SAIYUKI
NOVELS 43
聖日は異世界  2000.12.24
SANZO×HAKKAI
 今回の街から街への道のりは3日間という長丁場だった。
 待ちに待ち、恋焦がれ、やっとこの街にたどり着いたのは、身も心も疲れきり体が休息を求めそうな、夜にほど近いころだった。夕焼けが沈み始めて空を真っ赤に染めあげて、視線を少し上げれば一番星が見える。実際はまだ夕方という時間なのに、冬の空は夜だと言っているような、そんな時間。
「まともな食事ーっ!」
「……女だ」
「欲望剥き出しですねえ」
 しかしそれは実は微笑ましいことだったりする。
 あまりにも長い時間あの小さな箱の中にじっとしているのはとても苦しいことで、元気な悟空と悟浄でさえも口数が少なくなっていたところだった。やっと着いたこの街で、久しぶりに目にする大勢の人々と鼻を掠めるお腹を刺激するようないい薫りに出会え、安心したからこそ彼らも軽口が言えるのである。
 やっと彼ららしいといえる姿に八戒は苦笑する。そして三蔵を見れば、想像していたとはいえどもあまりにも人の多さに余計に疲れたというように、眉間にしわを寄せて前を見つめている。
 それなりの大きな街というものはそれなりに人も多いのは当然だが、それでも何かが違って見えるのは気のせいだろうか。しかし夕刻だからなのか空が暗くなってきたからなのか、帰路へとつく人の姿が目立つのは、絶対に気のせいであるはずがない。
「ん?」
 街を歩く人々のほとんどが微笑ましい顔をしている。どこか浮き足だっている。そんな中で悟空はとある共通点を見つけた。
 大抵の人が綺麗に赤や緑の包装紙でラッピングされた箱を持っているのだ。それを持つのは大人子供という年齢は関係ないようだが、もっていない人は大きめの箱を代わりに持っていることが多い。
「なあ、八戒。あれ」
 母親に手を引かれた子供が、しっかりと抱きかかえているその箱を指差して、悟空は不思議そうに言う。
「今日って祭りか何か?」
「え?ああ、もしかして…」
 八戒は少し顔を上げて空を見つめ頭に数字を思い浮かべながら、指を1本ずつ折っていく。そして「やっぱり」とにっこり笑った。
「今日はクリスマス・イブです。すっかり忘れてましたけど」
「クリスマス・イブ?クリスマスと関係あり?」
「クリスマスの前日のことですよ」
「何でクリスマスの前日に祝うんだよ?」
「んー…さあ、僕もわかりません。何ででしょうねえ…」
 今ではクリスマス・イブがどちらかといえばクリスマス本番よりも世間では騒がれているが、それがなぜなのかは悟空に言われてみるまで考えたことはなかった。確かにまだ何の力も持たずに人に頼るしかなかった子供のころは、クリスマス・イブで騒いだ記憶などまったくない。楽しそうに笑って食事をし、サンタクロースから貰ったと、嬉しそうに枕元に置いてあったプレゼントをシスターに見せている同じような境遇の子供たちを、フィルターごしに冷たい瞳で見つめていたのは確か25日だったはずだ。
 そんな自分がまさかまったく正反対のクリスマスを過ごしたいと思うなど、そのときはこれっぽっちも思わなかった。
 クリスマス。特別な人たちとの特別な日。
 周りを見渡せば恋人同士であふれている。
 自分もあの人たちのようになりたいとは思わない。だが少しでもいいから、あの人たちの気持ちを味わってみたいと思ってしまう自分もいる。
「ま、いっか。三蔵っ、クリスマス…」
「却下」
「なんでだよーっ!」
「他教の祭りごとなんぞまっぴらだ」
「うわっ。坊主みてーなコト言っちゃって…」
「死ぬか?」
「まあ、いいじゃないですか。年に1度ですし」
「…お前は悟空に甘すぎる」
「そんなことないですよ」
 クリスマスを祝うにしろ祝わないにしろ、それはどちらでもいいと悟浄は思っている。タイミング悪くクリスマス・イブにたどりついてしまったし、いつものように女を引っ掛けてその場限りの恋人同士を演じることが、この日ほどいかに空しく野暮なことであかなど、もちろんわかっているからするつもりもないので、両日ともに時間は空いているのだから。それよりもとにかく早くどっちかはっきりしてくれと思っていたものの、三蔵と八戒の会話を聞いていて、ふと夫婦の図を想像されられてしまった。もちろんこの場合、八戒を妻として想像していたのだが、もしも三蔵が妻だとすると…。
「悟浄、どうしました?口元に手あてて。気分でも?」
「ワリ、ちょっと…」
 これ以上2人の会話を聞いていると嫌な想像が更に膨らんでしまいそうで、そんなことになってしまったら食事どころではなくなりそうな気がしたので、悟浄は想像を払い落とすべく少し離れた裏路地で慌てて2本分の煙を灰へと送り込んで気分を落ち着かせる。もしそんなこと想像していただなんて2人に悟られたら、三蔵だけでなく八戒にまで何をされるかわからないので、何ごともなかったように悟浄は彼らの元へと戻って行った。
 どこの店もクリスマスということで、定番の歌を流している。
「♪真っ赤なお鼻のー、トナカイさんはー、いつもみんなの笑い者ーっ♪」
 その曲に合わせて悟空は歌を歌っている。それはもう、とてもとても嬉しそうに。
「…ナニ?やることになったんだ?」
 さっき悟空に対しては、あれだけきっぱりと即座に否定していたのに。
 そういう意味を込めて言葉にしてみれば。
「ああ」
 三蔵は気付かないそぶりをしている。
 絶対に気付いているはずなのだ、彼は。しかし自覚があるので振りをする、ずるい奴。
「優しいねえ、三蔵さまは。奥さんの尻に敷かれんなよ」
「殺すぞ。そういうキサマは尻ばかり追ってるじゃねえか」
「はいはい。そこまでにしてください。とにかく宿と食事をできるところを早く探さなくては」
 お腹を空かせている小動物がいるというのに、今にも険悪なムードになりそうなところを慌てて止めに入る。
「三蔵。せっかくですから今日くらいは外で豪勢なものでも食べませんか?」
「勝手にしろっ」
「いえーいっ!」
 にやにやしながらこちらを見る悟浄に泣く子もだまりそうな視線を投げかけて、まだ店も決まっていないのに先に歩き始める。
 看板を見、張り出されたメニューを見たりして、そしてとある1件の店の前で全員の足が止った。
 そこは珍しく地下にある食堂のようだ。それだけでも気になるというのに、メニューを見ている少しの間にすでに何組かがその店へと入っていった。人間、人だかりがあるとそこに行ってみたくなるのが心境で。結局今夜の食事はそこに決定した。
 1歩1歩木でできた階段を降りて行き、目の前に立ちふさがる随分と凝った彫刻を掘ってある扉を押す。
 扉を見ただけで洒落た店だとはわかっていた。だからもしかしたら堅苦しいかもと誰もが心配していたのだが、それが一切ないのには安心した。ところが反対に着飾ったところもないのには正直驚かされる。確かに端の方にピアノが置いてあること自体今までとは違った店だし、着飾っているともとれるところだが、店内に流れるその店独特の雰囲気はアットホームなもので、入っている客もマスターと知り合いなのだろう、気さくに話している。
 そんな店の中央には巨大なツリーが置いてあった。天井に届きそうなほどの大きなそれは本物のものの木を使用しており、どこからそんなものを調達してきたのか不思議に思うほどだった。しかしその分迫力満点のそのツリーには定番の綿の白い雪が豪快に積もり、カラフルなボールや掌サイズのリボンを付けた箱そして赤ちゃんの足ほどの小さな靴下などが、葉にたくさんぶら下がっていた。
 悟空が自分を遥かに追い越すそのツリーに見惚れて、ぼうっと見上げて立ち尽しているので、たまたま運良く空いていた近くの席へと腰かける。
 いつもなら食事がくる間とてもうるさい彼なのだが、今日はずっとツリーを見つめているので恐いくらい静かだった。それでもやはり食事がくればいつもの彼に戻っていて、年齢の近い兄弟さながらに悟浄と取り合いをしながら、舌鼓を打つような食事を味など関係ないくらい豪快に平らげていく。そんな2人の姿に三蔵は今にもハリセンを出しそうな雰囲気を出しており、そんないつもの彼らを八戒は苦笑いをしながら見守っている。
 すると突然籠を持ったウエイトレスがテーブルを周り始めた。その籠の中には何本もの赤いろうそくが入っており、お客1人1人の前にキャンドルを置いて行く。その後を追うようにして、他のウエイトレスが手にしている火のついたキャンドルをテーブルのそれに近付け、1本1本火を灯していった。
 だんだんと今まで以上に明るくなり、すべてのろうそくに火がともったときを見計らって、店内の明かりが一瞬にして消された。
 暗くなった店内の明かりは、ろうそくの小さな灯火と、ツリーから発しているライトのみ。
 そきほどまではツリーにライトが取り付けられていることなどまったく気がつかなかったため、多分幹にくくりつけられているのだろう。それを広がっている葉が見事に隠してくれているのだ。
 内から葉へと伝わるように広がっている光は、そのツリーをぼうっと浮き出していて、とても幻想的なものに映る。それに輪をかけるように、ピアノの曲が流れてきた。
 静かにそしてゆっくりと。心に少しずつ染み込んでくる曲に、誰もが耳を傾けている。いつまでも聞いていたいほど心が和むそのメロディが、だんだんとスローテンポになって終りを告げたとき、そこにいる全員が計ったようにろうそくの火を消した。
 あまりにもスムーズに流れることから、多分この店が毎年行っているものなのだろう。
 三蔵一行もそれに習い、息を吹きかけて火を消す。
 同時にツリーのライトも消されてしまい、店内には再度暗闇が訪れた。
 盛大な拍手が室内に木霊する。
 今の見事なピアノの演奏に。素晴らしい曲に選択に。店のいきな計らいに。
 そして今日という日に。
 八戒は今までも何度かクリスマスを祝ったことはあるが、ここまで感動させられた記憶はなかった。それは自分の感情がまだ豊かではなかったからか、それとも世間一般を馬鹿にしていたせいだったのか、それはわからないが、何にしろこの感動が内を走った事実だけはいつまでも覚えておきたいと思うほどだった。
 感動の余韻に浸りすぎて、心ここにあらずの状態で八戒が拍手をしていると、その両腕に何かの重みがのしかかった。抵抗する間もなく、腕はテーブルの上に置かれてしまう。
 光から突然の暗闇という差に瞳がまだ慣れていないため、瞳を凝らしてみてもどうなっているのかを見極めることができなかった。しかしそれが人の手であることは、たとえ服の上からだといえどもすぐに理解できた。
「?」
 何?誰の?
 その疑問が八戒の脳裏を占めたとき、唇に何かが触れてそして離れた。
 ふわりと優しく。ほんのりと暖かく。ぱっと軽く。
 それが何なのかわからない八戒ではない。
 奪われた唇。奪った唇。
 何気なく自分の唇を指でたどってみれば、店内は元の明るさへと戻された。
「あっ、悟浄っ!何でてめーのとこに俺の皿があんだよっ」
「てめーの皿だって何でわかんだあ?名前があるわけじゃねーだろうが」
「その皿の上にあるちまきはな、最後の1個で俺が取ったんだよっ!このくそ河童っ!」
 異世界から一変していつもの喧騒さに戻る。
 今度は闇に慣れるよう目も努力していたようで、先ほどと同じ明るさなのにもかかわらず眩しく感じてしまって、八戒は瞳を細めて当たりの様子を伺う。
 悟浄がこの暗闇の間に自分と悟空の皿をすりかえてしまったようで、とうとう2人は相変わらずの喧嘩を始めてしまった。そうすると残るはただ一人…。
 三蔵を見つめる。
 とても綺麗で端正なその顔を。
 八戒が向けてくる視線に気付いたのか、三蔵がこちらを向いて真正面から見返してくる。
 ぶつかる視線。そしてそれがピタリと重なる。
 なんとなく外せなくなってしまったまっすぐなそれに八戒がいたたまれなくなったとき、ふっと三蔵の口元に笑みが浮かんだ。
「!」
 確実にその笑みの意味を理解する。
 たとえ暗かったといえど、誰も見てないとは限らないではないか。
 以前からただ者ではないと思っていたが、本当にただ者ではなかったと痛感させられる。
 それでも。
 クリスマスという聖なる日。そして年に1度の特別な人たちとの特別な日。
 この日に幻想的な場面を見、音楽を聴き、そして愛しい人からもらった甘いそれ。
 自分たちにはまだ普通の人と同じような日々は訪れないけれど、それでもその瞬間だけは味わえたような気がして、八戒の顔に深い笑みが浮かんだ。
 頬に少し赤い色を残して。






END