理工系大学の授業について、もの申す!

理工系の大学において、特にその数学や物性、物理の授業は、全く学生のことを考えていません。

事実、学生が理解できなくても構わないと思って授業をしている先生もいます。
自分の本分は研究のみであり、授業なぞ単なる雑務、学生が理解できないのはそいつが馬鹿だからだと思いこんでいる、どうしようもないほどの大馬鹿教授がいるんです。こういう大馬鹿教授は自分が本当にどうしようもない人間であることを理解できないので、手に負えません。

社会全体にとって、その教授の教えた学生全てが良く理解することの方が、その教授のちっぽけな研究よりも遥かに価値があるという、誰が考えてもすぐ解る事すら理解できないのです。この大馬鹿のために、あたら優れた才能を無駄にする学生が多いのです。

特に問題があるのが、私の経験では、数学、物理学、物性関係です。
概ね言えることは、数式の展開や変形ばかりに力を注ぎ、何のために何をしているのか、目的は何なのかを明確にしていない事です。その為に、結局何なのかを理解できる人は極く少数になってしまい、社会に出てもその知識を活用すべき術(すべ)を知らない大学卒のなんと多いことか!

例えば、複素関数論なんかが典型的で、「コーシーの定理」に始まって「コーシー/リーマンの関係式」やら「コーシーの主値」やら何やらと延々とその証明が続き、大概は途中で諦めます。
最終的には、複素関数の積分を簡単に計算でき、留数定理がその鍵であるという所まで辿り着く学生はほとんどいません。私も大学時代には諦めたクチです。(私は逆Z変換なんかでそこに行き着きましたが。)

言ってみれば、これからビールを作ることを言わずに、大麦を育てる為の肥料の化学式について教えるようなものです。

こうした傾向は博士課程から大学に就職した人に強いようです。実社会の経験のある人は、わりと人に教えると言うことに長けています。
私自身も、フーリエ変換が本当の意味で理解できたのは、就職してからです。数式が暗黙に語っていることが解るという意味で。

これに対する教授側の言い分は、「高校の数学と大学のそれは根本的に違う。それを理解させることが先ず必要だ。」 というものです。
なるほど、学生は高校とは違うということだけは理解します。そして肝心の授業内容は全く理解できない、というわけです。

高専(工業高等専門学校)では、遥かに優れた授業が行われているようです。
電磁気学なんか、電気電子関係の大学生で、本当の意味での物理的な意味合いを理解している人は、皆無と言えるぐらい少ないのですが、私の知る限りでは高専の卒業生は良く理解してます。
中学から入ってきた学生にものを教えるためでしょうか、先生がちゃんと解るように教えるようです。

ところが、今度は学歴偏重の企業の人事担当者がこのことを理解できません。
その為に、これら有益な卒業生が、彼らの力を発揮できる部署に回される事は少ないのです。



大学関係者に、まず言いたいのは、厳密さよりも、物理的なイメージを大切にした授業をして欲しい、という事です。

数式の変形なんか、どうでも宜しい。あんなものは一種の熟練に過ぎません。
まずは何のために何をやるのか、その為に知らなければならないことは何なのかを教えることです。
数式の持つ物理的な概念を解らせる事で、応用力と洞察力に秀でた学生を育てることが出来ると思います。
日本の大学では、この順序を逆にするから、優れた研究者もまた育たないのです。

私は、私の会社で必要な数学について、何度も教えたことがあります。そして、本当に馬鹿な人なぞ、そう多くないことが解りました。
大抵は、ちゃんと教えれば解るのです。物理的なイメージを持てるのです。

物理的なイメージを自分なりに描けたとき、人は「本当に理解できた」と感じるのだと、私は思っています。
どれだけ数式の変形に熟達しても、理解の助けにはなりません。

日本は、高給を稼ぐ銀行員が、土地価格の査定に長けているから経済大国になったわけではありません!
薄給にあえぎながらも、ものを作って輸出した多くの人達の力です。技術力は日本の経済の根幹をなしています。

科学技術立国である日本。このままでは、日本の将来はお先真っ暗です。

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