SAIYUKI
NOVELS 48
流れる時は穏やかで 2001.3.14
SANZO×HAKKAI
 ホワイトデーが間近のこの時期、どこの店も可愛い雰囲気に包まれる。
 例外なのは宿屋のみで、大抵の店が女性が好みそうな物を置き、男性をターゲットにしているようだ。服やインナー、スカーフやぬいぐるみの他にも、女性が好きそうなキャラクターが描かれている商品まで、綺麗にラッピングされた物が店頭に並べられていた。
 それはどの店も一様である。
 ましてや今日はホワイトデー当日。バレンタイン同様、店の従業員の活気ある声と、溢れかえるほどの仲睦まじいカップルの語らいで、街中は喧噪としていた。
 その中を八戒もまた、街の雰囲気にまぎれて一人楽しげに歩いていた。
 実は昨夜、同室になった悟空から、
「八戒。明日のホワイトデー、楽しみにしててな。まだ内緒だけど」
 そう床につく前に自信満々に言われたのだった。
 口をもごもごとさせていたので本当は内容を言いたかったのだろうが、それでも懸命に彼は我慢していた。多分悟浄あたりに、内緒にしておけば披露したときの驚きも嬉しさも倍増する、などと言われたのだろう。
 そしてその悟空の言葉を裏付けるように、彼らはホワイトデーのことで色々と策を練っているようだった。今朝の移動中も後部座席で悟空と悟浄が話し合いをしていたようで、途中、「だろ?」とか「んで…」などと、悟浄の声が耳に届いてきていた。しかし、必要以上にうるさい彼らなのに、それ以上の会話が聞こえてこなかったところをみると、恐らく八戒に内容を知られては困ると筆談でもしていたのかもしれない。そしてたまに考えが先走って口から言葉が出そうなる悟空を、悟浄が足蹴りして止めるなどという場面もあったようで、ドカッと盛大な音が聞こえる度に起こる、悟空の涙まじりの悲痛な叫び声を思い出して、悟空には悪いが八戒はこみ上げてくる笑いを必死にかみ殺していた。
 そんなこんなで、今日のホワイトデーには密かに期待していたりするのだ。
 その八戒はといえば、今は街の外れにある温室に向かっているところだ。
 栽培しているのは花のようである。
 そこで花を買ってきてほしいと頼まれたからだ。
 本当はこの係りは三蔵だったはずなのに、しかしいったい何をしているのか、肝心の彼はこの街に着いたとたんどこかへ出かけてしまったようで、結局戻ってこなかった。だから三蔵の代わりに八戒が行くことになったのだが。
 聞いたところによると、その花の用途がテーブルに飾るということだったので。
「花なんていいですよ。女性じゃないんですから」
 と当初八戒は断ったのだった。
 今の時期、実際は問屋からだろうが、花屋は消費者の足元を見て、花の値段を跳ね上げる。
 花はただ見るだけで、枯れてしまえば捨てることになってしまうのだ。
 確かに見ている分には好きだし、あると嬉しいのは事実だ。しかし、そう思うのは十中八九自分だけで、三蔵は花など関係ないだろうし、悟空は花より団子だし、悟浄に至っては花は女性を口説くための道具の1つにすぎないだろうから、それなら同じ値段分の食べ物を買った方がみんなが嬉しいと感じるのではないだろうかと思ってのことだった。
 それなのに予想に反して、八戒の提案は反論されてしまったのだ。
 ましてやそれが悟空だから驚きを隠しえない。
「だめっ!ぜってーだめっ!!」
 ほんのり涙をためて必死に強く否定するものだから、それ以上八戒も言えずに、そしてついついそのまま三蔵の代理を引きうけてしまったのである。
 何をそんなに拘るのかがわからないが、たまたま視線が合った悟浄は苦笑していた。
 その彼の目が「悟空のやりたいようにしてやれよ」と優しく語っているものだから、よけいにずるずると言葉にしたがってしまったのかもしれない。
 もったいないとは思う。
 よく三蔵も賛成したものだ。
 それでも。
 自分のことを考えて彼らが用意してくれるというのは、こんなにも嬉しいものなのだと、八戒の足取りは自然に軽くなるのだった。
 早く温室で用事をすませて、みんなの元に帰ろう。
 そのころには、すでに支度が終っているかもしれない。
 さすがにその時間には三蔵も帰ってきているだろう。
 悟空が自信満々にしていた今日のこと。
 だからこそ、その全容を早く見てみたいのだ。





「すみません」
 目的の温室の前で八戒は控えめに声をかける。
 だが返事は返ってこなかった。
 よくよく考えれば、温室に人が住んでいるわけではないので、たとえ花を貰いにきたと言っても、ここに来てはいけないのではないだろうか。
 しかし悟空は温室と言っていたし、悟浄がくれた地図にもやはり目的地はこの温室で合っているようだ。
 それともこの中で、すでに人が自分のことを待ってくれているのかもしれない。
「…失礼します」
 そう結論づけると、八戒は中へと入っていった。
 予想通り、鍵はかけておらず、簡単に扉を開けることができた。
 中には人が通るちゃんとした道というものが石でできており、入り口から伸びているその道を、八戒はひたすら主人を目指して進んで行った。
「ご主人…?」
 そんなに大きな温室ではない。なのでさほど大声を出さなくとも、室内には響いているはずだった。それなのに、八戒の声に返事は返ってこなかった。
 どうしたものかと首を捻りながら、念のために奥を目指していくと。
「………」
 そこは大きなガラス張り。
 外から中をうかがうのは、丸い白い月だけだった。
 だんだんと暗くなりかけて、真上は紺、地平線らしきところは紫という、綺麗なグラデーションを見せてくれる空に、ぽっかりとそれは浮かんでいて、室内にはほのかな灯火がつけられてはいるが、それではまだ足りないとでもいうように、月光が光りを足してくれていた。
 その月光を一番浴びているのが、白いペンキで塗られた鉄製の円テーブルと椅子で、テーブルには白いマットがひかれ、その上には何も飾られていない花瓶とティーセットが置かれていた。
 そう、あたかも今から小さなパーティが始まるかのように。
「待ちくたびれたぞ」
「…三蔵…」
 ここにいないはずの彼。
 彼の代理としてここに来たはずなのに。
「これ……」
「ああ。これが悟空と悟浄からだ」
 なるほど。悟空が期待してほしいといったことは、このことだったのか。
 つまりはバレンタインのお返しは、三蔵とともに心落ち着かせる2人の時間、というわけだったのだ。
 花を買ってきてほしいなどとは、まったくの嘘で。
 ましてや三蔵が帰ってくるはずなどありえない。彼はここで待機していたのだから。
 本当に、驚きも嬉しさも倍増しましたよ。
 悟空と悟浄に心の中で苦笑まじりに告げると、八戒ははんなりと微笑んで三蔵を見つめた。
 そんな八戒へと三蔵がゆっくり近付いてくる。
 輝く金色の彼の髪が、月光によってより輝きを増したとき。
「やる」
 花瓶に花が飾られた。
 それは白い水仙。
 優しげで、しかしどこか芯が強く感じられる、抱擁感のある花。
「……有難うございます」
 月光に照らされる水仙は、日の光を浴びるときとは違う顔を見せてくれるのだった。
 つかの間の休息。
 つかの間の2人の時間。
 今のこの時間が永遠に続くはずはなく。
 この時間がすぐに終りを告げることなどわかりきっていることで。
 それでもまたこの時間を作ろうと思えば、2人の努力次第でできるのだ。
 旅の途中だろうと。
 そして旅が終ってからも。
 次にいつ、このような落ちつきのある時間が作れるのかはわからないが、何年先も、同じような2人の時間を作ることができたらと、口にはしないが八戒もそして三蔵も願っていた。
 とにかくまずは今のこの時間を満喫しようと、八戒は三蔵のカップに琥珀色の液体を流すのだった。






END