SAIYUKI
NOVELS 9
妖精誕生 前編 2000.5.20
GOJYO×HAKKAI
 次の村まではあと1日半。そして今いるこの森を抜けるにはあと半日はかかるところ。
 そこで今日は夜を明かすことにした。
 いつもの席で各々楽な格好で睡眠を貪っている。だがそんな中、八戒だけはまだ寝つけないでいた。
 寝苦しい夜だった。
 疲れているので少しでも多く睡眠を取ろうと努力していたのだが、それでも眠気はいっこうに訪れず、何度目かの寝返りをうったあと諦めた八戒は、夕食時に水汲みに行った湖へと赴くことにした。
 誰もいない透き通った綺麗な水を1人占めしながら、のんびりと水浴びを楽しむ。
 帰りはゆっくりと帰路に着きながら、道すがら草花を愛でる。
 先ほど降った霧雨がほどよく草や花を優しく水分で包み込み、月の光で反射されてキラキラと輝いている。遥か向こうはまだ霧がとれないのか、うっすらと白い世界。
 眠りたいのに眠れないというのは結構精神的にこたえるものがあったようで、この気分転換ですっかりリラックスできた八戒は今度こそ心地よい眠りにつけそうな気がした。
 こんなことならもっと早く来ていれば良かった。
 でもそのときはこんなに幻想的な世界を見れなかったかも知れないと、今のこの時間に感謝した。
 皆はもちろん夢の中。自分だけ眠りにつけなかったのは、これを誰かが見せてくれるためだったかもしれないと都合のいいように考えて、微笑みを浮かべながら足音をたてずにジープへと戻る。
 そして八戒の顔に浮かんでいた微笑が一瞬にして凍りついた。
 見つけてしまったのだ。
 ジープの1つだけ空いている運転席のシートに、真っ白い麻雀牌が1つ。
 八戒は目を疑った。
 これはどういうことだ?なぜこれがここにある?今度こそ自分は確かに殺したはずなのに。
 牌を取る手が震えていたのにはもちろん気付いていたが、八戒にはそれを止めることができなかった。
 ぎゅっと握り締め、1人の人物を思い浮かべる。
 清一色、彼の姿を。
「いつまでボッとつったってるつもりだ?」
「………」
 少しの気配や物音ですぐ起きてしまう三蔵。だからこそ八戒が出かけたことも、気をつかって足音を立てずに帰ってきたこともすべてわかっていた。
 いつもなら声もかけずに相手を確認して後の行動を見届けたあとに静かに自分も眠りにつくのだが、今日にかぎって八戒はいつまでたってもシートに腰をかけようとしなかった。
 まして今の彼には自分の声が聞こえていない様子だ。
「八戒っ!」
「あ、はい?」
「ほおけてんじゃねーよ」
「すみません…。で、何か?」
「寝ろといったんだ」
「ああ、そうですね…」
 そう言いながらもまだ八戒は心ここにあらずで考えを巡らせているようだ。返事も上の空、シートに座る気配さえもない。
「…でも僕、忘れ物をしてきたようなので、ちょっと探してきますね」
 その言葉に眉を寄せた三蔵には目もくれず、なんの言葉も雰囲気をもすべてを降りきるように八戒はまた湖の方へと向かって行った。
 心配そうに見つめる、ひう1つの視線にも気付かずに。
 そして八戒が戻ってきたのは、うっすらと空がしろみがかってきた、少し寒くなった朝方のことだった。





 ガタガタ……ガタガタ………ガタンッ。
「うわっ」
「あ、すみませんっ」
 大きく揺れた車体のおかげで、悟空は思いっきり悟浄にダイブしてしまった。
「どうしたんだよ、八戒ぃ〜」
「すみません。気をつけますから」
 訝しげに問いてくる悟空は迷惑をかけた相手である悟浄を無視して、八戒に少しの注意を呼びかける。それに対して被害を被った悟浄は八戒には文句を言わず、「いてーぞ、サルっ」と悟空にのみぶつぶつ言っている。
 そんなにでこぼこの道でもない。いつもの八戒ならなんなくよけられる程度の軽いものだ。 ビールを飲んでいたら必ずグロッキーになっていただろうと悟浄かちらっと思ったくらい、今日の車体の揺れはひどいものだった。
 それはまるで八戒の精神面の現れのようにも感じられた。
 加えて、睡眠不足だからか、それとも考え事をしているからか。どちらにしろ、今車の前に何か飛び出してきたら必ずぶつかってしまうだろうと思われるくらい、注意力も散漫だった。
「八戒、止れ」
「はい?」
 こんな森の中を機械で走りぬけるのは自分たちくらいのものなのに、それでも八戒は律儀に端に車を寄せた。
「喫煙休憩だ」
 そう言った三蔵はさっさと1人でジープから降り立つと、解禁とばかりにスパスパとマルポロを吸い始めた。
 もちろん負けじと悟浄も煙草に火をつける。しかし彼の場合はたとえ車に乗っていても、いつも喫煙タイムだが。
「じゃあ僕、ちょっと頭冷やしてきますね」
 なんのために三蔵が車を止めたのか本当の理由をちゃんとわかっていた八戒は、彼の厚意を無にしないよう、ただ1人森の中へと姿を消して行く。
 無言で彼を見送った三蔵はタイミングよく悟浄と視線を合わせると、あごでしゃくって後を追えと命令する。それを寸分の違いもなく理解した悟浄は八戒の後を追った。
 八戒は足を進める。どこへいこうなどの目的もないまま機械的に足を動かしているだけ。
 そして頭の中では牌のことで一杯だった。
 今朝方まで清一色の姿を探していたが、とうとう見つからずじまいだった。
 皆に知られずに決着をつけようと思っていたたのに。
 とどめをまた、させなかった自分の責任だから。
 それとも清一色は何度でも生まれかわってしまうのか。
 殺すたびに生まれ変わり、自分の前に姿を現す。
 あの声で。
「……悟能」
 と。
 その考えが浮かんだとたん、八戒は身を振るわせた。
 両手で自分を抱きしめる。
 何度も悪夢が繰り返されるのか。
 忘れたくても忘れさせない。彼が全てを克明に思い出させる。
 一生毎晩悪夢を見つづけ過去から逃れなれない。これが自分の罪なのか。
 それでなくても自分が人間から妖怪に変わったことが、すでに戒めであるというのに。
 立ち止まりポケットから白い牌を出して、じっと見つめる。
 とにかく、なんだかんだ言っても心配性な3人なので、このことだけは絶対に口に出してはならない。
 ぎゅっと握り締めたその手が、八戒の決意の度合いを物語っているようだった。
 ジープの自分の席にこれがあったということは、清一色は存在を自分に知らせたかったということだ。もしかしたらしつも自分の近くにいて、自分を見ているかもしれない。
 以前のように清一色から声をかけてこればいいのに。今回は自分で探せということなのだろうか。
 それならその挑戦受けてたつまでと、八戒はこの少しの時間だけでも彼を探しに行こうとしたときだった。
「どうしたよ、八戒。お前らしくもねー」
「……悟浄…」
 気付かなかった。悟浄が近くに来ていたなんて。
 彼のことだ。絶対に気配を殺して近づくなことなんてしない。味方なんだから。
 手のひらに感じる固い感触にはっとする。
 まずい。このままでは見つかってしまう。これを見ただけで、彼はすべて察してしまうだろう。
 八戒は何気なく手にしていた牌をポケットにしまいこんだ。
「何か気がかりなことでもあるのか?そうだよなあ、そんな顔してりゃー」
「…どんな顔してます?」
「無表情…」
 そして今までいつもの軽い調子で話してきた悟浄は、突然人が変わったように真剣な顔へとなって断言した。
「だからだ」
 悟浄を見たときの八戒の顔には、表情と言えるものを何一つ浮かべてはいなかった。
 いつもなら何があろうともニコリと笑顔でくるんで隠すはずなのに、その笑顔をつくる時間さえないほど悟浄がくることに気付かずに考えに没頭していたのだろう。そこまで真剣になって考えるなんて、尋常なことではない。
「そんなことないですよ」
「へー、そお?じゃあ、ポケットにあるもん、見せてみな」
 やっぱり気付かれていた。
 こういうときの彼は本当に鋭いんだから。
「見せるほどのものでもありませんよ」
「…昨日の夜中、お前が帰ってきてからだよな、おかしいの。何かそれと関係あるんじゃねーの?」
 悟浄の視線は牌が入っているポケットに集中している。
「何があったか話してみろよ。自分1人で背負いこむなよ」
 悟浄は歯がゆい気持ちになっていた。
 自分が八戒の力になれないこと。八戒が自分を頼ってくれないこと。
 それは自分が八戒にとって頼りないからなのか、それとも八戒が自分に心を許してくれていないのか。
 そんなことを今の道すがら考えていて、情けなくなったくらいだ。
 どうして八戒の前だけでもかっこよくいられないのか。情けない自分がいてもいい。少しくらい弱みを見せてもいい。人間なんだから。彼は自分の過去を知っているのだから。
 でも、彼がドンッと頼ってきても揺るがなく守ってあげられる自分でいたい、ここぞというときには頼りがいのある男でありたいと、いつもそう願っていたのに。
 八戒にとってはまだまだということだろうか。
「…何のために俺たちがいるかわからねーだろ」
 また考えていて情けなくなった悟浄は、それがそのまま表に出てしまっていた。
 そのがかえって効果的だったようだ。
 まさか彼らに迷惑をかけてはいけないと思って黙っていたことが、逆効果だったことを八戒はやっと理解した。
「…有難うございます。また、僕のことであなたたちを巻き込みたくなかったんですが…」
「また?」
「ええ。…それが」
 すべてを話してしまおうと、ポケットに手を突っ込んだとき。
「見つけましたよ、悟能」
 悟能と、昔の名前で呼ぶのは1人だけ。
 昨日からずっと探していた人物。やっと姿を現したと思っていたが、その反面、天地がひっくりかえる思いも八戒はした。



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