壱宮散子
          さま 
  薄氷恋文
2001.3.21
三蔵×八戒

薄い氷で覆う様にして、澱んだものを覆い隠してしまう。

ただ流される侭に凍りつかせてしまうのも、屹度そう悪いことではないのだと思う。

いつかは、溶け出したそれにも痛みを感じなくなる日が来るのかも知れない。

でも、今はまだ。

爪跡みたいに、思い出す度ツキツキと痛むから。

忘れたいわけではないけれど、今はまだ。

口にしないで、しまっておきたい。

口にされることも、求めないから。

 

 

 

 

 

ちらちらと舞う白い切なさを窓越しに眺めて、最高僧は舌打ちをひとつ。

粋も無粋も置き去りに、道行きが滞ることに対して不機嫌を示す。

安宿の一室は、暖房器具もろくに働かない。寒かった。

この寒空の中、オープンカーでドライブとしゃれ込む…ことを思うと、随分マシな環境だったが。

逗留を決め込んで以降、三蔵は一歩も外に出ていない。

マルボロに口をつけて、深く吸い込んだ。

冷えた空気のかわりに、灰を満たす緩やかな毒。

吐き出すと、その白さが外の雪と同じに見える。

悟空と悟浄は、争うようにして外に出ていった。

雪を見てはしゃぐ悟空に、悟浄は肩を竦め、

こんな寒空の中、どうして外に出たがるのかねお子様は…などと云いながら。

どちらも酔狂なことだ、と三蔵は思う。

 

トン・トントン。

 

軽く響くノック。

「こんにちは。 一寸いいですか?」

続いて、八戒が入ってくる。

三蔵は入れとも否とも答えていないが、敢えて咎めたてることでもない。

視線をやって、座るように促した。

「コーヒー、いれてきたんですけど…どうです?」

「ああ…。」

三蔵が軽く答えると、マグカップをひとつサイドテーブルの上に置き、八戒はベッドに腰掛けた。

部屋にひとつしかない椅子は、三蔵が占拠しているから。

自分のマグカップを両手で包む様にして、八戒は口をつける。

「……。」

「……ふぅ。」

暫くふたり、無言の侭にコーヒーを飲んだ。

話す可きことがあるわけでもないし、話すに相応しいことがあるわけでもなかったから。

沈黙は、苦痛にはならなかった。

ただ、ふいに思い立って八戒は口をひらいた。

「まだまだつもりそう、ですねぇ…。」

答えを求めたわけではない。なんとなく、云ってみたのだから。

「…ああ、積もるだろうな。」

答えが返って、少し驚く。

かすかに目を丸くしている八戒に、三蔵が気付いたかどうか。

「今日ね、薄くなんですけど、洗面台に氷が張ってたんです。」

小さく笑って、指先でその薄さを表現する。

「…この調子では、蛇口も凍るんじゃねえのか?」

「ええ。 だから、少しだけ水を出したままにするらしいです。

…そうしたら、氷もはりませんし。」

口調に微妙な翳りを感じて、三蔵は問い掛ける。

何故気付いたのか、わからない。

また、自身が問い掛けた理由も今ひとつわからなかった。

「氷に拘りでもあるのか?」

口に出すと、間が抜けた言葉。

「いいえ? …ただ、氷とか雪って、なんでも覆ってしまえるなって。」

「…そうか。」

そのあとまた無言に戻り、ふたりでコーヒーを飲んだ。

カップが空になって、それから。

マグカップをふたつ持ち、八戒は部屋を出る。

「それじゃ、お邪魔しました。」

ふたり、何を話すでもなく、ただコーヒーを飲んだだけ。

それでも、ひとりきりより、暖かかった。

コーヒーのせいなのか、ともにいた人物のためなのか、わからないけれど。

 

 

 

再びひとりになった部屋。

見るともなしに外を眺めていると、白いものは愈々勢いを増して地表を覆い隠そうとしていた。

やがて悟空と悟浄が帰ってきた様子。

宿の中に入ってくるなり、三蔵の部屋迄ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が届く。

腹が減れば帰ってくる、という辺り、如何にも奴ららしい。

飯を食うか、と立ち上がると、丁度よく悟空が迎えにきた。

バタン!とドアを勢いよくあけて、大声で叫ぶ。

「三蔵、メシ!!」

「…俺はメシじゃねぇ。」

主語述語の成り立たぬ台詞に、訂正を加えてみる。

通じなかったらしい。

悟空はきょとんと三蔵を見上げるだけだ。

「…もういい。 メシにするんだろう?」

促すと、そう、メシ!と走り出す。

八戒の部屋の前でも、メシにしようぜ!と声をかけて。

 

 

 

食事を済ませ、八戒が告げるのを、おぼろげに聴いていた。

「…凍っちゃいますから、少し水を……ですよ。」

ああ、先刻も云っていたことかと三蔵はひとり合点した。

「それじゃ、おなか出して寝て、風邪ひかないでくださいね?」

ハートマークでもつきそうな口調。

この言葉は、悟空に、というよりも寧ろ、悟浄に対して紡がれたものだろう。

気付いた悟浄は、へいへい、と肩をすくめてみせる。

こんな寒ぃ夜に出歩く女もいないでしょ、と笑って、

なんなら俺があっためてやるけど?

付け加えた台詞は、笑顔でかわされた。

馬鹿が…と、三蔵の呟いた言葉に、まだ早い時間だが各々部屋に戻る運びになる。

まだ雪は降り続いて、曇る窓硝子の外側はいかにも冷え冷えとしている。

日暮れが早く、夜明けの遅いこんな季節には、することもなく。

雪が治まるのを待ち、ただじっとしているだけ。

 

 

 

蛇口をひねった。

細く流れ出す、透明なもの。

数秒眺めて、排水溝にかすかに残る、氷に気付く。

気紛れに触れて、痺れる様に冷たい水に、手を引いた。 当然の結果だ。

冷えた指先を握り締め、ふたつ隣の部屋にいる筈の男の言葉を思い出す。

『…ただ、氷とか雪って、なんでも覆ってしまえるなって。』

覆いたいものがあるのだろうか。

屹度、覆っていることさえ気付かせない、あの男は。

氷や雪で隠しても、消えるわけではない。

隠して埋めて忘れてしまえば、或いは楽になれるのかも知れないが。

忘れられる筈がないと思う。 そして、それは多分正しい。

考えて、くだらない、とかぶりを振った。 暴き立てようとは思わない。

溶けるまで待てばいい。 そう思うわけでもない。

ただ漠然ともどかしく、じわりと指先を浸す微かな痺れの様に、不快だった。

 

 

 

夜半の内に、雪はやむだろうか。 振り続けるだろうか。

そして、微量の流水は、本当に凍らないのだろうか。

朝になって、薄氷が張っていたら。

また馬鹿みたいに触れてみる自分が脳裏に浮かんだ。

いっそ、割り砕いて粉々に。

そんなことを考え、三蔵は洗面所を離れた。

 

 

 

 

 

薄い氷に手をつけて、割ってしまいたい様な気がするのに。

どうしても、割る気にはなれない侭でいる。

今だけは、このままで。 そっとしておいて。







END
 私は薄い氷がはっているのを見るのがとても好きでした。ここ最近では見れませんが、今でもも見ると凝視してしまいます。いい年して…。それほど好きなんですが、このお話もそんな氷のように、とても透明な印象を受けました。壱宮さんのお話はどれもが透明な雰囲気で、私もこういうように書けたらいいのにといつも思います。ましてやお話がカッコイイ…。結局、薄い氷を割らない三蔵がいいですよねvv                   有難うございましたっ!!