SAIYUKI
NOVELS 4
それぞれの想い 2000.4.10
GOJYO×HAKKAI
「………」
 独特の香りがする。
 埃っぽいそれは雨が降る前兆のものだから、八戒は眉をよせた。
 いつからわかるようになったのかは、はっきりとしないが、多分雨が嫌いになったときがきっかけだろうことは安易に予想できた。
 雨は嫌い。
 恵みの雨といわれるほど、雨は重要なものだし必要なものだとは重々承知しているし、実際雨が降らないで困っている人がいることもわかっている。
 それでも、雨なんかなくなればいいと思ってしまうことがある。
 雨はあの忌々しいできごとを思い出させるから。
 最愛の人を失った悲しみと、自分たちの身の安全のために彼女を生贄にした村人への憎悪、そして彼女を守れなかった自分への怒り。
 それが混ざり合って何ともいえないものが自分を埋め尽くすから。
「どうした?」
 窓をあけたままかたまってしまった八戒に、不思議そうに悟浄は声をかけた。
 八戒の背後から同じように窓の外を見てみるが、これといって変わったことはない。いつも通りの風景がそこにあるだけだ。
「何でもありませんよ」
 振り返って感情を読ませない完璧なポーカーフェイスに形だけの笑顔を貼りつけて、彼は言った。
 もう一緒に暮らして結構経つが、いまだにこの手の八戒の顔から真相を読むことはできない。かといって率直に聞いても、ちゃんと答えてくれるわけでもない。
 それでも、またくだらないことを考えていたことだけはわかった。
 こちらを向いていた八戒の背中に哀愁が漂っていたから。
 それを見た瞬間、抱きしめたい衝動にかられた悟浄だが、タイミングよく振り向いてしまったので、行動に移せなかった。
 しかし、さきほどの背中が脳裏に焼き付いている。
 いつもより小さく、頼りなげな八戒の背中が…。
「……?悟浄?」
 八戒を凝視したまま何も言わない悟浄をいぶかしく思ったのか、小首をかしげている。
「どうしました?」
 ………ちゅっ。
 抱きしめるかわりに、軽くついばむようにキスをする。
 すると、予想もしていなかったその突然の行為は、赤面してうろたえるという珍しい姿を八戒から引き出すことに成功した。
「驚かせないでくださいよ」
「俺も充分驚いたゼ。まさかそんなに反応してくれるとはな。んじゃ、ちょっくら行ってくるワ」
「行ってらっしゃい」
 悟浄はめったにおめにかかれないものを見れたせいか、それともおでかけ前の役得のせいか、嬉々として出かけて行った。
 彼は今日、酒場に行くそうだ。顔見知りと飲む約束でもしているのだろう。遅くなるかもしれないから先に寝てるように言っていた。
 ということは雨が本降りの時に帰ってくる可能性もあるのだが、そうわかっても八戒は傘を持っていけとは言わなかった。八戒が雨が苦手なことを知っている悟浄は、「だりィ」のたった一言で約束を破棄し、自分に付き合ってくれることが簡単に想像できたからだ。
 そんなことは何がなんでもさせたくなかった。彼自身を犠牲にしてまで、付き合わせたくなんか…。
 それに情けない自分を見せたくなかった。
 彼だって過去には色々なことがあったのに、それをちゃんと乗り越えている。まだ完璧とは言えないかもしれないが、ここまで自分のように引きずってもいないだろう。
 だからこそ、こんなに弱い自分を知られたくなかったが、それでもこういうときには傍にいてほしいと思っている気持ちがあることも否定できなかった。
 そんな傲慢なことを思う自分にまた腹立たしさを覚えそうになり、八戒はその気持ちには目を瞑る。
 彼はどうせ、雨が降っているとわかった時点で戻ってきてくれるだろうが、傘を貸してくれる女性はごまんといるから大丈夫。濡れることはないだろう。帰ってきたときだって、入り口に背を向けて寝たふりでもしていれば、自分の葛藤を知られることはない。
 八戒はそう結論付けると、不安の上にいつもの調子の笑顔を貼りつけ、悟浄が見えなくなるまで見送っていた。





 あの時だな。
 悟浄はバケツを倒したような雨の中、傘もささずに全速力で家を目指していた。
 実際には水分が土に含まれぐじゃくじゃになっている地面に足がはまり、そんなに早い速度ではなかったのだが、出来うる限りの力を出して彼は走っている。
 傘を貸してくれると言った女はいたが、借りようとすれば女の家に行かなければならないし、傘を借りるだけじゃ終りそうもない。それをうまくかわして帰るには時間がかかりそうだし面倒でもあったので、早く家に帰りたい悟浄はその女の申し出を断って、今こうしてぬれねずみになりながらも帰路についている。
 雨の苦手な八戒がこの土砂降りの中、何を考えて一人で家にいるのかと考えて、ふと思い出したこと。
 夕方、窓の戸を開けたとたんに固まっていた八戒。
 何も言わなかったが、多分あの時に雨が降ることを知ったに違いない。
 水臭い奴だと思う。一言いってくれれば傍にいてやるのに。
 ただ傍にいるだけで他には何もできないが、もしかしたら気分がまぎれるかもしれないし、時として人が近くにいるだけでなぜか安心できることもあるのだ。
「…そういう奴だよな」
 言えば自分がどういう行動をとるかわかったからこそ、八戒は言わなかったんだろう。それでも…他人行儀のようで、可愛がっていた飼い猫に噛まれたようで。
 八戒の性格を考えればわかることだが、やはり言って欲しかった気持ちの方が強い悟浄は、釈然としない気持ちのまま自宅の戸を開けた。
「八戒っ!」
 家は闇に包まれていた。
 煌煌とした灯りのもと八戒が不安がっていると思っていたため、出鼻をくじかれた気分にさせられた。
 八戒の部屋の戸に拒絶しているような感じを受けたのだがそれを無視して、いつになくゆっくりと、寝ている彼を起こさないように優しく開けて様子を見る。
「………」
 八戒は布団を少しかぶり、こちらに背を向けてベッドに横になっていた。
 一瞬、本当に寝ているのかと思ったが、狸寝入りだということが悟浄にはわかった。
 というよりも、直感である。
 しかし悟浄は何も言わずに、開けたときと同様、ゆっくりと音をたてないように細心の注意をはらって戸を閉めた。
 八戒はホッと息をつく。
 悟浄が戻ってきた時点で、気付かれやしないかと心臓がばくばく言っていたが、大丈夫だったようだ。あとは彼が体を暖かくして風邪を引かずにしてくれればいいと考えて、またこれで何度目かわからない、湧き上がるなんとも言えない嫌な気持ちと、冷汗をかきながら葛藤していた。
 どれくらい経っただろう。
 また八戒の部屋の戸が開いた。
 つかつかつかと足音が近づき。
「つめてくんない?」
 悟浄はそう言って八戒のベッドへ潜り込んできた。八戒に背を向けて力を抜く彼。
「…どうしてわかったんです?」
「あ?」
「僕が起きてるって」
 悟浄に背を向けた体勢のままで、八戒は尋ねてきた。
「俺をだませると思ってたのか?甘いねェ。つっても、まあ、ただの直感だけどな」
 悟浄は体を直してあお向けにし、両手を頭の下に組んで置くと、天井を見据えたまま言う。
「本人は知らないかもしれないけど、お前ってすっげー寝相いいんだぜ。布団も寝たときそのまんま。いつも首まで布団をかけて寝てるのに、今日にかぎってそんなに深くかぶっているわけないでショ?」 
「……まいりましたね。まさかそこまで…」
「こっち向けよ、八戒」
 いつにないあまりにも真剣な声音に、八戒はゆっくり振り返る。その顔には朝見た笑顔そのままだった。
「そんな顔してんなよ」
 悟浄は右手を頭の下から抜くとそのまま八戒の首の下に回して、ぐいっと自分の胸に八戒の頭を引き寄せる。
「どんな顔ですか?」
「笑顔。まあ、俺には泣き顔に見えるけどな」
「……」
「無理すんなってコト。辛いなら辛いって言えばいいんじゃねーの?早く忘れろとは言わねーけど、やって欲しいことはちゃんと言ってほしいねェ。…たまには俺に、カッコイイことさせてくれよ」
 トクトクと悟浄の心臓の音がする。子供は親の心音を聞いて安心するというが、それは子供だけではないのだと気付いた。
 そして話すたびに揺れる悟浄の胸。その揺れさえ心地よい感じがした。
「充分、カッコイイですよ。悟浄は」
「そ?」
「ええ。ところで、シングルに男2人は狭いと思いませんか?」
「たまにはいいんじゃねーの。それにこのカッコなら、そうでもないでしょ」
 悟浄は体を八戒の方へ向けると両手で八戒を抱きしめた。
「あまり考えすぎんなよ。じゃ、寝よーぜ」
 今日は彼はこの体勢のままでいてくれるようだ。
 束縛はないゆうるりと抱きしめてくれる彼にそのまま身をゆだねると、伝わってくる体温が彼の優しさをも伝えてくれるような気がした。
 見せたくなかった弱さ。自分の想い。
 きちんと自分の想いを理解して彼は今傍にいてくれる。そんな存在に、体の奥から何か暖かいものを感じた。
 今日は眠れないだろうと思っていた八戒だったが、だんだんと思考に膜がかかり幸せな眠りが訪れてきたのに、そのまま身をまかせた。
 大丈夫。いつかは冷たい雨も暖かい気持ちで見ることができる。
 そう確信して、八戒は深い眠りへと入っていった。



END