SAIYUKI
NOVELS 7
赤い縛纏 2000.4.30
GOJYO×HAKKAI
「あんの、クソ坊主。八戒と2人きりになりたいからって、俺に猿を探させやがって。自分で探せっつーんだよ」
 誰にも聞かれず空しく消えていくその言葉。
 森の中なので誰にも聞かれる心配がないからこそ、もしかしたら悟浄はぼやいたのかもしれない。
 そんな彼の後ろには、パタパタと軽い音を立てて飛んでいる白い竜。
 三蔵はいつものあの尊大な態度で、いつもの通り悟浄の都合は考えずに命令してきた。
「悟空が森にいるはずだ。連れ戻して来い。そいつも連れてな」
 三蔵がとある情報を入手したいとかで、今回はこの村に3・4日滞在する予定になっていた。
 その情報に関係してくるからなのかはわからないが、悟空には妖怪の住みかがあるか森に探しに行かせている。
 しかし悟浄は、ただうるさいからという理由で森に行かせたのではないかと、踏んでいた。
 その悟空を探してこいという。ジープも連れて。それが邪魔者払い以外に何があるだろう。
 計画的犯行だな。
 三蔵がそういうつもりなら、とにかく急いで帰ってやる。
 そう決心した悟浄は更に森の奥へとズカズカと突き進み、真剣に悟空を探そうとしていた。
 そして偶然出くわした場面。
 悟浄が目にしたその光景は、幼い頃の記憶をより鮮明に思い出させた。
 女性の少しウェーブがかった髪型が母親に似ていたからかもしれない。それとも震える手で女性の腕を握り締めているその手が、まだ小さかったからかもしれない。
 あまりにも奥底にある記憶に類似していたためだろう。助けもせず、立ち去ることもせず、悟浄はただ立ち尽くすだけだった。加えて、子供の首にある女性の白く細い指と、幼顔の子供のふっくらした頬に伝う一筋の涙が、悟浄の思考回路までをも麻痺させていた。
 子供の意識が完全になくなると、動けずにいる悟浄に気付かぬまま、女性はその場を離れて行った。





「三蔵は巷で流れている噂、知ってます?」
「ああ。ガキ殺しだろ」
「ええ」
 ここ最近よく子供が殺される事件がある。殺され方はまちまちで、首を締められたり刃物で心臓を刺されたり。
 問題なのは決まって子供が赤い髪のこと。
 殺される理由は簡単に想像がついた。それは妖怪の血が流れているからだ。
 まだ妖怪と人間の子が赤い髪だという事実は世間に浸透していないが、その子の親にはむろんわかること。しかし母には赤い髪がどうとかの問題ではない。つまり妖怪の血が流れているということこそが、重要な点なのだ。
 突然の妖怪の自我の損失と暴走により、人間の畏怖の対象となってしまったがため、母親が子を殺してしまっているのだろう。
 それは母親が弱いのか。それとも子のことを考えてのことなのか。
 どちらにしろ子にとってはもしかしたら迷惑なだけで、母の独り善がりなのかもしれない。
「今日もあったようだな」
 三蔵が読んでいる夕刊には、今朝森で子供が殺されていたのが発見されたこと、犯人はその母親で犯行は昨日だったことなどが、小さいながらも書かれていた。
「…この噂。悟空や悟浄も知ってると思います?」
「知らないのはあのバカ猿くらいだろ」
「ですよねえ、やっぱり」
 当の本人がいないからといって言いたい放題である。とはいうものの、本人がいてもいなくても同じことなのだが。
「悟浄、元気なかったですしね」
「ああ」
 やはり三蔵も悟浄の変化に気付いていた。
 なんだかんだ言っても、やはり三蔵は仲間たちを大切に思っている。いつも悟空や悟浄にハリセンや銃を向けるのも、怒鳴ったりするのも、気を許すことのできる相手だからだ。だからこそ、そういう相手にはよく目を向けていて、小さな変化でも見落とすことはない。そしてどういう行動を相手が起こすかも、だいたい予想していたりする。
「三蔵。留守番お願いできます?」
「夕飯までには戻って来い。うるさいのが1匹いるからな」
「はい」
 悟空も悟浄の些細な変化に気付いているのか、それとも肌で感じているのか、いやもしかしたら野生の勘かもしれないが、いつものじゃれあいを今は控えている。とは言っても、いつも悟浄がちょっかいを出しているのだが。
 その悟空はといえば、今は買い物に行かせている。
 たまにはいいでしょう、との八戒の言葉から。
「ジープも来て下さい」
 今までの疲れを癒すように、そして次に備えようとしているのか、この宿屋についてからジープはだいたい目を瞑って体を休めている。今もその体勢をとっていたジープだったが、八戒の優しい声音にすぐ反応をしめすと、きゅーと返事をしながらパタパタと小さい羽の音をたてて近づいてきた。
 肩に軽い重みを感じると、八戒は行ってきますと返事を期待していないが挨拶だけ述べて、外へと出て行った。
「ジープ。昨日悟浄と通った道を覚えてますよね。案内してください」
 悟浄に昨日何かあったのは確実なのだ。あの彼があんなに落ち込んでいたのだから。
 もしかしたら今は1人でいたいのかもしれない。
 人に弱みを見せない彼だから。
 いつも強がる彼だから。
 それでも近くにいてあげたいのが八戒の本心だった。
 他人には完璧に殻を被って本当の自分を見せない悟浄なのに、とても落ち込んでいたことを見破ってしまった八戒が、どれほど悟浄を見ているのか。八戒が鋭い感覚の持ち主なのを熟知しているからこそ余計に八戒には気をつけていた悟浄なのに、それでも見破られてしまったほど八戒には甘えが出てしまったところとか。
 まったくそういうことには気付いていない八戒。
 まあ行ったらわかることですからね。
 悟浄が逃げなければそれでよし。逃げてしまったら…彼の気がすむまで1人にさせてあげましょう。
 気を遣わせないように、夕飯は先にいただいて。そして何気ない顔で部屋で待っていればいい。
 道すがらずっと悟浄のことを考えていた八戒が、ジープの後について森の中に入って少し。
 そこに彼は静かにいた。
 そこは、昨日まだ10才にも満たないだろう赤い髪の少年が母親に殺されるのを悟浄が目撃した場所でもあり、先ほど三蔵が言っていた新聞の小さい記事の殺人事件が起こった場所でもあることを、むろん八戒は知らない。
 木陰に座りこんでボーッとしている悟浄。
 心ここにあらずの状態でましてや森の中なのに、彼は煙草をくもらせている。
 あんなんじゃ煙草の味もわからないだろうにそれでも吸っているあたり、煙草を口にくわえるのが癖になっているようだ。
「だめですよ、悟浄。いくら僕たちでもこの森が火事になったら、火を消すことは難しいですからね」
「…八戒」
「どうしました、こんなところで?ここにいては美女に声もかけられませんし、お酒も味わえませんよ」
「ビールなら持ってきた」
 たまたま悟浄の影になっていたため見えなかったが、ちゃっかり2本脇に置いてある。内1本は当然口が開いていた。
 こういうときだけ用意周到なんですね。
 笑ったとわかれば何を考えていたのかを悟浄が察知して機嫌を損ねそうなので、八戒は必死にこらえていた。
「八戒こそどーしたよ」
「僕は散歩です。ジープに陽の当たる心地よい場所で羽を伸ばしてもらいたくて」
 嘘も方便。
 八戒のその気持ちを理解してくれたジープは、八戒の肩から陽が当たっていて他より少し伸びている草の上へと移動していくと、体を丸めて力を抜いたように羽を伸ばしゆっくりと目を瞑った。
 そして八戒は悟浄の隣に当然のように座ると、ジープの姿をじっと見つめる。
 どんなに八戒の口がうまかろうと、いくらなんでも自分のことを心配して来てくれたことぐらいは、長い付き合いだからこそ安易に想像できた。
 なのにもちろんそんなことを八戒は言わない。
 ただそっと傍にいて、そして自分のことを見てくれている。
 そんな1歩ひいた八戒の優しさが、心を少し和ませてくれていた。
 ついさっきまで悟浄は昨日のことを振りかえっていた。
 思い出したくないのにいつの間にか浮かんでくる映像。
 どうしてあのとき助けてやれなかったのか。
 昔のことは過去のことと割りきれたはずなのに、それでも動けなかった自分。
 ふさがった傷が開いたかのような瞬間。
 しかしそれも今ではだんだんとふさがって行くような感じがする。
 八戒のおかげで…。
「…散歩ねえ」
「ええ」
 横に座っている八戒が足を投げ出しているのをいいことに、悟浄はポテンと頭を乗せる。
「重いですよ、悟浄」
 本気で思っていないくせにそう言ってくる八戒が、自分の甘えを許してくれるように悟浄には感じられた。
「久しぶりだな、こーいうの」
「そうですね」
 昔はよくあった光景。
 晴れた暖かい日には、庭に出て日向ぼっこをしている八戒の元へと悟浄がきて、無言で八戒の膝を借りて枕にしていた。
 夏の暑い日は、強い日差しから逃げるように木陰で休んでいた悟浄に冷たい飲物を差し入れにきた八戒へ、強引に膝枕を要求した。
 それは今では懐かしいと思える平和なころの出来事。
 思い出している悟浄と八戒の口元には、ゆるく笑みが浮かんでいた。
「気がすんだらどいてくださいね。足が痺れてしまいますから」
 そう言って悟浄の頭に乗せた八戒の手からは、暖かい気が送りこまれてくる。
 少しずつ少しずつ。悟浄に気付かれないようにゆっくりと。
 自分が疲れるのも構わずに悟浄に気を送るそんな八戒をらしいと思うし、その優しさがくすぐったかったりもしたのだが、たまにはそれに浸ってもいいかもしれないと悟浄は思いはじめていた。
 目を瞑り、八戒の優しさに身をゆだねる。
 この八戒を守れるくらい自分の存在が彼を安心させるくらい強くなりたいと、切に願った悟浄の頭には、あれだけ強烈に残っていた昨日の映像がすでに消えていることを、本人はまだ気付いていなかった。



END