SAIYUKI
NOVELS 49
一番近い天国 2001.3.24
SANZO×HAKKAI
 誰しもが気分は最悪だった。
 いつもの遠足気分などさておき、まるでお通夜の席のように車内は静まりかえっている。
 三蔵あたりはいつもこうであってほしいと願ってしまうだろうが、八戒はみんなの騒ぎをそれぞれの元気のバロメーターとしているので、今のこの状態には少々物足りないものがあった。
 喧嘩するほど仲がいいといわれる通り、いつも喧嘩をしている悟空と悟浄だが、その彼らもそんな元気すらないのか、そっぽを向いてしまっている。悟空などは、あれほど「腹減った」とうるさく連呼するのに、今日に限ってはまだ今のところは言ってこない。
 どうしてこれほどまで彼らが落ち込んでいるのかというと。
 それはつい1時間前のこと。
 そこは本当に小さな村で、昼食をとるだけで通過しようと思っていた場所であった。
 誰もが楽しい時間を想像し、心待ちにしていたのに、いざその村に着いてみれば、見るも無残なものだった。
 どの家も窓は割られ、ドアは壊され、家の内外問わず、村人や動物の死体が転がっていた。
 多分妖怪の仕業だろうことは、息を引き取り冷たくなった村人の傷痕を見れば、容易に理解でることだった。
 今までだって何度か同じような光景を目撃してきたも、その度にいつも平然と事実を受け止めてきた彼らだった。何をどうこう思っても今更どうすることもできないからだ。
 それなのになぜ今回だけはこうも違うのか。まず横たわる亡骸の顔が苦痛に満ちていたことと、必死にと受け取れる女性の伸ばした手の先には、まだ読み書きもできないだろうほどの子供の姿を見たからだった。
 最初、目撃した数人の亡骸を見て、生存者を確認する以前に、多分皆殺しにされているだろうとは思っていた。そうは思っていても、現実にこういう光景を目撃してしまうと、やはりくるものがある。
 それからというもの、悟空と悟浄はいつもの元気をなくしていいたのだが。
「線香の香りがしてきそうですね」
「同感だな」
 しかしそんなうら悲しさをあまり感じない2人がいた。
「…オレたちの神経は、か弱ーくできてんのよ。お前らと一緒にしないでもらいたいねェ」
 溜め息まじりに、悟浄は大げさに言ってみる。
「冗談は顔だけにしろ。鋼の間違いだろうが」
「なになに。三蔵さまのバリケードなみには負けますわ」
「そこらへんでやめておいてくださいね。じゃないと川に落しちゃいますよ」
 今、三蔵一行を乗せたジープは川を左手にし、下手に橋を求めて走行している最中だった。この川を渡りたいのだが、どうしても橋が見つからないのである。
「ああ。川を下った方が橋がいち早く見つかるかもしれませんよね」
 そう付け加えた八戒の声はいつものように明るくて、本気なんだか冗談なんだか検討もつかない。
 だが偶然にも、相変わらず助手席に座っている三蔵の後ろが今回は悟浄というだけあって、八戒なら2人だけ落すということができないことはないという事実に気付いた悟浄は、でることならやはり冗談だと思いたいと心の中で呟いた。
 川に視線を向けれてみれば、昨日降った雨のせいで水かさは増し、川の流れがとても速くなっているようだ。
 もし本当に落されたら、橋を見る前に運が悪けりゃいち早く天国を見るぜ、と冷や汗ものである。
 そう思ったのは三蔵も同じだったのか、悟浄に銃を向けぬまま、彼は悟浄同様、川の流れを目で追っていた。
 その2人の心情を知らずか、それとも面白がっているのか。
「まあ、冗談はさておき…」
 と言葉を綴ったものの、本当に冗談だったのかは誰もわからなかった。
「気分転換に、少々早いお花見などいかがですか?」
「花見?」
 八戒が向けている視線は向こう岸で、そこにはほんのりとピンク色に染まった木々が見えてきていた。
「そうだな…それもいい手だよな。橋の近くにありゃあ、だけど」
「あれ、多分橋ですよ」
 先には川を遮っているようなものが小さく見えたのだった。





 さきほどの暗さはどこへいったのか。
 やっと綻び始めた桜の木の下で、悟空と悟浄はどんちゃんと騒いでいる。
 前々から予定していたものではないだけにちゃんとしたお弁当はないのだが、今回は昨日宿を取った村で地酒を買っておいたのだ。
 悟空にはジュースと、非常食にと買っておいたフランスパンとハム、缶詰を使ったサンドイッチを。悟浄にはビール。そして三蔵には地酒。アルコールを取ってもまったく支障が出ない八戒も、本当は地酒を飲みたかったのだが、酔われては困るジープのお付き合いをして、悟空と同じジュースにした。
 小さな宴会は突発のものでも、とても楽しいものだった。
 それはもしかしたら、このようなところには珍しく、とても大きな桜の木を肴にできたからかもしれなかった。
 一本だけ離れてあるその大樹を今彼らがいる場所からは一望できる。そして上を見上げれば薄いピンク
を纏った桜というように、人もいないこの場所は花見をするに最適の場所だった。
 これが満開の時期だったらどれほどいいだろうと、誰もがそう思ったことだろう。
 だが…。
 三蔵は気になることがあった。それは八戒である。
 悟空と悟浄が、何百年と生きているであろう太い幹をした大樹を見て、楽しげに騒いでいたのとは違い、八戒は黙ったままだった。それを不思議に思った三蔵が、言葉を失っているだけかと八戒を窺いみれば、感嘆も感動も彼にはなく、ただその大樹を凝視しているだけだった。
 今の彼はこの宴会を楽しんでいるようだが、どうにもさきほどのその視線が気になって仕方がなかった。
 だから八戒がゆっくりと立ち上がりその桜の元へと近付いて行ったときも、三蔵は八戒から視線を外すことができなかった。
 八戒のその穏やかな動作は、まるで桜に引かれて行ったようなものだったので、悟空と悟浄には彼がもう少し間近で桜を見たいのだろうと思っただろう。
 しかし三蔵は騙されない。
 たとえ悟浄の方が自分より八戒の近くにいた時間が長かったとしても、その時間の差を埋めるくらい、彼と接してきたつもりだったから。そして八戒が自分を見て何が欲しいのか、何を考えているのかわかってくれるように、自分も八戒を見て彼が何を思い考えているのか、わかる程度にはなっていた。
 三蔵もまたゆっくりと立ち上がると、八戒の後を追った。
 自分より少し上背のある彼がそれでも顔を上げて、まだつぼみさえつけていない桜の木を凝視している。
 そのほっそりとした背に向かって、三蔵は静かに、彼だけに聞こえるくらいの小さな声で言った。
「何を泣く?」
 声を出しているわけではない。
 肩が震えているわけでもない。
 それでも八戒は泣いていると思った。
 彼を包む空気が、彼から流れてくる気が、そう感じさせたからだ。
「………」
 まただ。また三蔵はこういうタイミングで現れる。
 なりふり構わず何かに縋りたくなるようなそんな弱いときに、彼は必ずと言っていいほど自分の近くにやってくるのだ。
 それでも彼から差し出される手をすぐ取るには、今でもやはりまだ抵抗があるから。
「いいえ…」
 だから。
「いいえ。泣いてません」
 微笑みを浮かべて振り返り、はっきりと否定した。
「そうだな。涙は流してねえな。だがそれは表向きだろう。内はどうなんだ?」
 八戒はおし黙った。
 自分の反応も回答も、すべて予想していたというのだろうか。
 それほど彼はスムーズに言葉を綴り、眉を寄せたり瞳を細めたりという、彼が苛立ったり怒ったりしたときに見せる変化は何もなかった。
 無駄なあがきということだと悟った八戒は、瞳をゆっくりと閉じて深く深く息を吐いた。
「…何で泣いていた?」
 八戒は三蔵から逃げるように視線を桜へと直して、掠れる声で隠さず心境を告げた。
「…この木が大きかったから」
 三蔵は八戒同様、視線を背の高い大きな桜へと向ける。
 それは雄大でもあるが威圧感をも感じさせるほど、年月の長さとその歴史を乗越えてきた貫禄を感じさせた。
 この桜が大きいから、何だと言うのだろうか。
 わからないと、三蔵は片目を細めて聞き返した。
「先ほどの村の方々はあまりにも短い生涯でした。それに比べてこの桜は、あまりにも長い時間を生きています。長い間の過去を重ね、同じころに育った兄弟はいなくなり、それでもまだ生き続けているんです。本当はこの世から開放され、楽になりたいかもしれないのに…」
 あまり触れなかったが、やはり彼は何も思っていないようでいて、先ほどの村のことを気にしていたようだ。
 自分も以前あの村を襲った妖怪と同じような行為をしたのだから、それを気にしない方がおかしいのだ。しかし、上辺だけの笑顔で騙され、いつもの何気ない口調に騙され、見過ごしてしまっていた。それでも時間を重ねるごとに確実に強くなっていっている彼が、消えない過去を同じように少しずつ乗越えていっているのもわかっているので、今回のことに関してはさほど気にしなくてもいいだろうと思った。
 だが、これから盛大な舞台で披露するであろう、この桜を見て思ったことの方が重大だろう。
 そういえばと、さきほどこの大樹の桜の木を見たときの悟空と悟浄の反応を思い出して見みる。
 悟浄はひゅーと口笛を一つ吹くと、感嘆していた。
 悟空は騒ぎだし、腕を伸ばして太い幹を抱き締めた。
 しかし八戒は彼らとはまったく違った反応を示していたのだ。
 あのとき。
 黙ったままだった彼。
 何も言わず、無表情でただ見つめていた彼。
 そのときから、すでに彼は心の中でひっそりと涙を流していたのだろう。
 こらえていた悲しみとともに。
 短い生を思って。
 長い生を思って。
「お前は開放されたいのか?死にたいと思っているのか?」
「そうは…」
「あの世に行っても楽になるとは限らんし、向こうも受け入れてくれるのはこの世で足掻いた奴らのみだ。そうもしないで向こうに行こうなんざ、甘い考えだな」
 飲んでいた煙草を落し、踏み潰したために無残な姿となった煙草を一瞥すると、視線を桜へと戻した。
「木の言葉など人間にはわからん。だから死にたいと思っているのかわからんだろう。だが、それでもこの木が、まだこの世で生きようとしているくらいはわかるはずだ。こんなにも生気が溢れているからな」
 八戒は年齢を重ねた太い幹に掌を添えた。
 まだ力が満ちている木。掌からひしひしとその意志が伝わってくるようだった。
 何年もの長い年月、歴史の中にいたというのに、それでもまだこの後起こる未来をも、見続けようとしているようだ。
「…そうですね…」
 この桜は苦しい生を生きているわけではない。
 悲しい花を咲かせるわけでもない。
 きっと。それは美しい見事な花を咲かせ、生命溢れる素晴らしい姿を見せるのだろう。
「それに、どんなにお前が逝きたかろうが、俺が死なせん。お前にはまだ生きていてもらう」
「三蔵…」
 端正な横顔を見ていた八戒の瞳に、ゆっくりとこちらに顔を向け、強い意志を乗せたアメジストの瞳が重なった。
 そこには、自分が生きているかぎり傍にいろ、という言葉が込められていた。
「…さっきも言おうとしましたが、まだ死ぬつもりはありません。…あなたがいますから」
 思うことは自分も同じ。
 三蔵がいるかぎり、たとえこの世が苦痛に満ちていても、三蔵の腕の中は自分にとっては天国だから。
 こんなに近くにある楽園から離れられるはずがない。
「八戒ーっ。悟浄が俺のから揚げ、食ったーっ!!」
 小学生が先生に言いつけるように、泣きそうになりながら語りかけてくる悟空の、雰囲気を感じ取ることのできない彼特有のこのタイミングに、八戒は苦笑する。
 三蔵は眉間にしわを寄せ、あと1つ、何かが加われば、確実にハリセンが飛ぶだろうというところまできている。
「はいはい。僕の分をあげますよ」
 苦笑しながら優しく母親のようにいう八戒は、三蔵とすれ違うさい、三蔵でも聞き取るのが精一杯なほど小さな声で言った。
「この続きは今夜、ですね」
 三蔵が八戒を見たときには、悟浄の元へと戻って行く跳ねるように歩く悟空を追った彼の後姿だったが、その姿はこれから咲き乱れる桜のように美しく、そこからはさきほどの悲しみも暗さもまったく伺えなかった。
 沈んでいた彼を元へと戻したのが、遠まわしではあったものの自分からの久々の告白でありたいと、そう三蔵は願うのだった。






END