SAIYUKI
NOVELS 35
HOME  - 後見 -  2000.10.20
SANZO×HAKKAI
 悟浄が帰宅するのが夜中というのはよくあることで。
 だからシャワーを浴びるのは起きてからの朝が多い。それは彼のお気に入りの1つだった。
 窓から入り込む太陽の陽。元気な鳥の爽やかな鳴き声。
 そんなすがすがしい朝に身も心もさっぱりとするシャワーを浴びる。それはとても開放的な気持ちにされてくれる。
 そしてそのままリビングへ。
 テーブルの上には、いかにも美味しそうな同居人が作った朝食が並んでいる。それを、同居人と他愛ない話しをしながら、誰にも邪魔されずにゆっくりと味わう。
 そのいつもの幸せな時間は、とある彼の一言で壊された。
「悟浄。お引越ししましょう?」
 のんびりとのほほんと。まるでピクニックへと誘うようなあまりにも軽い口調だった。
 まして偶然にも悟浄はサラダを食べている最中で。
 豪快にほうばったきゅうりが耳の近くでシャリシャリ音をたてていたので、一瞬聞き間違えたのかと本気で思ったほどだった。
 口を休めて考えること数秒。
「あ?」
 まさかな、と思って再度聞きなおす。
「お引越し、しましょう」
 やっばり聞き間違いではなかったようだ。
「引越しーっ?」
 何を今更そんなことを言ってんだ。この家で不自由しているなんてこと、全然ねーだろうが。ましてや今までだって引越しの「ひ」の字も出したことがないくせに。
 そりゃあここは町から少し離れててちょっとしたことが不便に感じることもあるが、そんなことは八戒だってもう慣れたことだろうし、うるさい街のど真ん中より静かで落ち着ける緑の多い郊外の方が、彼は好きだと思ってたんだけど…。
「だって。この家、もうオンボロですし」
 言ってくれんじゃねーの。家主を目前にして。
「キッチンだって狭いですし」
 それはほとんど使わねーからわかんねーけど。
「それにこの前、庭に見知らぬ人がいましたし…」
 ……………。
「それって泥棒じゃねーの?」
 結構ここらも物騒になったもんだな。
「それはないと思います。向こうの方もこんなところにお金があるなんて、これっぽっちも思いませんよ」
 ずいぶんじゃねーか、それ。
「だから。お引越ししましょう」
 にっこり微笑みながら嬉しそうに大それたことを言わないでくれ。
 なんでもないことのように軽々と「引越し」と口にするが、それがとても大変なことくらいいくらなんでも知ってるだろうに。
 ダンボール詰めとか。大掃除とか。粗大ゴミとか。
 まあだいたいは八戒がやるだろーし、俺が手伝っても邪魔するだけかもしんねーし。
 それにしてもやけにこだわるな。
「…何があったんだ?」
「え?」
「何かあったんだろ?」
 それはもちろん悟浄の確信だった。
 だてに彼と長年付き合ってきた訳ではない。
 さっぱりした性格の彼がここまでしつこくなるのはめったにないことだったから。どんなことが起ころうとも、たいていのことは人の意見を尊重する彼だから。
 今回の場合は今まで住みなれた家をわざわざ離れるという、とても大変な作業を自分だけでなく悟浄にもさせるということ。いかに悟浄に迷惑がかかるのかを承知で話しているのだ。だからこそ今彼の身に何か起こっている中でもとても重要なことなのだとは、まだ内容を聞いていない悟浄にもわかることだった。
 そう、重要だということだけは。
「………」
 じっと八戒を見つめる。
 八戒も悟浄を凝視する。
 ほんの数秒見詰め合っていたのち、八戒はゆっくりと目を瞑ると1つ息を吐く。
「お話しなくてはならないと思ってたんですけど」
 少しだけまぶたを上げただけで、伏し目がちでどこかを見つめ、言いにくそうにしている。
 顔がほんのり赤く見えるのは、光線のせいか?
「あの……昨日、三蔵から……新しく家を建てるからって誘われたんですけど…」
 へえ。あいつも思い切ったこと、やんじゃねーの。
 家建てるってことはいくらなんでも寺の敷地ないじゃねーよな。ってーと、寺を出るってか。
 ……まったく。とんでもねーボーズだよ。
「……ん?誘われたって…軍資金じゃねーよな?」
「ええ。違います」
「それって…同棲って言わねー?」
「そうとも言いますけど…」
 とうとうあの高慢チキも行動に出たか。
 よっぽどこの前のが気になってたよーだな。
「良かったじゃねーか。行ってこいよ」
 その突き放したような悟浄の言い方に、一瞬八戒の顔にかげりが浮かんだ。
「だから、お引越ししましょうと言ってるんです」
「なんで俺も行かなくちゃなんねーんだよ。それじゃ、同棲って言わねーだろ」
「ええ。『同棲とも言う』とちゃんと言いましたよ」
「冗談じゃねーよっ。誰が好き好んで三蔵の銃の的になるかよ」
 2人からあてつけられるのは明らかだ。なのにもかかわらず、ほんの些細なことでいらぬものを押し付けられて、弾でも飛んできたらたまったもんじゃない。
 いつもやられっぱなしで悔しいから、三蔵の嫌そうにしている顔を見るためにたまには2人の仲を邪魔するのは楽しいが、本当の意味でお邪魔虫になるのはとても嫌だった。
「それは大丈夫ですっ!悟空もいるから安心してください」
 それって安心していーことなのか?
 いや違うと、即座に頭の中で否定する悟浄だった。
「だったら、なおさらだね。俺は辞退するぜ」
「………」
「何が不満なんだよ」
「不満だなんて…」
「じゃあ、不安か?」
「………」
 その無言がそうだと言っていた。
「三蔵と生活することが?お前だって、前は姉さんと同棲してたんだろ」
「そうですけど。彼女の場合はずっと願っていたことだったから…」
 じゃ、三蔵とは違うってーのかよ。
 そんなこと、今まで考えたことなかったのか?
「確かに三蔵と一緒にいると心が休まるんですけど」
 どうせいつもお世話になりっぱなしですよ。
 そう思ってはいても口にはしない悟浄だった。言葉がわかったから。
 自覚があったんですね。驚きましたよ。
 そんなことを言われるんだろう。
「でも、2人きりになってしまうのは、なんだかとても不安なんです。この気持ちを言葉にするのには…ちょっと難しいんですけど…」
「今までと一緒だろ?旅してたころと同じじゃねーか。何も変わりはしないさ。お前のままでいりゃあいい」
 三蔵だってそう願っているはずだ。
 何かして欲しいわけではない。
 ただ自分の近くにいて、自分を見つめて欲しいだけ。
 一緒に嬉しさを感じて。たまには悲しみも共感して。
 ともに道を歩いて障害を乗越え、幸せを探して行く。
 いや。奴の場合は、ただ八戒を束縛したいだけだな。
「はあ…」
 それでも八戒はなっとくできないようだ。
 そこまで不安な気持ちに苛われるのは、彼の姉よりも三蔵の方が好きという感情が強いからかもしれない。
 好きだからこそ、ということだろう。
「……わかったよ」
「えっ?」
「俺も行きゃーいいんだろ」
 ぱあっと花が綻ぶように、八戒の顔が笑顔へと変わっていく。
「本当ですかっ!?」
「ああ」
 本当もナニも、お前が約束させたようなもんだろーが。
 あんな顔をいつまでもされてたら、こっちだって寝覚めが悪い。ましてや三蔵に知れたら、何をされるかわかったもんじゃない。
「よかった。まだ悟浄、ゴミの収集日覚えてないでしょう?実はすごく不安だったんですよね」
 ゴミの中に埋もれそうで。
 ニッコリ笑って言ってくれる。
 さっきの不安はもしかしたらそのことだったのかとも思ったが、それが八戒の強がりも含まれていることが悟浄には見て取れた。
「これでまた、本当に安心して買出しに行けますよ。一緒に行きましょうね、お買い物」
「………」
 もしかしたら使用人欲しさだったのか?
 小間使い。使いっパシリ。捨て駒…。
 悟浄の脳裏にそんな言葉がズラズラと横切るのだった。
「まあ、とにかく…八戒」
「はい?」
「おめっとさん」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに微笑む彼のその笑顔はとても輝いていた。





 三蔵は今読み終えた手紙を丁寧にたたむ。
 案の定、悟浄も同居するようだ。
 色々と抵抗を試みたようだが、どうせあの八戒に勝てるはずがないのだ。だったら無駄な抵抗はせずに、さっさと「うん」と言ってしまったほうが早いのに。
 また旅をしていたころが戻ってくる。
 口が悪く、すぐ手が出る。騒がしくて下世話でお節介。
 誰もが自分が一番で。なのに他の奴らのことを一番に考えていた。
 あの懐かしいころにときが戻る。
 それでもあのころとは少し違った、新しいこれからの時間を愛しい人と共有するのだ。
 三蔵はサラサラと真っ白い紙に字を書き始める。
 丁寧に細くたたみ、優しく、だがしっかりと、ジープの足に結んで固定した。
「頼む」
「ピィ」
 力強い羽の音を聞きながら、白い姿を見送った。
『お前も設計を考えろ。時間がない』
 そう書かれた手紙を八戒の元へ届けるため。
 まだ2人の時間は、ほんの少し進んだだけだった。






END