SAIYUKI
NOVELS 50
HOME  - 懊悩 -  2001.3.27
SANZO×HAKKAI
 最近八戒は悩んでいるようだった。
 洗濯物を干しては、途中手を止めてぼーっと空を眺めたり。
 料理をしていては、途中包丁を止めてコンロの炎を見つめたり。
 洗面台では、手を洗っている途中鏡に映る自分を凝視したり。
 どれもが彼の瞳に生気が浮かんでいなかったから、見ているこちらとしては心配になってくるのだ。
「ってなワケなんだけど」
 食後の一服を2人で楽しんでいるという光景を作りながら、八戒には聞こえないよう、三蔵に彼がいない間の八戒の状態を悟浄は切々と語って聞かせた。
 今日は買い物に時間がかかったのか、いつもならとうに終わっているはずの洗濯物を、八戒と俺のお手伝いをしている悟空が、仲睦まじくたたんでいる。その光景を見るかぎりでは、八戒が悩んでいるなどまったくわからない。
「言っとくけど、俺はたまたま見たんだぜ。誰かいるときに、八戒がンな態度取るワケねーだろ?」
 八戒をあからさまに見つめる三蔵に先手を打つ悟浄だった。
 三蔵と悟浄の視線に気付いた八戒は「?」という表情をしたももの、それでもいつもとなんら変わりない、穏やかな微笑を向けてきた。
「…確かにな」
「だろ?」
 と相槌を打ちながら、悟浄は八戒の笑顔に手を振って答えている。
「あんな状態の八戒の口を割ることができるのはお前しかいないからな。頼んだぜ、三蔵サマ」
 椅子から立ち上がりざま、三蔵の肩を叩いてそう言うと、悟浄はちょうど洗濯物をたたみ終えた二人の元へ向かって行くと。
「終わった?」
「ええ」
「んじゃ、悟空。カードやろうぜ」
 そのまま悟浄は悟空をつれて部屋へと下がって行った。
「何の話しをしてたんですか?」
 やっと一仕事が終り、体を休める時間とばかりに、八戒は自分と三蔵の分の飲み物を入れて戻ってくると、笑顔で尋ねてきた。
 どう話しをもっていこうか考えていただけに、三蔵にとっては好都合だった。
「どうすれば、隠しごとがうまくなるか」
「隠しごとですか?」
「ああ。お前のようにな」
 瞬間、八戒の笑顔が固まり、それは少しずつ真顔へと変わっていく。
「………」
「本当にお前の隠しごとのうまさは賞賛に値するな」
 そしてまっすぐ見つめて言う三蔵の瞳には、だんだんと青ざめて顔色を無くした八戒が写った。
「…で、何を隠してるんだ?」
 それまでじっと三蔵の瞳を見返してきた八戒だったが、彼は顔を隠すように下を向いてしまった。
 顔が見えない今、彼の感情がわかるのはテーブルの上に置かれた彼の手のみ。そしてそれは小刻みに震えていた。
 その震えを止めるためかぎゅっと掌が握られたが、もしかしたらそれは、もう逃れられないこの状況に、できることなら言いたくなかったことを口にするための勇気を出すためのものかも知れなかった。現に顔を上げた八戒は何かを決断したような表情をしていたから。
 それでもやはり言うのは辛いのか、きゅっと口許を結んですぐには言葉を綴ろうとはしなかった。
 三蔵からすれば、何か悩みがあるのなら一人で悶々と考えずに、相談してほしいだけだったのである。あまり悩みすぎても体によくないし、一人で考えるより二人で考えた方が突破口が見つかる可能性が高いと思ったからだ。でなければ、たとえ悟浄にいわれたからといえども、子供じゃないのだから口出しするつもりはなかった。
 だが、八戒にこんな表情をさせてしまうのだったら、聞かない方が良かったというのだろうか。
 それとも八戒が自分で解決するまで、八戒から口にしてくれるまで、そっとしておいた方がよかったというのだろうか。
 三蔵の体に暗くて重いものがのしかかった。
「はっ…」
「三蔵、別れましょう」
「なっ!」
 そんな辛そうな顔をしていても、やっと言う気になってくれたのだと思っていただけに、三蔵のダメージは計り知れなかった。
「ずっと言おうか考えていたんです…」
 八戒はこのことで悩んでいたというのか。それなら自分に相談できるはずがない。
 しかし三蔵は納得がいかなかった。
 嬉しそうに指輪を受け取った、あれはいったい何だったんだろうか。
 今まで幸せそうにしていた日々は何だったんだろうか。
 たった数日という短い時間で崩れてしまうほど、自分たちは弱く脆い関係だったのだろうか。
「理由を言ってみろ。納得のいくものだったら考えなくもない」
「……僕と一緒にいないほうがいいんです…」
 そう言った八戒の声は押し潰したようなものだった。
「なぜだ?それを決めるのは俺だろう」
「ええ…。でも、双方にとってそれが一番いい結果なんです」
「それで俺が納得するとでも思ってんのか?」
 その返答は予想していたようで、八戒はやはりというように苦笑した。
「……病気になったようなんです…」
「病気?」
「はい。この先、あなたの足手まといになるかもしれません。だから…」
「…もういっぺん言ってみろ」
「え?」
「誰が誰の足手まといだって?」
「だって…」
「俺がそんな肝の小さい奴に見えるのか?」
「そういうことを言ってるんじゃないでしょう」
「いや、似たようなもんだなお前はまだわかってない。俺がお前に指輪を渡したときの気持ちをな」
 テーブルの上には偶然にも2人の左手が乗せられていた。
 その指にはめられているシルバーリングが、いっそう輝いて見えた。
「生半端な気持ちで渡したとでも思ってんのか?そのように見られてたのか?」
「いえ…」
「お前だからだ、八戒。お前が傍にいなきゃ、意味がねーんだよ」
「三蔵…」
「変なこと、言わすんじゃねー」
「すみません。…有難うございます」
 八戒の曇っていた心が、この三蔵の言葉で、少しは晴れたような気がするのだった。
「…どんな病気にかかったんだ?」
「いえ、『かも』というだけで、まだ見てもらってないんですよ」
「なら早く行け」
「ええ。わかってるんですが、どこに行けばいいのかわからなくて…」
 どこに行けばいいかわからない?
 三蔵にはその言葉の意味自体がわからなかった。
 ただ医者に行けばいいではないか。
 それともそんなにはっきりと区別がつかないものなのか?外科と整形外科のように。
 そう考えていた三蔵に、八戒の言葉はなおも続く。
「外科なのか、それとも婦人科なのか。内科じゃないとは思うんですが…」
 婦人科?
 そうしてやっと三蔵は、八戒が悩んでいる病気のことに思い当たったのだった。
 そういえば、観世音菩薩から貰った薬を飲ませて、早1ヶ月。まだ八戒にそのことを言ってなかったのだ。
 でももしかしたら違うことで悩んでいるかもしれない。
 それでも十中八九はそうだろうと思いながらも。
「…どんな症状なんだ?」
 三蔵は聞いてみることにした。





「し…信じられない…」
 今までずっと悩んでいたのは何だったんだろうか。
 八戒は心底そう思った。
 ずっと悩んでいたのだ。胃が痛くなるくらい、それはもう、ものすごく。
 こんな症状は聞いたことがないし、どこの医者に行けばいいのかわからない。だからこそ、相談する相手もいなければ、先が見えないことだからこそ、三蔵との離婚も考えていたというのに。
 それが全部、三蔵が原因だっただなんて。
「なんでそんなことしたんですかっ!遊ばれているの、わかってるでしょうっ!!」
 しかしそれよりも八戒が頭にきたことは、三蔵が一言も言ってくれなかったことである。多分先に真実を言ってしまったら、きっとお菓子を食べてくれないだろうし、ましてやその夜に限ってお勤めがなくなってしまうかもしれないと、そう三蔵は思ったから言わなかったのだろう。だが、その後になっても言わないとはどういう了見だろうか。結局真実を知ったのは三蔵の口からには変わりはないが、しかし追加項目として「必要に迫られて」というのが加えれるのではないだろうか。きっと今回のことがなかったら、自分のお腹が膨れるまで知らなかったに違いない。
 そう思うと、やはり八戒の語調も荒くなってきてしまうのだった。
 それを見た三蔵もまた、売り言葉に買い言葉のように、逆ギレしてしまったのである。彼も自分に非があることはわかっているのに、頭に上った血を抑えるのは難しかった。
「じゃあ、何かっ!お前はあのババアから逃げられるとでも言うのかっ!」
「でも、言われた通りにしなくても、他に方法があったでしょうっ!」
「ねえな!利害一致だったからなっ!!」
「……利害一致?」
 それまでの怒涛のような怒りは、三蔵のその言葉で、一瞬にして冷たいものになった。
 ぱちくりと瞬きをした後に、耳を疑うような言葉を聞き返してみれば、彼はそっぽを向いてしまった。
 懐から愛用のマルボロを取り出すと、そのうちの一本に火をつけ、この場をごまかすかのように吸い始めた。
 そうだったのか。三蔵は自分との子供を見てみたかったのか。それならそうと、始めから言ってくれればいいのに。
 おかしいとは思っていたのだ。たとえ苦手でなぜか逆らえない観世音菩薩からの贈り物だとはいえども、人の掌で踊らされるのを嫌う三蔵が素直に受け取って、使うわけがないのだと。
 八戒はくすりと笑った。
 実際、観世音菩薩はやはり自分が楽しむために、薬を持ってきたのは明白だ。
 それでも、結果的にはそれは三蔵の願いに繋がるのだ。自分が女性の役をしなくてはならないという点に関しては、少々納得がいかないところがあるが、それでも彼のためならこの現状を素直に受け入れてもいいではないか。それに三蔵の子供なのである。普通なら出きるはずもなければ、絶対に無理なことと考えたこともない、自分との子供。愛しく、また憧れている、彼と自分の子供が作れるというのなら、このチャンスを喜んでもいいだろう。
「三蔵。これからは煙草、控えめにしてくださいね」
 にっこりと笑う八戒の笑顔は、何の曇りもなかった。
 仕返しかと思って、三蔵は目を細めたが。
「赤ん坊の体にさわりますから」
「………」
「お金も貯めないといけませんねえ。節約しなくちゃ、ですね」
「………」
「三蔵には頑張って働いてもらわないと」
「………ああ。ならお前は栄養つけねーとな」
「そうですね」
 家族が新しく増えるのは9ヶ月後。
 八戒の体もそれに向けて着々と準備が進んでいるようだ。
 それなら、まだ男の子か女の子かはわからないが、新しく家族が増える準備をこちらもしておかなければと、八戒も三蔵も思うのだった。
 八戒の悩みは解消された。
 同時に、三蔵も密かに悩んでいた『観世音菩薩のことを八戒に告げる』ということも解消された。
 しかし、三蔵の次なる悩みである『悟浄と悟空に子供のことをどう言うか』という問題が、未だ残っているのだった。






END