SAIYUKI
NOVELS 33
願いと想いの混在品 2000.9.27
GOJYO×HAKKAI
 八戒が動く度にカチャカチャと音がなる。
 ポケットを探れば、カチャリと固い金属音。
 それは愛した人の形見だと、以前悟浄が聞いたときそう彼は言っていた。
 小さく微笑んでそう言った。
 そして今もその固い音は八戒と一緒に過ごしている。
「八戒、その音なに?」
「ああ、時計ですよ」
 悟空の目の前には、手のひらサイズの丸い懐中時計が1つ。
 ガラスにひびが入っているそれは動いていないようだった。
「これ、動いてないじゃん。八戒、他に時計持ってただろ?」
「ええ」
「どうして、そっち持ってこなかったの?」
「あれは持ってきてはいけないんですよ」
 にっこり笑って八戒は言う。
 不思議そうな表情をしている悟空に、それはもう嬉しそうに。
 なにげなしに耳に入ってきた悟空と八戒の会話を、今度はしっかりと耳をダンボにさせて聞いていた悟浄は、あまりにもきっぱりと「持ってきてはいけない」という八戒の言葉に。
「……どうした?」
「いんや。なんでもありません…」
 奈落の底に突き落とされた気がした。





 悟浄は窓から空を見上げる。
 今日もまたいやみのような、青々とした空だった。
 今まであいつらが来たなかで、天気の悪い日など1回もない。それはまるで、空までもが奴らがこの家にくることを歓迎しているようだった。
 こんなにいい天気の日は、たまには八戒と2人だけで外でのんびりと過ごしたいのに。
 一緒に買い物に行ったり、一緒に外で食事をしたり。
 たまには外で押し倒すのもいいかもしれない。
 晴れの日は、やりたいことがたくさんあるのに…。
 なのになぜ、あんなひねくれ坊主と食い気しか能がないお子ちゃまのために、大人しく家にいなくちゃならないんだ。
 視線を空から八戒へと向ける。
 こちらに背を向けて一生懸命何かを作っている、愛しきただ1人の人。
 自分のためではなく、これから訪れる彼らのために。
 まして鼻歌までもが聞こえてくる始末。
 今まで八戒が台所に立っているときに、鼻歌など聞こえることはなかった。そう。今まで自分のために作ってくれたときには。
 サイドボードに視線を向ける。
 そこには銀縁に細々とした細工が施してある時計が、寂しげに佇んでいた。
 寂しげに見えるのは、多分悟浄の気持ちが反映してのことだろう。
 これだって、ここにあるしさ。
 それは以前、悟浄が八戒にプレゼントしたものだった。だから別に彼がどうしようとかまわないし、何とも思わないつもりだったのだが…。
 俺って、もしかして、愛されてない…とか?
 無雑作にあげたものが置かれていると、そう思っても仕方がないと思う。
「八戒ーっ」
 はあ。深々と、1つ悟浄はため息をつく。
 とうとう来てしまった。
 自分でも嫌そうな顔をしているのはわかっている。でもあえずここで顔をくつろうことはしなかった。
 どうせ、奴らだし。
 かわらずに元気一杯に飛び込んでくる悟空は、嬉々とした表情をして1人の名前を呼んでいる。ここの住人は2人いることは知っているはずなのに。
 憮然とした表情を隠さずにいる悟浄に、今気付いたとばかりに。
「あ、悟浄。久しぶり」
「…俺はおまけかい」
「八戒ーっ」
 もう用事は済んだとばかりに、悟空の体はもう八戒を探すべく、台所へと向かっていた。
「…聞いてねーしよ」
「邪魔するな」
「ホントだぜ」
「……機嫌が悪そうだな」
「そう見えますう〜?んなら、早くおいとましてよ」
「なんで俺が貴様なんかのために、帰らなくちゃならないんだ」
「そーゆー奴だよ、お前は…」
 結局のところ、三蔵だって悟空と同じく、ここに来ることを結構楽しみにしているのだ。
 悟空が八戒を手伝って、台所から手に皿を持って戻ってくる。
 たまたまわきを通ろうとして、サイドテーブルに置いてある小さな時計に目をやって。
「…あれ?もうこんな時間?」
 悟空は不思議そうな顔をした。
 確かにここにくる途中、少しだけ寄り道をしたけれど、そんなに時間は経っていないはずだった。
「あっ、それは違いますよ」
 後から、こちらもまたコーヒーをそれぞれの好みに入れて台所から戻ってきた八戒が、すかさず今の時間を告げた。
 その時計だと思っていた時間とはまったく異なる時刻を。
「これ、時計じゃねーの?」
「時計ですけど、時間が違うんです」
 今の時刻とは3時間ほどずれているその時計。
「直さないの?」
「ええ。いいんです、これで」
 その時計を見つめていう八戒は、とても穏やかに、優しそうな顔で言う。
「ふーん…」
 台所にまた戻っていく八戒の後を追って、悟浄も台所へと足を踏み入れる。
 三蔵はもちろんテーブルから動くことはないだろう。悟空は銀の時計を凝視しているのを確認済みだ。
 しばらくの間は、ここは三蔵と悟空がいない2人だけの場。
「どうして直さないんだ?」
「はい?」
「あの時計…」
 直さなくてもいいほど、どうでもいいものなのだろうか。
 渡したときにはとても喜んでくれていたようだったんだが。
 それとも気のせいだったんだろうか。
「…気付かないんですか?」
「何が?」
「あの時刻」
「??」
 一生懸命、考えて見る。
 何か意味があるようだが、それでもどうしても悟浄には思い浮かばなかった。
「新しい時間を刻んでいるんですよ。2人のね」
 新しい時間?
 部屋に戻ってサイドテーブルにある時計をまじまじと見る。
 その時計は日にちをも計れるようになっているが、その日までもがまったく今とは関係ないもの。
 そして気付く。
 なるほど、そういうことだったのか。
 だからここに置いてあったのかもしれない。
 自分が見るだけでなく、悟浄も見れるようにと。
 あまりにも嬉しいその時計は、今まで見ないようにしていたが、今度からは毎日見そうな予感がした。





「なんで、持ってきちゃいけねーのよ」
 突然の悟浄のそのセリフは、八戒にはまったくわからないものだった。
「は?」
「時計。さっき悟空に言ってただろ」
「ああ。そのことですか」
 家にある持ってこれそうな時計はただ1つ。
 あの時計は特別な意味を持つものだから、持ってきても時間を見るのには不向きなものだとは、悟浄にもわかっている。でも持ってきてはいけないということはないはずだ。
 2人にとって意味のある時計なのに。
「だって、あれは2人のでしょう。だから、あそこになくちゃ意味がないんです」
 2人で過ごしたあの家で、2人の思いが通じ合い、2人の関係が同居人から恋人へと変わったとき。その暖かい時間を、あの美しい細工のある銀の時計が刻んでいるから。
 悟浄が八戒の誕生日のプレゼントに渡したあの時計。
 同時に告白して、結ばれて。
 朝八戒が起きたときに、2人の時間に直していた時計。
 ときには喧嘩をして、それでも毎日が楽しく過ごせた、あの暖かい場所。
 必ずあの家にまた戻るために。
 また2人であの時計を見て、また2人で時間を刻むために。
 それは八戒の、小さな小さなおまじないだった。
「あれが待っていると思ったら、少しは危ない橋も叩いて渡るようになるでしょう?」
「それじゃ、まるで俺が無鉄砲みたいな言い方じゃねェ?」
「あれ?違ったんですか?」
 これからは悟浄の見識を改めなくてはいけませんねと、八戒はこ憎たらしいほど爽やかににっこりと微笑んだ。
「お互い様なんじゃねーの?」
 真正面からこれまたにっこりと八戒へ笑顔を向けると、それとは異なる寂しげな声音で突然「命を粗末にすんなよ」と言うと、八戒の顔を少し上へ向けてついばむように口付けた。
 何度も何度も口付ける。
 その1つ1つのぬくもりの間をすり抜けるように八戒は言う。
「あの時計が待つ家に、必ず2人で帰りましょうね」
「ああ」
 さらりとした口調。
 何気ない約束。
 しかしそれは2人にとって切実な願いだった。








END