SAIYUKI
NOVELS 63
偽宮内異種族 1 2002.3.22
SANZO×HAKKAI
 三蔵は歩いています。
 明るい太陽がまだ空高い位置に顔を出しているこの珍しい時間、鋭い視線は前に向け、輝く体躯からすらっと伸びる手足でしっかりと草を踏みしめて、草が土を覆っている柔らかい地面を当てもなくただひたすら歩いていました。
 たとえ同族である豹の同性が刺さる視線を向けていたとしても。同族の異性が意味ありげな視線を向けてきたとしても。そんなものなどすべて跳ね除け、目も向けず、挨拶すらせずに、ただ行く先だけ見めています。そう。さまざまな種族の動物達が三蔵に好奇の視線を向けていたとしても。
 彼らがそのような視線を向けるのは当前のことでした。だって最近の三蔵は、富みに冷たくなってきた風を避けるために、この時間帯は必ずといっていいほど木陰で横になっているからです。本当は今日もいつもと変わりなく、三蔵は木陰で休んでいたのですが、なぜだか今日にかぎってどうにも落ちつかなかったものですから、だからこうして仕方がなく、彼は園内をぶらぶらしているのでした。
 仕方がなくとはいっても、この園内を散策するのは嫌いではありません。園内はそれはもうとてつもなく広く、何度散策していても飽きるようなことはありませんでしたから。
 三蔵がまだ小さかったころ、彼の面倒を見てくれた光明というフクロウが、よく語ってくれたお話があります。
 それは「大自然」という世界のお話。
 照りつけるほどの強い日差しや移動を困難にさせる強い風。地面を川にしてしまうほどの豪雨などの困難は数知れず、日々の食事にもいろいろと問題が生じることがありますが、それでもさまざまな種族がオアシスなどを教え合い助け合って、広大なる大地で一緒に生活していくということは、想像できないほど素晴らしいものだということでした。
 その大自然という世界が今のこの世界とどこがどう違うのか、まだ幼かった当時の三蔵にはまったく想像もできませんでしたし、話に聞く限りではその世界とこことはとてもよく似ていると思っていました。それは大人になった今でもまったく変わりません。ただ、足がどんなに素早くなったとしても、どんなに牙が鋭くなってたとしても、この広大な土地の向こうにはとてつもなく高い金網の壁がそびえていることを知ってしまった今では、それが違いなのかもしれないと、少しずつではありますが見たことのない世界との差をわかってきたような気がしています。
 それでも三蔵はこの世界から出ようとは思っていません。
 大自然の世界を見てみたくないのかと問われれば、それを否定はできませんし、否定してしまえば嘘になります。それでもあくまでも機会があればという、ただそれだけのこと。わざわざ向こうの世界まで出向くようなことまではしたいとは思いませんでした。
 飼育係と呼ばれている人間から簡単に食事を得られるからではなく。
 外の世界の厳しさに憶病になっているわけでもなく。
 そんなことはどうでもいいことです。ただここには満足できるほどの走り回れる敷地はありますし、飼育係の人間も子供のころからの付き合いですから三蔵のことをとてもよく理解してくれています。そしてなによりも、口をきいたこともない同種族もおりますが、ここでともにいる住民を思いの外気に入っているからでした。
 それでも。ごくごくたまに。
 寒い季節から暖かい季節へと変わるとき。
 雨がしとしとふりしきるとき。
 そんなときだけふと、金網の向こうに行ってみたいと、そう思ってしまうときがあることもまた、事実でした。
  はっと突然三蔵は意識を現実へと戻しました。どうやら当てもなく歩き昔を思い出していたために、金網の近くまできてしまったようです。まだ網は見えませんでしたが、他人の生活を覗き見して何が楽しいのか理解不能な、そのわけのわからない見物人達を乗せた車は、周囲を見回してみてもどこにも見当たりませんでしたから。
  はあ。
  三蔵は小さく溜め息を付きました。
  自分の住居からはけっこう離れてしまいましたが、食事の時間にさえ戻れば何も問題もありません。
  だから三蔵はせっかくだから、このあたりの草むらでしばらくのんびりしていこうと思い立ちました。
 そんなとき、何かの香りが三蔵の鼻をくすぐったのです。
(………?)
  何かに似ていると言えば似ているような気もしてきます。ですが、それはきっと三蔵が始めて嗅ぐ匂い。とたんに三蔵の内に警戒音が鳴り響きました。
  身を屈め。気配を殺し。足音は忍ばせながら、少しだけそれとの距離を縮めていきます。そして草むらに身を隠すと、足を止め、近づきつつあるその物体に意識を集中しました。
 瞳をこらし、それをよく見てみれば。
 ぴょこん。
 広がる緑色の草原に2つ、小さな黒い物が飛び出しました。
 それらはゆっくりと同じ速度でこちらに近づいています。突然立ち止まっては同時に身を大きく震わせて。満足したのか、またこちらへと変わらぬ速度で近づいてくる。
 それを繰り返していました。
 三蔵は視線をそのままにして注意を払い、身を屈め、気配を殺してから、それに気付かれないようゆっくりとした足取りで、大きく迂回し背後へと回わります。そのおかげかそれは三蔵のことなど気付いていないようで、先ほどとなんら変わらずのんびりとした速度で今も進んでいました。
 一度それらの様子を確認してから、三蔵も歩調を合わせて進みます。
 少しずつではありますが確実に2人の距離は縮まっていているのに、それはよほど小さな物なのか、それとも体を屈めているのか、体が草に隠れてしまってそれが何であるのか、未だ三蔵には判別できていませんでしたが、先ほどから目にしている二つの小さな黒い物が耳であることだけは理解できました。
 さらに距離は縮まっていきます。そしてそれが移動していくガサガサという草音が、しだいに大きくなってきました。
 あと少し。
 もう少し。
 そして。
 どうやらそれは仔猫のようです。どこからどう迷い込んだのか、ここまでこれるルートがあるのかも、まったく三蔵にはわかりませんでしたが、とにかく信じられませんが仔猫です。そして2つの黒い物体はその子の耳だったのです。
 小さな黒い色の体に小さな小さな可愛い頭。三蔵ががぶっとかぶりついたら、きっとひと口ではないだろうかと思ってしまうほど、その仔猫はあまりにも小さすぎました。
  そんなときでした。
 タイミングよくひょろんと細いしっぽが三蔵の前で揺らいでしまったものですから。
 びたんっ!
  ついつい三蔵はまだ細すぎるほどの仔猫の尻尾を踏んでしまったのです。
「いたっ」
 子供特有の高い声で悲鳴をあげたその仔猫は振り返えりました。
 自分の尻尾を踏んでいる誰か。
 おそるおそるといった感じで、仔猫は顔を上げていきます。
 すらりと伸びた手足。金色に輝く体。それは太陽に当たってさらに輝きをましているものだから。
  ……キレイ…。
 それはそれは瞳が離せないほど、とても綺麗に輝いていました。
 見られていた方の三蔵はといえば、いつもならばそんな不躾なほど視線を向けられてしまったのなら不機嫌きまわりないはずですが、この仔猫に関してだけは不思議と少しの不快感も浮かんではきませんでした。もしかしたらあまりにも小さな体をした猫がこの園内にいること自体不釣り合いなのと、この仔猫がただふらっと遊びにきたというような、そんな雰囲気をだしているからかもしれません。
 その仔猫の持つ小さな体が黒いだけに、自然と三蔵もその子の目に視線がいってしまいます。ましてやそのくりくりとした瞳の綺麗な緑色が、夏の暑い日、涼しい風に乗られて生き生きと身を踊らせている葉にあまりにも色が似ているものだから、ついつい三蔵はその緑色を本人は気付かぬうちに凝視してしまっていたのです。
 ただその緑色を見つめている少々目つきの悪い三蔵と、そして見知らぬ広大な土地に迷い込んでしまったあまりにも小さな仔猫の瞳が、このときばっちりとぶつかり合いました。
 三蔵は自分がどのように周囲から言われているのか、それくらいわかってはいました。よく悟浄には、「無愛想」だの、「スノーストーム」だの、「クールアイズ」だの、常々色々と言われていましたから。それなのにこのときは、すっかり忘れてしまっていたのです。
 だから。
「うわーんっ」
 その仔猫が大声を出し逃げ出そうとしてから、ようやくそのことを思い出したのでした。






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