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「三蔵、おめでとうな」
「おめっとさん。しかし着々とジジィに近付いていくねェ」
「…もう少し嬉しそうにして下さいよ。一応今日はあなたの誕生日なんですよ」
「……ああ」
朝食後のわずかな時間をおしむように新聞を広げる三蔵からは、生返事しか返ってこない。
これでは書く耳をもたないのか本当に聞いてないのか八戒にはわからなかったが、朝の早い旅人たちでにぎわっているこの食堂内で悠々と新聞を読んでいるところを見ると、もしかしたら後者なのかもしれない。
どちらにしろ、相変わらずの三蔵の態度に八戒は苦笑すると、今の時間を確認してのんびりと席を立つ。
「先に行ってますね」
八戒の朝は少々忙しい。これからの朝食後の時間が特にだ。
宿屋での精算をすませたり荷物をまとめたりなど、出発の準備をしなくてはならない。本当は別にこれが八戒の仕事と決まっているわけではないので、誰がやってもかまわないのだが、この中では彼が一番適役だし嫌々やっているふうでもなさそうなので、このまままかせてしまっている。
彼が1人、部屋へと消えて行く後姿を目で追いながら、三蔵は先ほどの八戒の言葉を反芻する。
誕生日。
『やっぱ誕生日ってワクワクするよな』
『あまり実感はないですね。まだみなさんの誕生日の方がどきどきしますよ』
『なんでか、やっぱりいつもとは違う気ィすんな』
以前そんなことをそれぞれが誕生日のときに言っていたが、三蔵は今日そのときの彼らと同じ立場になっても、何とも思いはしなかった。
たしかにいつもとは違う日になりそうな予感はする。だがそれは周りが少々浮き足立っているからだ。
八戒は今晩の献立を嬉しそうに考えていて。
悟空は八戒が豪華な夕食を披露してくれるのを承知しているので、今からうずうずしているようだ。
悟浄にいたっては「忘れらんねーモン、お前にやるよ」と豪語している。
そんな彼らを冷めた心で遠巻きに見てしまう自分がいた。
正直なところ、三蔵は誕生日というものになんのこだわりもないし、何も感じることがなかったから。
ふと視線を前へ向けると、子供さながらの悟空は満腹感もあって、うとうととし始めている。
このままここにいては悟空が寝てしまって、誰かが小猿をジープまで運ばなくてはならなくなってしまう。それなら今すぐここを立った方が得策だ。
「行くぞ」
「あっ、テメっ、んなとこで寝んじゃねーよっ、このガキ猿っ!家畜っ!!」
「んー……」
「起きろっ!!」
がしがしと悟浄が蹴りをいれても、すでに深みにはまっているようで、悟空はいっこうに起きようとはしなかった。その手のかかる猿を誰が連れて行くのかと、悟浄が話しをもっていこうと三蔵を見れば、すでに我関せずと言わんばかりに後姿を見せていたので、必然的にそれは悟浄の役目となってしまった。
ちくしょう覚えてろよと、悟空にか三蔵にか悪役さながらのセリフをぶつぶつと言いながら、悟浄は悟空の襟首を掴んで引きずるように外へと出て行った。
それに対し、三蔵は八戒がいるであろう部屋へと呼びにいくべく部屋へと足を向ける。
「八戒」
扉を開いた三蔵の目に飛び込んできたのは、八戒の後姿。
まだ荷物の整理でもしてるのかと思いきや、彼は清々しい朝陽が一杯に入り込む窓に向かっていて、どこかを眺めているようだ。いや少々俯き加減になっているところを見ると、何か監察をしているのかもしれない。
「どうした」
声をかけるが返答はまったくなし。
イラついて八戒に近付いてみれば、彼は手を合わせてお祈りをしているようだ。
「何してる」
ちょうどお祈りが終ったのか、ゆっくり顔をあげて空を眺めると、三蔵に視線を向けてにっこりと微笑んだ。
「お祈り、してたんですよ、かみさまに」
「そんなこと、聞いてんじゃねーよ」
天然なのか、それともわざと話しをそらしているのか。それがたまにわからないところが、彼のこの笑顔が曲者だと思う所以である。
「神なんぞ、まだ信じてんのか?」
「だって実際にいらっしゃるじゃないですか」
本当に神という漢字があてはまるのだと感心してしまうほど神出鬼没に現れる、神さまとはとうてい思えない、とある人。人と言ってはおかしいのかもしれないが、自分たちを知っているようなそぶりを見せ話しかけてくる、三蔵にひけをとらないほどの破綻な性格をした女性の風体をした、あのインパクトの強い人のことを言ってるのは安易に想像できることだった。
「…いまさら何を願うことがある?」
「お願いごとじゃありません」
あの人が願いごとを適えてくれると思いますか?と問いかけてくる彼に、確かにと三蔵は納得した。八戒が神だのみをするとは以外だとも思っていたが、それ以前に目の前に現れたあの神は願いごとなど鼻で笑って跳ね除けそうである。
「感謝していたんですよ。あなたをこの世に誕生させてくれたことに」
綺麗に笑う八戒の顔を三蔵は凝視した。
そんなことを考えたことはなかった。
すでに自分はここにいて。
現実を見つめ、暗闇を模索し、今まで生きてくるのが精一杯だった。
うるさい奴らと任務のために西を目指していくことしか頭になかった。
「あなたが生きていてくれてることに。あなたが……」
凝視する三蔵の目に八戒の顔が近付いてくる。
そして唇に軽く柔らかいものが触れた。
離れて行く八戒を見ながら、やっとそれが八戒の唇だということに気付いた。
まだお日様が顔を見せている日中に、八戒からはほとんどこういうことをしないだけに、三蔵は驚きと嬉しさで心が埋め尽くされる。
「ここにいてくれることに」
自分の近くに。
自分の恋人として。
自分に優しさとぬくもりを与えてくれる存在として。
「…それは神に感謝することじゃねーだろ」
お返しにとばかりに、三蔵からもキスをする。
「俺の意思だ」
「…そうですね」
ふんわりと笑う。
「では。さっきの祈りは訂正して、神に誓いましょう」
「何をだ」
八戒は三蔵の右手を両手で取って、自分の口元へと持って行くと。
「死ぬまであなたとともに」
そっと口付けた。
それはどこか宗教的な儀式でもあるようだったが、神に誓うというだけあって神聖なものにも感じられた。
「…くせーセリフ吐いてんじゃねーよ」
ふふふと笑みを浮かべる八戒からか、眉間にしわを寄せた三蔵からか、顔を近づけて行く。
ゆっくり重なる唇は、お互いの存在をそこから知るようにだんだんと強く、そして深くなっていく。
誕生日。
それまで何とも思わなかった、通常人にとっては特別な日。
それがこれからは自分も特別になりそうな、そんな気持ちを植え付けてくれたこの八戒は、やはり自分にとってはなくてはならない存在なんだと、三蔵は痛感した。
八戒が言った神に誓ったセリフ。
くさいとは言ったものの、確かにそれを願う心が自分にもあることを、三蔵はこのとき実感したのだった。
END