SAIYUKI
NOVELS 57
HOME  - 変調 -  2001.8.21
SANZO×HAKKAI
 1日の始まりの朝。
 いかにも晴れている印象を受ける、清々しいそうなすずめの声が耳に入り、八戒はゆっくりと瞳を開けた。
 彼がたとえ子供を身ごもったとしても、1日の流れはあまり変わらない。
 起きる時間も以前と同じ。起きるとたまにだるいときや眠いときなどがあることから、寝坊対策として念のために目覚ましをかけることは忘れないが、たいていは目覚ましをセットした時間より少し前に目が覚めてしまうのだ。前々から不思議と起きようと思う時間に自然と目が覚めるという体質を持っていて、それが仇にあることもあるが便利に活用させてもらっている。
 そして今日も目を覚ました八戒が時間を気にして時計を見れば、起きる時間の5分前だった。そろそろ起きる時刻なのだが、最近とみになく眠さが襲っているので今も例外ではなく、そのままの状態で天井を見上げ、しばらくの間ぼーっとしていた。
 腕を伸ばして目覚ましを止めたのは、音が鳴る2分前。
 三蔵を起こさないよう、大きくなり始めたお腹を気遣いながらベッドから出ると、昨晩のうちに用意しておいた服をなるべく衣擦れの音を立てずに着替えると、誰よりも早くリビングへと入っていく。
 カーテンを開けて、雨戸も開けて、室内に太陽の日差しを一杯入れる。
 網戸を閉めて窓は開けたまま。室内の空気の入れ替えをして、すぐに洗面台へ。
 お風呂もそうだが、日差しが差し込む明るい場所を1人で占領するのは、みんなには申し訳ないが気持ちのいいものである。早起きは三文の得といはこういうことだろうかとのほほんと考えながら、八戒は歯磨きをすませて冷たい水で顔を洗う。それは気分をも引き締めてくれ、朝の戦争がこれから始まることを知らせるものだった。
 まずは朝食の支度。
 換気扇の音、湯を沸かす音、包丁の音。それまで無機質だったそこは、一変して生活感溢れるものになる。
 手際よく支度をすませて、最後に綺麗に4人分のお皿とカップが並べられたテーブルの上を見る。
 もうすぐうるさい声が溢れるそこをいつもならさっと見るだけなのだが、今日はじっと見つめていた。
 ただただ、じっと。
 両脇に垂らしていた腕を、右は顎に、左は右腕を下から支えるように曲げる。
 悩んでいる様子である。
 じっとじっと、しばらく見つめていた八戒は、思い出したように慌ててキッチンへと戻ると、手に4人分の色とりどりの箸を握って現れた。
 いつも箸から並べる癖のある八戒は、今回のみ新鮮なサラダとハムエッグが乗せられたお皿から置いたために、すっかり箸は置いているものだと思い込んでいたらしい。何かが足りないということに気付いてはいたし、ずっと考えてはいたものの、すぐには箸のことを思い出せなかったのだ。
 それぞれの色の箸を、それぞれ定位置の椅子の前に置く。
 今度こそ完璧に並べられたテーブルを再度眺めてから1つ頷くと、エプロンをしたままで八戒は2階へと上がって行く。
 まずは悟空の元へ。
 時間差で各々を起こすのは、洗面台が混まないための八戒の工夫である。狭いとはいわないが、さすがに大人のましてや男が3人も洗面所に入ったら、とても狭く感じるのは仕方のないことだ。まあ、この場合のみ悟空も大人として計算した場合だが。
 絶対に起きないだろう核心があるのだが、必ず八戒は入り口のドアをノックする。
 コンコン。
「おはようございます、悟空。朝食できてますよ」
「メシ!?」
 3人の中で一番簡単に、そして早く起きてくれるのが悟空だった。
 ガバッと起きあがると、起きたてなのにもかかわらず、軽やかな足取りでベッドから降り立った。
「おはよ、八戒」
 八戒の脇を通りすぎながら声をかけ、彼はいつものように元気良く階下へとかけていった。
 次は悟浄の元へ。
 ここでもノックを忘れずに、コンコンと2回叩く。
「おはようございます、悟浄」
「………」
 彼はまだ夢の中をさまよっているようだ。幸せそうな表情で寝息を立てている。
 その顔につられて八戒の顔にも自然と笑みが浮かんできた。
 本当ならこのまま寝かせてやりたいのはやまやまだが、朝だけはなるべく4人全員で食卓を囲むようにしているので、たとえ彼が綺麗なお姉ちゃんをやっとGETでき、これから大人の夜を過ごそうとしている、彼にとってはとても幸せな夢の最中だとしても、ここは容赦なく起こしにかかる。
「悟浄、起きてください」
 目を覚ませるためにベッドに近いカーテンを開けるため、八戒が近付いたとき。
 本当は起きているのではないかと思うくらい、しっかりと腕をつかまれ、そのまま引かれてしまった。
 力に逆らえずにそのまま悟浄へと倒れ込んでしまった八戒を抱きしめると、彼は寝ぼけているとわかる声で囁いた。
「夜は長いぜ?」
 ぎゅ〜〜〜っ。
 八戒は悟浄の左頬を思いっきり引っ張った。
「てーっ」
「…僕をどなたかと間違えないで下さいね」
 冷ややかな声。
 引っ張られた頬の痛みで目が覚めた悟浄だが、久しぶりに聞いたその八戒の珍しい声音は、一気に意識までもを覚醒させる。ところが彼の瞳に写った八戒は氷の微笑を浮かべていたものだから、悟浄は抱きしめたままで固まってしまっていた。
 夢と現実はあまりにも違いすぎる。しかし悟浄の不運はそれだけではなかった。
「はっかーいっ」
 間が悪いことにそういうときに限って、悟空が八戒を呼びにくる。
 もちろん悟空はばっちりと、2人の抱擁なるものを目撃してしまった。
「………」
「………」
「………」
 何も言えずにいるこの張り詰めた空気。それを壊すかのように、視線は2人から外すことなく、悟空が大声を出した。
「悟浄が八戒を抱きしめてるーっ」
 悟浄と八戒が抱き合ってると言わない辺りが、八戒が三蔵を好きだということを重々承知しているからだろう。
 ばたんっ。
 遠くでドアが開け放たれた音がした。あまりにも勢いよく開けたためにドアが壁に激突のたのだろう。そこまで勢いよく開けたのにドアの閉める音がしないまま、階段を派手に昇る音が続いた。
 短気だがあまり物事には動じない彼でも急ぐことがあるんだな、などと暢気に考えているうちに、戸口にいた悟空を押しのけ、ものすごい形相で入ってきた三蔵が悟浄と八戒の瞳に映った。
「……人のモンに手ェ出すとは、いい度胸だな」
「オイオイ、誤解…」
「聞く耳もたん」
 スパーンっ。
 室内に響いたいつもの音。悟空は叩かれていないのに、身を縮めていかり型にし、瞳をぎゅっと閉じて、くるはずのない衝撃を耐えるようにしている。
 そんな彼の反応を見た八戒はふっと笑みを浮かべた。
「ってー。いい加減、力でモノ言う癖やめろよっ」
「うるせえっ。つべこべ言ってねえで、さっさと支度しやがれっ」
 またもふりあげようになったハリセンを見た悟浄は、悟空を掴んで慌てて洗面台へと向かって行った。
「まったく。お前もお前だ。油断してんじゃねえよ」
 お鉢が周ってしまったと少し悟浄を恨めしく思ったが、三蔵の行動そのものが独占欲の現れであるように思え、今回のみは感謝していもいいかもしれないとも思い直した八戒だった。






 さて。朝食さえ終れば、後は三蔵のお見送りである。
 八戒が三蔵のためにわざわざ作った、法衣に似合ったお弁当袋を手に、すでに先に玄関へと向かっている彼の元へと急ぐ。
 別に寺院でも昼食は出るのでわざわざ八戒が作らなくてもいいのだが、以前悟空にせがまれてお弁当なるものを作ったときに、三蔵の分も作って手渡してみたところ、表面は相変わらずだったのだが、やはりどこか嬉しそうにしていたのだ。
 その日以来、彼のどことなく浮き足立つような雰囲気を纏う一瞬が好きで、時間さえ許せば八戒はお弁当を作っているのだ。
 そしてそれは今日も同じ。
 かちゃかちゃと音を立てていることから、お箸がちゃんと入っていることが確認できる。広げるハンカチだって入れてある。大丈夫、忘れ物はないようだ。
 後は三蔵と一緒に外へ出て、彼の姿が見えなくなるまでいつものようにお見送りをするのみである。
 最終チェックをしながら、八戒はキッチンから玄関へと続くまっすぐ伸びた廊下を進んだ。
 そのとき間が悪いというか、運が悪いというか。
「おい、悟空っ、これだけどよ…」
 玄関よりの部屋のドアを開け、にょきっと腕を伸ばしてたのは悟浄だった。
「あ……」
「あ゛??」
 偶然にも伸ばした手が八戒の胸に当たってしまったのだ。
「なに〜?」
 と、悟浄のいる部屋と向かい合っている部屋からは、返事の声が聞こえてきた。
 ひょこっと顔を出した悟空。
 玄関でお見送りを待つ三蔵。
 腕を伸ばした悟浄に。
 廊下を歩いていた八戒。
「………」
「………」
「………」
「………」
 しーんと静まり返った廊下。
 誰も動くことなく、誰も声も出さない。
 4人の視線がすべて八戒の胸と、そして悟浄の腕へと注がれていた。
「…柔らかい……?」
 呆然とした悟浄の呟きは、小さいながらも廊下と玄関に響きわたる。
 その声に即座に反応したのは三蔵だった。
 ガウン。
「発砲禁止だろっ!」
「殺すっ」
「三蔵っ、土足だってばーっ」
「わーっ、待てってば、おいっ!」
「ちょっ、いい加減にして下さいっ」
 八戒が必死に制止の言葉を言っても全然効果はなく、3人が起こしている嵐は一向に治まりそうになかった。
「お腹の子によくないですっ」
 ピタッ。
 それまでの喧騒が嘘のように静まり返る。そしてそれぞれの瞳が、さほど大きいとはまだ感じられない八戒のお腹へと注がれた。
「ごめんなさい」
「申し訳ございませんでした」
 そのお腹に向かってペコリと挨拶をしたのは悟空と悟浄。
 三蔵はと言えば、馬鹿らしいとばかりにくるりと振り返ると、何も言わずに玄関を出て行った。
「三蔵っ」
 八戒も慌てて弁当を持って後を追う。
「せっかく作ったんですからっ」
 そう言って玄関の扉を開けてみれば、三蔵はすぐ外で歩みを止めている。どうやら八戒がくるのを待ってくれていたようだ。
 ここからは2人の世界とばかりに静かにパタンと扉を閉めると、悟空と悟浄からは自分たちが見えないように遮断させた。
「忘れるわけねえだろうが」
 憮然とした表情で彼は言ったが、それには照れが含まれているように感じられた八戒は、うっすらとした微笑とともに、三蔵に弁当を渡す。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振って。微笑みは浮かべたまま。
 こうして八戒は仕事へと向かう三蔵を見送るのだった。
 さあ、またこの後も、朝の仕事は残っている。
 少し身体がだるいけど。
 少し眠い気がするけど。
 それでもあと少しだけ。朝の仕事を終らせて、そしてうたた寝でもしようと八戒は思っていた。
 唯一、それだけが、今までの1日の流れとは違うことだった。
「俺としたことが、気付かなかったなあ…。八戒が女になってたなんて」
「ええっ!おかーさんって奴?」
「だな」
 忙しくても平和な八戒の1日。それは身体が変調してもあまり変ることがなかった。
 ところが平和には変りはないものの、これからの彼の1日は今日から大きく変りそうな、そんな予感をさせる雰囲気が家の中には流れていたのだった。






END