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悟空は目を離せないでいた。
細い糸。机の上に広がる、赤や青などの色様々の紙。器用にはさみを動かしている、滑らかな手の動き。
ジープとこの町の探検に出かけていた悟空は、腹減ったと勢いよく部屋に入ってくると、ドアの前で固まってしまった。
ジープは興味がありそうで、パタパタと軽い音を立てて八戒に近づくと、肩にとまって何やらしきりに話かけている。
「どうしました、悟空」
ぼーっと入り口で突っ立ったままでいる悟空に、八戒が優しく語りかける。心ここにあらずの彼を驚かせないために。
その声で我に返った悟空は、無言で近づくとちょこんと八戒の前の椅子を陣取って、テーブルの上の惨状にまた目をやる。
「…何?これ」
「短冊ですよ」
「たんざく…」
1枚の黄色い短冊を手に取ると、裏表を交互に見比べたりしている。
「今日は七夕ですからね」
「たなばた…。何か関係してくんの?」
これ、と、手にしている黄色い短冊を指差す。
「ああ。知らなかったんですね。すみません。年に一度だけ、今日の7月7日の夜に、愛し合っていたのに悲しくも引き離されてしまった、ひこぼしと織り姫が会えるんですよ。それにあやかって、私たちはお願いごとが適うよう、祈るんです。この短冊に書いて」
「ふーん」
「悟空もお願いごと、書きませんか?」
「うんっ」
「じゃあ、好きな色の短冊にお願いごとを書いてくださいね」
どういうのかよくわかっていないが、七夕をやったことがなかった悟空は、面白そうな遊びを見つけた子供のように、瞳を輝かせている。
「へェ。さすが元先生。こまめなことやってんねえ」
「悟浄もいかがです?」
「んあ?」
ちらりと悟空を見てみる。
何を考えているのか、彼は今物思いにふけっているようだ。多分どういう願いごとを書こうかと、考えているんだろうが。
どうせ食いモンのことでも考えてるんだろーよ。お子様はよ。
しかしそのお子様に、たまには付き合ってみるのも悪くはない。
「そうだな」
1枚の短冊とペンを無雑作に取ると。
「たまにはいーか。こーゆーのも」
ニッと笑いかけてきた。
「ええ」
八戒も嬉しそうに笑い返す。
悟浄は悟空の隣へドカッと座り込むと、本当に常に願っていたのか、それとも今瞬間的に考えたのか、すらすらと願いごとを書き始めた。
別に勝負をしているわけではないのに、それを見て慌てた悟空も短冊に願いごとを書き始める。
そんな2人の微笑ましい姿に、穏やかな気持ちになりながら、八戒が短冊作りを再開させる。
ほとんどの紙を短冊作りに費やしたとき、近くの寺院に出かけていた三蔵が、疲れた表情を露に戻ってきた。
「何だ?」
テーブルの上は色とりどりの均等な大きさの紙が散乱しまっくっており、その向こうでは悟空と悟浄が紙で遊んでいる。
「七夕ですよ」
「…奴らもか?」
2人の方を顎でしゃくる。
何が言いたいのかわからなかった八戒は、くるりと2人の方へ顔を向けた。
「おい、悟空。見ろよ、俺の傑作」
「何、それ」
「綺麗な姉ちゃんのナイスなバディ」
彼らは八戒から教えてもらって、白い紙で”やっこさん”を作っていたのだが。
悟浄のみは、それに器用にはさみとペンで加工して、女性の裸体を作っていた。
スパーンッと気持ちいいほどよい音が室内に響き渡る。
「ってーなっ!何すんだよ、こんの生臭坊主っ」
「貴様は存在自体が18禁だな」
「テメーだって18禁やってんだろっ」
「…死ぬか?」
悟浄の耳元で、カチャリと安全装置を外す音がした。
すっと両手を上げ、ホールドアップの格好をする悟浄。
まだそのムカツクハゲに何の仕返しもしないままに簡単に殺されてたまるか、とは悟浄の思うところ。それを口に出せないのが、まだまだ三蔵に勝てないことを現している。
「なあ、八戒。18禁って何?」
絶対、子供の教育に悪いのは悟浄だけではない。三蔵もだ。
そう八戒が思っても、誰が彼を攻められるだろうか。
「えっと…未知の世界って奴ですよ」
「ふーん」
みちの世界っていうのもよくわからない。
悟空はまだ小首をかしげている。
「あれ。八戒、顔赤いけど。大丈夫?」
「え、ええ。大丈夫です」
これ以上、突っ込まれて困るのは八戒である。こんな話題ばかりを振られては、身がもたない。
八戒はこの手しかないと、話をそらすことにした。
「今日はね、悟空。お弁当を作ってもらったんですよ。だから夜はお弁当を持って、外で食べませんか?星、見ながら」
「うんっ」
悟空はお弁当という言葉にとても弱い。
中身なんてほとんど同じなのに、どうしてそこまで好きなんだろうと思ってしまうが、そこは大人が理解できない子供の心理なのかもしれない。
「…と、言うわけです。三蔵、悟浄」
ニッコリ笑って言い切る八戒のその笑顔には、これ以上僕の努力を無駄にしないで下さいね、という気迫が込められており、しっかりそれを読み取った2人は、やっと悟空の教育上良くない言い合いに、終止符を打ったのである。
雲1つなく、上下左右みごとに満天の星空だった。
天の川を見、ひこ星と織り姫の星も見ながら食べる夕食は、また格別なもの。
「たまには、こういうのもいいですねえ」
夕食後。誰とも言わずに星を眺める。
「綺麗な星空でよかったな」
「ええ」
そこは少し高い丘になっていた。
三蔵は煙をくゆらせ、悟空は近くの木に登り、悟浄は仰向けで横になるという羽を伸ばした体勢で、八戒は背筋をピンと伸ばしお茶を片手に持って、各々星を眺める。
「悟空。彼らは7月7日のはれた夜じゃないと、会えないんですよ。だから何年も会えないなんてこともあるんですよ」
「ふーん。そうなんだ。可哀相…。よかったな、会えて」
彼らに話しかけるように、星空に向かって言う悟空。それに答えるかのように、1つ星が流れた。
「あっ、流れ星」
目を瞑る。
誰が言ったのか、いつ言ったのか、今でも伝わっているその言い伝えを実行するために。
目を瞑り、願いごとを3回言う。
こんなことをしたって、かなうはずがないことくらい、わかっている。
ただの気休め。自己満足。
そこまでわかっていてもついやってしまうのは、昔、少しも疑わずに本気で信じ込んでいた自分が、まだ幼い頃の純粋さを忘れたくないからかもしれない。
八戒も、すぐに浮かぶ願いごとなんて平凡なものしかないが、それでもやらないよりはましと、唱えるために目を瞑る。
しかし、それは突然中断させられた。
唇に暖かく柔らかなものが触れたから。
驚きに目を見開くと、紫の瞳が覗きこんでいた。
すぐ近くに悟空も悟浄もいるのに。
そう焦っているのは八戒だけで、揺れる瞳に映る三蔵は平然としている。
彼らが3回、願いごとを唱えている間。
1。八戒の唇に軽く触れ。
2。その唇を味わい。
3。舌で唇をなぞって、名残惜しそうに離れていく。
その3秒という時間。それは三蔵にとってはとても短く、八戒にとってはとても長く感じられるものだった。
「なー、何お願いした?」
その声にビクッと反応してしまった八戒。キョロキョロと2人の様子を伺ってみる。
「それ言ったら意味ねーだろ」
しかし、今の場面を目撃していなかったようで、2人の会話が続く中、八戒は密かに胸をなでおろしていた。
「願いなんざ、自分の力でかなえるもんだ。行くぞ」
何もなかったかのようにふるまう彼だが、自分はとてもあせっていたせいか、冷や汗が出てしまったようだ。
なんとなく肌寒さを感じ、八戒は自分の身を抱いた。
「どうした?寒いのか?安心しろ。後でそれを感じさせないくらい、熱くしてやる」
八戒だけに聞こえるよう小さな声でそう言った三蔵は、不敵な笑みを浮かべていた。
彼に勝てる日がくることはあるのだろうか。
小さくため息を吐く八戒。
そんな彼は気付いていないようだ。
三蔵の弱点が八戒だということに。
END