SAIYUKI
NOVELS 5
暖かい腕を求めて 2000.4.15
GOKU&HAKKAI
「八戒、ごめんっ」
 ベッドの上にあぐらをかき、ぺコンと頭を下げて悟空は突然言った。
 いつも悟空は宿屋での部屋割りのとき、誰がいいという指名をしない。悟浄は嫌という指名はするが、ただ単に寝る前までからかわれたくないだけのようだ。
 そんな悟空が。
「八戒とがいい。俺、ぜってー八戒とっ!」
 珍しい悟空のご指名に、誰よりいち早く言ったことと悟空のあまりにも必死な形相とが拍車をかけ、結局今日の部屋割りは三蔵と悟浄、悟空と八戒ということになった。
 最近悟空が何か言いたそうなそぶりを見せていたのに気付いていた八戒は、常々何なのかと気にはなっていたが…。
(このことだったんですね)
 しかし、どのことに対して謝っているのかが、皆目見当がつかない。
「何を謝っているんです?」
「んと…ケガ、させちゃったから、さ…」
 どうやら悟空は彼が制御装置を外した際に、八戒に怪我をさせてしまったことを言っているようだ。
「…悟浄にも謝ったんですか?」
 それまで読んでいた本の頁を開いたまま顔を上げて話していた八戒は、パタンと本を閉じると空いているもう片方のベッドに腰をかける。
「うん」
「彼は何て?」
「俺の行動は間違ってないって」
「僕も悟浄と同意見です。それに悟空が謝るなら、僕の方こそ悟空に謝らなければなりません。…すみませんでした」
 今回の件は八戒のことだから絶対に許してくれると、悟空にはわかっていた。
 それは甘えでもなんでもなく、今までの経験上、怒っていようと笑顔で責められようと、最終的には「次回は気をつけて下さいね」でなかったことにしてくれるからだ。
 だが自分が反対に謝られる立場になろうとはちっとも思っていなかった悟空は、耳を疑いたくなるほど驚いた。
「どーして八戒が謝んだよっ」
「…止めてくれと頼まれたのに、僕は止めることができなかった。そればかりか、悟浄や僕に怪我をさせてしまったことを悟空は気にやんでいる。つまり悟空をこんな気持ちにさせてしまったのは僕なんです」
「違うっ。八戒はカンケーないっ!」
「そんなことないですよ。本当に情けないと思ってます」
「違うっ」
「許してくれます?」
「許すもなにも、八戒は何も悪いことしてねーよ。謝られても…困る…」
「僕もです。悟空に謝られても困ります」
 悲痛と苦笑を混ぜ合わせたような表情をして八戒は言う。
「あのときはあの方法以外すべはなかった。だから仕方のないことですし、悟空が制御装置を外すとわかった時点で、何かが起こりうることは覚悟してましたから」
 目を瞑れば今だにはっきりと思い浮かぶ。
 暴走した悟空。それを止められなかった自分。倒れる悟浄。意識のない青ざめた三蔵。
「でもまた今まで通り4人で旅ができる。結果的には丸くおさまったわけですから、それでよしとしましょう。結果よければ全てよしといいますしね」
 いかにあの騒がしい日常が幸せだったのかが痛感できた今回の出来事は、ことあるごとに思い出されることだろう。
「しかし、悟空は礼儀正しくてイイ子ですね」
「…今、なんか子供扱いされた気がする…」
「そんなことないですよ。素敵な男性という意味で言ったんです」
「へへ」
 いつもチビ猿やらバカ猿しか言われていないため、「素敵な男性」というとても大人になったようないわれ方に、悟空は少々テレ気味である。しかし、表情豊かな悟空からは今の一言が多分に嬉しかったのもありありと読み取れた。
「じゃあ、そろそろ寝ましょうか。ここ最近、悟空は私たちが怪我したことが気になって、よく寝れなかったようですし」
「ばれた?」
「当然です。ちゃんと寝ておかないと、いざ三蔵が発砲したときに、反応が遅れて体に穴があいちゃいますよ」
「それはやだ」
「でしょう?だから何がなんでも体は休めなくてはいけないんです」
 ニッコリ笑って諭すように言う八戒は、何だかんだ言って結局悟空を子供扱いしているのかもしれないと、自己分析したいた。
「さあ。横になってください。灯りを消しますので」
 悟空が横になると、部屋は突然闇に包まれた。
 早く寝るように言って灯りを消したのに、実のところ八戒は寝れそうになかった。
 まだ頭はクリアになっている。寝れるようになるにはかなりの時間を要するだろう。
 悟空が寝たときを見計らって散策にでもいってこようかと思っていたそのとき。
「八戒」
 悟空の呼ぶ声がした。その声はとてもはっきりとしていて、彼もまだ寝そうにないことは明らかだった。
 体はそうとう疲れているはずなのに…。
「どうしました?」
「あのさ…そっち行ってもイイ?」
「………」
 初めてだった。彼がそんなことを言うのは。戸惑いがちの窺うようなその声音は、いつも元気な彼にはとても似つかわない。
「やっぱいいや。ごめん」
「あ、違うんです。すみません。珍しいと思っただけなんです」
 八戒の沈黙が拒否と受け取ってしまった悟空は、わざと明るい声で返したようだった。そんないい方を悟空にさせるとは、自分の気の回し方が足りなかったと八戒は後悔した。
 ニッコリ笑って、バサッと布団をめくる。
「どうぞ」
 タッタッと軽い足取りがこちらに向かって聞こえてくると、悟空はめくってある布団の中に潜り込み、もぞもぞと寝心地のいい場所を模索している。
 ピタッととまったその場所は、布団に完全に潜る形となる八戒の腕の中。
「あったけー」
 ぴょこっと頭を布団から出すと、へへへと照れた笑いをする。
 その顔はいつもの悟空。
「俺さ、あの日の夜、すっげー怖かったんだ。三蔵は意識ねーし、八戒と悟浄は怪我してるしさ。もし皆が死んでたら俺は1人で残されるんだって思ったらさ、ホント怖くて。ずっと1人だったこともあったのに」
 あの日の夜とはいつのことかなどは愚問。よほど今回のことは悟空にダメージを与えたようだ。
「大丈夫ですよ。悟空を残して三蔵が死ぬわけないじゃないですか」
「八戒は?」
「えっ」
「悟浄や八戒も?」
 悟空にはいつも三蔵が一番で。いつも基準は三蔵で。そうずっと思っていたのに、いつの間にか基準の枠を少し広げてくれたようで、少しは自分たちもその枠の中へと入れてくれているようだ。
「僕も今ではそう簡単には死なないつもりですよ。やらなければならないことがまだありますから。悟浄だってこの世に女性がいなくなるまでしつこく生き残ってそうじゃないですか」
「そっか。…そうだよな」
 その悟空の返事からはほっとしたような嬉しそうな感じを受けたが、八戒もやっと自分を少しずつ認めてくれているような感じがしてそれなりに嬉しかった。
 だからついつい出た言葉。
「僕たちのことも気にとめてくれるんですか?三蔵だけじゃなく?」
「何言ってんだよっ。そんなのとーぜんだろ。三蔵は今までずっと一緒だったから…何て言うか…なんかいてくれないとしっくりこないっていうか…悟浄はいないと張り合いないし。八戒は…うーん…安心する。八戒見てっと」
「有難うございます。それじゃあ、余計に死ねなくなっちゃいましたね」
 自分のことを必要としてくれる人がいるなら、なおさら。
 やっと安心できたのか、悟空は目に涙をうっすらためて、あくびをかみ殺している。
「おやすみなさい、悟空」
「んー」
 ほどなくして、気持ちよさそうな静かな寝息が聞こえてくる。その悟空の右手は、しっかりと八戒の服の袖を握り締めていた。





 翌朝。
 階下へ降りて行くと三蔵と悟浄の2人が、すでに起きて待っていた。
 三蔵ならまだしも悟浄に関してはとても珍しいことで、八戒は感心していることなどおくびにもださず、いつもの笑顔で挨拶をする。
「おはようございます。お待たせしました」
「おー」
 こちらに背を向けて腰掛けている悟浄は、振り返らずに手をあげて返事を返す。
 悟浄の向かいに座っている三蔵は、読んでいる新聞からいったん目を離し、悟空と八戒の2人を確認すると、また新聞へと意識を向けた。
「よく眠れました?」
「ああ。もう、体が腐っちまうくらい。久しぶりに健康な朝ってやつを迎えたよ」
 なんとなく刺があるようなその言いぐさに、さっきから感じていた不穏な空気が気のせいではないことを知った。
「それは結構なことです。じゃあ、2人ともぐっすり寝てもらすめには、この組み合わせがベストなんでしょうかね」
「いんや、大丈夫。ぐっすり寝る方法は他にもあるからな」
 意味ありげな視線を向けられた八戒はドキリとする。しかしそんな悟浄の裏の意味には考えにもおよばない悟空は、すでに割り箸を割って朝食に待機していたようで、ちょうど店員が持ってきた皿の数々に待ってましたとばかりに箸をつけている。
「八戒。これすっげうまかった。はい」
「!!」
 ガタッ。
 あまりのことに悟浄が椅子を倒してしまうほどの勢いで立ち上がった。そして恐る恐る三蔵を窺ってみると。
「…おい、三蔵?」
 目を見張ったまま、固まっていた。
「…なーに、あれ。俺初めて見たけど?」
「だろうな。俺もだ」
「ひったくられたことならあるんだけど?」
「日頃の行いの違いだろ」
「有難うございます、悟空。でも僕は大丈夫です。自分でとれますから。悟空こそ僕のことは気にせず、たくさん食べてくださいね」
 さすがの八戒もこれには驚きを隠せないようすだ。
「きのうの夜のお礼だよ」
「……」
「……」
 知り合ってこのかた、三蔵でさえ一度も見たことがないという、人に食べ物をよそう、もうかしたら悟空にとっては最上級の行為であろうそれがお礼ということは…。
 悶々と考える二人にとどめの一言。
「すっごく気持ちよかったぜ。また一緒に寝てくれな」
「ええ。いつでも言ってくださいね」
 勝手な妄想は最悪なものへとなった。
「てめっ。ちょーしこいてんじゃねーぞ!」
「何がだよ!」
 そしてゆっくり席を立つ三蔵。
「行くぞ」
 その声はここもち低い。
 やはり彼もそうとう機嫌が悪そうだ。
「あの、でもまだ2人とも食事終ってないようですよ」
「ほっとけ。遅いのが悪い」
 さっきまで新聞を読んでいたかと思いきや、いつの間にか三蔵は食事を終えていたようだ。しかし八戒もすでに終えて、ちゃっかりお茶などすすってのんびりとしていた。
 尽きることのなさそうな2人の喧嘩は、食事もそこそこに続けられている。そして三蔵がドアまで行っても、八戒に言わせれば「本当に仲がいいですね」の一言で終ってしまう悟空と悟浄の喧嘩は終らず、火は燃えるばかりのようだ。
 ガウン。
「きゃあ〜」
「行くっていってんのがわからねーのか、きさまらっ」
「あ、でも、俺のシュウマイとエビチリが…」
「俺のから揚げとビールが…」
「うるせーっ」
「ホラ。本当に体に穴が開いちゃいますから」
 今日も快晴旅日より。そしてやっぱりいつもと変わらず、悟空と悟浄の情けない声が響いたいた。



END