このファックスがすべての事の始まりで、現在に至る・・・という訳だ。

こんな出来事がサイパンで起こったことは前代未聞で普段のんびりしたチャモロ人達は困惑している様子。サイパンでは殺人事件は滅多になく、ましてや、チャモロ人の頭には計画殺人や保険金殺人という観念は全くない。酒の上でのケンカが原因で死亡することが時々あるくらいだ。

拘束直後、最初に三浦の持ち物を調べたところ、クレジットカードを含むカード類は40枚以上、現金は日本円でも札束で、ドル紙幣でも札束で持っており、数えたけれど、数え切れないほどたくさん(ここでは金額は伏せることにする)でびっくりしたそうだ。“とにかく、とってもお金持ちなんだ”と思ったそうだ。

27年も前の殺人容疑・・・彼らに知らされているのは、これだけである。ロス疑惑のことはほとんど知らない。だから、“三浦さんはとっても物静かで、おとなしい人。暴れたりしないし、英語はあまりしゃべれない。けど、話しかける言葉は柔らかいし、日本人だし、いい人なんじゃないかな・・・”と感じているようだ。すなわち、チャモロ人たちは三浦びいきなのである。

犯人なのかどうなのかわからないけど・・・この前提のもとに、元来がとても親日家であるチャモロ人達は“三浦さん”と必ず“さん”づけで呼んでいる。彼らは好意を持っている日本人には“さん”付けで呼ぶ。

“でも、ロサンゼルスのシュワルツネッガー知事もサイパンのフィテアル知事も移送書類にサインしているし、やっぱり悪い人なのかな?”“う〜ん、でも、ロサンゼルスに行かないで、サイパンにいればいいのに・・・”等々、複雑な心境のようだ。

また。三浦和義がサイパンで拘束されているということで、サイパンでは予想もしなかった経済効果にあやかっているという事実がある。


駐車場のメディアのテント村私たちも滞在中に2度ほどススペの刑務所(裁判所の裏手にある)を見に行った。その正面にある駐車場には日本メディア各局が中継基地のテントを数張り張っていて、衛星アンテナやパソコンがセットされている。まるで小さなテント村のようだ。ひとつのテントに週末は2〜3人、月曜日から金曜日の裁判所が開いている時は5〜6人ものスタッフが待機しているらしい。(こんな状況をサイパンでかつて誰も見たこともないという)

各ホテルにも、各局のスタッフが宿泊している。観光客が激減しているサイパンでは、長くホテルに宿泊し、レンタカーもたくさん借りてくれる。滞在中は飲食もする。観光客ではないので、デューティーフリーで買い物をしたり、オプショナルツアー等で観光やダイビング等に行くことはないが、サイパンにとっては、多くのメリットがある。

先ず、駐車場にあるメディアのテントや大きなパラボラアンテナ等々を見張るガードマンがテレビ局から雇われている。さらに、放送や中継がある時などは、メディアの人たちは刑務所前から離れることが出来ない。だから。レストランやストアー等で食べ物や飲み物を調達しくる現地の人が必要になる。もちろん、それ相当の日当が支払われる。さらに、日本のメディアのほとんどは海外では運転禁止という社則がある。そのため現地ドライバーが必要になる。彼らの日当は200ドル〜300ドルと云う。サイパンでは高額だ。さらにもっと驚いたことに、マスコミのための現地コーディネーターに友人のニッキーが活躍していると聞く。人脈があり、英語も日本語も堪能な彼には天職のような仕事だと思う。


日本に映像を送る衛星アンテナ「小さなデジタルカメラを渡すから、それで房の中の三浦和義の姿を撮って来たら、一枚15000ドル(=150万円)で買う。」とメディアの人達から持ち掛けられたと、ジョーはビックリした顔で話す。ジョーだけではなく他の刑務官達も同じような声をかけられたという。チャモロは体は大きいが気の弱い人達なので、余りの高額にビビッてしまって断ったのだ。サイパンでは日本流儀は通じない。

日本のマスコミはチャモロ人の扱いを知らない。こんな場合には無報酬でお願いするか、或いは、100ドルほどで交渉すれば、房の中の写真くらい簡単に手に入ったものを・・・。

3月19日の審理で人身保護請求が認められた為、次回の審理予定である5月28日まで三浦和義はサイパンにいる事になりそうだ。ふって沸いた“三浦和義バブルin SAIPAN”は当分続きそうだ。

■216、三浦拘束騒動、その後

三浦の周りによく見た顔ぶれがTVに映る。時には、KFCのTシャツを着た者も・・・この騒動が起こってから10日ほど経った。今、サイパンのローカル(チャモロ人)たちの間では三浦拘束騒動はすでにトーンダウンに向かっている。もう裁判所へ騒ぎを見物に出かけることもないと言う。最初の頃は、チャモロ人たちは三浦が拘束された原因「ロス疑惑」がどんな事件なのかを知らなかった。日本のマスコミが大勢やって来て騒ぐので、何事が起こったのかと思い、野次馬根性で裁判所へ見物に出かけたりしていた。

しかし、今では彼らも「三浦は保険金目当てに妻を殺害した疑惑の男」ということをよく知っている。そして、ロス市警やFBIがこれほどまでに騒ぐのだから、三浦は本当に殺っているのだろうと思っていると話す。(日本人だって、そう思っている)

彼らは「チャモロ社会では保険金目当てに妻を殺害するというタイプの犯罪は存在しないし、チャモロ的には理解できない」と話す。サイパンでは過去に、この種の犯罪は起こったことがないと言う。チャモロにとっては思いつかない種類の犯罪だそうだ。保険金殺人という犯罪はチャモロ人にとって衝撃だったと話す。確かに、サイパンで手の込んだ知能犯と言うのはあまり聞かない。ほとんどがアルコールや選挙応援が原因のストレートな犯罪ばかりだ。

また、この騒動は意外な方向に発展した。それはこの事件を、サイパン知事が米国政府に「サイパンの国境警備の鉄壁さ」を訴える絶好の材料に使ったことである。以前から米国政府やグアムからサイパンの国境警備の甘さを指摘され続けてきた。それはサイパンから小型ボートで中国人がグアムに密航する事件が跡を絶たないからだ。しかし、この度、空港イミグレーションで手配中の三浦を首尾よく拘束したことで、サイパンの国境警備システムは有効に働いていることが証明できたと知事は述べている。しかし、米国政府はボートによるグアムへの密航を何とかしろと言っているのだ。

■215、続ロス疑惑(三浦和義拘束)騒動 in Saipan
サイパン国際空港の出国チェックインカウンターかつて日本中を騒がせたロス疑惑事件が、27年の時を経て、今頃(2008年2月)サイパンで再燃するなんて・・、驚きである。ホントに、世の中、何が起こるか分からないものである。

KFCネットワークを使って、今、サイパンを騒がせている「続ロス疑惑騒動」の様子をちょっと探ってみた。

サイパンのローカルたちの間でも、23日に突然発生した三浦拘束事件で話題がもちきりだそうだ。日本からの取材陣もたくさん押し寄せてきている。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、NHK、フジTV、テレビ朝日等々、日本の主要メディアのほとんどが取材に訪れている。総勢50〜60名のスタッフが来島していると話す。そして、彼らはススペ地区にある裁判所に三浦審議の傍聴のため集まっている。

サイパンの人々は、こんなに大勢のメディアが日本から訪れたのは2005年6月の天皇訪問以来の事だと驚いているとも話す。そして、サイパンの観光にとっては、メディアであろうが、誰であろうが日本人が大勢訪れてくれてたいへん良いことだ、ラッキーなことだと云う。

まさか三浦和義もサイパンの観光に一役買うことになるとは夢にも思っていなかっただろう。それに、日本国内のメディアでも連日の「三浦拘束」報道で“サイパン”と云う単語が連呼されている。これだけでも話題性が生じ、プロモーション効果は相当にある。サイパンにとっては“棚からぼた餅”である。

ここで、ちょっと気になっている質問をしてみた。このようなケースの場合は、入国時に拘束するのが一般的、普段のんびりしているチャモロ人だから、きっとうっかり入国させてしまったのだろうなあと思って、「どうして入国時に拘束しなかったの?」と尋ねてみた。すると、19日の入国時にはロス市警からサイパン当局へ“三浦拘束の要請”は届いていなかったと云う。だから、入国審査時には係官のディスプレイに何のメッセージも表示されなかったと云う。ということは、ロス市警は三浦がサイパンへ入国したことを確認してから“三浦拘束の要請”を発したようだ。てっきり、サイパンのおっとりした入管がミスして入国させてしまったのだろうと思っていた。

そんな事情があって、三浦を拘束したのは、出国時のノースウェスト航空のチェックイン・カウンターで荷物を預けた後、2階入口にあるパスポート・コントロールの時点だと云う。ローカルの係官はいつものようにパスポートを読み取り機に当てた。ところ、突然、目の前の画面に“凶悪殺人容疑者、直ちに拘束せよ”というめーッセージが表示された。これに驚いたローカルの係官は、直にオフィスに連絡して応援を呼んで拘束したという。こんな画面が表示されることは初めてなので、三浦以上に、ローカル係官がビックリしたそうだ。また、この係官は表示されたメッセージ通り三浦を第一級の危険な凶悪犯と思い込み、その場で暴れはしないかと超ビビったそうだ。如何にも人のいいチャモロらしい反応だ。

26日のTVによると、三浦は、サイパンは米国本土ではなから米国司法当局は自分に手を出せないと高を括っていたようだ。しかし、それは三浦の大きなミスだ。米国自治領というモノを知らなかったのが原因だ。出入国管理権などの一部の法律を除いては、ほとんど全てにおいて米国の法律がサイパン(北マリアナ諸島)に適用されている。平たく言うと、米国の植民地的立場にある。そのため、サイパン政府は米国からの要請を断わることはできないのである。

こんなケースはサイパンでは初のケース。ロス市警に身柄を移送するかどうかの司法手続きが、今後サイパンで行なわれる。担当判事は白人(米国人)であるが、司法長官はローカルのチャモロ人である。どんな結末になるのか、誰にも分からないのが本当のところだ。

■214、ランニャ〜、サイパン!

テニアンの大規模新カジノ建設が予定されている敷地からの風景2008年2月始め、グアムの友人からサイパンにとっては頭の痛い話を聞いた。その内容と云うのは、2008年1月中旬にグアム島のアッパータモン地区にあるカラオケ・ラウンジで2人の中国人女性とその経営者が逮捕されたという。逮捕容疑は売春だ。これだけならよくある話で、グアム島自身の問題として処理されオシマイになるはずだが・・。しかし、この事件の特異性は2人の中国人女性がサイパンからグアムに密入国している点にある。

サイパンとグアムは近い。距離にして200km弱しかない。海も比較的穏やかだ。小型ボートであれば、サイパンからテニアン、ロタ伝いにグアムまで簡単に行くことができる。しかし、幾ら簡単だと云っても女2人だけでは無理だ。これにはサイパンからグアムへの密航を手助けする良からぬ組織が絡んでいる。過去には、年間1000人もの密航者が逮捕され、グアムの収容所が足りなくなるという問題が起こったほどだ。この密航者のほとんどが中国人である。

以前にも触れたが、この手の密航事件は米国連邦政府、グアム、サイパンにとって頭の痛い問題となっている。原因はサイパン(北マリアナ諸島政府)の持つ出入国管理制度の緩さにある。9・11NYテロ以降、米国連邦政府は米国本土へのテロリスト潜入を警戒して、サイパンの出入国管理制度を是正し、ある程度、グアムのそれに近いものにしようとしている。すなわち、サイパンを足がかりにして、米国本土へのテロリストの潜入を懸念しているのである。グアムは米国本土と同じく出入国管理においては厳しい連邦法が布かれている。

しかし、北マリアナ諸島にはすでに多くの外国人出稼ぎ労働者がいるため、彼らの処遇を巡ってなかなかうまくことが運んでいない。米国準州のグアムと違い北マリアナ諸島は米国自治領という地位にあるため、出入国管理の権限は北マリアナ政府自身が持っている。それゆえ、米国本土が入国を厳しく規制している中国人だろうが、ロシア人だろうが、北朝鮮人だろうが、イスラム圏の人間だろうが、簡単に入国できるのである。今になって、これがそもそもの間違いであると米国連邦政府は主張しているのである。この問題を巡っては北マリアナ諸島内でも賛否両論があってすんなりとは行っていないのが現状である。

この問題の決着如何では北マリアナ諸島から現存の中国系資本の撤退と云うこともあり得る。今、計画されているテニアンでの中国系資本による総額50億ドルと云うビッグ・プロジェクト新カジノ建設プロジェクトも出入国管理権の行方を見守っている状態である。グアムと同様の連邦法が布かれたら、このプロジェクトは頓挫する可能性が高い。

因みに、「ランニャ〜」とは「どうしようもない間抜けな奴」という意味の現地語である。

■213、原油高騰に苦しむマリアナ

高騰を続けるガソリン価格を掲げながら営業するガソリンスタンド北マリアナ諸島にとっても、日本と同じように近年の原油高騰は島民たちの生活に重く伸し掛かっている。マリアナの島々ではエネルギーの100%を石油に依存している。そして、最も大切なエネルギー源である電力は重油を原料とする火力発電で賄われている。その為、当然、原油が騰がれば、その分だけ電気代が上がることになる。2001年の9・11NYテロ以前の安かった頃と比べると電気代は約2倍にもなっている。

そんな電気代に関して驚くようなエピソードがある。何と、サイパン国際空港が電気代滞納で電気の供給が止められたこともあると聞く。如何にも、ゆる〜いサイパンらしい。

マリアナの人たちの生活は全て電力に依存しているといっても過言ではない。炊事をするにも一般家庭は全て電気コンロに頼っている。レストランなどで一部ガスコンロを使っている所もあるが、そんなものは微々たるものである。また、暑いので汗をよくかく、その結果、頻繁に洗濯をする。それも電気を必要とする洗濯機を使う。スコールが多いので、乾かすのも乾燥機を使うのが一般的になっている。さらに、暑いのでエアコンは必要不可欠である。そして、彼らはオフィスでもスーパーでも空港内でもどこでも必要以上にギンギンに冷やす傾向がある。

今、島民たちの電気代節約手段はエアコンの節約が一般的である。炊事や洗濯は節約の仕様がない。だから、エアコンを使わないようにしたり、設定温度を高くしたりしている。一般家庭は、一日中点けっ放しにしていたエアコンを就寝前だけにしたり、オフィスやスーパーでは、エアコンの温度を高めに設定したり、点けないなど苦慮している。しかし、常夏のマリアナではエアコンを点けないとカビが生えるので、全く点けないというわけにはいかない。

さらに、奇抜な手を打っている。これは原油の高騰だけが直接原因ではない(政府の財政難が根底にある)が、ガバメント(政府)・オフィスも隔週の金曜日には全ての部署(一部警察や消防は除く)を休みにしている。全ガバメント・オフィスが月に2日休むことによる電気代や車両ガソリン代の節約は非常に大きいものがある。もし、日本で平日に役所が休んでしまうとたいへんな騒ぎになるが、これまたゆる〜いマリアナではさして島民の生活に影響は出ていない。不思議だ。

ガソリン代も電気代と同じく一昔前の約2倍に高騰している。公共交通機関のないマリアナではマイカーが島民たちの唯一の移動手段だ。隣の家に行くにも車を使う習慣がある彼らにとって、ガソリン高騰はたいへん厳しいと溢す。今では、島民たちは以前のように気分転換にドライブするような無駄な運転はしないそうだ。でも、相変わらず隣の家へは車で行くと言う。どこか変だ。

■212、チャモロ・ホスピタリティー“Chamorro Hospitality”

美味しいよ、食べる〜?どんな辞書でも、インターネットでも検索できないが、北マリアナ諸島には“チャモロ・ホスピタリティー”なる言葉がある。ロタに行くとそれが“ロタ・ホスピタリティー”となる。テニアンに行くと“テニアン・ホスピタリティー”となる。

チャモロ人の最も大切にしている考え方は“Respect”、すなわち、人や物など全てもものを敬い、尊重するという考え方だ。ホスピタリティーは、この“Respect”の考えが根本にあって、更に、“訪れる人をおもてなししよう、楽しませよう、親切にしよう”とするものだ。事実、長年付き合っているが、チャモロは本当にホスピタリティーの塊のような民族だ。訪れる人をおもてなしする事、楽しませる事に全総力を注ぐと言っても過言ではない。採算などは度外視だ。

では、どうすれば、この“ホスピタリティー”に接することができるかというと、ロタに行けばよい。すれ違う車同士は必ず手を挙げて、挨拶をする。それが例え見ず知らずの観光客であってもだ。思わず、「あれ、知り合いかなぁ?」と思ってしまう。空港から町に向かう道路にあるウエルカム・ゲートには“HOME OF THE HANDWAVES ”という言葉が堂々と掲げられているほどだ。

また、美味しいマンゴーが食べたいと言えば、食べ切れないほど山と持ってきてくれる。風邪気味だと云えば、農場からカラマンシー(シークアサー)を摘んで来て、ビタミンCいっぱいのジュースを作ってくれる。腹が減って死にそうだと言えば、どこからか食べ物を、これまた山と持って来てくれる。レンタカーがパンクして困っていると、通りすがりのポリスが手伝って直してくれる。ロブスターが食いたいと言えば、潜って獲って来てくれる。ビーチに行けば、バーベキューをしているチャモロ人が「バーベキュー食べる?」と声を掛けてくる。これら数え上げたら切がない。

それがさらに島民の誇りである「ロタブルー・トライアスロン大会」の時になると力が入る。頼んでもいないのに「暑くて大変だし、お腹がすくだろうし、疲れるだろうから・・・」といって、エイド・ステーションにバーベキューを用意し、マッサージチェアを持ってきたり、家の水道からホースをつないで、シャワーを作ったりする。これはすべて誰かの依頼ではなく、“おもてなししよう”として、自発的に行なわれているのである。今では、エイドステーションのバーベキューはロタブルー・トライアスロンの名物となっている。また、準備作業をしていると、ポリスがパトカーでランチをデリバリーしてくれることもある。

トライアスロン実行委員会のミーティングでも、誰がメイヤーになろうが、チェアマンになろうが必ず「ロタ・ホスピタリティーを発揮してがんばるように・・・」と、さらに「大会期間中は自転車に注意して運転するように。困っている選手を見たら、手助けするように。」と言うスピーチがなされる。そして、この気持ちを下々の島民に至るまで皆が持っているのがロタだ。

もしも、“ホスピタリティー・ワールドカップ”があったら、ロタの金メダル、テニアンの銀メダルは間違いない。銅メダルは・・・?

■211、究極のチャモロ・メディシン“ダオク・オイル”と“アセントン・ガップガップ”

左からアセントン・ガップガップ、ココナッツ・オイル、ダオク・オイル昔からチャモロ・メディシンとして、ノニやココナッツ・オイルや野生ニガウリの新芽はよく知られているが、それ以外にもよく効く薬(薬草)がある。

その代表的なものは、南太平洋の島々に広く生育するタマヌ(Tamanu)の木の実から抽出して作られるオイルである。 その木はマリアナ諸島では“ダオク”(Dao'k)と呼ばれており、ピンポン玉のような形の緑色の実をたくさんつける。この実がダオクの実である。

因みに、ハワイでは“カマニ”、タヒチでは“タマヌ”、マダカスカルでは“ホラハ”と呼ばれ、これらの地域でも昔から薬効効果の高い治療薬として珍重されている。

この“ダオク・オイル”はマリアナ諸島でも“チャモロ・メディシン”の代表格として珍重されている貴重なオイルで、たいへん高価な値段で取引されている。薬効効果が高いこともさることながら、抽出するのにたいへんな手間隙を要するためである。香水ビン程度の小さなビン入りで20〜30ドル前後もする。

“ダオク・オイル”にはリノール酸、オレイン酸、パルテミン酸、ステアリン酸等の脂肪酸が含まれ、肌の保護・保湿として顔や全身の皮膚、赤ちゃんのおむつかぶれ等に用いられる。日焼け後のケアにも効果的だ。また、傷の修復として、切り傷、火傷、虫刺され等にも用いられる。循環促進、鎮静、消炎、抗ウイルス等の働きがあると言われている。

この他にも、“アセントン・ガップガップ”(Asenton Gapgap)という治療薬ある。これはマリアナ諸島に生息するある種の芋のデンプンから採った白い粉状のもので、小麦粉のように見える。使用方法は、小さじ半分程に、同量程の酢を入れ、お湯で溶かして飲む。効能は、肺や心臓に良いと言われている。ぜんそくや呼吸が苦しい等の呼吸器系、また、心臓の動悸がする時に飲まれている。無味無臭で飲みやすい。

これらのチャモロ・メディシンは、マリアナ諸島の中でも、今ではロタ島でしか手に入らない。ロタ空港で買うことができる。

■210、ワイルド・コーヒー

カルボさんと胸丈のコーヒーの若木ロタやサイパンでは、かつての日本統治時代にコーヒー栽培が盛んに行なわれれていた。そして、コーヒー豆がたくさん収穫されていたことは、今ではほとんど知られていない。しかし、何と、その当時のコーヒーの木が生き残り、今なおひっそりと栽培され続けているのである。

ロタ島テネト村にあるロタ動物園(Rota Zoo)に行けば、お手軽にその時代のコーヒーの木に触れることができる。その敷地内の一部にはコーヒーの若木が栽培されており、観光客は5ドル支払うと、自分の名前の付いたコーヒーの若木を植えることができる。

大きいものでも人の胸丈くらいしかない。それでも、この敷地内で、彼の家族が一年間飲むくらいの量は収穫できるという。自家製コーヒーとは何と贅沢なことか。コーヒー通には堪らない魅力だ。豆だけでなく、コーヒー豆を覆っている薄皮を乾燥させて作るお茶はメチャクチャ美味いとオーナーのカルボさんは話してくれた。「コーヒー茶」とでも呼ぼうか、そんなものは生産農家でしか飲めない貴重な代物である。また、ロタにあるコーヒーの木は2種類あって、大きな実を付けるものと、小さいけどたくさんの実を付けるものとがあるそうだ。

ロタ動物園のオーナーはビアート・カルボさん。彼の話によると、戦前・戦中の日本統治下時代、日本人たちはコーヒーだけでなく、カカオ豆の栽培もしていたと言う。さらに、米を持ち込み、今のガガニフルーツファーム辺りで栽培されていたという。ロタで米が採れたのであるのである。すごい話だ。

カルボさん宅のコーヒー豆。11月中旬のもの。その当時のロタ産コーヒー豆は高品質で、日本人と地元チャモロ人が共同で大々的に栽培し、流通させていたと言う。また、ロタで採れたカカオ豆が日本に送られ、日本のチョコレートの原料に使われていた事もあったという。カルボさんも子供の頃はココアをよく飲んだものだと話してくれた。
(パラオでも日本時代に日本人がカカオ豆を栽培し、それが日本のチョコレートの原料になっていたと聞いた。)

ロタの土壌も、気候も、コーヒー栽培には適しており、島の一大産業となっていた時代もあったと言う。当時は多くの家でコーヒーを栽培し、それで生計が立てていた。お陰でチャモロ人たちは皆経済的に恵まれ、貧富の差もなく、今よりもずっと裕福だったと話す。日本統治時代のロタは最も豊かな時代だったと話す。日本人としてはちょっと誇りに感じる瞬間だ。

戦後約60年間、誰も栽培しなくなってしまったコーヒーは大きな台風等でダメージを受けては、また、独力で再生するという過程をジャングルの中で人知れず繰り返してきた。そして、今もジャングルの中で、ひっそりと生き続けている。感動的な話だ。12月頃には赤い実を付ける。未だに、ジャングルの中には自生しているワイルド・コーヒーがたくさんあると話す。

彼は、今、もし資金があれば、ジャングルに生き残っているコーヒーの木を使って、当時のような大規模コーヒー農園をやってみたいと話していた。

■209、美味いミカン、タンジェリン

ジューシーで美味しいタンジェリン北マリアナ諸島には年間を通して柑橘類が豊富に実る。それらの中でも料理に重宝がられるのはレモンとカラマンシーである。レモンと言っても、日本のスーパーで見かける黄色い楕円形のものではなく、グリーンで丸い形のものが多い。チャモロ人はそれをローカルレモンと呼んでいる。それも、ロタ産、テニアン産、サイパン産とそれぞれ形も味も微妙に違う。我々には同じに見えるのだが、地元チャモロ人にはその違いが分かるという。不思議だ。絞って、焼き魚にかけたり、刺身にかけたり、焼酎に入れたりして使う。

カラマンシーはキンカン程度の大きさで、地元料理にはなくてはならぬ存在だ。マリアナで最もポピュラーなタレ(ソース)であるフィナデニには必要不可欠なものとなっている。また、そのまま絞ってジュースにしても、アイスティーに入れても美味しい。これは沖縄ではシークワサーと呼ばれているものと同じものだ。クエン酸たっぷりのフルーツだ。島の人たちは風邪を引くと、これをドーンと100個ほど一度に絞って砂糖を加え、ジュースにして飲む。風邪の特効薬だそうだ。我々も現地で風邪をひくと、このジュースを作ってもらうことにしている。因みに、カラマンシーとはフィリピン名である。

さらに、美味しいオレンジも豊富に実る。オレンジはグレープフルーツを一回り小さくした大きさで、マリアナの柑橘類の中では一番大きい。これも表面の皮はグリーンをしている。熱帯の強烈な日差しの所為か、マリアナの柑橘類は皆グリーンである。

柑橘類の中でもそのまま食べて最も美味しいのはタンジェリンと呼ばれる柑橘類である。日本の一般的なミカン(日本のミカンも英語でタンジェリンと云う)に近い。表面はオレンジ色ではなく、グリーン色をしている。中身の子袋は三日月形というよりも水分を思い切り蓄えて、パンパンに膨れ上がり、楕円形に近い形に変形している。口に入れると、その水分が風船を割ったように子袋からパッと飛び出してくる。熱帯のスコールの水をいっぱい吸い上げて蓄えているように感じる。その水分量は日本のミカンの2倍は優に含まれていると思われる。味も日本のミカンによく似ており、日本のミカンよりも多少酸味が少ないように感じるが、個人的には日本のミカンよりもジューシーで美味いと思う。サイパンの朝市などで新鮮なものが売られていることが多い。5個ほどで1ドル程度と格安。見かけたら、ぜひ試してみて下さい。しかし、何故だか、グアム島ではかつて見たことがない。グアムにはないのかもしれない。

■208、韓国人パワーと中国人パワー

巨大なウォーターワールドを備えたワールド・リゾート今(2007年11月)、サイパンを訪れる観光客に大きな変化が起こっている。以前と比べて日本人観光客が大きく減少し、それに反して韓国人観光客が大きく増加した。さらに、中国人やロシア人の観光客も増えてきた。すなわち、日本人観光客だけが減少傾向にある。年を追うごとにこの傾向が顕著になってきている。

サイパン・ワールド・リゾートとパシフィック・アイランド・クラブ(PIC)は韓国人観光客が集中して泊まっている。正確な数字は分からないが、印象からはほとんどの客が韓国人ではないかと思う。だから、今、サイパンで最も活気があるホテルはこの二つホテルのように感じる。

また、サイパン・グランド・ホテルには中国人観光客が集中して泊まっている。ロビーではあちらこちらから中国語が聞こえてくる。このホテルも宿泊客のほとんどが中国人ではないかと思ってしまうくらいである。中国人客のマナーはまだまだ低い。ロビーでもレストランでも修学旅行生のように騒々しい。かつての日本も海外旅行=農協の団体と思われていた頃は同じだったのだろう。国家が成熟するまでは仕方がないことかもしれない。因みに、サイパン(北マリアナ諸島)は中国人が旅行できる唯一のアメリカ圏なのである。

日本人客はその他のホテルに泊まっているようだが、その数は以前と比べて明らかに少ない。繁華街のガラパン地区にも日本人は少なく感じる。寂しい限りだ。政府観光局の渡航者数データは日本人観光客が一番多いとなっているのだが・・・?現地で発行されている日本人向け無料ガイドブック月刊「HAFADAI」も9月号からハングル文字が見られるようになった。このことは如何に韓国人観光客が増加しているを示している。

それに反して、グアム島を訪れる観光客の大部分は日本人で、その数も桁違いに多い。繁華街タモン地区の通りは日本人観光客で溢れかえっている。

我々日本人の目からみれば、サイパンもグアムも同じような南の島と思われ勝ちだが、全く違う雰囲気を持っているのが面白い。

■207、ランニャ〜、チャイニーズ

廃墟と化したラ・フィエスタ・サンロケ近頃(2007年)、日本と同じくサイパンでも金属ドロボウに頭を悩ませている。主に狙われたのは価値の高い銅線である。山麓部の井戸から地下水を汲み上げるためのモーターへ電力を送る送電線が大量に盗まれた。この影響で断水する地区が多く出て、島中の至る所で水道から水が出なくなった。事情が分かるまで、島民達は何が起こったのが分からずパニックに陥ったそうだ。山麓部にある送電線は人目がないため比較的盗み易い。

しかし、その後間もなく、人目の多い街中にある生きた送電線までが堂々と盗まれるようになった。電流の流れている生きた電線を電柱に登って切断して盗むとは大胆不敵なドロボウである。感電しなかったのだろうか? その結果、街は停電になり、住民の生活に大きく支障を来たすことになった。これには政府も本腰を挙げて対策に乗り出した。そして、その盗品を購入した廃品業者を検挙した。この業者はサイパンに住む中国人で、実行犯の金属ドロボウも中国人だった。そして、これらの金属はやはり発展著しい中国へ送られるものだったのである。

さらに、島民を驚かせたのはホテル・ニッコーの向かいにあり、今では廃墟となっているラ・フィエスタ・サンロケ・ショッピングセンター敷地内にある金属という金属を全てごっそりと盗まれるという事件が起こった。このショッピングセンターは景気の良かった頃にJALが開発造成したもので、広い敷地にショッピングモールを建て、多い時には約100店舗ほどのテナントが入り、かつては日本からの観光客で賑わっていた所だ。今となっては「おごれる者、久しからず。」という言葉を実感できる空間だ。ここを狙ったドロボウは頭が良い。一度に多くの金属を効率よく入手できるからだ。この大胆不敵な犯行には島民たちはびっくり仰天したという。

良い悪いに係わらず、こんな小さな島にまで中国発展の影響が及んでいるのには驚きである。この話をしてくれたチャモロ人たちは口々に「ランニャ〜、チャイニーズ」と連呼していた。

* “ランニャ〜”とはチャモロ語で“あ〜ぁ、しょうがねえなぁ”という意味で、学校では使ってはいけない悪い言葉に指定されている。

■206、入りづらい店構え
暗〜い店構えのスーパーマーケット北マリアナ諸島のローカル・レストランや小さなスーパーマーケットは一見とても胡散臭く感じる。特に観光客を相手にしていないような地元の店はそうだ。何故かというと、店構えが暗〜い感じで、知らない人だとちょっと入りづらいからだ。

バーやクラブでもないのに、薄暗く、外からは営業しているのかどうかさえも分からない。また、何屋さんなのかも分からない。外から内部を覗くこともできない。表のガラスや入口のドアにミーラー・フィルムやブラック・フィルムを全面に貼ってあるからだ。これだと安心して入れない。日本人の感覚だと、お客さんが安心して入りやすいように外見を明るい雰囲気にしたり、感じの良い看板を出したり・・・と工夫するのだが、ここマリアナでは“お客さんが入りやすいように、外から見えるように・・・”と、こういう感覚があまりない。

その理由を聞くと、単に日差しが強く暑いから貼ってあるそうだ。冷房の節約にもなるそうだ。ちょっと、勇気をだして、入ってみるとフレンドリーでとても感じのいい店がほとんどだ。因みに、グアム島でも全く同じだ。

■205、Moon FlowerとNever Mind !

昼間の花の閉じたムーン・フラワーある日の夕方、いつものようにサイパンでのKFCバーベキュー処であるジェームス・サントス家へ行った時、ジェームスが庭から薄黄色の小さな花を取って来た。とても良い香りで、「なんていう花?」と聞くと「ムーン・フラワー」と答えた。

あまり良い香りだったので、日本に帰ってからジェームスに「ムーン・フラワーについて教えて」と言うと、ジェームスは 「ムーン・フラワーってサイパンにはいっぱいあるけど、どれ?」 と言った。 「えっ、いっぱいあるの・・?」 「ジェームスの家の中庭にある花だよ…?」 結局、この花は、“ジャスミン” の一種ということが分かった。一応、チャモロ名は“Damma de Noche”という。

サイパンの乾季である2〜6月の夜だけにしか咲かない。そして、あの甘〜い、良い香りは夜の花が咲いている時にしか匂わない。日中、花の開いていない時は香らない。調べてみたら、“ジャスミン”といわれるものは、モクセイ科ソケイ属で、亜熱帯地域を主に約300種もあるそうだ。“マリアナソケイ”といわれる種類もあるそうだが、ジェームスの家のモノは、サイパン(サイパンはマリアナ諸島に属す)だけど、“マリアナソケイ”ではなさそうだ。

もっと詳しく知りたいが・・・、そう言えば、地元チャモロ人に聞けば、島に咲いている花は、皆「アイランド・フラワー」と言い、夜咲いていれば、皆「ムーン・フラワー」、鳥ならば、皆「アイランド・バード」、海鳥だと思えば、皆「シー・バード」と、こんな具合である。 

あぁ、そうだった。この人達は何かにつけこうだった。チャモロの世界では、そんな細かしいことは “気にしない” いつでも、なんでも“ネバー・マインド!” なのだ。

【追記】
マリアナ(サイパン・ロタ・テニアン)に行くと、必ず、サイパンにあるジェームス家の中庭で美味しいバーベキューをご馳走になるという嬉しい「掟」が何年も前から定着している。街のレストランでは味わえないような気持ちの篭もったご馳走ばかりである。

しかし、この場はご馳走処以外にも大切な意味を持つ。KFCの数ある貴重なローカル情報収集場の一つとなのである。この「#204」のムーン・フラワーのような他愛無いマリアナの風俗習慣からシリアスな人種問題、イミグレーション(入国管理権)、外交、政策、経済、財政に至るまで、何でも御座れである。

時には、政治家や担当部署の役人を呼んでもらって話を聞くこともある。必要な場合は、わざわざ他島から話が聞ける人に来てもらう場合もある。外国で何かをする場合は、例えそれがマリアナと言えども、現地情報収集は何よりも大切な仕事と捉えている。

■204、サイパンのゆる〜いTシャツ工場
KFC担当のジュン・マンポーテ、ちょっと頼りないKFCの各イベントで使うイベント・グッズ(TシャツやCapなど)はサイパンにある“ISLAND APPAREL(アイランド・アパレル)”という衣料品会社にいつも注文して作っている。この会社との関わりは古く、もう10年以上になる。南の島のアバウトさ故か、注文通りに仕上がることもあるが、そうでない時も多々ある。それなのに、会社を変えないのは何故かと云うと、それは、そこで働いている従業員たちに、どこか憎めない処があるからである。従業員のほとんどがフィリピンからの出稼ぎ労働者だ。

注文の仕方は、手元(日本)にあるカタログ(この会社が発行しているもの)からTシャツなどの“モノ”を先に注文する。続いて、デザインをインターネットで送るのである。そして、現地に行った時、完成した“モノ”をピックアップするという段取りである。

代金の支払いは品物と引換に支払っている。通常の支払いは50%を先に支払い、残金は品物と引換に支払うのだが、KFCは全て後払いでOKという暗黙のルールが出来上がっている。年間に数回はコンスタントに注文している。多い時では一回の注文で2000個ほど(日本のイベント向けの場合)の注文をする。彼らにとっては、KFCは上得意客なのである。

KFC担当はマネージャーのジュン・マンポーテである。彼もフィリピンからの出稼ぎの一人である。我々が品物をピックアップに訪れると、顔はニコニコしているのだが、その目はいつも心無し緊張している。それは完成品にミスがあった場合の我々の反応を心配してのことである。ここでも大西は切れやすいタイプの人間と誤解されているようだ。10年ほど前、大きなミスがあった時、怒りを爆発させた。その時のインパクトが強過ぎたようで、今でも、担当者が代っても、それが社内で代々語り継がれている。KFCには気を付けろと。

特に外国では、ミスや怠慢に対して怒りを爆発させることは非常に大切である。日本人は温和な民族で、多少のことでは怒らないと思われている節がある。これでは外国人になめられてしまい、後々その国(島)で物事がうまく進まない。最初が肝心で、最初に大きなミスをした時、強く叱らなくてはならない。

今ではジュンもよき友人の一人である。時間がある時は、ちょっと洒落たレストランへランチを食べに連れて行く。連れて行くといっても、勘定を支払うのはジュンなのである。もっと詳しく云うと、2005年に顧客とのランチョン・ミーティング(昼ごはんを食べながら商談すること)は会社からその費用が支払われるというシステムになったのである。このシステムが導入された時、ジュンは嬉しそうに我々にこそっとそれを告げた。だから、「ランチョン・ミーティングに行こう」と誘ってやるとジュンは喜ぶのである。我々も喜ぶ。

先ず、彼のオフィスに入ると、奥の工場から仕上がっている品物が詰った段ボール箱を持って来る。そこから1枚を取り出して、ミスがないかどうかを入念にチェックする。ミスがなければ、お金を支払って取引が無事完了となる。ところが、いつも順調に事が運ぶとは限らない。

2006年度版ロタブルー・トライアスロン用Tシャツ我々が品物をチェックしている間、ジュンはじっと息を殺して待っている。チェックというのは、デザインにミス・プリントがないかどうかを調べているのである。ここはTシャツなどの品物を外国から輸入して、それにデザインだけをプリントして販売する加工会社なのである。

ミスが見つかった場合は、我々がそれについてしゃべる前に、オロオロしながら「Just a moment, please !」と言いながら奥に消える。そして、専属のデザイナーや工場長と相談し、対応策を相談しに行くのである。その結果、些細なミスの場合で、我々が許してくれるだろうと踏んだ時は、値引き交渉で許しを乞うと云うお決まりの姑息なパターンに出て来る。しかし、重要なミスの場合は、やり直しか、納得のいく訂正をしないと、我々は治まらないことを彼らは過去の経験からよく承知している。

でも、実は、南の島サイパンでは何事においてもゆる〜いのが日常、だから、多少のミスは最初から織り込み済みなのである。ミスがあった場合、彼らがどのような言い訳をするか、或いは、どんな奇抜な対応策をとるのか、内心ちょっと楽しみにしている。Tシャツくらいで心底本気で怒っているわけではない。

2006年版ロタブルー・トライアスロン大会用Tシャツを発注した時、次のような出来事があった。
KFCのURL(ホームページアドレス)で“kfc”とするべき処を“ffc”とミス・プリントしていた。これはもう過去何十回もプリントしているのに、今更“なぜ?”という感じだ。このミスにはジュンも驚いたようで、ポカンと口を開けてしばらく固まっていた。これは重要なミスの部類に入ることはジュンも承知している。この時夕方の5時頃だったので「明日の昼までに作り直しできなかったら、担当者変えるよ」と言うと、ジュンは「やる。」と言った。この時の発注枚数は430枚、これら全部を廃棄処分して作り直すのは可哀想だな、と思いながらも、でも、今後のためには、ここでしっかり学習させておかなくてはダメなのである。

ここで働くフィリピン人従業員たちは、ミスは多いが、素直で、手先がとても器用なので、大慌てで、すぐに直し作業に入った。白色Tシャツは、衣類用インク消しゴムのようなもので、“f”を消して、その狭いスペースに“k”を上手にプリントした。彼らにこんなすごい技術があるとは驚いた。−−やれば、できるじゃん!−−色物Tシャツは、その手が使えないので、URLの文字全体を白く塗りつぶし、その上に正しいURLをプリントした。それも手作業で一つひとつやるのである。翌日は土曜日だったが、休日返上で、正午までにキッチリ作業を済ませた。約束の時間にピックアップに行くと、案の定、ちょっと自慢げに「できているよ。」とジュン。自慢できることでは全然ないのに、よく分からん奴だ。

こんなに手先が器用で、すぐできるなら、最初からノー・ミスでやればいいのに、といつも思う。どこか抜けているが、憎めない奴らである。後日、ジュンをランチョン・ミーティングに誘い出してやった。

■203、魚屋がないマリアナ
引き潮で逃げ送れたヒラアジをゲット、これの刺身は超美味い!北マリアナ諸島やグアムは周りを海に囲まれた小さな島である。そこにある海で泳いだり、潜ったりしただけでも、色とりどりの熱帯魚に混じって“おいしそうな”魚もいっぱい泳いでいる。しかし、北マリアナ諸島やグアムには“漁業”という業種は存在しない。そして、いわゆる、“魚屋さん”もない。スーパーマーケットに行けば、魚は売っているが、ほとんどが冷凍の輸入品で“鮮魚”が売られていることはほとんどない。

島の人たちが魚をあまり食べないとか、生では食べないということではない。魚は大好きで、特に、焼いたり、揚げたりしてよく食べる。また、刺身には目がない。醤油にワサビを日本人の倍ほど入れて、人によっては、更にホットペッパーまでたっぷり入れて食べる。チャモロ語でも“SASHIMI”というほど親しまれている。

では、刺身にしたりする新鮮な魚はどうするかというと、自分たちで“獲ってくる”のである。マリアナには日本で言う漁船はないが、6人乗り程度の小型ボートを持っている人はたくさんいる。また、ボートがなくとも浜辺から釣り糸を垂らせば、小ぶりのアジなど食べられるリーフフィッシュは簡単に獲ることができる。さらに、引き潮のリーフを歩けば、サザエやタコ、逃げ遅れた魚などを簡単に獲ることもできる。

泳ぐことはあまり得意ではないチャモロ人だが、素潜りで潜ることが超得意(かる〜く10mは潜る)な人はたくさんいる。彼らはスピア(水中銃)を持ってスピア・フィッシングをする。仕事が終わった後でも、気軽に出掛ける。スピアではロブスター(日本で言う伊勢えび)やタコ、その他リーフ・フィッシュが面白い程獲れる。また、スピアを持っていない時でも、素潜りでロブスターやタコを見つければ“力技”で獲ってくる。

タコの場合は、本当に力が要る。彼らが“タコハウス”と呼ぶ狭いサンゴの間に入っているタコを力ずくで引っ張り出して、素早く、頭(正確には腹部)の皮をひっくり返す。これでタコは一巻の終わり、動かなくなる。1mくらいあるタコでも力でグイっと引っ張り出してしまう。チャモロ人の腕は丸太ん棒のように太く、腕っ節はメチャクチャ強い。(我々日本人にはタコを引っ張り出すなんて、到底できない芸当である。)

そうやって、“食べる時”に獲りに行くので、まさに“鮮魚”である。そして、思いのほか獲れすぎてしまうと、ホテルやレストランに売りに行ったり、朝市などで売ったり、道端で立って売っていたりして、小遣い稼ぎをする。

夜のおかずに獲って来た大漁のカツオチャモロ人の中で大きく分けて、海が得意な“海派”の人と、山やジャングルでヤシガニや鹿を獲るのが得意な“山派”の人がいる。トライアスロンのパーティーや島のフィエスタ等々で大きな魚(マグロ、シーラ、季節によってはカツオ、サワラ、尾長ダイなど)が必要な時には、島民の中でも皆がその実力を認めている、いわゆる、“フィッシャーマン”と呼ばれるチャモロがトローリングで獲りに行く。それも小さなボートで外洋に出て行く。

“フィッシャーマン”は視力の良いチャモロ人の中でも、特に視力が良く、魚群探知機などないが、その視力と経験から海上や陸上からでも、何処にどの程度の魚がいるかがわかるのである。数km先の海面を読むことができるという。かつて、こんなことがあった。岸から遥か沖を見つめながら、「海上に魚が飛び跳ねている!」と指を指すのだが、我々には水平線しか見えないのである。

さらに圧巻なのは、ロタ島やテニアン島で、トライアスロンのパーティに合わせて、「刺身にして美味しい2m大のキハダマグロを2尾と2m大の尾長タイを1尾を獲って来い。」というメイヤー(市長)のリクエストに応え、その指示通りにパーティー会場に新鮮な2mのキハダマグロと2m弱の尾長ダイの刺身がデーンと並んでいたことである。要求された魚を、要求された日に合わせて獲ってくることなど、誰にでもできるという芸当ではない。普段はおっとりしていても、さすが「やる時は、やる!チャモロ人」である。チャモロの真骨頂がここにある。

■202、お気に入りの「癒しの空間」

緑の樹木でできた見事なトンネル北マリアナ諸島をドライブしていると、息を呑むような美しい景色に出会うことは多々ある。その中でも、KFC的ベスト・ワンはロタ島のテネト村からガガニフルーツ園へ行く途中にある切り通しから日本時代の大砲が置いてある辺りの道だ。

この辺りの道が他と違う処は、そこから見る景色の素晴しさだけでなく、濃い緑の樹木の枝や葉っぱが、まるでトンネルを造るかのようにすっぽりと頭上にまで覆い被さっている点にある。樹木の葉っぱが強い日差しを遮ってくれ、お陰で、涼しく気持ちがいい。お気に入りの「癒しの空間」だ。マリアナ諸島(グアム、サイパン、テニアン、ロタ)広しと言えども、こんな安らいだ気分にしてくれる場所はここ以外にはない。

また、その道は海から20mほどの崖上にあり、そこからの見える景色は、眼下にロタブルーの海、その背後にはロタ島のランドマークであるウェイディング・ケーキ・マウンテンの濃い緑、上方には青い空という具合で、誰もが息を呑む絶景である。

癒しの空間から見た風景そして、驚くなかれ、この道は、かつてこの島に住んでいた日本人が造った道なのである。太平洋戦争以前の日本統治時代にサトウキビを運搬するために造ったトロッコ機関車用の鉄道だったのである。太平洋戦争が終わった後、そのレールを引き剥がして、自動車が通れるようにしたのが現在の道である。だから、今も道幅は車が一台通れるくらいの幅しかない。現在は舗装されているが、2004年までは未舗装の道だった。そして、この道は1994年から「ロタブルー・トライアスロン」のランコースになっており、参加者に人気の道である。



ロタ島は島自体が癒しの島として有名である。飛行場から一歩外にでると誰もがそれを感じるという。それは我々がそうであるように、目の前に広がる濃い緑が訪れる人にそれを感じさせるのだろうと思う。

2002年頃、次のような笑える話があった。米国のある宗教団体の教祖がロタ島をたいへん気に入ってしまった。その理由は、ロタ島の樹木や空気から強い癒しのパワーを感じるという胡散臭いものだった。そして、ロタ島全部を買いたいという申し出が当時の市長にあった。島民はこれまで通り島に残り、宗教団体と一緒に暮らすということである。当然、莫大な金額が提示された。その当時、市長にその宗教団体から提出されたロタ島改造計画の青写真を見せてもらったことがある。これはロタ島の東西南北と外周にモノレールを走らせるという壮大なプランだった。6ヶ月間ほど、島民達の賛成派と反対派が対立していた時期があった。もちろん、こんな胡散臭い話は消えてしまったが・・。

■201、大胆奇抜な大物釣り!
切り立った崖をもつ荒々しい風景のアスマンモス岬シーラ(マヒマヒ)などの大物釣りをする場合は、沖にボートを出してトローリングで釣るのが一般的と思われがちである。確かに、北マリアナ諸島を訪れる観光客は皆この方法でカジキマグロなどの大物釣りに挑戦する。しかし、島民たち皆が観光客がレンタルするような立派なトローリング・ボートを持っている訳ではない。

では、そのような島民たちは、どのようにして大物を獲るのだろうか。それはロタ島のアスマンモス岬やテニアン島の牛岬のように切り立った崖の上(絶壁)から海に糸を投げて釣るのである。そのような場所はスグ下は荒々しい深い海になっているため、大物が近くまで寄って来ており、トローリングで釣るのとほとんど条件が違わないのである。

大きく違うのは大物が針に掛かってからである。トローリングの場合はボートと釣り竿をうまくコントロールして、時間を費やして大物を弱らせてから引き上げるが、崖上から釣る場合はそんな悠長なことはやっていられない。 モタモタしていると自分が海に引きずり込まれて死んでしまう。相手は人間より大きい力強い魚である。だから、掛かっている大物を銃かライフルかで崖上から素早く射殺するのである。そして、崖上に引き上げるのである。

普通、この大物釣りは二人以上で行う。その証拠に、このような崖っぷちには銃を撃った痕の空薬きょうがいっぱい落ちている。これを知らない人は海に向けて銃の練習でもしたのかなあ、と思うだろう。この漁法で釣れる魚はシーラやキハダマクロ、時期によってはカツオがよく釣れる。しかし、厄介なのは大きなサメが掛かった場合である。非常に力が強く危険な為、素早く射殺するか、釣り竿ごと海に捨てなくてはならない。

不幸なことに、この漁法で海に引きずり込まれる事故は後を絶たない。昨年(2004年)もアスマンモス岬で一人亡くなった。そして、流石に、このような乱暴な漁法はよそ者(観光客や在住外国人)には見せないので、長年在住の人でもこの漁法を知っている人は非常に少ない。因みに、北マリアナ諸島では銃を持つのは違法ではない。


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