まさみ
          さま 
  翡翠の騎士  完結編
2000.12.21
悟浄×八戒
「あ〜あ、俺も礼がしたかったのに殺っちまったよ。 今日の三蔵は一段と短気だねぇ。」
 銃声を背中越しに聞いた悟浄が独りごちる。
「…… やっぱり、僕の所為なんでしょうか? 僕が足手纏いになってしまったから…」
「いーや、あいつが腹を立ててるのはお前に対してじゃねぇよ。 人をおちょくりまくってくれたあの虫ケラ妖怪と……」
 自分に対して。 同じ気持ちの悟浄には理解る。 暗闇に囚われている彼を護らねばいけないと心に誓ったのに、むざむざと敵に奪われてしまった。 すぐ傍に、手を延ばせば届くだろう所に居たのに護れなかった。 自分の無力さが悔しくて、腹立たしい。
(騎士だなんていきがってた結果がこのザマだよ。 情けねぇぜ、まったく…)
「悟浄… どうかしましたか?」
 言葉を不自然に切り、黙り込んでしまった悟浄は八戒の問いかけるような声で我に返った。 眉間に皺を寄せて唇を噛んでいた事にハッとなったが、今の八戒には見えていない。 悪いとは思いながらもホッとしてしまった自分に、また少し腹が立った。
「いや、何でもねー。 それよりも、傷は足だけか?」
 悟浄は自分の頭に巻いていたバンダナを外し、八戒の足の傷に巻きつける。
「えぇ、他は大丈夫です。 これだけで済んで良かったですよ。」
 八戒は苦笑しながら肩を竦めるが、悟浄はいつになく神妙な面持ちで八戒を見つめる。
「俺は良かったなんて思ってねぇぜ。」
「え…?」
「例え命に関わるモンじゃなくても、お前の身体に傷がつくなんてよ… 良かったなんて思えるわけねぇだろーが。 お前と引き離されて、あの野郎の狙いがお前だって知った時はマジでパニクりそうになっちまったんだぜ。 このチンチャクレーセーな悟浄さんがさ。」
 表情や言葉の端にふざけた感じを見せるが、声音は限りなく真剣に近い。 表情というフィルターが見えないからだろう、悟浄の想いが痛いくらいに伝わって来る。
「もうあんな目にゃ合わせねぇ。 お前は、俺が護るからな。」
「悟浄…」
 この暗い壁の向こうにある鮮やかな紅が急に恋しくなって来た。 視線を悟浄の方へ向けるが、見えるのは黒ばかり。 見えない両の瞳が憎らしくて、無意識に顔に手が伸びた時、手の中の感触に違和感を感じた。 何かが足りない。
「あ、あれ…?」
 八戒の指は、右瞳の辺りを集中的に探っている。
「おっと、そうだ。」
 八戒の様子に気づいた悟浄はズボンのポケットを探って片眼鏡を取り出し、八戒の右瞳にかけさせた。
「やっぱこれは、お前のココになくちゃな。」
 ニカッと笑いながら、フレームを指で軽く弾く。
「あ… どうりで視界が真っ暗だと思ったら落としてたんですね、眼鏡。」
「俺が拾ったんだぜ。 拾い主には、お礼一割な。」
「一割… ですか?」
 何の一割なんだろう? と首を傾げる八戒の唇に、突然柔らかいモノが押しつけられた。 驚きのあまり半開きのまま固まった八戒の口内にほろ苦いタバコの味が広がり、生暖かくぬめるモノが割り込んで来る。
「っ…!?」
 それが唇と舌だと気づき、慌てて悟浄の胸に手をあてて押し返すが、悟浄は強く抱き込んで来て離そうとしてくれない。
「ふっ… んんっ…」
 口内を悟浄の舌が我が物顔で暴れまわる感覚だけが強調されて、それが全身を侵して行く。 器用に舌を絡め取られ、呼吸を奪われ、なけなしの体力まで奪われそうになる。 八戒は悟浄の胸を叩いて精一杯の抗議をする。 そこでやっと、悟浄は唇を解放してくれた。
「さっ… 三蔵達も居るっていうのに、何をするんですか!?」
 八戒は声を潜めて抗議をする。 予想通りの反応が返り、蒼白だった顔に赤みが差し始めた事を確認した悟浄は、安堵の笑みを浮かべて八戒の耳元に唇を寄せた。
「平気だって。 背中向けてるから見えてやしねぇよ。」
「そういう問題じゃないでしょう。 まったく、一割っていうから何かと思えば…」
「俺的には、まだまだ物足りねぇんだけどなぁ〜。」
 悟浄はわざと吐息を多く混ぜながら耳元で囁き、オマケとばかりに耳朶をペロリと舐めた。 研ぎ澄まされていた八戒の触覚は、闇の中から突然投げかけられたその感触を常より鋭敏に捉えた。 背筋に電流が走ったような感覚に襲われ、八戒はビクリと身体を強張らせる。
「お、ひょっとして感じた?」
「悟浄!!」
 八戒は思わず声を張り上げてしまう。 三蔵に聞こえてしまってはいないかと慌てた様子で口に手をあてると、手はそのままで尚且つ顰めた声で
「場所と状況をわきまえて下さいっ!」
 と、再び抗議をする。
「だから、三蔵には見えてねーってば。」

「見えなきゃいいってモンじゃねぇんだよ、ゲロ甘河童が…」
 背を向けられているのではっきりとは見えはしないが、微かに聞こえて来る会話と悟浄の動きで事の一部始終は三蔵に筒抜けだった。 別に知っていた事なので驚きはしない。 お堅い寺院よろしく色恋沙汰を禁止しているわけでもないし、野郎同士だろうが自分には無関係だ。 そう、無関係で知ったこっちゃない筈なのに…
(何で俺がイラつかなきゃいけねぇんだよ!)
 二人のああいう場面を目撃すると無償にイラついて来る。 目障りや、うざいの一言で片付けられそうな物なのだが、それとはまた違うイラつき。 悟浄の恥ずかしげもない過度のスキンシップを受けても本気でイヤがってはいない八戒を認識した時。 そんな二人を視界に入れている時に悟浄がこっちを見て優越感に満ちた得意げな笑みを浮かべた時。 そのイラつきは頂点に達する。 この感情はいったい何なのだ?
 ある一つの事実を認めれば答えは自然と導き出せるのだが、三蔵はその事実を心の奥底へと追いやっている。 それは恐らく、彼の人の想いが判ってしまったから。 自身を現実に止め、癒してくれるであろう『紅』を求めて歩き出した背を見たあの時に……
(…… くだらんな。)
 三蔵は悟浄の背から顔を背けると、懐からタバコの箱を取り出す。 箱を軽く上下させて飛び出た一本を口にくわえたが、それが最後の一本だった。 眉間の皺を一本増やして箱を握りつぶすとタバコに火をつけ、イラついていた気持ちを紫煙に乗せて吐き出した。
「う〜〜、いってぇ〜……」
 三蔵の足元から声が聞こえた。 悟空の意識が戻ったようだ。 上半身を起こし、膝立ちの体制で両手で腹の辺りをさすっているその姿は普段『ハラ減った』と訴える時の様子とさほど変わりない。 ダメージは受けているが、『ちょっと効いた』程度の物のようだ。
「あんな虫ケラにやられてんじゃねぇ。 お陰で手間が増えた。 ぶっ倒れるなら止め刺してからにしろ。」
 頭上から投げかけられた八つ当りとも言えるその言葉に、悟空はムッとした表情で声の主を見上げる。
「何だよ、その言い方。 遅く来たクセにさ。」
「てめぇが一人でサッサと行っちまったんだろうが。 俺は人並みの聴覚しか持ち合わせてねぇんだぞ。」
 雑魚妖怪の集団を倒した後、一行は八戒の姿を探した。 霧に視界を遮られる中では大声で名を呼ぶしか探す方法はなかったのだが、そんな時、突然悟空が『八戒の声がした!』と叫んだ。 それらしき声は聞こえなかった三蔵と悟浄が『どっちだ?』と聞き返した時には、悟空は霧の彼方に向かって走り出した後。 二人はすぐに悟空の姿を追うが、一旦は見失ってしまった。 三人が駆けつけた時間にズレが生じたのはその為なのだ。
「俺が駆けつけるのがあと一分でも遅かったらヤバかったかもしれねぇんだ。 少しは…」
「あ! なぁ、三蔵。 八戒は? 八戒は無事なのか!?」
 三蔵の話など無視して悟空は訴えかける。 『人の話を聞かんか、バカ猿が!』という言葉と共にハリセンをかまそうとした三蔵だが、何かを考えついたようだ。 口の端に薄い笑みを乗せて悟空を見る。
「八戒なら無事だ。 お前の事を心配してたみてぇだから、早く顔を見せて安心させてやれ。」
 そう言って三蔵は悟浄の背中越しに見える八戒を顎で指す。 優しげにも聞こえる三蔵の言葉に驚いたような表情を見せた悟空だが、それよりも八戒が心配だった。 三蔵が指した先を視線で追い、八戒の姿を見つけると、一目散に駆け出して行く。 そんな悟空の背中を、三蔵は意地悪い薄笑みを浮かべたまま見送った。

「あーあ、こんなに汚れちまって。 美人が一割減だぜ。」
 悟浄は飽きもせずに八戒にちょっかいを出し続けていた。 地面に座り込んだままの八戒の肩に右腕を廻し、土汚れを落とすフリをしながら左手で頬を撫でまわす。
「悟浄。 いい加減にしないと、三蔵が気づいちゃいますよ。」
 口ではそう言っているが八戒は悟浄の手を振り払おうとはせず、むしろ悟浄の手の感触を楽しむように顔を押し付けて瞳を閉じている。 八戒のその反応に気をよくした悟浄は、再び唇を奪おうと顔を近づけるが…
「はっかーーーいっ!!!」
「むぐっ!」
 悟浄の唇に触れたのは八戒の唇ではなく、悟空の掌だった。 顔に覆い被さってきたその掌に押しのけられ、油断していた悟浄は無様に後ろにひっくり返る。 邪魔な物をどかす手つきで悟浄を突き飛ばした悟空は、八戒の胸に抱きつい… いや、飛びついた。
「うわっ!」
 悟空が飛びついて来た勢いで仰向けに倒れそうになった八戒だが、両手を後ろについて何とか上半身を支える。
「良かった… 無事だったんですね、悟空。 怪我はしていませんか?」
「俺はぜんぜん平気だよ。 八戒こそ大丈夫か? 足、怪我してんだろ?」
「このくらい何ともないですよ。」
「ホントか?」
「えぇ。 悟空の元気な声を聞いたら、怪我の痛みなんてどこかに吹き飛んじゃいました。」
 見上げる先にあるのは、大好きなあの笑顔。 張り詰めていた気持ちが一気に緩んで行くのを感じた悟空は、八戒の胸に顔を押し付けて背に廻した腕に力を込めた。
「よかったぁ… ゴメンな、八戒……」
「…? どうして悟空が謝るんですか?」
「だってさ… あの時、一番近くに居たのは俺なのに八戒がジープから落ちるのを助けらんなかった。 あと一秒でも早く気づいてれば間に合ったのにさ。 それに、結局あいつを倒す事も出来なかったし…  二度も助ける事が出来なかったから、だからゴメン。」
 責任を感じているのか、叱られた時のような細く沈んだ声音で悟空は謝罪の言葉を口にする。
「悟空… 貴方が謝る必要なんてないですよ。 ジープから落ちてしまったのは、油断してた僕がいけないんですから。 それに、その後の事だって悟空はちゃんと僕を助けてくれたじゃないですか。」
「あんなの、ただ刀を受けとめただけだよ。」
 悟空は、気休めはよしてくれといわんばかりの瞳で八戒を見上げる。 八戒の気遣いを拒絶したみたいな言い方をしてしまい、しまったと思ったが、八戒は変わらずの優しい笑顔で見つめている。
「あの時、僕はあの刀を避ける事が出来ませんでした。 悟空が刀を防いでくれなかったら重症を負っていたか、最悪の場合斬り殺されていましたよ。 あの妖怪に止めを刺したのは三蔵達ですけど、僕を助けてくれた一番の功労者は貴方ですよ、悟空。 本当に感謝しています。 有難う御座いました。」
 そう言いながら、見た目より柔らかい手触りの悟空の髪に触れる。 義眼とは思えないくらいの暖かい光を宿している瞳と、耳に心地よく響いて来る柔らかな声。 それらによって一層際立てられる至上の微笑みに、悟空はしばし見惚れてしまった。
「あ… 何か、気に障るような事を言ってしまいましたか?」
 悟空が無反応な事を不快の証と取った八戒の笑みが曇る。 それで我に返った悟空はブンブンと首を振ってそれを否定した。
「そうじゃねぇよ! ちょっと、見惚れちゃってさ。」
「み、見惚れた?」
「あぁ! 俺、八戒の笑ってる顔って好きだからさ。 こんな近くで見れて、すっげーラッキー。」
 心底嬉しそうな声でいいながら、悟空は再び八戒の胸に顔を押し付ける。
「俺の事、一番の功労者って言ってくれたのも嬉しかったぜ。 俺でも八戒の役に立てるんだなぁって、自信沸いて来た。 俺、これからも頑張るからなっ!!」
 悟空の飾らない言葉はちょっと照れ臭くも感じるが、でも素直に嬉しい。 戦いによって詰めていた神経が解れて穏やかな気持ちになって行くのを感じながら、八戒は自分に擦り寄っている悟空の頭を優しく抱きしめた。
「頼りにしてますよ、悟空。 また危なくなったら、助けて下さいね。」
「おう! 任しとけ!!」

「翡翠の瞳のお姫サマを見事護りぬいたのは、金色の瞳を持つ少年騎士だったのでした〜v なーんてオチかぁ? あぁん??」
 二人から少し離れた所にあぐらをかいて座り、膝の上に腕を立てて頬杖をついた体制の悟浄は、ふてくされた口調でひとりごちながら悟空を睨みつける。 すぐにでも二人の間に割り込んで悟空から八戒を引き離したいが、あのほのぼのとした状況に割り込んだら悟空を甘やかしている傾向のある八戒が怒る事は必至。 悟空が八戒に懐いている所を見るのは嫌だが、八戒を怒らせるのはもっと嫌だ。 これが俗に言う『惚れた弱み』という奴だろうか…
 苦笑しながら、悟浄は上着のポケットに手を突っ込んでタバコを取り出す。 一本くわえて火をつけ、上を向いて煙を吐き出した所で視界に三蔵の姿が映った。 三蔵は『ザマぁ見ろ』といわんばかりの笑みを浮かべて悟浄の事を見下している。 三蔵と視線が合った瞬間、悟浄のこめかみに怒りマークが浮かんだ。
「このクソ坊主… 猿をけしかけやがったな?」
「何の事だか判らんな。」
 三蔵はしれっと答えるが、悟浄には判っていた。 こうなる事を予想して、三蔵は悟空をけしかけた。 自分にちょっかいを出されるくらいなら、悟空に懐かせた方がマシだとでも思ったのだろう。 直接邪魔をしない所がこすっからいというか、素直じゃないというか…
「こんな事していいのかな〜? 馬に蹴られて死んじゃうぜ。」
「心配は無用だ。 蹴られる前に撃ち殺してやる。 赤毛の種馬をな。」
「そんで、翡翠の瞳のサラブレッドを一人占めってか? そうはさせねぇぜ。 あいつを乗りこなせるのは俺だけだ。」
 今度は三蔵のこめかみに怒りマークが浮かぶ。 悟浄があの『優越感に満ちた得意げな笑み』を浮かべたからだ。 しかも、勝利宣言とも取れる言葉もプラスして。
「…… 貴様はそんな物言いしか出来ねぇのか、下ネタ河童。」
「下ネタ? 何処が?? お馬ちゃんに乗る事の何処が下ネタなんだよ? あ、ひょっとして『乗る』の意味を履き違えてる? 最高僧であらせられる三蔵法師サマが、まさか獣…」
『ガウンッ!!』
 突然、悟浄くわえていたタバコがフィルター部分を残して弾けるように飛び散った。 続けてハイライトの煙と硝煙が交じり合った匂いが鼻を突く。
「そんなに馬に乗りたきゃ、あの世で天馬にでも乗ってろ。」
 銃を構えている三蔵の顔には『マジ殺す。』という文字が浮き出ている。
「俺にはこの世の馬の方が性に合ってるんでね。 遠慮しとくわ。」
 潮時を感じ取った悟浄は、苦笑しながら両手を上げて降参を示す。 三蔵はそんな悟浄を忌々しそうに睨みつけながら銃を懐に仕舞った。

『ピィーッ!!』
 その声は、三蔵と悟浄の頭上から聞こえた。 二人が反射的に上を見上げると、見なれた白い物体が一直線に降下して来るのが見えた。 気がつくと、霧も徐々に晴れてきている。
「八戒ならあっちだぜ。」
 悟浄が指をさすと、その白い物体―ジープは悟浄の頭上スレスレで90度急旋回をして八戒の元へと飛んで行く。
『キュウ、キュウ〜〜〜ッ!!』
 八戒の正面。 悟空の頭の上に止まったジープは、瞳に涙を浮かべながら八戒の首筋辺りに頭を摺り寄せた。
「ジープ… ちょっ… く、くすぐったいですよぉ。」
 たてがみが首筋を撫ぜる感触に、八戒は肩を竦める。
「お前にも心配をかけてしまいましたね。」
 白い身体を労わるように撫でながら、八戒は済まなそうに声をかけた。 大好きなご主人様の綺麗で繊細な手に撫でられ、ジープは気持ちよさそうな鳴き声をあげる。 しかし撫でる手が足の辺りに触れた途端…
『キュィーッ!』
 ジープは悲鳴とも取れる声をあげた。
「ジ、ジープ!? どうしました?」
 その声に驚き、八戒は手を離す。 ジープに触れていた指にはヌルリとした感触が残っている。 忘れる筈もないこの感触は……
「血…? 怪我をしてるんですか!?」
「あの野郎の仲間が、車になってるジープのタイヤを狙ったんだ。 血はもう止まってるみてぇだけど、車になって走るのは無理だろうな。」
 頭の上に乗っていたジープを抱き上げて悟空が言う。
「お前にまで怪我をさせるなんて… ちょっと我慢してて下さいね。」
 悟空に抱かれたままのジープの傷口に右手をかざし、左手で右手首を握る。 大きな深呼吸と共に精神を集中させると、ややあって八戒の右手の中には気の塊である発光体が姿を現した。 発光体に照らし出された傷はみるみる内に薄くなり、数秒後には固まりかけた血だけを残して完全に姿を消した。
「これで大丈夫ですよ。」
 小さく息をついて、八戒は微笑む。 その笑顔はムリに作られた様に強張っていたが、悟空も悟浄も三蔵もそれに気づいていない。
「良かったな、ジープ。 傷治してもらえてさっ。」
 悟空がジープの体を頭上に掲げて見上げると、ジープは嬉しそうに一声鳴いてそれに答えた。
「ジープ… 傷が治ったばかりの所を、悪いんですけど… もう一頑張り… して、もらい……」
 悟空は、八戒の喋り方に違和感を覚えた。 言葉がヤケに途切れ途切れで息遣いも苦しそうだ。 様子が気になった悟空は、視線を八戒に向ける。 すると、それを合図にしたかのように八戒の上体がぐらりと傾いた。
「八戒!?」
 そのまま後ろへと倒れて行く八戒の身体。 もう少しで地面と接触という所で、悟空が正面から背に腕を廻して抱きとめた。 三蔵と悟浄も慌てた様子で二人の所へ駆け寄る。
「どうしたんだよ、八戒!?」
 腕の中でぐったりとしている八戒に呼びかけるが、今にも消え入りそうなか細い声で『大丈夫』と言いながら弱弱しい笑顔を見せるだけ。 悟空は身体を揺さぶろうとするが、横から伸びてきた三蔵の手に止められた。
「三蔵…! 八戒が……」
 悟空は三蔵に縋るような視線を向ける。
「落ちつけ、バカが。」
 努めて冷静な声で言いながら、三蔵は八戒の腕を取って脈を調べ、額に手をあてて熱の有無を調べる。 少し熱があるようだが、脈は正常だ。
「力を限界まで使い果たしたってトコだな。」
 命に関わる物ではないという事への安堵と、限界が来るまで無茶をした事への苦々しさ。 それらが入り混じった溜息をつきながら、三蔵は八戒を見やる。
「あはは… ちょっと張りきり過ぎちゃいましたね。」
 人は情報の大半を瞳から得ている。 視力を失うとそれを補う為に聴覚等の他の神経を常に研ぎ澄ませていなければならない。 視界不良の中での戦闘が通常より神経を使うという事は、先程の深い霧の中での戦闘で三蔵達も思い知った。 ましてや八戒の場合は視界は不良どころか、殆どゼロ。 しかも集中力を要し、己が気力を削って放つ気功術での戦闘がメイン。 体力だけでなく精神にかかる負担も大きかったに違いない。
「残ってた力、ぜーんぶジープの治療に使っちまいやがって… ま、お前らしいけどな。」
 八戒の傍らにしゃがみ、彼の額にかかる髪をそっと掻き上げる悟浄。 その表情は別人のように優しげで、三蔵は瞳を見張った。
「すみません。 心配のかけ通しですね…」
 悟浄の表情を受けとめ、すまなそうに眉根を寄せながらも微笑む八戒の笑顔はとても自然で穏やかで、そして綺麗だった。 この旅に出てから… 否、腐れ縁が始まってから今までの三年の間で三蔵が一度も見た事の無い表情。 二人はそれを当たり前のように交わしている。 割り込めない空気を感じると同時に何とも言えない黒い感情が沸いて来て、二人―特に八戒の姿を―直視している事が出来なくなった。
「霧も晴れたし、ジープの傷も治った。 もうこんな所にゃ用はねぇ。 行くぞ。」
 三蔵は二人に背を向けるようにして立ち上がる。 そんな三蔵の心中を知ってか知らずか、続いて立ち上がった悟浄は三蔵の肩にポンと手を置いた。
「そうだな。 八戒を休ませる為にも、とっとと次の街へ行くか。 行けるだろ、ジープ?」
 ジープは悟浄の問いに翼を大きく広げて応え、そのまま飛び立つと一行から少し離れた所で車に姿を変えた。

「悟空。 すみませんけど、肩を貸してもらえますか?」
「いいけど… 立てるのか?」
「それくらいの力は… っ!」
 八戒は悟空の肩に手を廻して立ち上がろうとするが、身体に力が入らずガクリと膝をついてしまう。 本人の思っている以上に気力と体力の消耗は激しいようだ。
「ダメか?」
「えぇ、ダメみたいです。 しばらくすれば回復すると… ぅわっ…!」
 身体の浮き上がる感覚に、思わず声を上げる。 どうやら横抱きに抱き上げられたらしい。 肩に廻した手はそのままだった。 という事は、今自分を抱き上げている人物は……
「ご、悟空… ですよね?」
 悟浄より小柄な肩、手に触れるマントの感触、間違い無く悟空だ。 似つかわしくないといってもいいくらいの意外な行動と違和感ありまくりの光景に、八戒ばかりか悟浄や三蔵までもが目を見張った。
「ムリしねぇ方がいいよ。 俺が運んで… っと!」
 力の面では問題無いのだが、自分より19cmも背の高い八戒をお姫様抱っこするのはバランス的に大変らしい。 多少よろめきながらも、悟空は一歩また一歩と慎重に歩を進めていく。
「ムリしねぇ方がいいのはてめぇだ。 危なっかしくて見てらんねぇぜ。 俺に変われよ。」
 よろける悟空の身体を片手で支えながら悟浄が言う。
「嫌だ! 俺が運ぶんだから邪魔すんな!!」
 今にも噛みつきそうな勢いで悟空は悟浄を睨みつける。 何だと!? と悟浄は言い返そうとするが、クスクスと笑う八戒の声にそのタイミングを削がれた。
「そんなに長い距離じゃないんですから大丈夫ですよ、悟浄。 悟空、ゆっくりでいいですからね。」
 そう言って、八戒はもう片方の腕を悟空の首に廻す。 八戒との楽しいスキンシップの機会を悟空に取られた事による落胆と、ホントに悟空に甘い八戒に対しての苦笑が混じった溜息をついた悟浄は、悟空から数歩後ろの位置をキープして歩く。 それは、万が一悟空が転びそうになったとしてもすぐにフォローする事の出来る位置だった。


「痛ぇっ!」
 声を上げた悟空の手から林檎が転げ落ちる。 もう片方の手には果物ナイフ。 林檎の皮を剥こうとしていて手を切ってしまったようだ。
「あ… 大丈夫、ですか?」
 気遣う声をかける八戒だが、その声は掠れていて、息遣いは苦しそうで、そして身体はベットの中。 二人が居るのは、街の宿の一室だった。

 忌まわしき森を出発し、順調に街へ向けてジープを走らせていたのだが、日も暮れようとしていた時にまたもや事件が起こった。 八戒の熱が急激に上がってきたのだ。 幸いにもそれから間もなく街に着き、野宿だけは免れた一行は急いで宿を取り、意識朦朧の状態にまでなっていた八戒をベットに寝かしつけた。
 これで一安心かと思いきや、取れた部屋は二人部屋が二つだった為に例のごとく誰が誰と同室になるかの争いが始った。
 悟空は
「俺が八戒の看病をするんだ!」
 と主張し、悟浄は
「八戒の看病なら俺の方が慣れてるんだぜ。 だから俺がやる。」
 と過去の実績をチラつかせ、三蔵は
「病人の前で煩ぇよ、テメェら。 やるなら外でやれ。」
 とさりげに二人を追い出そうとする。 今回八戒と同室になるという事は同時に彼の看病もする事となるので三人供引く気はまったく無く、長期戦にもつれ込むと思われた争いだが、終戦はあっけなく訪れた。
「あの… 看病は悟空にお願いしたいんですけど…」
 今回は、全面的に悟空に頼るって決めましたから。 熱い息の混じる頼りなさげな声でそう言われてしまっては異論を唱える事も出来ない。 悟浄と三蔵はご指名を受けてやる気マンマンな悟空に恨みがましい視線を向けながら隣の部屋へと引き上げて行く。
 それから汗で湿っている服を着替えさせたり、額を濡れタオルで冷やしたり、荷物の中から薬を引っ張り出したり、宿の人に頼んで毛布を余計にもらったり… 病人である八戒本人の指導による物なのが玉に傷だが悟空の看病は何事もなく進み、そして現在に至るのだ。

「うーん… やっぱ上手に出来ないなぁ。」
 悟空は溜息をつきながら手の中の林檎を見つめる。 八戒が綺麗に剥いてくれる林檎とは大違い。 形はいびつだし、皮の剥けていない所があちこにに残ってまだら模様になっていて、自分から見てもあまり美味しそうには見えない。
「なぁ、八戒。 …… あれ? 八戒?」
 悟空の問いかけに、八戒は寝息で答えた。
「寝ちまったのか。」
 林檎をテーブルの上に置くと、はみ出していた肩に毛布をかけ直す。 そして離れようとした時、ふと八戒の寝顔が瞳に入った。
「寝てるんだよなぁ…」
 宿が同室になった事は何回かあるが、その時はいつも自分が先に寝てしまうし朝は八戒に起こされる。 それは野宿をする時も同じなので、八戒の寝顔をこんなに間近で見るのは初めてに等しいかもしれない。 見た目も中身も自分よりずっと大人な八戒。 三蔵や悟浄も大人なのだが、二人とは違う雰囲気を持つ八戒に対して、こんな大人になれたらなぁと密かに憧れたりもしている。 そんな八戒の寝顔は普段より年下っぽくみえて、ちょっとだけ距離が縮まったような、そんな感じがする。
 悟空はふいにそうしたくなって、時々彼が自分にそうしてくれるように八戒の頭をそっと撫でた。 すると八戒は僅かに身じろぎをする。 起こしてしまったかとビクッと手を強張らせるが、瞳が開く気配は無い。
「じょ…。 …… ご……」
 八戒の口から熱い息とともに言葉が漏れる。 何かを求めているような声音に、悲しげに寄せられた眉根。 なにか悲しい夢でも見ているのだろうか? 熱が出た時は心細くなってしまうというのは悟空も経験している。 誰かに傍に居て欲しくてしかたなくなるのだ。 膝を床につけて座ると、悟空は肘をベットについて八戒の手を握った。
「俺、ずっとついててやるから… だから大丈夫だかんな、八戒。」
「は、い……」
 するとその言葉が聞こえたのか、眠ったままの八戒の表情が緩んだ。 いつも見せてくれる微笑とはまた違った甘えるような笑顔を浮かべて、悟空の手を握り返して来る。
「へ… へへっv」
 大好きな八戒の大好きな笑顔を一人占めしている。 そんな優越感に浸りながら、悟空は八戒の寝顔をいつまでも見つめていた。


 悟空の献身的な看病のお陰もあって、八戒の熱は2日後には下がった。 その後は三蔵の命令と、これ以上迷惑はかけられないという八戒本人の希望で毒蛾妖怪の鱗粉に侵された左瞳が治るまでその街に滞在する事となった。 しかし最初にかかった医者の見解が外れたのか発熱で抵抗力が弱っていた所為なのか、八戒の左瞳は一週間経っても治る気配が無い。
 仕方が無いので八戒が全快するまで街に留まり続ける事となったのだが、その間悟空は八戒から一時も離れる事はなかった。 部屋は当然の如く同室だし、外を出歩く時は付き添って瞳の変わりになったし、空いた時間があれば愉しく談笑したし、外食中心となった食事の時は恒例となっている悟浄との食べ物の奪い合いもせずに八戒に食事を取り分けてあげたし… 
 ただ、一晩だけいつの間にか眠り込んでいて、朝起きたら何故か三蔵と同じ部屋だったという事はあった。 オマケにその日は悟空に八戒を取られていてずっと不機嫌だった悟浄が妙にご機嫌で、逆に八戒がちょっとだけ不機嫌で、三蔵に至っては殺気を放っているんではないかと思うくらいに不機嫌だった。 恐らく前日の夜に何かがあったんだろうが、悟空がどんなに聞いても皆『別に何も無い』を繰り返すだけで答えてはくれなかった。 この夜に何があったかは、また別の機会に語るとして…


 そしてそれから更に数日が経ち、この街に滞在して二週間が経過した日の昼…
「まだかなぁ…」
『キュウ〜…』
 悟空とジープは街の眼科の待合室に居た。 悟空は多人数掛けな横長のソファに後ろ向きに正座するように座り、背もたれの上で組んだ両腕の上に顎を乗せ、正面にあるドアを待ちくたびれたとういう表情で凝視している。 その肩の上にはジープがいて、小さい頭を悟空の頭の上にチョコンと乗せて同じ方向を見つめていた。 その扉は診察室の扉なのだが、その中に八戒が消えてから中々出て来ない。 今までの通院ではちょっと様子を見て目薬を貰うだけだったので5分とかからなかったのだが、今回に限って10分近く経っても出て来ない。 瞳の傷が悪化しているのだろうか、まさか既に見えなくなってしまっているのでは… 最悪の事態が脳裏を過り、金色の瞳が潤みだしたその時、扉の磨硝子に見なれた翠色の上着を着た人影が映った。 物音を聞きつけた時の猫のようにピクッと反応して顔を上げた悟空は、ぐぐっとソファから身を乗り出す。
『どうもお世話様でした。』
 間もなくそんな声と供に扉が開き、八戒が出て来た。 身体は診察室の中にいる医師達に向けられているので、悟空からは後姿しか見えない。
「八戒!」
 たまらずに呼びかけた悟空の声に反応し、八戒は振りかえる。 そこにあったのは待ち望んでいた物。 悟空の姿を見つけて細められた、生来の輝きを持つ翡翠の瞳。 不安に満ちていた悟空の表情が一気に崩れて行く。
「やったぁ! 治ったんだ!!」
 悟空はソファの背もたれを飛び越えて八戒に駆け寄り、タックルでもし兼ねない勢いで飛びついた。 ジープも続いて飛んで来て、定位置である八戒の肩の上に止まって頬を摺り寄せる。
「お陰様で、すっかり治りましたよ。 長い間世話をかけてしまってすみませんでした。」
 似たような印象を与える一人と一匹の行動に笑みを零しながら、八戒は片手で悟空の頭を、もう片方の手でジープの頭を撫でた。
「何だか、毎日会ってたのに久々に会うような不思議な気分ですねぇ。」
「久々じゃんか。 二週間ぶりだぜ。」
 そう言って、悟空は抱きついたまま八戒の顔を見上げる。 そして
「うん。 やっぱきれーだ。」
 と、満足そうに呟いた。
「え? 何か言いました?」
「うぅん、俺の独り言。 それよりさ、早く宿に戻ろうぜ。」
 今までのクセなのか、悟空は八戒の腕を引いて歩き出す。
「そうですね。 三蔵達も心配してるでしょうし…」
「だなっ! 三蔵なんてさぁ、朝になって俺と顔を合わせる度に八戒の様子を聞いて来てたんだぜ。」
「三蔵が? 本当ですか?」
「ホント、ホント。 もう煩いくらいでさぁ。」
 そんな話をしながら病院を出る。 すると…
「煩ぇのはテメェだ。 余計な事言ってんじゃねぇ。」
 という三蔵の不機嫌そうな声がどこかから聞こえた。 二人が辺りを見まわすと、三蔵が病院の扉の右側の壁に寄りかかってタバコを吹かしていた。
「三蔵…」
「やっぱ治ってたな。」
 背後からしたその声に振りかえると、反対の左側の壁に悟浄が寄りかかっていた。
「悟浄まで… どうしてここに?」
 病院まで付き添ってくれるのは悟空の役目。 この二人は宿で待っているのが常だったので、この二人の出現にはちょっと驚いた。
「ん? いやな、三蔵が今日辺り治るんじゃねぇかって言うから、お出迎えに来たのよ。」
 キョトンとしている八戒の肩に手をかけながら、悟浄は三蔵の方を見る。 三蔵は『余計な事を言うな。』という意の視線を悟浄に向けたが、視線を追って来た八戒と瞳が合うと気まずそうに眉根を寄せて視線を反らした。 八戒はそんな三蔵を見てクスリと笑う。
「そうですか。 それは気を遣わせてしまいましたね、三蔵。」
「…… 別に遣ってねぇ。」
「じゃあ、気を遣わせてしまったお詫びとお世話になったお礼も兼ねて… 今夜はご馳走を作りましょうかv 皆さんの好きな物、なんでも作っちゃいますよ。」
「やったぁーーー! 久しぶりの八戒のメシーーーー!!」
 そう言って歓喜の声を上げたのは、言わずと知れた悟空。 三蔵はというと、気まずそうに瞳をそらしたまま、
「遣ってねぇって言ってんだろーが…」
 と呟く様に言い、タバコを地面に投げつけて踏み消して新しいタバコに火をつけた。
「悟空は何が食べたいですか?」
「八戒が作ってくれるモンなら何でもいい!!」
「悟浄は?」
「俺も何でもいいぜ。 お前の作るモンは何でも美味いからな。」
「三蔵は?」
「俺か…?」
 まさか自分にまで聞いて来るとは思わなかったので一瞬狼狽してしまった三蔵だが、タバコを大きく吹かすと、
「…… こいつらと同じでいい。」
 とだけ言った。 悟空や悟浄と同じという事はつまり…
「判りましたv 腕によりをかけて作りますね。」
 八戒が極上の笑顔で応えると、吸い寄せられるようにその笑顔を見つめていた三蔵の瞳が微かにだが細められた。
「それじゃ、このまま買い出しに行きましょうか。 荷物が多くなると思いますから、皆さんお願いしますよ。」
「はいはい。 喜んでお供させて頂きます。」
「八戒のメシが食えるなら、荷物持ちくらいどうって事ないぜ!」
「…… 今日は特別だぞ。」
 悟浄に肩を抱かれ、悟空に手を引かれ、三蔵に見守られている。 見えるというのはこんなにも素晴らしい事だったのかと改めて実感した八戒は、大切な仲間達の姿をしっかりと視界の中に捉える。
 輝きを取り戻した翡翠の瞳を見つめながら、三人の騎士はこの輝きを二度と曇らせるものかと心に堅く誓うのだった。






END
 とうとう終ってしまいました。くすん。良かったねと八戒に言う反面、もう拝見できないのが…
 しくしく。三蔵があまりにもナイスな正確に私は嬉しかったりします。悟浄も本当にカッコ良か
 ったですよねvv悟空にいたっては献身的な姿にいい子だなあと。リンゴの皮を剥いているシ
 ーンが好きなんですう〜っvvところで悟浄と八戒のとある夜の事、「別の機会で」とございま
 すが、強く強くお願いしたらそのお話を拝見することができるのかなあと思いました。皆様も
 私と一緒にまさみさまにおねだりしませんか?          有難うございましたっ!!