SAIYUKI
NOVELS 55
砂の流れを見る瞳 2001.8.6
SANZO×HAKKAI
 予想以上に広く賑わっている街だった。
 一本の大通り以外はすべて細く、まっすぐ伸びた道は他の道といくつもぶつかり合っている。空から見たら碁盤のようになっているその道は、鬼ごっこをするにはとても楽しい環境だろうと、宿屋へと向かう道すがら八戒はそんなことを思いながら、懸命に逃げたり追いかけたり、それでいて楽しそうに笑っている子供たちを見つめていた。
「あれ?何でこの時間に子供がいるんだ?」
 今は陽が上りきっていない、午前中である。それなのに普段ならいないはずの子供たちが、うじゃうじゃと街中を走り回っているのだ。
「悟空。今はもう夏休みですよ」
「あ、そっか。いいなあ、夏休み…」
「一概にそうとは言い切れませんよ。学生は学生なりに色々と大変なんですから」
「ふーん」
 何が大変なんだろう。悟空には不思議でたまらない。
 学生は勉強しなくちゃいけないけど、夏休みというのは学校に行かなくていいのだと聞いている。宿題はあるようだが勉強しなくてもいいのなら、何が大変なんだろうか。
 もしかしたら勉強しないから、ご飯を食べさせてもらえないのかもしれない。
 働かざるもの食うべからず、って言うじゃないか。
 灰皿の煙草を片付けない悟浄に八戒がいつも言っているその言葉を、悟空は思い出していた。そして強くうんうんと頷く。
 そうだ。絶対そうに決まっている。食べさせてもらえないのなら、確かに学生の夏休みは大変だ。
 すでにこのときには、悟空は早合点していた。
「お前の頭は常に休んでるよなー」
「んなことねーよっ」
「……うるせえ」
 それまで騒がしい二人だったが、不機嫌きわまりない三蔵の声音で、一瞬にして室内は静まり返った。
 恐る恐る三蔵の様子を伺ってみれば、あきらかにもうすぐ堪忍袋の尾が切れそうである。
「………」
 こういうときこそ話しをそらさなければならない。
「そだ。今日まだ時間たっぷりあるんだし、八戒も夏休みしたら?」
「え?」
 まさかそんなことが悟空の口から出てくるなど屋持ってもいなかったのか、悟浄も八戒も、そしてそれまで怒りが頂点にいきそうだった三蔵までもが、目を点にしてしまった。
「…お前でも、食いモン以外に気付くことあんのね」
「当たり前だろっ!んなことより、とにかく八戒さ、いつも運転とかしてて大変だし…」
「そうそう。ガキのお守も大変だし」
「…あなたも充分ガキですよ」
「なぬっ」
「ま、せっかくですから、お言葉に甘えさせていただいちゃいましょうかねえ」
「どうぞ、どうぞ。どうせここじゃあ身体休まねェんだから。どっかでかけてこれば?」
  今までクールでニヒルな感じを目指していた悟浄は、八戒の先ほどの言葉は致命傷だったようで、現に声音がずいぶんと暗いようだった。
 その彼を苦笑いして見つめながら、八戒は三蔵の背中へと声をかけた。
「…いいです?三蔵?」
「ああ」
 心持ち身体を斜めにして八戒の方へと向くと、ちらりと眼鏡越しに八戒を見つめるが、すぐに新聞へと視線を戻して相槌をうつ。
「それじゃあ、さっそく」
 こうして始まった1日限りの夏休みで、八戒は今街の中を歩いているのだが、お昼どきというのを差し引いてもやはり人通りが激しかった。
 別に先を急いでいるわけではないので、人の流れに合わせて足を進めて行く。
 時間が取れるのは嬉しい。一人になれることも嬉しい。まわりに気を配ることもせず、ただ自分のことだけを考えていればいいのだから。それでも忙しいのが日常化している今なので、このように突然時間が作れてしまうと、反対に何をしていいのかわからなくなってしまうのだ。
 赴くままに足をむけ、たまに人通りが多く向かうところへも行ってみたりする。
 ウィンドウを覗いては考えるふしを見せ、菓子を買い公園に行っては鳩に餌をやったりする。
 そうしてただのんびりと、流れる時間を過ごしていた。
 また街へと戻ってきた八戒が時計屋の前を通りすぎたさいにふと今の時刻を見たところ、思ったほど時間が経っていないことがわかった。
 そういえばまだ子供のころ、シスターが時間の流れというものを語ったことがある。その中で、目を瞑って自分の感覚で1分を計るということがあったのだが、当時くだらないと思いつつみんなと同じように自分も挑戦してみたことがあった。あれほど馬鹿らしいと思っていたのに、1分というものがとても長いことに気付いたのはそのときだ。
 何かをしているときはとても早く感じられる時間でも、何もせず、何も考えず、ただぼんやりと時間の流れを待つ。それがいかに遅く感じ、そしてそれがとても辛いものであるのかはそのとき理解できたし、早く大人になりたいと思っているのに1年がとても長く歯がゆい気持ちになってたとしても、仕方のないことだということも理解できた。
 あんな昔の、可愛げのなかった幼い自分。あのときのことなど忘れていたと思っていたのに、こんなときに当時浮かんでいた感情を思い出すとは思いもしなかった。
 ふっと八戒は口元に笑みを浮かべた。
 あんな幼い自分でも、当時のことを忘れてはいけないのに。
 昔、何を考えていたとか、昔、何をしていたとか。たとえ、それこそがくだらなかったとしても、その中にも大切なものが必ずあるというのに、。どうしても今が大切になってしまうから、膨大なる時の流れが積み重ねられ、遥か昔のことなど忘れ去られてしまうのだ。
 そう。本当に今がとても大切だから。
 悟空がいて、悟浄がいて、そして三蔵がいる。
 大切な、大切な、人たちだから。
 ずっと考えごとをしていた八戒がやっと現実へと意識を戻したとき、ウィンドウには華やかな浴衣が飾られていた。
 ひまわりの大輪や真っ赤な金魚、お祭りの定番であるヨーヨーなどが描かれたそれは、より夏を実感させてくれるものだった。
 そういえば…。
 八戒はしばらく考えた後、その店へと入って行った。





 三蔵は珍しく街をぶらついていた。
 寺院に用事がないかぎりは1人で散策や買い物など行かないタイプなのだが、そんな彼も今回は1人で歩いている。ましてやそれが、自分の煙草を買いに行くと言うのだから、これまた驚きだった。
 もちろんそれには、もしかしたら街で偶然八戒に会うかもしれないという下心があるからで、それがなければ彼が動くはずがないのだ。だから街へ煙草を買いに行くと言った三蔵に、悟浄が自分の分もお願いしてきても、彼はにべもなく断ってしまったし、「それなら俺も行く」と言ったときも「勝手に1人で行け」と取りつくしまもなかった。
 だからこそ街で八戒を見かけ、八戒が自分に気がついて、それはもう嬉しそうに花が綻ぶような笑顔を見せてくれたときは、顔にはもちろん出さないもののとても嬉しかったのだ。
 そんな彼が袋を持っている。珍しく何か買ったようである。
 服でも買ったのだろうか。
「ああ、これですか」
 三蔵の視線が袋にあったものだから、八戒はすぐにまたにこりと笑った。
「これは三蔵の足袋です」
「…足袋?」
「ええ。今までのが切れたりして、最近捨ててたんですけど、まだ買ってなかったんですよ」
「………」
「あ、あと、悟浄の靴下と悟空のお菓子。それと…」
「もういい」
 いつも自分たちの面倒を見て大変だろうから、このときに何も考えずただのんびりと過ごしてほしいと思って、夏休みという名目で1人にしたのに、彼はそんなときにも仲間のことを考えているようだ。
「何のための休みだと思ってんだ」
「ああ、そうでしたねえ。でもいつの間にか考えてるんですから仕方ないですよね。職業病でしょうか」
「何ぬかしてやがる。いくぞ」
「ちょっ、どこへ…」
「黙ってついてこい」
 そう言ってあいている方の手首を掴むと、三蔵はすたすたと歩き始めた。
「あの、三蔵は用事が…」
「黙れといったはずだ」
「はい」
 照りつける太陽は熱く、空気にも熱気が含まれている。そんな中、握っている三蔵も、そして握られている八戒も、相手の体温が伝わってとても暑いだろうに、そう感じないのはどうしてだろうか。
 暑いよりも、暖かい。そう感じるのが強かった。
 それは久々に2人で過ごす時間だからだろう。
 彼は多分、残りの夏休みを自分と過ごしてくれるために、この街にわざわざ足を運んでくれたのだろう。
 出不精だし、宿屋にいれば涼しく、肌にまとわりつく汗独特の不快感も味合わなくてすむ。いつも一緒にいるのだし、夜になればまた嫌がおうでも顔を合わせることになる。
 それでも彼はわざわざ来てくれたのだ。
 もしかしたら会えないかもしれない、この人ごみの中を。
「…何笑ってやがる」
「失礼ですねえ。嬉しそうに見えませんか?」
「見えねえな」
「本当に嬉しいんですよ」
 ぐいっと八戒が腕を引くと、三蔵を細い路地へと連れ込み。
「これくらいに」
 そしてかすめるような口付けをした。
「………」
 とても珍しかった。
 こんな人通りの激しい街中。
 もちろんこの細い路地には今のところ人はいないし、ましてや大通りを忙しく通る人々は、こんな細い通路など目もくれないだろう。
 それでも日中堂々こういう行為を彼からしてくるのは、本当に珍しいのだ。
「明日は大雨か?」
「それなら晴れにして下さいよ」
 天候を操れるわけではないのだから、晴れにしてほしいといわれて簡単にできるはずがない。だから八戒が何を言っているのかはわからなかったが、しかし彼が浮かべている悪戯そうな笑みで、いったい彼が何を求めているのか、それくらいなら三蔵にも簡単にわかるのだ。
「……なるほどな」
 喉元でくっと笑うと、今度は三蔵から口付けた。
 広い空はとても青く、白い雲は入道雲のみ。
 蝉の声はとてもうるさく、鳥たちは大空を悠々に飛んでいる。
 この調子なら明日もまた晴れそうである。
 そして今日のこれからの夏休み、それはとても短いが、とても素敵な時間になるだろうと、八戒にはそんな予感がするのだった。






END