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もうすぐ夕方になろうという、この時間。悟浄と八戒は家を出る。
久々に2人だけでのお出かけ。けっこう気分がいいものだ。
旅から戻って自分たちの家で以前のように暮し始めて5日目になっていた。その間、買い物は一度。街でまとめ買いをしたくらい。ましてそのときは悟浄1人で出かけたため、八戒とでかけるのは帰ってきてから初めてのことだった。
横を見れば八戒がしゃがみこみ、表情は少し微笑んで、小さな小さな紫色の花を付けた雑草を眺めている。
こんな穏やかな時間は随分久しぶりだと、悟浄は懐かしいような、心温まるような、不思議な気持ちになった。
確かに自分はこの八戒と、そして三蔵、悟空とともに、西域を目指していて、そして確実に死なないとは限らない、危険な旅をしてきたのだ。まあ、なぜか当時はあまり死のことは考えたことはなかったのだが。なぜか考えられなかった、と言った方が正解かもしれない。いつも近くには悟空がいておもちゃにし、三蔵のハリセンで吹き飛ばされ、たまに八戒の毒舌を受けたりして、死のことを考えるひまがなかったのかもしれないし、ましてその環境は、旅をする前とあまり変わらなかったからかもしれない。
だがこうして八戒とふたり、以前のように暢気に見なれた街へ買い物に行くというのは、やはり自分が家に帰ってきたんだと、実感できることである。
それ以外にも。
この街はたいして大きくはない。名前は知らなくとも顔は知っているというくらいの、ほとんどの住人が顔見知り程度のものだ。だから、もちろん理由は知らなくとも、自分たちが旅に出かけてしまったことは、何日も街に顔を出さなければ、当然知られることで。
おかげで今日は、色々と声をかけられる。
街に入れば、友人に驚かれ。
いつもの食料店に行けば、気さくなおばちゃんが嬉しそうに。
賭博場に行けば、顔見知りの奴に豪快に肩を叩かれ、相変わらず綺麗な姉ちゃんからさっそく今夜のお誘いがかかる。
ほら。やっぱりこの街は自分たちの居場所だ。
八戒も今日は特別と、自分と一緒に賭博場にきていた。
しかし、もちろんのこと。奴はただ酒を飲むだけ。
俺の遊びを何気なく見つめ、たまに声をかけてくる知り合いに返事をする。
そんな八戒をちらりと見れば。
目ざとい女が八戒を口説きにかかろうとしていた。
無駄なんだけどね。
そう思っても、あえて口には出さない。それは八戒とその女の問題だから。
そこで、とあることを悟浄は思いついた。
そうだ。このことを知らせたら、奴はどういう反応を示すだろう。
もちろん、気が気じゃないのは当然だ。ただ、それだけで終るのか。それとも何かしらの行動を起こすのか。そこが楽しみだったりする。
よし。さっそくやってみよう。
悟浄はタイミングよく手持ちのカードがフルハウスになったのをいいことに、テーブルの上に広げて見せると、相手が頭を抱えてうなっている姿を見とめたからか、それとも自分のナイスなアイデアにか、ニヤリと笑い、八戒の元へとゆっくりと歩いて行った。
なぜだろうか。
視線を新聞から少し上げると、ゆっくりと頭を巡らして室内を観察する
やはりいつもと変わらない場所。
今は猿もいないから、ゆっくりとできるこの場所。
なのに、さきほどからふつふつと何かがせりあがってくる。
「?」
三蔵は少し考えてはみたものの、まったく思い当たるふしはなく、もう一度新聞へと視線を向ける。
コンコン。
いつもの、窓ガラスを2回叩く音。
それは彼が鼻で叩くからとても軽いもので、今のように室内が静まり返っているときでないと、聞こえないときもあかったりする。
昨日はちょうど悟空がぎゃいぎゃいと騒いでいたときだったので、この、自分を呼ぶ音が聞こえずにいたのだった。何度かジープは窓を叩いていたようで、まして声もかけていたようだったが、あまりにも反応がなかったため、あきらめて窓の小さなベランダに降り立ち、1人首を伸ばしたり、羽を伸ばしたりして、準備運動をしていたほどだ。
「きゅ。きゅーっ」
三蔵が窓を空けてやると、ジープは第2の家とばかりに遠慮なくトンと室内へ舞い降りると、少し疲れているのか、トットット、とすぐには止れずに数歩先へ進んだ。
「少し休んで行け」
「ピッ」
これまた遠慮なく今まで同様ベッドの上へ飛びあがると、寝の体制に入ろうとしていた。
「?」
その彼の足には2つ、紙が結んであった。
こんなことは初めてだ。どうかしたのだろうかと三蔵は思ったが、いや待てよ、と考えなおす。
八戒のことだ。わざわざ別々に結ぶとは考えられない。それなら紙を重ねて1つに結べばいいことだ。
…悟浄か。
嫌な予感がしてきた三蔵だった。
まずは結び方が丁寧だった方のを開く。もちろんそれが八戒のだと予測してのことだ。
『さっき久々に悟浄と街へ行ってきたんです。たくさんの方にお声をかけていただいて、家に帰ってきたという実感がわきました。いつかまた、4人で行けたらいいですね』
八戒は必ず自分の身の回りのことを書いてくる。離れていても、三蔵が自分の状況をわかってくれるように。
そんな愛しき人からの手紙を読む三蔵の口元と目元が、心なしか綻んでいるように見えた。
丁寧に折りたたみ、無雑作に見えるが実は大切に、懐にしまう。
そして三蔵は眉を寄せた。
本来悟浄という男は手紙を書くなんていう細かい芸当はしない奴だ。そんなことをするくらいなら、口で伝えればいいし、口で伝えられないなら伝えなければいい、という考えを持っているところがある。
そんな奴が、わざわざ手紙を書いてくるなんて。
どうせまたくだらないことだろうか、変な企みでもあるのだろう。そう易々と、奴の手に乗るわけがない。
まるで挑戦を買うかのように、三蔵は悟浄からの手紙を開く。
『よう。さっき、八戒と賭博場に行ってきたんだけどよ。八戒の奴、綺麗な姉ちゃんからゴツイ兄ちゃんまで、そりゃもうモテモテ。まあ、考えりゃあ、そうだよな。八戒、美人だし。せいぜい誰かに八戒を取られないよう、お前も気をつけろよ』
くしゃ。
「ジープ…」
「ピッ」
軽く首を持ち上げて、三蔵の方をみるジープに一言。
「帰りは俺を乗せていけ」
くしゃくしゃになった悟浄の手紙が、三蔵の心情を現しているようだった。
END