SAIYUKI
NOVELS 2
花咲くとき 2000.4.1
GOJYO×HAKKAI
  それを見つけたのは八戒だった。
 力なく投げ出された手足。微動だにしない血に染まった体。
 肌の色から、その人間がすでに息をしていないことがわかる。
 普通の人ならばこういうときは見て見ぬふりをするのが一般的だろうが、八戒の「かわいそうなので、埋めてあげましょう」の言葉に、やっぱりと悟浄は思った。彼の性格からして、絶対にそうくるだろうと思っていたのだ。三蔵や悟空も同じことを思っていたのか反対することはなかったが、肯定の言葉も出はしなかった。
 もちろん八戒も返事が返ってくるとはとうてい思ってもいなかったようで、自分の服が血で汚れるのもお構いなしに、その見知らぬ亡骸を抱き上げる。
「人がよすぎる」と悟浄が言えば、「あかの他人の内臓を元に戻して、野垂れ死しそうな奴をわざわざ自宅まで運んで看病するほど、僕は優しくありませんよ」と八戒に返されてしまった。
 舌打ちをして八戒から視線をそらした悟浄の目に入ったのは、八戒が抱えている男の亡骸。
 その男の開いた瞳は、いつか見た彼の瞳に似ていた。
 雨の降る中、体の大部分を血に染めて倒れている彼。
 頭を少し動かして自分を見た瞳。
 その八戒の瞳を思い出させた。





 まだ室内が薄暗い。多分まだ陽が出てきていないのだろう。
 いつもならまだ寝ている八戒だが、なぜか今日は意識が浮上してしまった。
 連日連夜、寝るところといったらジープの中だったので、布団で眠ることができる今日はまさに天国である。次はいつこれが味わえるかわからない。体をゆっくり休められるのも、もしかしたらまた当分先になってしまうかもしれない。
 幸い、まだ起きるには早いようだ。眠れるうちに休んでおこうと八戒はまた目を閉じようとした。しかし、何かが引っかかる。
 落ちて行きそうな意識を留めて、八戒は視線を左へと向けて見た。
 そこには普段ならまだ夢物語を楽しんでいるはずなのに、方膝を立てて壁に寄りかかり、煙をくもらせながら外を眺めている、悟浄の姿があった。
 もうどれくらいそうしているのだろうか。彼の足元にある灰皿には、すでに数本、短くなってくしゃくしゃになった無残な姿のタバコが入っている。
 たたまれていない布団。音を立てないではく煙。
 加えて、申し訳なさそうに少しだけカーテンを開けているのは悟浄側と、すべてが八戒を起こさぬようにとの配慮だとわかるその悟浄の優しさが、なんだがこそばゆい気が八戒はした。
「眠れないんですか?」
「んあ。起こしちまったか?」
「いえ。なぜか目が覚めてしまったんです」
「それって俺が起こしたって言わない?」
「いいませんよ」
 八戒は心持ち顔をこちらに向けてニッコリと笑っている。
 いつもの八戒なら、こういう場面でも必ず律儀に体を起こして話かけてくるのだが、横になったままということはよほど疲れているのだろう。
 そりゃそうだわな、とここ最近の道のりを振返ってみる。
 強風の中、砂漠を渡ったり。
 道なき道を進んだり。
 たまに宿でゆっくりと休めると思ったら、悟空と同室だったり。
 悟空は日中も元気だが、いたって夜も元気で、毎日例外なく大きないびきをかいている。
 そろそろ八戒の体も限界なのかもしれない。
「もう少し寝てたら?食事までには時間あるし」
「そういう悟浄は寝ないんですか?」
「俺?俺は、もうちょっとこれ味わってからにするわ」
 吸いかけのタバコを人差し指と中指とではさんだ右手を少し上げながら言う。
 どうせ寝ても起きてしまうのだ。
 何度も繰り返される夢。
 力なく横たわる体。血に染まった息をしていないその男を抱き起こす八戒。
 その拍子に今まで見えなかった男の顔が少しこちらへ傾いた。
 瞬間、悟浄は驚愕する。
 こときれた男は八戒だったのだ。そして男を抱き起こしていたはずの八戒は、自分へと移り変わっていた。
 腕にかかる八戒の体重。動かない体。だんだんと冷たくなっていく体温。見開いた瞳。
 そこで悟浄は、はっとして目を覚ます。
 それの繰り返し。
 昨日の昼間、八戒が埋葬してやった男の瞳が、初めて見た八戒の瞳にどこか似ていたので、それから死について考えさせてれていた。
 死について、というより、八戒の死についてだ。
 八戒は強い。そう簡単に死なないことはわかるが、ごまんといる妖怪の中には八戒の上をいく者も当然いるだろう。それがいつ刺客として自分たちの前に現れるかわからないのである。
 もしかしたら今夜かもしれない。それとも明日かもしれない。
 頭の切れる八戒だから、必ずしも自分より強い相手だからといって負けるとはかぎらないが、それでも、もしかしたら…。
 そんなことを考えていたからだろう。そんな不吉な夢を見たのは。
 起きていてもどうせ色々と考えてしまうのだが、その夢はあまりにもリアルすぎた。それならまだ起きていた方が気が楽というものだ。
「…それとも、眠れないんですか?」
「いや、そーいうワケじゃないけどね」
「それなら悟浄。寝てもらわないと困ります」
 悟浄が寝る気がないことを悟ったようだ。
「きのうの昼間から何か変ですよ。人のことを気にしているから、いつもなら楽勝で闘うあなたが、ケガなんかするんです」
「………」
 例え八戒のことが気になってしまったとはいえども、いつもに比べると集中力が散漫になっていたのは事実で、一応ギリギリでよけたのだが不覚にも軽いケガをおってしまったのだった。その傷はすでに八戒に治してもらっているので今は跡形もないが。
 八戒の顔には絶えず笑みが浮かび、口調はさっきからまったく変わらずに丁寧かつ穏やかではあるが、彼が怒っているのは明白である。
「あなたの屍を埋めるのは、僕はごめんですからね」
「わりィ」
「何をそんなに悩んでいるかわかりませんが、しっかりしてください、悟浄。あなたらしくもない」
「俺らしくない?…そうだよな」
 考えこむなんて、確かに俺らしくない。
「とにかく」
 八戒は布団から出ると、悟浄に近づいていった。
 意地でも寝かしつける気か?それならそれで…。
 と、構えの体勢をとっていたのだが、むんずっ、と悟浄のかけ布団をつかみ、ズルズルと引きずってくると、八戒はちょこんと悟浄の左隣に、同じように座り込んだ。
「えっ、オイ…」
「ホラ、こんに冷えてるじゃないですか。だんだん暖かくなってきているとは言っても、まだ朝晩は冷えるんですから」
 ぴったりと悟浄にくっつして、かけ布団で2人を包み込んだ。
 あせったのは悟浄だ。
 実は今回の一件で、1つわかったことがあった。
 それは八戒への想い。
 振返ってみると、確かに自分は無意識に八戒を大切にしているようだ。
 今日まで色々な女と関係を結んだ。女は好きかと聞かれれば、とーぜん、と胸を張って即答できる。
 しかしこれといって1人の女を愛することはなかった。
 だからかもしれない。今の今までこの想いに気付かなかったのは。
 今となってはすでに八戒への感情を理解しているので、こういう行動は非常に困る。
 表情に出ていたらこまるので、あわてて悟浄は顔をそむける。
「人肌って、安心するときがないですか?」
 コトンと悟浄の肩に軽い重み。
 眠りを誘ってもくれますよねと眠たそうに言った、自分の肩に頭をのせている八戒の顔をうかがい見ると、彼は目を瞑り眠りへと入っていこうとしているようだ。
 さりげない優しさ。
 結局は、八戒は自分のためにこの行動を起こしてくれたようなものだ。
 しかも自然に。
「あーあ。お前が女だったら、はらましてでもゴーインに俺のものにするんだけどな」
「悟浄らしからぬ発言ですね」
 八戒はまだ目を瞑ったままだ。それでも言葉ははっきりとしている。
「げっ。起きてたのね。でも、今のはもっとも俺らしーと思うけど?」
「いいえ。紳士な悟浄はそんなこと、しませんでしょう?」
「………」
 たとえそういう場面を目撃したことはなくても、それくらいのことはわかる。
 八戒もよく悟浄のことを見ているから。
 だから悟浄がどれくらい八戒のことを想っているかも。
 悟浄は自分のことながらやっとわかった想いだったが、八戒は以前から気付いていた。
「でも、残念です」
「あ?」
「やはり女性でないと、あなたのものにはなれないんですね」
 あまりにもすんなりと言ったそれは、悟浄の耳に、水が染み込むかのように、じんわりと入ってきた。
「えっ。…それって…」
 八戒の今の言葉を悟浄は反芻する。
「…八戒。キス…してもイイ?」
「あなたのものにしてくれますか?」
 目を開いて、悟浄をじっと見つめる瞳。
「俺のものになってくれるんだ?」
 ぐいっと悟浄は顔を近づけて、八戒の瞳をまっすぐ覗きこんでいう。
 いつになく真剣な眼差し。
「なら。これからは断らないでくださいね、悟浄」
 ほんわかと八戒は微笑んで、ゆっくりと目を閉じていった。





「なんか、やらしーんだよな」
 悟浄と八戒が食堂に下りてきたとたん、悟空は言った。
 先ほど、メシー、と言い放って2人の部屋を開けたとき悟空の目に入ったのは、座って壁に寄りかかり、仲睦まじく肩を寄せ合って1枚の布団に包まっている、八戒と悟浄の姿だった。
 窓からの日差しを浴びながらうとうとと眠っている2人の姿は、ほほえましく映ったんだが。
「何でやらしーんだよ。ただ一緒に布団に包まっていただけだろ。だからお子様はいやだねー。変な想像ばかりするから」
「日頃の行いを考えろ」
「悟空。悟浄は悪夢にうなされて、眠れなかったそうですよ。だから一緒に寝たんです」
「げっ…」
 なんで、そこまでわかったんだよ。
 やっぱり八戒は侮れないと、悟浄は実感せざるをえなかった。
「えー、お子様ー」
「どっちがガキだか」
「だからもうそのことを振れるのはやめませんか?大人だと思いこんでいる人に、実際は子供なんだという現実をつきつけるのは酷というものでしょう」
「うんっ。さすがの悟浄も、かわいそうだもんなっ」
「………」
 相変わらず、八戒の食えないものは健在である。
 子供に子供といわれるのは癇に障るが、今朝のいいことで帳消しにしてやろうと、俺ってやっぱり大人などと思いつつ、悟浄はこめかみをぴくぴくさせながら、八戒と悟空のまだ続きそうな2人の会話を聞き流していた。




END